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第38話 ソフトボール大会の日 ~伊織編~

 翌日も、主任は午前中は会議、午後は野田さんと塩谷さんと外回り。塩谷さんと二人きりじゃなくて、私はほっとした。

「今日、塩谷、大人しかったね」

 塩谷さんが出かけて行ったあと、そう真広が言った。


「そう?」

 人のことなんて気にしていられないんだけどな。

「今日の帰り、お茶付き合って」

 そう真広に言われ、定時に仕事を終え、私と真広は駅近くのカフェに行った。


 私は紅茶とチーズケーキ、真広はコーヒーとチョコケーキを頼んだ。

「はあ、落ち着く」

 コーヒーを飲んでそう呟くと、

「来月あたり、課長か主任から来年も仕事続けるか聞かれるじゃない」

と、突然そんな話題を振ってきた。


「え?あ、そう言えば、去年は田子主任に聞かれたね、会議室まで一人ずつ呼ばれて」

「そう。今年も聞かれると思うんだ。去年は、来年も続けますって簡単に返事したけど、今年は寿退社しますってどうしても言いたくて」

「え?え?もしかして、岸和田さんと?」


「ううん。結婚のけの字も出ていない。だけど、主任に来年3月で辞めるか聞かれたって、そう岸和田に言ってみようかと思うの。それで、反応を見てみようかなって」

「……主任に聞かれるのかな」

「多分、課長じゃないと思うんだよね」


「そうだね。去年も田子主任に聞かれたもんね」

「なんとか、26には結婚したいよ」

「……そうか。主任に…」

 どう聞かれるの?桜川さん、来年の春で会社辞めますか、辞めませんかって聞かれるの?そんなの、ないに決まってるよ。だって、主任と結婚しなかったら、私はこのままこの職場にずっと。


「伊織は?」

「え?何?」

「その前に、思い切って主任に告白するとか、何かアピールしたら?」

「何かって?何?」


「主任と結婚したいっていうアピールだよ」

「そんなことして、断られたらショック大きいよ」

「でも、アピールしないとわかってもらえないんじゃないの?」

「主任って、独身主義みたいだし…。結婚なんか考えていないと思う」


「じゃ、どうする?来年も再来年も、その先もこの会社にいるの?」

「……」

「主任を思い続けている間に、おばあちゃんになるよ。もう、貰い手なくなるよ?」

「でも、だからって、主任を諦めて他の人なんて…。婚活ももうするのをやめようと思っているのに」


「お局になるよ、いいの?」

「真広は?」

 そう聞くと、真広はコーヒーを一口飲み、

「岸和田に聞いて、全然結婚する意志が見られなかったら、別れる」

ときっぱりとそう言った。


「本当にいいの?別れられるの?」

「だって、ここでずるずるしたら、一生結婚できないかもしれないし」

「……」

 二人でしばらくケーキを黙って食べた。ケーキを食べると、一瞬幸せになれるのに、今日は味がしない。


「はあ…。あのね、真広。昨日母親から電話があって、見合いしろって言われたんだよね」

「よかったじゃん」

「よくないよ。なんでいいわけ?」

「だって、見合いしてみていい人だったら、決めたらいいんだし」


「見合いなんかしない」

「それって、主任のことが諦められないから?」

「そう…」

「…あのさ、主任にアタックもしないし、だからって諦めもしないでいるのって、宙ぶらりんの状態じゃない、それでいいの?」


「……でも、結婚迫った途端に嫌われたら怖いし…。嫌われるのが一番、怖いんだよね…」

「……まあ、なんとなく、その気持ちもわかるけど。でも、そうなったらきっぱりと他の男を探せばいいんだし」

「私、真広みたいに割り切れないよ」

 そう言うと、真広の顔は、一気に曇った。


 あれ、私、変なこと言ったかな。

「割り切れないよ、私だって。私だって、岸和田がいいんだもん」

「え?」

 真広、泣きそう…。もしかして、真広はそんなに岸和田のことが好きになっていたの?


「でも、想っていても、どうしようもないかもしれないんだから。だって、向こうは私のこと、本気じゃないと思うし」

「そ、そんなことわかんないよ」

「わかるよ。携帯には他の女性からメール来ているみたいだし、今、付き合っているのだって、私一人かどうかも、それすらわからない」

「…。なんで、遊ばれてるかもしれないのに、そんな人がいいの?」


「優しいから…かな」

「え?」

「あいつ、二人でいる時にはすごく優しい。だから、ずるいんだよね。もしかしたら、他の子にも私同様、優しくしているのかもしれないのに。バカでしょ、私」


「………」

 うん、バカだ。でも、私も、もし佑さんが他に付き合っている人がいたとしても、別れられるかどうかわからない。優しくされたら、それだけで満足しちゃうかもしれない。


「はあ…」

 どうして、結婚を考えて付き合わないとならないんだろう。学生だったら、もっと気楽なんだろうに。そういえば、佑さんもそんなこと言っていたっけな。それだけ、結婚は佑さんにとって、重たいことなのかな。

 そう思うと、私から結婚の話なんかできないし、親に見合いをしろと言われていることも佑さんには言えない。

 

 どうしたらいいんだろう。


 結局、暗いまま私たちはカフェを出て、それぞれの家路に着いた。

 アパートに帰り、簡単に夕飯を済ませ、私は美晴に電話をした。


「お姉ちゃん?あ、もしかしてお母さんから電話あった?」

「あったよ。どうしたの?いきなり、仕事に生きるだなんて」

「それがさ!もう、私、わくわく楽しくって」

「え?」


「仕事だよ。ブログ書いて、本出してっていう夢まで持っちゃったし。そういうこと考えだしたら、二階堂さんとのお付き合いもどうでもよくなったし、結婚なんて、女の幸せかどうかもわかんないなって、そう思ったんだよね」

「あんなに、25までに結婚するって言っていたのに」


「だから、元彼を見返したかっただけなんだってば。それに気が付いたら、もう結婚なんかどうでもよくなったんだよね。いずれ、するとしても、30過ぎてからでもいいや。だからさ、お姉ちゃんも結婚急がなくてもいいんじゃないの?」

「ちょっと!お母さん、孫を産んでくれるのは私しかいないって感じで、見合い話をしてきたんだよ!すごくせかされて、今度家に帰って来い、すぐに見合いをしろって、すごい剣幕だったんだからね!」


「ごめん、ごめん。私にもうるさく言ってきたから、つい、お姉ちゃんに託してって言っちゃったんだよねえ」

「つい、じゃないよ~~~」

「でも、お姉ちゃんには主任がいるじゃない。魚住主任のこと、家に連れて行けばいいじゃない?条件いいし、お母さんも納得するよ。絶対に反対はしないと思う」


「連れて行けるわけないでしょう!そんなことしたら、お母さん、私が結婚するって勘違いするよ」

「いいじゃん。主任に結婚してもらったら?」

「美晴!主任は結婚する気で私と付き合ってるんじゃないんだよ」

「じゃあ、遊び?」


「そうじゃなくって。結婚は考えられないって」

「じゃあ、そのうち、ぽいって捨てられるの?」

「そういうんじゃなくって」

 ああ、もう。結婚を前提にしないと遊びになるの?もう、わかんないよ。


「私は、フードコーディネーターになるの。そう決めたの。料理学校ももっと上級クラスに入ったの。まずは、料理学校の先生になる。もう、コールセンターも辞めちゃったし」

「え?そうなの?」

「私、本気なの。こんなに何かに本気になったの初めてなの。だから、何を言っても反対しても無駄だよ」


「反対なんてしない。応援するよ。それだけ夢中になれるものに出会えたのは、すごいことだし、羨ましいよ」

「お姉ちゃんは?魚住主任、本気じゃないの?」

「……」

「あれ?そんなに好きじゃないの?付き合ってみて、理想と違った?」


「ううん。付き合ってみたら、もっと惹かれた。だから、けっこう辛い」

「え?」

「付き合ってみても、不安だらけで…」

「本気なんだね、お姉ちゃん」


「うん」

「私、彼氏できても、本気になれなかったの。いつも、条件を満たすだけの人を探して、見つかっても、この人じゃないかもって、どこかで思ってて。本気で好きになんてなれなかったな」

「…そうなんだ」


「お姉ちゃん、そんなに本気になれる人に出会えたのは、奇跡だよ。だから、頑張って。手放しちゃダメだよ。結婚しなよ」

「……頑張るって、どうやって?」

「わかんないよ。私だって、本気で恋したことないし」


「そっか」

「お姉ちゃんなりに、頑張って。私も、夢に向かって頑張るから」

「うん、わかった」

 電話を切って、ふうっとため息をついた。


 頑張るって言うのが、私にはわからない。でも、正直に、素直になることが大事なのかもしれないって、なんとなくそんなことを思っていた。

 だから、母親からの電話や、見合い話があることを、佑さんに正直に言ったほうがいいんだろうなって、そんなことも思っていた。


 だけど…。勇気が出ない。もし、結婚は考えられない。結婚をしたいなら、別れようと言われたら…。そう思うと怖くて、勇気がなかなか出ない。


 そして、勇気が出せないまま、土曜のソフトボール大会が来てしまった。


 会社では、ほとんど顔を合わすこともなく、話をすることもなく、今日を迎えた。メールや電話も、まったくしなかった。何度か、家で携帯を手にした。でも、何の用事もないのにメールするのも、電話をするのも気が引けた。


 私たちって、なんだか付き合っているんだか、いないんだか、わからない状態のままだな。こんなで、本当に付き合っているって言えるのかな。


 真広は、しょっちゅうメールをし合っているようだ。でも、結婚の話はやっぱり切り出せないでいるみたいだ。明日言う、明日言うと言いつつ、先延ばしにしているみたいだった。


 そうだよね。怖いよね。切り出した途端、別れ話をされたらと思うと、本当に怖いよね…。


 そして、土曜。今日はソフトボール大会の日。着替えを持って、朝8時半に家を出た。グランドまで1時間。10時から試合は始まる。


 佑さんと同じ電車になるかな。そんなことを思いつつ、電車に乗っていたが、佑さんとは会えなかった。


「伊織!」

 女子更衣室で着替えていると、真広が鴫野ちゃんと入ってきた。

「おはよう」

「おはよう」


「今宮さんは、車で来るってさ」

「え?車で?あ、そうか」

 主任も車で来ているのかもしれない。

「で、疲れている魚住主任を車に乗せて、持ち帰る作戦らしいんだけど」


 そう鴫野ちゃんが言うと、真広が笑って、

「でも、主任も車で来ていたら、今宮さんの車には乗らないよね~~」

とそう言った。

「あ!そうだよね。魚住主任、運転するのかな?」

「知らない。しなさそうなイメージだけど」


「するよ」

 二人の会話に、私は着替えながらそう言うと、二人とも、

「何で知ってるの?」

と同時に聞いてきた。


「え?あ、なんか、そんなことを前に聞いたから。名古屋では車でよく移動していたとかなんとか」

「へえ。何気に主任のこと詳しいね~~」

 ギク。

「だだだって、主任のことはいろいろと知りたいから、それで」


「やっぱり、伊織ちゃんは魚住主任狙いなんだよね?今宮さんも狙っているけど、私は同期の伊織ちゃんのこと応援するよ」

「え?じゃあ、鴫野ちゃんは?」

「私も魚住主任、素敵だって思うけど、実際付き合える気はしないしさ。なんか、近づきにくい感じあるじゃん?」


「そうそう。性格も悪そうだし、やめたほうがいいって」

 また、真広はそんなこと…。

「そんなこと言って、真広は伊織ちゃんの応援してるんでしょ?」

「あ、バレたか。今宮さんには悪いけど、私も伊織を応援しているからさ」


 そこに、今宮さんが入ってきた。

「おはよう」

 あ、なんか暗い。どうしたのかな。

「聞いてくださいよ、鴫野さん。駐車場でばったり魚住さんに会っちゃって、魚住さん、車で来ていたんですよ~。帰りに送って行くという作戦、ダメになっちゃいました。失敗した!電車で来て、送ってもらえばよかった~~」


「しょうがないよ。車、運転するかもわからなかったんだし」

「あ~~。私のバカ。事前にいろいろと調べておくんだった!」

 今宮さんはそう言いながら、乱暴にカバンを置き、ロッカーを開けた。とそこに、

「おはようございます」

と、菜穂さんが入ってきた。


「おはようございます。あ、もしかして○○電工の方ですか?今日はよろしくお願いします」

 鴫野ちゃんが、にこやかにそう挨拶をした。

「はい。よろしくお願いします」

 菜穂さんは、大人しめにそう言うと、私や真広にはぺこりと頭を下げ、奥のロッカーのほうに進んで行った。


「どうやって、魚住さんに近づこうかな。やっぱり、しゃぶしゃぶの時がいいのかな、どう思います?鴫野さん」

「そうだね~~」

 やばい。菜穂さん、聞いてるよ。主任の話をここでしないほうがいいんじゃないのかな。


「着替え済んだし、トイレ行ってさっさとグランド行かない?」

 そう私が言うと、すでにスポーツウェアを着ている今宮さんも、タオルや水筒を持ち、

「そうですね」

と私や真広、鴫野ちゃんと一緒に更衣室を出た。


 そしてトイレで、真広がこそこそと、

「さっきの子、湯川部長の娘さんなんだよ」

と二人に教えていた。

「え?そうだったんだ!」


 二人ともびっくりしながら、声をいきなり潜め、

「魚住主任に近づけないようにしないとね」

とぼそぼそと話をしていた。


 ああ、今日ってどうなっちゃうのかな。もしかして、私にはライバルが、いっぱいいるってことなのかな。


 グランドに行くと、すでに主任はスポーツウェアで野田さんたちと軽く運動をしていた。

「おはようございます」

 鴫野ちゃんと今宮さんが、元気にみんなに挨拶をすると、みんながこっちを振り返って見た。


「おはようございます」

 主任、かっこいい。スポーツウェア、似合ってる。それに、挨拶もいつもより爽やかだ。

 うっとりと主任を見ていると、

「桜川さん、準備運動しっかりしておいたほうがいいですよ」

と、主任に言われてしまった。


「あ、は、はい」

 慌てて私は、アキレス腱を伸ばしたり、屈伸をしたりした。でも、真広たちは、わいわいと雑談をしているし、今宮さんなんて、主任に駆け寄り、

「いいお天気でよかったですね」

なんて、愛想を振りまいている。


 しまった。出遅れたかも。

「桜川さん」

 あれ?主任、こっちに向かって来てる。今宮さんのことをスルーして…。

「はい?」


「今日、あまり無理して怪我しないようにしてください。聞けば、毎年怪我をしているそうじゃないですか」

 ギク。何で知ってるの?誰がばらしたの?

「大丈夫です。無理はしません」

「本当に気を付けてください。怪我して仕事休まれたら困りますからね」


「はい」

「なんだ。仕事の心配?」

 聞こえるくらいの大きさで、真広が私の隣でそう言った。主任は真広をじろっと睨み、

「溝口さんは、真面目にやってくださいね」

と、嫌味たっぷりな感じでそう言った。


「は~~~い」

 真広はいつものように、ふてくされた返事をして、今度は聞こえないくらいの音量で、

「ね?感じ悪いでしょ?それなのにどこがいいわけ?」

と、今宮さんに耳打ちをした。


「ははは」

 今宮さんは、作り笑いをした。


「おはようございます。今日はよろしくお願いします」

 そんな私たちの隣に菜穂さんが来て、主任にぺこりとお辞儀をした。

「おはようございます」

 主任も軽くお辞儀をすると、さっさとまた、野田さんたちのところに戻り、

「ウォーミングアップしますか」

と、キャッチボールを始めてしまった。


「魚住主任って、クール」

「うん。どう接していいかわかんないね」

 今宮さんの言葉に、そう鴫野ちゃんが答えた。


「だから言ったじゃん。性格悪いからやめなって」

 そう真広は、まるで菜穂さんに言っているかのように、菜穂さんのすぐ横でそう言うと、

「神経質で、細かくて、あんな人と付き合ったって何にも楽しくないと思うよ」

と、さらに念を押すように、大きめの声でそう言った。


 あ、菜穂さん、真広の方を見た。

「それに仕事人間で、仕事以外、どうでもいいみたいだし。面白みのない人間なんだよ、きっと」

「上司の方の悪口は、あまりしないほうがいいと思いますけど」

 え?


 なんと、真広に菜穂さんが注意をした!

「そ、そんなの、違う会社の方に言われる筋合いないと思いますけど?」

 あ、真広も言い返した。やばい。部長の娘さんなんだし、得意先の経理でもあるんだし、やばいって。


「真広、私たちもウォーミングアップっていうのをしようよ」

「うん、しよう、しよう」

 私と鴫野ちゃんで、真広を引っ張り、グランドの真ん中まで歩いて行った。ああ、なんか、心臓に悪い。とそこに、あの、塩谷さんまで来て、

「魚住主任~~~!!」

と元気に走って主任に近づいて行った。


「おはようございます」

「おはよう。朝から元気だな」

「そりゃあもう、天気もいいし、スポーツできるんですから、張り切っちゃいますよ!絶対に、勝ちましょうね!!主任!!」


「……さすが、体育会系」

 ぼそっと真広がそう言ったのが聞こえたのか、塩谷さんがこっちを睨み、

「そこ、怪我しない程度に、そこそこ頑張って」

と、明らかにバカにした笑みを浮かべた。


「むかつく」

 真広、それも聞こえてるって。

 ああ、こっちでも、あっちでも、火花が飛んでいるような、なんだか、嫌~~な予感。


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