第37話 この先は? ~伊織編~
翌朝、携帯が鳴って目が覚めた。
「もしもし」
「伊織さん、おはようございます」
「佑さん?あれ?」
「もう、7時になりますよ。今、起きたんですか?」
わあ!もうこんな時間。佑さんが帰ったのもまったく知らなかった。
「は、はい。ごめんなさい。佑さんが帰ったのにも気が付けなかった。起こしてくれたらよかったのに」
「いいんです。それより、二日酔い大丈夫ですか?」
「あ、はい。大丈夫です。シャワー浴びて、目、覚まします」
「朝ご飯は?」
「それは…、む、無理かな」
「……やっぱり。朝ご飯の用意、すればよかったですね、すみません」
「え?なな、なんで佑さんが謝るんですか?」
「用意をしてから帰るか、実は悩んだもので」
「そんな、申し訳ないです。私の朝ご飯の心配までしないでもいいです」
「伊織さんの体調管理、任せてもらったはずですが」
体調管理?そう言えば…。でも、あまりにも私、情けなさすぎる。
「伊織さん、一緒に住めばいつでも、伊織さんの面倒を見れるんですが」
「面倒?」
「っていうか、世話…じゃなくって。とにかく、一緒に住めば、いろいろと心配したり、ああすればよかったと、後悔したり、気をもむこともないんですが」
「心配?気をもむ?そんなに私って、危なっかしいですか?」
「危ないと言うか…、すみません。多分、僕がおせっかいで、世話焼きで、心配性なんです」
う…。やっぱり私が、しっかりしていないからだよね。だから、佑さんは心配しちゃうんだ。
「会社、遅刻しないようにしてくださいね」
「はい。気を付けます」
電話を切ってから、しばらく落ち込んだ。でも、落ち込んでいる場合じゃないことに気が付き、慌ててシャワーを浴びに行った。
髪も急いで乾かし、化粧もして、着替えて家を飛び出した。やばい。いつもの時間の電車にも乗れるかわからない。それを逃したら遅刻だ!
なんとか間に合って、ぜえぜえ言いながら電車に乗った。ギュウギュウづめの電車に揺られ、ふらふらになりながら会社に着いた。ちょっと気持ちも悪いし、頭痛もする。二日酔いかもしれない。
「おはよう、真広」
ロッカールームで真広に会った。
「どうした?顔、死んでるよ」
「二日酔いかも」
「あちゃ。けっこう昨日飲んでいたもんね。で、主任とはどうだったの?」
「え?」
ドキ。何が?
「一緒に帰ったよね?送ってもらえたの?」
「うん」
「へえ、もしやアパートまで?」
「うん。私、ふらついていたから」
「じゃ、そのあとは?なんかあった?」
ドキッ!
「え?」
「伊織、迫った?」
グルグルと首を横に振り、さらに頭痛がひどくなった。
「オレンジジュースでも買ってくる」
自販機でジュースを買い、真広と席に行った。ああ、佑さんは涼しい顔で仕事をしている。さすがだ。
「おはようございます」
「遅い。ギリギリですけど?」
塩谷さんが私と真広が挨拶をすると、そうきつく言ってきた。
「昨日、塩谷さんはもっと遅くに来ましたよね」
わあ、真広、言い返した!あ、塩谷さん、黙っちゃった。真広ってば、すごいなあ。
「溝口さんも、桜川さんも、二日酔いにはなっていない?大丈夫?」
ん?何で塚本さん、私たちが飲みに行ったのを知ってるの?あ、昨日、プロジェクトチームで飲みに行く話をした時に、まだ席にいたっけ?
「大丈夫です」
私と真広がそうそっけなく答えると、
「桜川さん、今度、飲みに行こうね」
と誘ってきた。
「え?いえ。私、あまり飲めないんで、すみません」
「遠慮はいらないからね」
やめて。遠慮なんかしていない。絶対に行きたくなんかないんだってば。こういう時、ガツンと断れないんだよね。きっと真広なら断ってる。
主任、変な風に思わなかったかな。私がはっきりと断らなかったから。そんなことを思いつつ主任を見た。すると主任もこっちを向いた。目が合っちゃった。
ダメだ。恥ずかしくて目をそらしてしまった。さっきまで、隣に寝ていたんだよね。きゃあ。
ドキドキ。落ち着け。落ち着いて仕事をしないと。あ!そうだ。経理に持っていく書類があった。それにハンコ押してもらわないと。
なんとか顔が赤いのがおさまるまで待って、主任にハンコをもらいに行った。
「ハンコください」
そう言うと主任は、すぐにハンコを押してくれた。ああ。主任の手も指も素敵。
「ありがとうございます」
顔がにやけそうになり、思い切り顔を下げてお辞儀をした。すると主任は何も言わずに書類をグイッと私の方によこし、むすっとした顔でパソコンの方を見た。
あれ?なんか、機嫌悪いとか?それとも、仕事が忙しいのかな。
席に戻り、残っているジュースを飲んでいると、
「目が覚めるように、コーヒー飲んでおこうと思いますけど、主任も飲みますか?」
と塩谷さんが主任に声をかけた。
「ああ、入れてくれるか?」
主任のコーヒー、私が入れたかった。先を越された。それも、
「サンキュ」
と、主任は微笑みながら塩谷さんにお礼を言った。
さっき、ムスッとしていたのに、機嫌が悪いわけじゃなかったのか。もしや、私のことを怒っていたとか?
う。たったそれだけのことで、落ち込んでしまう。
11時を回り、主任は塩谷さんと出て行った。今日も二人で行動するのか。モヤ…。
嫌だなあ。嫉妬している自分が一番嫌だ。
「は~~あ」
「どうした?思い切りため息ついて」
あ、しまった。仕事中にため息をついてしまった。
「なんでもないよ、真広」
そう言って、パソコン画面に真剣に向き合い仕事をした。
12時。真広もお弁当がないと言うので、二人で外に食べに行った。
「はあ」
「あ、またため息。どうした?伊織」
パスタを待っている間、つい、またため息が出た。
「主任、今日も外回り」
「会えないから寂しいの?」
「それもあるけど、塩谷さんが一緒なのがちょっと」
「ああ、二人で外回りしているから?でも、あれはどう見ても、女として見てないよ。男の部下と同じように扱っているし、心配ないって」
「そうかな」
それでも、モヤモヤしちゃう。
「主任、昨日、伊織がもたれかかって寝ちゃっても、怒りもしないし、嫌がってもいなかったし。あんな調子で伊織、どんどん積極的に行っちゃえば?」
「え?積極的って?」
「迫ればいいのに。絶対に主任、落ちると思うけどなあ」
「む、無理。迫るなんて」
「でもさ、ほら、経理の今宮さんも狙っているし、強敵は部長の娘。出世のために結婚しちゃったらどうすんの?」
「…それは…」
「今度のソフトボール大会、やばいよ。今宮さんも部長の娘も来るんだよ?それまでに、なんとかしないとだよ?」
「それまでって言っても、もう1週間もないよ」
「そうだよ。だから、昨日はチャンスだったのに」
「……」
でも、もうお付き合いはしてる。だけど、それだけじゃダメなのかな。結婚を約束したわけでもないし。
「あの…。真広、どうなったら、大丈夫なのかな」
「何が?」
「だから、例えば、結婚の約束をしたら、部長の娘さんと結婚しないで済む?」
「うん。そうだね。約束だけじゃなく、どんどん結婚する方向へ進めないと。あ、すぐに同棲始めちゃうとか。さっさと籍入れちゃうとか」
「そんな、急展開無理だよ~~」
「じゃ、できちゃった婚狙うとか」
「無理無理無理。絶対に無理!」
「そんなこと言っていたら、本当に誰かにとられるよ。いいの?」
「よくない~~~」
そうか。付き合っています…なんて、たいした意味はないのか。他にいい人できたから、別れましょうと言われたらおしまいなんだ。
パスタを半分も残し、席に戻った。主任はまだ戻ってきていない。
「桜川さんさあ、食べもんって何が好き?」
「は?」
いきなり、塚本さんが私の横に来て聞いてきた。
「何系が好き?和?中華?飲みに行くなら居酒屋?それとも、バーとか」
「いえ。行けませんから」
「なんで?酒飲めるよね」
「私、あまり飲みに行くの好きじゃないんです」
「奢るよ?お洒落なお店でもいいよ?」
「いいです。課での飲み会とかなら行くけど、そうじゃなかったら行きません」
「…そういえば、来月旅行だね」
「は?」
「旅行、どこに行くのかな。楽しみだね、部の旅行」
意味深な笑いを浮かべ、塚本さんは席に戻った。
何?なんで、旅行が楽しみなわけ?
「伊織」
真広が小声で私を呼んだ。
「何?」
「気をつけなよね」
「う、うん」
「塚本さん、絶対に伊織狙いだから」
なんだって、変な人にばっかり狙われちゃうのかな。不倫なんかしたくもないし、だいいち私には主任がいるんだから。
主任が…。
でも、でもでも。主任だってずっと私と付き合ってくれるかわからないのに。いつか、私以外の人と結婚しちゃうかもしれないのに。
ああ、やだ。付き合っていても、なんでこう暗くなることばかりなのかな。なんでこうも、不安になっちゃうんだろう。
その日は、主任は定時に戻ってこなかった。もしかすると、直帰かもしれない。
一人寂しくアパートに帰った。そう言えば、ずっと東佐野さんも見ていない。隣にいる気配もない。ずっと舞台なのかな。
ああ、佑さんがいないと私のアパートってこんなに寂しい場所だったんだなあ。なんて思いながら、侘しく買ってきたお惣菜で夕飯を済ませた。
ブルルル。ブルルル。9時を回った時、携帯が鳴った。佑さんかと思い、慌てて出ると、
「伊織!聞いてよ」
と母からの電話だった。
いつも、メールか手紙なのに電話をよこすということは、かなり大変なことが起きたのかもしれない。
「どうしたの?」
「美晴から聞いてないの?あんた、なんにも相談とかされてない?」
「二階堂さんとのこと?」
「そうよ。あの子、二階堂さんとは別れちゃったし、突然、私は結婚しない。仕事に生きるとか言ってきちゃったのよ」
「はあっ?何それ、知らないよ。だいたい、仕事ってコールセンターの仕事に生きるってこと?」
「やっぱり、あんた何も知らないのね!」
そう言うと母は、力尽きたようにため息をついた。
「料理学校に行っていたのは知っているわよね」
「うん」
「その料理学校の先生に、フードコーディネーターにならないかって勧められたんだって」
「何それ」
「よくわかんないけど。それに、料理学校の先生にもなるって言い出して…。それから、料理のブログを始めて、自分のレシピ本を出すんだとかなんとか…」
「ああ、そういうの知ってる。私も、そういう本持ってる。役立ててないけど…」
「料理で生きていくから、結婚なんかどうでもいいとか言い出したのよ、あの子」
「美晴、電話かなんかで言ってたの?」
「そうよ。突然、さっき電話で、私の結婚は期待しないで。お姉ちゃんに望みを託してって…。あんたのことは、ずっと前に諦めたって言うのに」
…。私、諦められていたのか…。そんな気はしていたけど。
「でも、こうなったらあんたしかいないのよ。もう26でしょ?」
「まだ、25」
「でも、すぐに30になっちゃうじゃない」
「まだまだ!これから26になるのに」
「そんなこと言ってて、あっという間に三十路になるのよ。いい?孫をお父さんも楽しみにしているの。お父さん、もう還暦過ぎたんだから、残す楽しみは孫だけなのよ」
還暦と孫とどう関係するの?
「親孝行だと思って、あんただけでも早くに結婚して孫を見せてちょうだい」
「…そ、そんなこと言われても」
「今までに送った写真で気に入った人はいないの?この前の農業してる人は?よかったでしょ」
「ちょっと待って。お見合いのこと?私、お見合いなんてしないよ」
「そんなこと言ってたら、いついい人が現れるの?今までだって付き合った人一人もいないでしょ」
「いたよ」
「あんなの、数のうちに入らないでしょ」
あんなの?何で知ってるの?まさか、美晴がばらした?
「とにかく!一回、見合いをしに帰ってらっしゃい。いい?今度の週末来なさいよ!」
「ダメ。会社のソフトボール大会がある」
「そんなの休んでいいでしょう。結婚したら会社も辞めるんでしょ?」
「ダメ!大事な大会なの!」
「何よ、それ。結婚とどっちが大事?」
「だから…」
将来のためにも大事な日なの。だって、菜穂さんも来るんだよ?
「じゃあ、来週でもいいから、見合い相手に連絡しておく」
「ちょっと待ってよ、お母さん、いきなり見合いをしろって言うの?」
「そうよ」
「それも無理。私、帰らないからね」
「あんたまで、親を裏切るの?」
「そういうわけじゃ」
「いい?とにかく、見合い写真をまた送るから、その中から一人決めなさい。わかったわね!」
なんでそんなに強引なの?今まではそこまで、強引じゃなかったのに!
ああ美晴のせいだ。美晴が突然、仕事に生きるなんて言い出したから~~~!!!




