第36話 一つの布団 ~伊織編~
主任が、さっきからずっと私を支えてくれている。こんなに飲む予定じゃなかったし、また寝ちゃったし、それも、主任の肩にもたれかかったりして、迷惑ばかりかけてる…。
「すみません、主任には本当に迷惑ばかりかけて」
「…は?」
「酔っぱらって、送ってもらうだなんて、申し訳ないです」
「………」
う、返答がない。呆れちゃって言葉も出ないとか?
「あまり主任の前では飲まないようにしようって、この前決めたのに」
「なぜですか?」
「だって、迷惑をかけるから。私ってば、すぐに寝ちゃうし」
「ああ、そうですね」
「主任、呆れないでくださいね」
「酔って寝るくらいで呆れはしませんが」
主任、なんだか話し方が冷たい…。
「あ、なんか、主任、怒っていますか?」
「さっきから、主任って言っていますよ。佑でいいです」
「え?あ、そうか。そうだった。ごめんなさい」
「いいえ」
「佑さん」
「はい?」
突如、塩谷さんの顔が浮かんだ。
「なんですか?」
立ち止まって主任の顔を見ると、主任は優しい目で私を見ていた。ああ、怒っているんじゃないみたいだ。
「どうしたんですか?」
「主任は、いえ、佑さんは、仲いいですよね」
「は?」
「塩谷さんと」
「ああ、塩谷…。仕事のパートナーですよ。それだけです」
「パートナーなんですかっ?」
パートナーって?それだけ、深い信頼関係があるっていうこと?
「仕事のですよ」
「………」
それだけ、塩谷さんって佑さんにとって大事な存在っていうこと?
「羨ましいです」
「え?」
「塩谷さん。佑さんに信頼されていて、パートナーって思われてて」
「は?」
一瞬、佑さんは目を点にして黙り込んだ。でも、
「じゃあ、伊織さんも管理職になって、僕の仕事のパートナーになりますか?」
と、ちょっと意地悪な目つきをして言ってきた。
「それは無理です。私には管理職なんて…」
事務の仕事ですら、ミスしたり、迷惑かけているのに…。
「冗談です。伊織さんはすでに僕のパートナーなんですから、塩谷を羨まないでもいいですよ」
「え?」
私が、パートナー?…でも、仕事なんか全然できないし、いったいなんの?
「だから、僕の人生のパートナー…」
え?今、なんて?
「今のは…」
佑さんが慌てて目をそらした。何?なんで?
「と、とにかく、伊織さんは塩谷のことなんて気にしないでいいですから」
「………はい」
アパートに着いた。鍵をカバンから出したが、佑さんがそれを「貸して」と言って、私のかわりに鍵を開けてくれた。多分、私が酔っていて、ちゃんと鍵穴に鍵を入れられないと思ったんだろうな。
私、そんなに酔っていないのに…。
「靴!靴を脱いでからあがってください」
え?靴?あ…。脱ぎ忘れた。
佑さんに手を掴まれ、靴を脱がされた。
そのあとも、佑さんは私を抱えるようにして部屋に入り、座椅子に座らされた。
眠い。ただただ、眠い…。
佑さん、ごめんなさい。佑さん、送ってくれたのに。私、お礼も言っていない。
目を開けようにも、まったく瞼は開かなかった。
……トイレ。トイレに行きたい。
次に目が覚めたのは何時だろう。わからないけど、部屋が真っ暗だ。いつもなら、小さい電気、つけているんだけど。
モソモソと起き上がり、壁づたいに部屋を出た。キッチンまで行くと外の電灯の明かりがさしこんでいて、その明りでトイレまで歩いて行った。
ああ、服着たまま寝てた…。歯も磨いていないし、顔も洗っていない。
洗面所で歯を磨き、顔も洗った。それから、パジャマに着替えようと部屋に戻り、電気をつけた。
「?!」
誰かいる!!!!私の布団に誰か男の人が!!!
誰?誰?え?なんで?!不審者?!それとも…?!
「ん?伊織さん?」
布団からもそっと顔を上げたのは、佑さんだった。
「た、た、佑さん?!ななな、なんで?!」
「あ、しまった。寝てた」
きゃ~~~~~~~~~~~。何?私、一緒の布団で佑さんと寝てたの?!嘘でしょ!!!
「…今、何時ですか?」
「え?い、今?時計、時計」
きょろきょろと時計を探した。でも先に佑さんが自分の腕時計を見て、
「あ、もう終電ないな」
と呟いた。
え?嘘。
「すみません、泊まっていっていいですか?」
「え!?」
「あ、しまった。仕事、持ち帰ってたんだ」
「……」
ダメだ。何がどうしてこういうことになっているんだか。とにかく、落ち着け、私。
隣の部屋に行き、テーブルの上にある時計を見た。夜中の1時半。
もう1時半…。ぼ~~っと時計を見つめていると、いつの間にか後ろに佑さんが立っていた。
「伊織さん、顔、洗ってきていいですか?」
「はは、はいっ。どうぞ」
「じゃ、勝手にタオルも借ります」
「あ、歯ブラシも予備のがあるんです」
私は慌てて洗面所に飛んで行った。ああ、洗面所も綺麗にしていない。美晴の部屋だったら、いつでもどこでもピカピカなのに。佑さんがいつやってくるかもわからないんだから、綺麗にしておけばよかった。
洗面台の下の引き出しを開け、佑さんに歯ブラシを渡した。
「…青の歯ブラシ…ですか」
「え?ダメでしたか?」
「…男物?」
「いえ。そういうわけじゃ。あ、妹が泊まっていく時のために買ったもので。私が赤の歯ブラシだから、色を変えて買っただけで、別に佑さんのために買ったわけじゃ…」
「ふうん」
ああ、なんだか、心の奥まで見透かされたような目で見てる。
「う、嘘です」
「え?」
「本当は、前に佑さん、私が熱出した時に朝までいてくれましたよね」
「はい」
「そのあと、すぐに買っておいたんです。また、泊まっていくこともあるかもって思って」
「へえ、用意周到ですね」
ギクリ。
あ、呆れた?
「じゃあ、今度は、僕の着替えも置いておいてもいいですよね?僕のマンションにも、伊織さんの歯ブラシや、着替えも、化粧品も置いておいたほうがいいとも思いますが。どうですか?」
「え?佑さんのマンションに?」
「伊織さんが僕のマンションで、酔って寝てしまったり、熱出して寝てしまったりすることが、これからもあるかもしれないですよね?」
「あ、そ、そうですよね」
びっくりした。なんか、いろんなことを今いっぺんに考えちゃった。
「顔洗って目を覚まして、仕事します。伊織さんは寝ていていいですよ」
「いえ。そんなわけには。私のせいで、佑さん帰れなくなったんですから。あ、お腹空いていないですか?」
「腹は減ってません。ただ、喉が乾いていますけど」
「お茶、あ、紅茶かコーヒー淹れますか?」
「じゃあ、眠気覚ましにコーヒーを…」
「はいっ」
私は急いでキッチンに行き、お湯を沸かした。挽いたばかりのコーヒーはないが、ドリップのコーヒーを淹れ、もう座椅子に座ってパソコンを広げている佑さんのもとに、コーヒーを持って行った。
「どうぞ」
「…ありがとう」
佑さんはそう言って、コーヒーを一口飲み、
「さて、仕事するか」
と独り言を言った。
邪魔しちゃいけない。でも、そばにいたい。ちょこんと私は、テーブルの隅に座り、佑さんを見ていた。
「くす」
いきなり佑さんは笑って私を見ると、
「なんか、いいですね。仕事をしていると、コーヒーを持って来てくれる伊織さん」
と嬉しそうにそう言った。
「え?」
いいの?ただ、それだけのことを喜んでくれるの?
「じゃ、会社でもコーヒー淹れて持っていくようにします」
「ダメです」
「は?」
なんで?
「家でだから、意味があるんです」
「え?」
「会社じゃ、ただの部下と上司でしょ?」
「え、はい」
「家でこういうことをしてくれると、なんだか、家族みたいな、夫婦みたいな…。そんな感じがして、嬉しかったんですよ」
「夫婦?!」
ドキ!!!
「会社ではいいですよ。自分でコーヒーいれに行きますから」
「は、はい」
夫婦。夫婦?夫婦みたいで嬉しいってこと?それって、それって?
ドキドキしながら、私はずっと佑さんの仕事が終わるまでそこにいた。
30分もたたないうちに、
「終わった」
と、佑さんは伸びをした。
「え?もうですか?」
「はい。すみません、付き合ってもらって。もう、あとは明日会社でちゃちゃっと済ませますから、寝ましょうか」
ドキーーーッ!
そうだった。泊まっていくんだった。
「あの、うち、布団が一組しかなくて。美晴が泊まっていってもいいように、買っておこうと思いつつ、ずっと買っていなくって」
「いいですよ。布団は僕が泊まってもいいように買わないでも」
「は?」
「一緒の布団のほうが嬉しいですし」
ええ?!
それって、それって?!
「あ、言っておきますけど」
「はいい?!」
「もう2時半ですし、早めに帰ってシャワーも浴びたいですし、即行寝ますよ」
「は、はい」
「だから、手は出しません。安心してください」
う…!
「そ、そ、それはもちろん、あの、別に手を出される心配をしたわけじゃ…」
ひゃあ。恥ずかしい。一瞬でもそんなことを考えてた自分が恥ずかしい。
パジャマを持って、洗面所に行って着替えた。パジャマと言っても、長袖のTシャツに、スエットだ。色気も何もない。それも、ちょっとよれている。
ああ、こんなことなら、可愛いパジャマ買っておけばよかった。
その恰好で和室に行くと、佑さんはYシャツ1枚になっていた。
「ひょええ?」
声にならない声をだし、びっくりすると、
「あ、すみません。パンツ脱がないと、皺になるんで」
と佑さんは私にそう言った。
「パンツ?」
「あ、ズボンですよ。ズボンのことです」
「あ、ああ、そうですよね」
ドキドキ。でも、Yシャツ1枚って、パンツも見えちゃってるよ。ダメ、じろじろ見ちゃ。見ないようにしないと。
「トイレ借ります」
「あ、どうぞ」
和室から出て行こうとした佑さんは、振り返って私を見ると、
「伊織さん、この前僕のパジャマ着ていた時、可愛かったんです」
と言い出した。
「は?」
「袖とか長くて、指まですっぽり隠れて…」
「あ、だって、佑さんのパジャマ大きいから」
「あれ、可愛かったから、うちに泊まる時は、僕のパジャマ着たらいいですからね?」
そうにこっと笑って言うと、佑さんはトイレに行ってしまった。
どういうこと?あ、このよれたTシャツとスエットは、可愛くないってことか。それもそうか。こんなじゃ、がっかりだよね。
は~~~~~~~。なんだか、改めて実感した。美晴が部屋をいつも綺麗にしていたり、肌の手入れがいつもばっちりなのも、部屋着や下着まで力を入れていたのも、今になってわかる。
彼氏がいつでも泊まっていっていいように、なんて、何を言っているんだ、こいつは。と内心、思っていた。だけど、自分がいざ、そういうことを経験するようになってみて、ようやくわかった。
パジャマも、可愛いのにしなくっちゃ。それに、下着だって、いつ、なんどき何が起こるかわからないんだから、常に勝負下着を履いていないと…。それに部屋も、いつ泊まっていくかわからないんだから、綺麗にしておかないと…。
でも、もうすでに遅し。部屋が片付いていないのも、ばれてしまっているし、寝る時の格好もかわいくもなんともないのもバレちゃった。
佑さんは和室に戻ってくると、布団の上に座っている私を見て、
「くす。なんで、正座しているんですか?寝ててよかったのに」
と笑った。
「あ、は、はい。そうなんですけど」
私は慌てて立ち上がった。
「電気消しますよ」
「あ、豆電球はつけておいてください。私、真っ暗はどうも苦手で」
「そうなんですね」
佑さんは、蛍光灯だけ消すと、立ちすくんでいる私を見た。
「寝ないんですか?」
「寝ます」
「じゃあ、布団に入らないと」
「ですよね?」
ドキドキバクバク。
「手、出しませんよ。ってさっきも言いましたよね?」
「はい。そうなんですが」
「え?まさか、手、出してもいいんですか?」
「違いますっ!!!ただ、どう布団に入っていいかわからないだけで」
「は?」
「あ、いえ。えっと。寝ます。おやすみなさい」
私はそう言って、布団の隅にそっと入った。だが、佑さんは掛布団をおもむろにめくりあげ、
「あ、そんなに端に寝ないでもいいですよ。布団からはみ出ているじゃないですか」
と私を見て言ってきた。
「え、でも」
佑さんは布団に寝転がると、
「もう少し、こっち」
と私を呼んだ。
ドキドキドキドキ。心臓が…。
それに、恥ずかしい。
だけど、勇気を出して、佑さんの方に寄った。佑さんは掛布団を私と佑さんにかけ、
「おやすみなさい」
と優しく言ってくれた。
ドキ!うわ。優しい声!!!
ひゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~。佑さんが、すぐ横。佑さんのぬくもりが、もろ伝わってくる。
あったかい。
ドキドキして、なかなか眠れなかった。でも、そのうちすーすーという佑さんの寝息を聞き、そうっと佑さんの顔を覗いて見た。
寝顔…。可愛いかも…。
はあ…。なんだか、佑さんの隣、安心する。
いつも、一人きりで寝ている布団。2人だと窮屈だけど、あったかいし、すっごく安心する。
佑さんの方を向き、佑さんの腕に頬ずりをした。そして、べたっとくっついて私も眠った。




