第32話 デート ~伊織編~
席に戻り、課長にファイルを渡した。主任の顔を見るとまた顔が赤くなりそうで、わざと遠回りをして席に戻った。
さっきは本当にドキドキした。佑さんはわざわざ私のことを探しに来てくれたのかな。
あ、会社では主任。
主任、主任。心の中でもそう呼ばないと、とっさに佑さんと言ってしまいそうだ。
ちら…。主任の真剣に仕事をしている姿、見ちゃったりして。あ、パソコンを真剣に打ちこんでいる。かっこいい。
またすぐに視線を戻して、私も仕事をした。でも、つい、さっきの主任を思い出してしまう。
顔、近かったなあ。耳元で話しかけられてドキドキしちゃった。
ちら。もう1度主任を見た。すると、主任と目がばっちり合ってしまった。
あわわわ。びっくりした。すぐにパソコンに視線を戻したけど、きっと私、今顔が真っ赤だ。
主任、なんでこっち見ていたのかな。ドキドキ。
その日の帰り、真広は定時に、
「お先に」
と帰って行った。北畠さんも、
「料理教室があるから、今日はもう帰るわ。桜川さんは残業?」
と帰り支度をしながら聞いてきた。
「いえ。私もそろそろ上がります」
「そう。桜川さんは、お料理するの?」
「いいえ。あまり得意じゃないんです」
「まあ。じゃあ、一緒に通う?」
「料理教室にですか?それも無理かも。きっと初歩から習わないと…。北畠さんの行っている教室って、上級クラスなんじゃないんですか?」
「そうねえ。みんな料理がもともと好きで、もっと上手になりたいとか、先生を目指したり、料理研究家目指したり、あとは、お店出したい人とかが来ているわね」
「わあ。じゃあ、絶対に無理です」
「あら、だけど、料理は花嫁修業になるじゃない?」
「…そうですね。料理できなきゃ、結婚も無理ですよね」
そうぼそって言うと、それを聞いていた男性社員が話に加わってきた。
「あれ?桜川さん、料理得意じゃないの?けっこう家庭的なのかと思ってた」
「一人暮らしだよね?自分でお弁当作ったりしているんじゃないの?」
そう聞いてきたのは、塚本さんだ。
「冷凍食品ばかり詰めて来てます」
私はあっさりとそう答えた。すると、
「そんなんじゃ、お嫁にいってから大変だよ?」
と、ハンガーから上着を取りながら、なぜか課長までが話に加わってきた。
「やっぱり、料理が得意じゃないと、婚活には不利になるかもしれないし。世の男性ってお料理が得意な女性が好きですよね?課長」
北畠さんが、上着を着ている課長にそう聞いた。
「う~ん、まあ、料理が出来る女性を嫌だとは言わないだろうねえ」
課長は、はっきりと断定しないような口調だ。
そして、椅子から立ち上がり、ハンガーから上着を取っている主任にまで、
「主任も、結婚するならお料理ができる女性の方がいいですよね?」
と、北畠さんは聞いてしまった。
「まあ、結婚相手の条件には、そういうのも入っているもんだよねえ、魚住君」
課長がそう言うと、周りの男性も、
「下手よりは上手なほうがいいよなあ」
と言っている。
塚本さんですら、
「まずいもん食わされるのは、嫌だからね」
なんて、笑いながら言い出した。それも、
「うちの奥さん、あんまり料理上手じゃないんだよね」
と、奥さんの愚痴までこぼしている。
だけど、主任はクールな顔をして上着を羽織り、
「別に、僕は気にしませんけど」
と、素っ気ない返事をした。
「料理下手でもいいんですか?」
野田さんが聞いた。
「はい。別に」
「まずいもん食わされても?」
「…自分で作れますから」
「え?」
塚本さんの言葉に主任がそう答えると、塚本さんは不思議そうに聞き返した。
「料理、自分でしますから。奥さんがたとえ料理できなくても、特に不都合なことはないです」
「主任、料理するんだ。へ~~」
野田さんも他の男性社員もびっくりしている。
「課長、そろそろ行かないと時間ですよ」
「あ、そうだった。それじゃ、お先にね」
課長と主任は、さっさとカバンを持って出て行ってしまった。
「驚いた。魚住主任、料理までできちゃうのか」
「そうは見えないよな。家じゃ、家事も何にもしなさそうだし」
「一人暮らしだよな。きっちりした性格しているから、部屋もきれいにしているんじゃないの?」
「神経質っぽそうだもんな」
男性陣はそんなことを言いながら、仕事の続きをし始めた。
「それじゃ、失礼します」
北畠さんがそう言って席を立ち、ちょうど帰り支度を終えた私も一緒に席を立った。
「お先に失礼します」
そう言うと、
「あ、僕も帰ろうかな。一緒に帰る?桜川さん」
と、塚本さんが声をかけてきた。
わ。真広に注意されたばかりだよ。ここはしっかりと、断ろう!
「用事があるので、すみません」
そう言って私は、ロッカー室に向かっている北畠さんのあとを追いかけた。
「主任って、お料理上手なのかしら」
北畠さんはロッカー室で上着を着ながら、私にそんなことを聞いてきた。
はい。すっごく。と答えるわけにもいかず「さあ?」と私は首を傾げた。
「どんな女性が好みなのかしら。今度聞いてみようかな」
え?まじで?聞いちゃう?
「さて。私は遅れちゃうからもう行くわ。じゃあね」
「はい。お疲れ様でした」
そして私も家路に着いた。明日は佑さんとデートだ。前は、何の予定もない週末だったけれど、これからは違う。これからは、いつも佑さんと一緒。
きゃ~~~~~~~~~~~~。嬉しい。明日は何を着ていこう。
わくわくしながら帰り、念入りにお風呂に入り、髪もしっかりとブローをした。夕飯はつい、また、お弁当を買ってしまったが、明日のために早くに寝た。
朝も早くに起きて、念入りに化粧もした。歯もきれいに磨いた。だって、キスをすることもあるかもしれないし。
と、鏡を見ながらそんなことを思い、顔を火照らせた。付き合っているのだから、そんなことがいつ起きてもおかしくないんだよね。
っていうか、今迄二人きりでいる機会が多かったのに、キスも何もなかったほうがおかしいかも?
キス。キス?でも、いったいどんなシチュエーションでそういうことは起きるわけ?
経験がないから、妄想もできないけど。ってうか、この年までキスをしたことがないっていうのは、かなりドン引き?
家を出る前に、鏡でもう1度、顔も服装も髪もチェックした。今日はデートだし、スカートを履いてみた。少し朝夕は冷えてきたので、カーディガンも羽織り、女らしい装いにしてみた。
ドキドキ。主任はどんな格好かな。私服もかっこいいんだよね。
待ち合わせの時間は昨日のうちに、メールで決めた。その時間の5分前に私は待ち合わせ場所に着いた。映画館のある駅の改札口。まずはお昼を食べてから、映画を観る予定だ。
改札口に着くと、佑さんはいなかった。でも、すぐにやってきた。どうやら同じ電車だったみたいだ。
「お待たせしました」
私を見つけると、佑さんはにこりと笑ってそう言った。
「待っていません。私も今きました」
「じゃあ、一緒の電車かな」
「車両が違っていたんですね」
「あ、そうかもしれない。急いで階段下りてすぐのところに飛び乗ったから」
「…珍しいですね。佑さんが急ぐって」
「そうですか?ちょっと家を出るのが遅くなってしまって、ギリギリだったんです」
「珍しいですね。家を出るのが遅くなるって…」
なんだか、いつも時間に余裕持って行動しているイメージがあるのに。
「出る寸前、電話が鳴ったので、遅くなったんですよ。出なかったらよかったです」
「え?」
「あ、こっちの話です。お昼は何を食べますか?」
「えっと。なんでも」
電話って誰かな。女性からだったりするの?まさか、塩谷さんから…とか?
「じゃあ、映画館のビルに串揚げ屋があるんですよ。昼から串揚げはヘビーですかね?」
「いえ!全然大丈夫です」
映画館のビルの最上階に行き、串揚げ屋に入った。
「美味しい」
串揚げのランチ、美味しい。喜んで食べていると、また「くす」と佑さんに笑われた。
「いいですよね。伊織さんっていつも美味しそうに食べるから」
「食いしん坊なんです」
「僕は好きですよ」
ドキッ!
好き?
「美味しそうに食べる人…」
あ、そういう意味でか。そりゃそうだよ。話の流れからいって、いきなり私を好きだとは言わないよ。
でも…。そういえば、大事ですとか、特別ですとか言われたけど、好きとは言われていないかも。
お昼ご飯も食べ終わり映画館に移動した。飲み物を買い、佑さんが予約しておいてくれた席に行った。
「そういえば、僕らの出会い、映画館でしたね」
「あ、それはあまりいい思い出じゃないかも」
あの時、佑さんのことすごく嫌な奴って思っちゃったし。
「でも、今思うとすごい確率でしたよね。同じ日に隣で映画を観るなんて」
「そうですね」
だけど、あの時に出会わなくても会社で出会うことになっていたんだよね。でも、やっぱりあの出会いがあったから、今があるのかなあ。
「伊織さん」
映画の予告が始まると、佑さんは私の耳元に顔を近づけ、
「もう、一人で映画を観に行くこともないですよね?」
と、そう小声で言ってきた。
ドキ!!!顔、近い。息が耳にかかった。うわ~~~~~~~~~~~~~!!!
「え?」
「僕と一緒に観に来たらいいですから、一人で観に行くこともないですよね?」
「あ、は、はい」
ドキドキドキ。なんだか、佑さん、時々顔を近づけたりして接近してくる。そのたびドキドキしちゃうよ。
すぐ隣にいる佑さんのことを、やたらと意識してしまう。でも、幸せだ。
出会った時は、隣にいる佑さんに頭に来て、わざと意識しないようにして映画を観ていたと言うのに。不思議だ。あの時には、佑さんと付き合うだなんて夢にも思わなかったのに。
映画は感動した。思わず涙がこぼれた。それをハンカチで拭くと、ちらっと佑さんがこっちを見た。泣いているのばれちゃった。ちょっと恥ずかしい。
エンドロールが流れた。席を立って行く人たちの中、私と佑さんは照明が灯るまで座っていた。そして、照明が灯ると、
「出ましょうか」
と佑さんが席を立った。
「はい」
その時にはもう、涙も引っ込んでいた。
映画館を出て、佑さんとカフェに入った。コーヒーを頼み、のんびりと寛ぎながら、
「いい映画でしたね」
と、映画の話をし始めた。
「どのシーンが良かったですか?」
佑さんに聞かれ、正直に答えていると、
「あ、僕もです」
と、佑さんはにこりと笑った。
「やっぱり、伊織さんとは感動するところが一緒なんですよね」
「そうですね…」
それからも、映画の話は尽きることなく、カフェに2時間も居座ってしまった。
「もう6時になる…。夕飯はうちで食べますか?」
佑さんが時計を見ながらそう言った。
「え?でも、まるまる1日、佑さんの時間を割いちゃうことになりますよね?」
「はい」
「せっかくの休みの日なのに、申し訳ないです」
「は?」
「……。えっと、一人でのんびりしたいとか、何か他に用事があるとか…、ないんですか?」
「ないですよ。まるまる1日、伊織さんとのためにあけておいたんですが…」
え?そうなの?
「ああ、もしかして、伊織さんの方が用事があるんですか?」
「ないですっ!まったくありません」
慌ててそう言うと、佑さんはちょっと拗ねたような表情をした。
なんで?
「僕だったら、明日まで空いていますよ」
「え?」
「なんなら、泊まっていきますか?」
「いえ。と、とんでもない」
「……」
あれ?佑さん、顔、そっぽむいちゃった。なんで?
まさか、本気だった?怒った?
ドキ。泊まる?お泊り?一泊?佑さんの部屋に?
いやいやいやいや。それはまだ、早すぎる。
でも、待って。大人なんだし、あまりじらさないほうがいいようなことを、誰かに言われたような。
でも。でも。でも~~~~~~。
「帰りにスーパーに寄るんで、付き合ってください」
「え?あ、はい」
佑さんは、いつの間にか私の方を向いてそう言った。その顔はもう、優しいいつもの表情だった。
よかった。怒っていなかった。
だけど、いつかは、佑さんの部屋に泊まっていく日が来るんだよね。
前に熱出して泊まったけど、あの時は佑さん、ソファで寝てた。だけど、今度泊まる時は違うんだよね。
ドキ。それを考えただけでも、ドキドキする。胸が苦しくなるくらい。
佑さんとスーパーに行って、買い物をした。また佑さんがカートを押し、食材をカゴに入れていった。私はその隣をちょこちょことついて行くだけ。
前もこうだったよなあ。でも…。今日は前と違うことがある。それは、なぜだか、佑さんが時々私の顔を見るのだ。それも、
「今夜はすき焼きにしましょうか」
とか、
「野菜は何にしましょうか」
とか、私に聞いてくれた。
それらを一緒に選んだりもした。それがとっても楽しかった。
「あ、そうだった。歯磨き粉がなくなりそうだった。買ってもいいですか?」
「え?はい」
どんな歯磨き粉を選ぶのかな。あ、それなんだ…。けっこうミントの味が濃いんだよね。
それに、炭酸水も買っている。そして、
「あ、これ、美味しいんですよね」
と言いながら、和菓子コーナーでイチゴ大福まで…。なんだか、可愛い。
「私も好きです。イチゴ大福」
「じゃあ、食後に一緒に食べましょうね」
「はい」
わあい。なんか、とっても嬉しい!
「冬は伊織さんの部屋で鍋…。楽しみですね」
「え?あ、はいっ」
覚えててくれたんだ!
一緒にスーパーで買い物をして、一緒に佑さんのマンションに行く。これぞ、恋人!って感じだよね!
佑さんは「恋人に見えない」と言っていたけど、今の私たちは立派に恋人に見えるよね?
なんて思いながら、佑さんと一緒に佑さんの部屋に入って行った。
佑さんは、
「すぐに用意しますね。ソファで休んでいてください」
と言いながら、キッチンに行ってしまった。
いつものように何もすることがない。
「あの…。洗濯物でも取り込みましょうか?」
「あ、すみません。お願いします」
やった!頼まれた。これで少しはお役にたてる。
喜びながら、洗濯物を取り込みに行くと、佑さんのパンツまで干されていて、ドキドキしてしまった。
こ、こういうパンツ、履いているんだ。黒のボクサーパンツ。そんなイメージあると言えば、あるけど…。
ドキドキしながら洗濯物を取り込み、それらを丁寧に畳んだ。
「あ、畳んでくれたんですか?」
「はい。もし、佑さんの畳み方とかあったら、直してください」
「特にないですよ。あ、すごく丁寧に畳んでくれたんですね。ありがとうございま…」
そこまで言うと、佑さんはなぜか黙り込んだ。
やっぱり、畳み方が変だったのかな。
「パンツも畳んでくれたんですね」
「あ!!!は、はい。すみません。これは畳まないほうが良かったですか?」
「いえ、いいんですけど…」
平気で男のパンツ畳むんだ…。とか思われたかな。
「じゃあ、もっと甘えてもいいですか?」
そう言って佑さんは、畳んだ洗濯物を持って、
「僕の服や下着、どこに何をしまうか覚えてもらってもいいですか?」
と、そう聞いてきた。
「はは、はい。もちろんですっ」
すごい!それって、これから私が洗濯物をしまってもいいってこと?それって、恋人って感じ通り越して、奥さんみたい!!
ちょこちょこと、ドキドキしながら佑さんの後ろを歩き、寝室に行った。そして、クローゼットの中の引き出しを佑さんは開けると、
「ここが下着を入れる引出しです。この上が、靴下とかそういう小物。あとここが…」
と洗濯物をしまいながら説明してくれた。
すごく綺麗に整頓されている。やっぱり、佑さんって課の男性社員が言っていたように綺麗好きだよね。だけど、神経質っていうのとはちょっと違うような…。
「いつか、タンス、増やさないとですね」
「…え?」
「あ、なんでもないです。独り言です」
タンスを増やす?ここだけじゃ、しまいきれないのかな?
なんて、私にはその時、佑さんの言った意味がわからず、特になんにも気にしなかった。




