第31話 社内恋愛 ~伊織編~
車を10分走らせたところにある、お好み焼き屋さんの駐車場に佑さんは車を停めた。
「お好み焼きでもいいですか?」
「はい」
実は大好きなんだ、お好み焼き。
「僕が焼きますね」
「え?あ、はい」
ここでも佑さんにお世話になっちゃうのか。なんだか、申し訳ない。
佑さんとテーブルに着き、佑さんが注文をしてくれて、そして焼いてくれた。
私ったら、ただぼ~~っとしているだけじゃない?こんなでいいわけないよね?!
「あ、あの。何か手伝うこと…」
「ああ、大丈夫です」
結局佑さんが、焼いたお好み焼きもお皿にとってくれて、私は何もすることがなかった。
「美味しい」
佑さんが焼いてくれたお好み焼きは、また格別に美味しい。
「くす」
あ、笑われた。
「ビール、本当に頼まなくても良かったんですか?僕に遠慮することないですよ」
「いいんです。私だけ酔うのも嫌だから」
「嫌って?」
「だから、その。失態をお見せしたくないと言うか。もう何回か酔っ払って失態見せちゃったし」
「いつですか?」
「えっと。寝ちゃって風邪引いたりとか」
「ああ。そうですね。やっぱり、僕が布団敷いて布団に寝かせたら良かったですね」
「は?」
「寝るまでちゃんとついていたら良かったですよね」
それって、まるで私が子供みたいな…。そんなに私って、子供みたいかな。…佑さんから見たら子供かな。
「すみません、いつも迷惑ばかり」
「いいえ。気にしないでいいですよ。それより、飲んで寝てしまっても大丈夫ですよ。僕のマンションに泊まればいいし」
「はい?!」
「あ、そうか。そうしたら僕がちゃんと介抱もできますし。風邪引かないようベッドにちゃんと連れて行けるし」
わあ。そんなわけにはいかないよ。そこまで、面倒見てもらうわけには…。
「久しぶりの名古屋、どうでしたか?」
お好み焼きも食べ終わり、佑さんにそんなことを聞いてみた。実は、塩谷さんのことが気になっている。
「変わってなかったですよ。営業のみんなからは歓迎されました」
佑さんは、お茶を飲んだ後、寛ぎながら話してくれた。
「あ、あの、塩谷さんって女性も?」
「はい。今回は塩谷の仕事の応援で行っていましたし」
そうなの?そうなんだ。それだけ親しいんだよね。そんな人が東京に来るんだよね、それも同じ課に。
「あ、そうだ。塩谷って言えば、彼女かなり事務職の女性に厳しいんです」
「え?主任…、佑さんみたいにですか?」
「はい。もしかすると、僕よりも…」
うわ。怖そう。それに真広が嫌がりそう。
「そそ、そうなんですね」
「…それで、もし、伊織さんが傷つくようなことがあったら、僕に言ってください」
「…え?」
「まあ、塩谷にもあまりきつく言わないよう注意しておきますが、どうも、彼女は仕事のこととなると鬼みたいになるので」
鬼?!
「伊織さんが傷ついたら……」
しばらく佑さんは黙り込み、どこか宙を見て、
「そうですね。僕にどうしてほしいですか?」
と聞いてきた。
「は?」
どうしてとは?
「う~~ん。名古屋では、事務職の女性が塩谷に厳しく注意されていたとしても、他の事務職の子や、同僚から慰められていたので、僕はほっておいたんですが」
「……はい」
「だから、どうやって慰めていいかも、あまりわからないのですが」
「大丈夫です。私、あの…。とにかく頑張ります」
「……。僕は必要ないですか?」
「そそそ、そういうことじゃなくって。えっと」
「頼ったり甘えていいですよ?」
「あの!で、では、私も正直に言うと、男性と付き合った経験があまりないので、甘えるってことがそもそもよくわからなくって」
「………え?」
あ、佑さん、引いちゃった?甘えるのがわからない女性なんて、嫌になったかな。
「あ、ああ。なるほど」
しばらく私を見て、佑さんは納得したように頷いた。
「ごめんなさい」
「謝らないでもいいです。でも…、そうだな」
「………」
困ってる?黙って腕組みしちゃった。
「う~~~ん。そうですね」
悩んでる?首まで傾げているけど。
「……」
今度は私を見つめている。そして、ふっと佑さんは笑った。
「まあ、いいです。その時、その時でなんとか僕が尽くします」
「つ、尽くすって?」
「僕なりに、なんとか伊織さんを慰めます。僕もあまり経験がないので、今はまだ、どうしていいかわかりませんが」
「……あの、もう、その気持ちだけでも十分」
「嫌です。十分じゃないですよ」
「え?」
「僕はまだ、何もしていませんから」
「はあ」
えっと。とりあえず、塩谷さんのことは恐怖だけど、佑さんがいてくれるから安心していいってことだよね。それにしても、尽くすって言われちゃった。私が頼りないから?甘えべただから?なんかもう、迷惑かけっぱなしになったりしていない?
「お腹いっぱいになりましたか?」
「はい。美味しかったです」
「じゃあ、そろそろ送ります」
「すみません」
「……」
佑さんはちらっと私を見ると、席から立って会計に向かって歩いて行った。何かな。何でこっちを見たのかな。あ、そうか。お金…。
「あ、あの、ご馳走様です。…じゃなくって、私も払います」
慌ててレジまで私も行くと、
「え?いいですよ。奢ります」
と、軽く言われてしまった。
出そうとしていたお財布を引っ込め、私は先にお店を出た。そして、佑さんが出てきてから、
「ご馳走様でした」
と、深々と頭を下げた。
「いえ」
佑さんは一言そう短く言って、車に向かって歩き出した。
なんとなくだけど、佑さんの機嫌を損ねた気がするのは気のせいかな。私、なんかヘマでもした?お金払うって言ったのが悪かったのかな。
ドキドキ。黙り込んで車に乗り、黙ったままシートベルトを締めている佑さんの雰囲気が、どこか冷たく感じながら、私もドキドキしながらシートベルトを締めた。そして、ちらっと佑さんを見ると、佑さんも私のことを見ていた。
「…あ、あの」
何か怒っていますか?私、何かしちゃいましたか?とは、さすがに聞けない。
「僕ら、思うんですけど」
「はい?」
「他人が見ても、恋人同士には見えないですよね」
「え?」
「あ、この敬語がいけないのか。もっと、普通に話せばいいんですかね」
「……そ、そうですね」
し~~~ん。二人して黙り込んでしまった。
恋人同士には見えない。見えないの?そう佑さんは感じているってこと?
私は、ちょっとそんな気になってきていたのにな。だって、こうやって車で送ってもらったり、合鍵なんか渡されたり、それに、ご飯おごってもらったり。これって、付き合っているからだもんね。
「……なんでかなあ。どうも、二人でいても、上司と部下の関係が拭えないのかなあ」
ぼそっと佑さんは呟くと、車を発進させた。
ごめんなさい。私のせいかも。いや、きっと私が甘えられないからとか、お付き合いの経験があまりなくって、どうしていいかもわからないからとか、きっとそれが原因。
車の中でも、会話が全く弾まず…。ああ、あんなに会いたかった佑さんが隣にいるのに!なんか、お話。お話しないと。
「あ、あの。名古屋でも美味しいもの食べたんですか?」
「いいえ。普通に定食屋で食べましたよ」
「定食屋?」
「よく塩谷と行っていた店です」
「塩谷さんと?」
「はい。あいつ、おやじみたいなキャラなんですよ。定食屋とか焼鳥屋とかが好きなんですよね」
「そうなんですか」
また、塩谷さんか…。そんなに仲がいいのかな。
「今日は僕の趣味で、お好み焼き屋に入りましたが、今度は何が食べたいですか?伊織さんの好きなもの食べに行きますよ」
「私ですか?なんでもいいです」
「なんでも?」
「あまり好き嫌いないので」
「そうですか」
そう言えば、真広は昨日お洒落な飲み屋に行ったって言ってたっけ。主任とだったら、どんなデートしたい?って聞いてきた。
デートと言えば、今日だってデートだよね。
主任とデート、どんなところにって聞かれても、何でもどこでもいい。だって、主任、いえ、佑さんといられるなら、本当にどこでも…。
「今度、ジャズが聞けるバーがあるので行きますか?僕は酒は飲めないですけど、ジャズを聴くのが好きなので」
「わ、お洒落ですね!」
「お洒落ってわけでもないですけど。けっこう、ジャズ好きなオヤジも多い店ですし」
「そうなんですか」
「…お洒落なお店に行きたいですか?そういうの詳しくないんですが」
「いいんです。別にそういうお店に行きたいわけではないので」
「そうですか。すみません。和食の美味しい店ならわかりますよ。割烹料理の店とか」
「割烹?行ってみたいです」
「じゃあ、今度」
「はい」
ドキドキドキ。こうやって、二人で行くお店も増えていくのかな。
佑さんは、アパートの横に車を停めた。
「お疲れのところ、すみませんでした」
「いいえ。十分、癒されましたから大丈夫です」
「私が、ですか?私、なんにもしていませんけど」
「いいんです。会えたらそれだけで、幸せになれますから」
う、きゃ~~~~~。ダメだ。顔、真っ赤になったかも。そんな私を見て、佑さんはくすっと笑った。
「わ、私もです。昨日とか、1日寂しくて萎れてました」
「萎れていたんですか?」
「はい。でも、もう元気になりました」
「そうですか、それはよかった。じゃあ、明日は元気に出社しますよね?」
「もちろんですっ」
また、車から降りて佑さんの車を見送った。そして、幸せかみしめながら部屋に戻った。
翌朝、元気はつらつな私は、いつもより30分も早くに起きて、お弁当も作り、早々と家を出た。そして、佑さんと同じ電車に乗り、わくわくしながら佑さんが乗ってくるのを待った。
あ!佑さんだ!!佑さんも私に気が付いてくれた。
「お、おはようございます」
佑さんのそばに近寄り、そう挨拶をした。佑さんもにこりと微笑み、
「おはようございます」
と言ってくれた。
嬉しい。朝から会えた!もう、今日1日ハッピー。
電車の中で、すぐ隣に佑さんが立った。すぐ隣にいる佑さんにドキドキした。今日のスーツ姿も決まっている。かっこいい。
そして駅に着き、佑さんは颯爽と階段を降りて行った。その後ろ姿もかっこいい。
目をハートにさせながら、私も会社に行った。ロッカー室には、また鴫野ちゃんがいて、一緒に化粧室に行った。化粧室には今宮さんもいて、化粧直しをしながら、
「エレベーターが魚住さんと一緒だったの!ってことは、電車も一緒だったのかな。どこの車両なんだろう」
と、話し出した。
ダメダメ。同じ車両に乗ったりしないで。私と佑さんの二人の時間がなくなっちゃう。
「魚住さん、また帰り一緒にならないかなあ」
鏡を見ながら、今宮さんがそう言った。
「今日はフラワーアレンジあるよね?」
その横で、鴫野ちゃんがそう私に聞いてきた。
「あ、今日金曜!」
「ないの?私、どっちみち、残業で出れないけど」
「わ、忘れてた。どうしよう。みんな楽しみにしているかな」
「そうかも」
ああ、主任のことで浮かれまくってて、すっかり忘れてた。昼休み、お花屋さんで花を買って、アレンジ出来そうな入れ物も買おうかな。どうしよう。
なんて心配はしなくても良かった。真広はまたもやデートがあるみたいだし、他の人も、
「ごめん、今日友達とご飯食べに行くの」
とか、
「今日、残業なんだ」
と言ってきたので助かった。そして、来週の金曜に、教室をすることに決めた。
私は、その日ずっと会社にいた主任のことを、ちらちらと見て楽しんだ。私だけではなく、北畠さんも昨日と一昨日に比べ、元気だった。真広は、今日の方が元気なくしていたけど。
「あ~あ。昨日と一昨日は息抜きできたのにな」
そんなことを昼休みに言うほどに。
「伊織は元気だね。北畠さんも」
「だって、主任がいるから」
「わかりやすいよね」
「北畠さん?」
「伊織だよ。昨日も課の男性が言ってたよ。北畠さんと桜川さん、主任がいないと元気ないねって」
「ほんと?誰?誰が言ってた?あ、そうだ。聞いて、真広。昨日さっさと帰った時、エレベーターホールで出先から帰ってきた塚本さんに会ったの」
「うん」
「それで、今度デートしようって冗談言われて」
「あ、それ、冗談じゃないよ」
「え?どういうこと?」
「あの人、秘書課の子と浮気していたんだって。最近別れたらしいけど、次の相手探しているみたいだから、気をつけな」
「う、浮気?不倫ってこと?」
「そう。昔から女癖悪いらしい。今の奥さんも、婚約者がいたのに浮気して、その浮気相手と結婚したらしいしね」
「……うわ~~~。そうなんだ。うん、気を付ける」
不倫とか、浮気とか、私の世界とはまったく関係ないものだと思っていたよ。
昼休憩を終え、5分前にはコーヒーを持って席に着いた。もうすでに主任も席に着いていた。
「真広」
岸和田君が真広の隣に来て、ぼそっと話しかけた。今、真広って呼んだ。呼び捨てにしているんだな。会社でも呼び捨てだなんて、なんて大胆なんだ。
ぼそぼそと耳元に何か話しかけ、岸和田君は自分の席に行ってしまった。
何かな。真広も嬉しそうにしていたし、岸和田君の顔もにやついてた。
それにしても、会社の中でも平気なんだな。隠れて付き合おうとか、そういうのもないなんて、ちょっとだけ羨ましい。主任は隠しているもんね。仕事もやりづらくなるからって言ってた。確かに、主任の仕事の邪魔はしたくないし、お荷物にもなりたくない。
でも、ほんのちょっと羨ましい。だって、こうやって一緒の課にいても、話すことも稀なことだもの。
「北畠さん、コピーお願いしていいですか?」
「はい」
ほら。私じゃなくて北畠さんに頼んじゃった。
「溝口さん、午前中に頼んだエクセルの表できましたか?」
「できました」
ほら。そんなの真広に頼んでいたのも知らなかった。私が席を外している時に頼んだのかな。
なんで私に頼んでくれないの?!ちょっとでもいいから、話したいのに。
少しむくれながら、私はパソコンで入力をしていた。そして、主任ではなく、課長に頼まれ、資料室に探し物をしにいくと、なぜか主任がやってきた。
「あれ?探し物ですか?」
「はい」
「何をお探しですか?私、探しますよ」
「もう見つけました」
そう言うと、主任はなぜか私のすぐ近くに来た。
「え?この棚にあるんですか?」
「いいえ。ここに」
ドキ!!!
主任、近い。顔、近すぎる。
「すみません、伊織さんとあまり話せないので、ちょっと」
伊織さんって言った?
「え?ちょっとって?」
「夜、接待なんです。課長と一緒に行かないとならない」
「そうなんですか」
「だから、一緒に帰れないんです」
「そうなんですね」
「……。でも、明日と明後日は空いています」
ドキッ!ますます顔が近くなった。
「は、はい。私もです」
「映画見に行きましょうか。観たい映画、明日からですよ。もしよかったら、席リザーブしておきます」
「は、はい。お願いします」
「じゃ」
主任は私の耳元でそう小声で言うと、資料室を出て行った。
ドキドキドキドキドキ。顔、あつ~~~~い!!!
探し物って、私?!うわ。ドキドキしまくった。
しばらく、顔の熱が引かず、私は資料室で火照りがおさまるのを待った。
やっぱり、隠れて付き合うのも、スリリングでいいかも…なんて思いながら。




