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第30話 出張 ~佑編~

 伊織さんとマンションに帰り、夕飯を作った。たいしたものは作れない。だが、伊織さんは「美味しい」と喜んで食べていた。

 食後にコーヒーを淹れ、ソファに座っている伊織さんに持って行った。そして、その隣に僕も座ると、伊織さんは、ソファの端まで座っている位置をずらした。


「………」

 なんで、そんなに端っこに行ったんだ?

「あの?」

 僕がじっと見ていると、伊織さんが首を傾げた。


「いいえ」

 もしや、避けたのか?まだ伊織さんを見ていると、

「あの?」

とまた不安げな顔をして聞いてきた。


「僕を避けましたか?」

 思わず、意地悪な質問をしてしまった。

「いいえ。避けたわけじゃ」

 やっぱり、伊織さんは思った通りの、慌てた反応を示した。


 そして、

「ご、ごめんなさい」

と謝り、僕の方に体を寄せた。でも、くっつくか、くっつかないかのギリギリの位置だ。

 この辺が限界ってことかな…。


「あの…」

「テレビでもつけましょうか」

 まだ不安げな伊織さんにそう言って、テレビをつけた。テレビでは音楽番組をやっていた。それを見ながら僕は隣にいる伊織さんを感じた。


 しばらくテレビの画面を見ていると、伊織さんの視線を感じた。

「はい?」

 伊織さんの方を向くと、慌てたように顔を赤くし、

「あ、えっと。佑さんはどんな音楽が好きなんですか?」

と聞いてきた。


「別に、これと言ってないですよ。あ、でも、ジャズは好きですね」

「へえ…」

「伊織さんは?」

「私は、邦楽を良く聞きます」

「カラオケで歌っていたような?」


「あ、そうです」

「また、今度カラオケ行きましょうね」

 そう言うと、伊織さんは嬉しそうに頷いた。可愛い。


 またテレビを観た。隣にいる伊織さんの空気感を感じながら。

 ああ、ほっこりと癒されていく。

「やっぱり、ほっこりするなあ」

「え?」


「伊織さんの隣、ほっこりとするんですよね」

 そう伊織さんを見て僕が言うと、

「た、佑さんこそ、今の笑顔、すんごく癒されちゃいます」

と伊織さんも僕を見ながら、そんなことを言った。


「笑顔?僕の?」

 それはびっくりだ。そんなことを言われたのは、人生初だ。

「はい」

「そうですか」

 それは、照れる。


「僕は、学生の頃は洋楽を好きで聞いていました。ライブにまでは行かなかったんですが」

「そうなんですか」

「伊織さんは?ライブとか行ったことありますか?」

「はい。中学の時はミーハーで、当時人気だったアイドルのコンサートとか」


「へえ、意外だな」

「そうですか?でも、高校の頃からは、アイドルは卒業して、ゆずとか、いきものがたりとかのライブに行きました…。すごく楽しかったです」

「へえ…。それって、女友達と?」


「はい、もちろん」

 思い切り頷いた顔が可愛かった。と同時に、どこかでほっとしている自分がいた。

 そんな話を繰り広げていると、時計は11時を指し示し、

「あ、すみません。もう、こんな時間だ」

と僕は謝った。


 時計はなんとなく気にしていた。でも、もう少し、もう少しと一緒にいられる時間を延ばしていた。

「車で送りますよ」

「え?遅いのに悪いです」

「遅いから車で送るんです。それか…、泊まっていきますか?」

「い、いいえ。帰ります!」


 思い切り伊織さんは、顔を赤くして首を振った。やっぱりな。ほんの少しだけ、じゃあ、泊まります…という言葉も期待していた。だけど、どこかで断られるっていうのもわかっていた。まだまだ、伊織さんはそこまで、心を開いてはくれない。


 車の中では、伊織さんは静かだった。顔を赤らめながら、僕の質問に答え、また黙り込んだ。信号が赤になり、車を止めて伊織さんを見ると、ほんのりと頬を染め、嬉しそうに僕を見た。

 言葉が少ないのは、つまらないからとか、困っているからとか、そういうわけではなさそうだ。この表情を見てもわかる。


 僕もしばらく黙り込んだ。反対車線の車のヘッドライトが浮かび上がり、ロマンチックな雰囲気を漂わせている。黙っていても、心が満たされていく。

 伊織さんは僕の運転する手を見ていた。なんとなくだが、うっとりと見ているのがわかる。


 そういえば、この前車に乗った時にも、伊織さんはうっとりとしていたなあ。ドライブが好きなのか、運転している僕を見ているのが好きなのか…。まあ、どっちでもいいか。僕もこの時間が、やけに満たされていて幸せだから。


 アパートに着き、

「おやすみなさい、伊織さん」

と車から降りる伊織さんに言った。

「おやすみなさい」

 伊織さんも、恥ずかしそうにそう言った。

 車を発進させた。伊織さんはまた、僕の車を見送ってくれていた。


 帰り道は独りだ。少しだけ寂しい。だけど、まだ車には伊織さんの存在感が残っている。それを感じながら、僕は車を走らせた。


 マンションに帰ってからも、伊織さんの存在感は残り香のように残っている。それを感じながら、風呂に入って、明日の準備に取り掛かった。

 いつか、泊まっていってくれる日は、来るんだろうなあ。でも、いつになるんだろうか。今日の伊織さんを見ていると、そんな日は永遠に来ないんじゃないかっていう気もしてきた。


 翌朝、6時前に起きた。7時には家を出ないとならない。早めに朝食も終え、洗濯物を干し、プランターに水をあげてから家を出た。

 新幹線に乗り、名古屋に着くと、すぐに名古屋支店に向かった。そこには、元気な塩谷が待っていた。


「主任!」

 朝から、めちゃくちゃハイテンションだな。いつものことだけど。

「おはよう、塩谷。今日はよろしく頼むな」

 そう言うと、さらに塩谷のテンションはあがった。


 名古屋支店のみんなにも挨拶をすると、営業のみんなからは歓迎され、事務職の人からは、なんの歓迎も受けなかった。が、一人、総務の女性が飛んできて、

「魚住さん、お久しぶり。元気そうでよかったわ」

と、言い寄られた。


「お久しぶりです」

 それだけ言って、僕は塩谷に引っ張られながら、さっさと名古屋支店をあとにした。

「あの人、魚住主任のことまだ思っているんですかね~」

「え?」


「総務のあの人」

「ああ、さっきの…」

「思ったって無駄なのに」

「え?」

「主任は、女性とお付き合いするのも、結婚も興味ないですもんね」


「その言い方は誤解を招く」

「あ、一瞬だったけど、主任は男性が好きなんじゃないかって噂、ありましたもんね」

「あったね。迷惑な噂だ」

「そんなわけないのに」

 塩谷はケタケタと笑った。


「塩谷、もうそんな話はいいから、仕事の話をするぞ。10時にアポとっているんだろ?それまで、どっかで打ち合わせだ」

「じゃあ、あそこのカフェでしましょうか」

 近くにあったカフェに入り、戦略を考えた。一度、契約をすると承諾してくれたのにもかかわらず、うちの商品は扱えないと断ってきたらしい。


 契約までなんとかこぎつけ、それから塩谷は東京に来る予定だった。だが、まさかの契約破棄になりそうな客に食らいつくために僕が呼ばれた。僕がいた頃から狙っていた客だったからな。


 こういう時、塩谷はいつも以上に頑張りを見せる。実は僕も、こんなふうに壁にぶち当たった時のほうが、わくわくする。どうやって、相手をねじ伏せようか…とか、どんな戦法を使おうかとか、そんな作戦を練るのも結構楽しい。


 今日も塩谷と、戦略を考えるところから、先方に行き、交渉をするのも、そしてしっかりと手ごたえを感じるのも、二人で楽しんだ。


「やっぱり、主任と組むのが一番楽しいです。他の営業の人は、相手に押されちゃったり、ペコペコへつらったり、もっと酷いと、交渉する前に胃炎とかになっちゃって、ものにならないやつもいるし。ほんと、主任以外の男なんて、使い物にならなくって」

「それは、酷いな」


「でしょ?」

「いや、その塩谷の言い方がひどいな」

「え?私?」

「いずれ、みんなの上に立つんだろ?どうやったら、部下が動くかとか、そういうことも考えて行動しないとならないんだぞ」


「あ、そうか。主任はそういうのも上手でしたもんね。特に若い連中を動かすのが得意でしたよね」

「うまくのせるんだよ。男なんて単純だから、本当は塩谷だって扱いやすいと思うぞ」

「主任も?」

「え?」


「扱いやすいんですか?」

「僕か…。さあ?」

「扱いにくそうですね。言いなりになんてならなさそうだし。特に女性の」

「そうか?」


「女性の尻になんてしかれないですよね。女にうつつ抜かすようなことも、絶対になさそうだし。そもそも、女性と付き合ったり、そういうのもまったく想像もできない」

「……」

 なんとも返事がしにくいよな。実際、今、お付き合いをしている人がいるわけだし。

 それも、僕はどうやら、伊織さんと付き合ってみてわかったことだけど、彼女に対して尽くしてしまうタイプのようだ。


 けっこう心配性だし、嫉妬はするし、そばにいてくれないと安心できないし、何かと言うと面倒を見たがるし…。自分でもびっくりすることだらけだ。塩谷が知ったら、仰天するな。


 仕事一筋の主任が、女にうつつを抜かしているなんて!と、ショックを受けるかもしれないよなあ。

 塩谷が東京に来たら、そういうのも勘付かれないようにしないと。あ、そういえば、こいつって、事務職の子に厳しいんだよな。僕に似たのか、それとも、僕を見習ってそうしているのか。


 まさかとは思うが、塩谷、伊織さんにも厳しくするんだろうか。今から、その辺も心配になってきた。って、ほら、僕はなんだってそんな心配までしているんだ。付き合うとそんな心配までするもんなのか?自分で自分がわけがわからない。


「主任、今日はホテルとってあるんですか?」

「ああ」

 仕事が終わり、一緒に夕飯を食べながら塩谷が聞いてきた。

「私のアパートに泊まっても良かったのに」


「まさか。そんなわけにはいかないさ。それに、ビジネスホテルとはいえ、会社が負担するんだから、心配しないでいい」

「お金の心配じゃなくって…。ただ、頼って欲しかったって言うか」

「念のため言っておくが、塩谷は女なんだからな。男だったら泊めろって言って泊めてもらうが、女の塩谷の部屋に泊まるわけにはいかないだろ?」


「女だなんて意識していないくせに。男だって普段は思いながら接しているでしょ?」

「まあな」

「やっぱり~」

「でも、世間ではそう見てくれないんだよ」


「面倒ですよね、世間の常識って」

「まあな」

「じゃあ、東京行ったら、私のこと泊めてくれないんですか?」

「もちろん。お前、もう実家が近くになるんだから、僕の部屋に泊まるなんて我儘言い出すなよ」

「じゃあ、男の部下は?泊めるんですか?なんか、納得できない」


「安心しろ。男でも誰でも、会社の人間は泊めないことにしたから」

「なんで?」

「東京では、プライベートと仕事ときっちり分けることにしたんだ。もともと、そっちのほうが僕にはあっている」

「名古屋では、あんなに部下の面倒、年中見ていたのに?」


「ほとほと疲れたんだよ。仕事は頑張るさ。自分の力以上を発揮するくらいがちょうどいいと思っているし。だけど、その分疲れも半端ないからな。休みの日くらいは仕事を忘れて、自分の時間を大事にしようと切り替えたんだ。そっちのほうが、仕事の時にも力を発揮できるだろ?」

「まあ、そう言われたら、そうかもしれないけど」


「塩谷もそうしたらいい。なんか趣味でも見つけるなり…。家族も一緒になるんだし、東京では大学時代の友達もいるんだろ?休みの日にはそういう連中と楽しんだらどうだ?」

「私も、主任同様仕事にしか興味がないんで。趣味がないんです。酒飲みくらいかな」

「おやじだな」


「そうですよ。でも、主任だって休みの日に何かすることあるんですか?仕事人間なのに」

「映画鑑賞」

「それだけ?」

「ああ、そうだ。ベランダで家庭菜園をしている」


「主任、名古屋でも農家が作った野菜とか買って、料理していましたもんね。とうとう自分で作るようになっちゃったんですか」

「まあな」

「他には?」


「それなりに、人付き合いだってあるんだよ」

「友達ですか?主任にいるんですか?」

「……まあ、一人くらいはな」

 東佐野のことは、友人と言えば友人だ。だが、人付き合いというのは、彼女のことなんだが。塩谷の頭の中には、彼女がいるだなんて、想像もできないことだろうしな。もちろん、言うつもりもないし。


 その日は早めにホテルに行った。塩谷も明日の朝から会議があるので、酒は飲まずにアパートに帰った。ホテルでは、何度か携帯を手にし、伊織さんにメールでもするかどうか悩んでしまった。


 だが、ここは我慢して、明日会うのを楽しみにするか。そのために、明日も1日、仕事を頑張るか。そう思い直し、風呂に入ってその日は寝た。


 翌日、名古屋支店での会議に出席。午後は、塩谷が東京に来る前に、今ある問題を改善するため、塩谷とミーティング。他の連中とも軽く話をして、東京に戻った。


 思ったより遅くに東京に着き、僕は急いで電車を乗り継ぎ、マンションに向かった。

 駅からマンションに向かう途中、伊織さんに電話を入れた。きっと僕の部屋で待っていてくれているはずだ。


 すぐに伊織さんは出た。やばいことに僕の顔はにやけ、歩く速度はどんどん増す。かなり、疲れているはずなのに、早くに会いたくて速度は増していく。


「じゃあ、いったん、帰ります。車でどっか食べに行きましょう」

「え?でも、お疲れなんじゃ…」

「はい。だから、伊織さんに早くに会うために、今、速足で向かっています」


 伊織さんにまで、そんなことを言ってしまい、あ、しまったと後で思った。だが、もう遅い。

「それじゃ」

「は、はい」

 伊織さんの、なんとなく照れたような声。くそ。可愛いよな。ああ、早くに会いたい。


 帰りの新幹線でも、伊織さんのことばかりを考えていた。そして、自分でも驚くほど、伊織さんの存在のでかさを再確認した。

 そして、僕のマンションで僕の帰りを待っていてくれることに、喜びがさらに増した。


 塩谷。女に興味がない魚住主任なんて、もうどこにも存在していないんだよ。すっかり僕は伊織さんに惚れ込んでいて、やばいことに女にうつつを抜かしている。いや、そのために仕事ができなくなるなんてこともない。

 伊織さんの存在が僕を癒し、また元気になって仕事をすることができる。


 こんなに変わってしまった僕のことを、僕自身が一番驚いている。


 


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