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第3話 映画の趣味 ~佑編~

 レンタルショップまでの道のり、桜川さんに、どんな映画を借りたいのか聞いてみた。

「私、最近の映画もいいんですけど、昔の映画も好きなんです。今日は、じ~~んと感動する映画が観たい気分で」

「へえ、例えば、どんな映画ですか?」


「『レインマン』とか…。あれ、一回観たことあるんですけど、また観たいなあって」

「ああ、ダスティン・ホフマンの…。いいですよね。僕も好きですよ」

「そうなんですか?あとは、『オーロラの彼方へ』とか。前にやっぱり一回観たことあるんですけど」

「いいですよね。あれも」


「……ですよね?」

「あとは?」

「えっと。『オールウェイズ』とか…」

「ああ。いい映画ですよね」


「それとか、トム・クルーズなら『ザ・エージェント』」

「ああ、僕も好きですよ」

「そうですか…」

 そんな話をしていると、レンタルショップに着いた。


 レンタルショップの中でも、桜川さんと映画の話で盛り上がった。驚いたことに、映画の趣味が桜川さんとは合う。だから、話をしていても楽しいし、会話が思わず弾んでしまった。


 こんなに女性と話をしていて、会話が弾むことは珍しいことだ。

 そして、彼女は僕が勧めた映画、『アンタッチャブル』を選び、僕は彼女が勧めてくれた映画、『フィールド・オブ・ドリームス』を借りた。


 レンタルショップを出て、駅に着き、

「主任はどちらにお住まいですか?」

と聞かれ、最寄駅を答えると、

「え?私、そのまた一つ先の駅で降りるんです」

と、桜川さんは驚きながら答えた。


 そうか。隣駅なのか。そんなに近いところに住んでいるのか。

「では、一緒に途中まで帰ってもいいですか?」

 念のため聞いてみた。すると、

「はい!」

と元気な返事が返ってきた。


 桜川さんも、どうやら僕との会話を楽しんでいるようだ。レンタルショップでも、彼女はとても楽しそうだった。それは僕もだ。

 帰りの電車では、桜川さんの妹さんのことを話した。


 電車は混んでいた。彼女は吊革に掴まることもできず、両足を踏ん張って立っていた。時々電車の揺れで、僕の腕に腕がぶつかり、そのたびに、

「すみません」

と謝っていた。


 多分、桜川さんは、人に、特に男性に甘えるということが苦手なんだろう。姉や母もそうだ。まあ、あの二人は車で移動をするので、こんなふうに満員電車に乗ることもないが。

 いや。あの二人の場合、しっかりと人に甘えるところもあるか。甘えるどころか、平気でこき使う。


 桜川さんは、母と姉みたいなタイプとは、違うのかもしれない。仕事に生きるタイプでもないだろうし、意外と結婚願望が強く、理想が高いがゆえに、今迄結婚もできず…といったところか。だが、どうやら、料理などもしないようだし、女性らしさは欠けているようだ。


 その、女性らしさのことを、女子力というのか?桜川さんが、妹には女子力があり、自分には無いとさっきから、そう話をしているが…。


「妹は、男性の胃袋を掴むのが得意なんです」

「へえ、それは一度食べてみたいですね」

 いったい、どんな料理を作るのか。それだけ、旨いってことだよな。


 あれ?僕の言葉に、何かひっかかったのか、桜川さんの顔が沈み込んだ。変なことでも言っただろうか。

「妹さんは、どんな料理が得意ですか?」

 話を広げようと、そう質問を投げかけた。桜川さんは、にこりと笑い、

「ビーフシチューも美味しいですし、パスタも、あ!パエリアも作ります。あと、パンも手作りで」

と自慢げに話し出した。


 自分の妹が料理上手というのは、姉にとっても自慢になるのか。だとしたら、桜川さんは妹さんと仲がいいのかもしれないな。


 ガタン!いきなり電車が大きく揺れた。桜川さんは、掴まるところもなく、僕の胸にドスンと体当たりしてきた。

「顔、ぶつかってましたけど、痛くなかったですか?」

「はい。すみません。あ!主任のYシャツに、口紅つけた。ごめんなさい」


「いいですよ。こんなの簡単に落ちますから」

「でも」

 桜川さんの顔が曇った。相当気にしているのか。まさか、洗濯をしますだの、クリーニング代を出しますだの、そんな面倒なこと言い出さないだろうな。


「簡単なんですよ。油汚れ、インク、口紅、そういった類が落ちるという洗剤がうちにはあるので、安心してください」

「え?家事、得意なんですか?」

 …。なんで、そんなに驚くんだろう。男が洗濯したり、料理をするのがそんなに珍しいのか。ずっと、一人暮らしをしてきたんだ。できて、当たり前だろう。


「得意ですよ。掃除も好きですし」

 あ…。また、びっくりしている。掃除をするからって、そんなにびっくりすることか?

「女子力高いんですね」

 また、女子力?それは、男にでも使う言葉なのか?


 僕の方が先に電車を降りた。僕の降りた駅で、だいぶ人が降りたから、もう桜川さんも両足を踏ん張ることもないだろう。

 それにしても…。


 女子力っていうのはなんなんだ。男がみんな、料理上手な女が好きとでも思っているのか?

 僕は、結婚するつもりはないが、もし、万が一結婚しても、料理をするかもしれない。いや、多分する。奥さんの手料理を、旨いと言って食えるかどうかもわからない。いちいち、文句を言いそうだ。


 それだったら、自分で作る。奥さんが僕の作る飯を食っていたらそれでいい。もし、めちゃくちゃ料理上手な子なら、文句のつけようもないから、作ってもらうかもしれないが…。

 いや。桜川さんの妹さんみたいに、和食も作らず、洋食ばかり毎日出されたら、絶対に飽きる。いくら、料理上手とは言え…。


 だったら、飯なんかまったく作れませんっていう女性のほうが、僕の好きに料理ができて、楽かもしれないな。桜川さんのような…。

 

 きっと、桜川さんは、僕が作る料理をいちいち、目を丸くして驚くだろう。こんなのも作れるんですか?すごいですね…とか言いながら。そして、旨そうに食いながら、ビールを飲むのかもしれない。


 僕はビールは飲まない。でもまあ、ノンアルコールビールくらいなら、付き合ってもいい。一緒に、DVDを観るのもいいかもしれない。今迄観て感動した映画を、二人でまた観る。桜川さんなら、きっと一緒のシーンで感動しそうだ。


 って、何を僕は想像しているんだ。冗談じゃない。他人と一緒に暮らすなんて、絶対に冗談じゃない。


 僕は家に帰り、先にシャワーを浴びて、今さっきまでの妄想を消し去った。そして、料理をして、それらをテーブルに並べ、ゆっくりと味わい、後片付けを済ませてから、リビングに移動した。


 ソファに深く腰掛け、DVDをつけた。桜川さんが勧めてくれた映画だ。

 家ではリラックスして、アイスコーヒーを飲みながら映画を観る。誰かに気兼ねすることもないので、一緒にチョコレートや、クッキーも食べたりする。


 酒は飲まない。多分僕は、甘党だ。あと、コーヒーが好きだ。苦いコーヒーと、甘い食べ物。それか、渋いお茶と甘い食べ物。この組み合わせが好きで、たまにケーキや和菓子を買って帰ることもある。


 ゆっくりと、アイスコーヒーを堪能しながら、映画を観た。とても、面白い映画で、最後には思い切り感動した。

 桜川さんが言っていた、「家族愛」というのは、本当だった。特に、父親と息子の絆。

 

 僕は子供の頃、よく父親とキャッチボールをした。それが嬉しかった。父と話をするのも好きだった。父はいろんなことを教えてくれたし、姉よりも僕との時間を優先してくれているような気がして、僕は嬉しかった。


 だが、夫婦仲が悪くなり、あまり父が家に帰ってこなくなって、僕と父の関係も、閉ざされてしまった。父は浮気をしていた。それが原因で離婚したが、もとはといえば、母が仕事をしだして、家事も何もしなくなったからかもしれない。


 母は仕事が好きだった。だが、父と結婚して子供が生まれ、専業主婦になってほしいと父に頼まれ、仕方なく母は、子供の手が離れるまではという約束で、仕事を辞めた。母は、父の言われたように、子育てに専念したが、いろんな習い事をさせたり、過剰なまでに、子供に夢を託すようになった。


 それは、僕にとってうっとおしかった。姉は、けっこう喜んで、習い事をしていたが、僕は父とキャッチボールをしたり、釣りに行ったりするほうが、ずうっと楽しかった。

 だから、子供の頃から母親が苦手だった。でも、やっぱり僕は、浮気をしていた父を憎み、許せなかった。


 それは多分、今もだ。今も、父との間には距離があり、姉は時々父に会っているのにもかかわらず、僕は、離婚して以来、一回も会っていない。

 そんな僕が、こんな映画を観ることになったのも、意味があるのか。


 父は浮気相手と再婚し、その連れ子だった子供とも仲良くやっていると姉は言っていた。今年高校生になる男の子。父はその子とも、キャッチボールをしたんだろうか。いろんなことを教え、釣りに行ったり、泳ぎに行ったりしたんだろうか。


 今年高校1年か。両親が離婚をした時、僕は高校1年だった。その頃から、いや、もっと前からかな。料理も洗濯も掃除も、自分でした。


 思えば、一人暮らしをしたから、家事が得意になったわけじゃない。親が家にいなかったからだ。

 5歳上の姉も、親が離婚した時、もう母の職場で働いていたしな。母と姉のために、料理や掃除、洗濯をしていたんだったっけ。


 まあ、母や姉が働いて稼いだ金で、大学まで行かせてもらったんだ。文句は言えないけどな。そうだな。感謝くらいしないとな。


 映画を観終わり、なんとなく父親のことを思い出した。いつか会って、父親を許したいと心の底では思っている。父のことを憎んだが、心の底では、子供の頃、一緒に遊んでもらった記憶ばかりが甦り、そのたび、胸が痛くなっている。


 実の息子に、憎まれたままなのは、多分、辛いだろう。僕もそんなことを思うような年齢になったってことか。

「この映画の主人公の父親は、他界しているんだもんな。畑をグランドにして、ようやく天国の父親に会えたわけだ」


 ぽつりと独り言を言った。それから、なんとなくぼんやりと宙を眺めた。

 僕の父親は生きている。会おうと思えば、すぐにだって会える。


 そういえば、桜川さんは、『アンタッチャブル』を観ただろうか。あの映画を観て、どんな感想を持っただろう。今度会ったら、聞いてみるかな。

 僕は、『フィールド・オブ・ドリームス』を観て、父親を思い出しましたよ。父と今度、会ってみようかと、そんなことも思いましたよ。なんて、そんなことを桜川さんに言ったら、なんて答えるんだろうか。


 まあ、言わないけどね。そんなプライベートなことを、単なる部下の一人の女性になんて。

 でも…。なんとなく、話してみたいと思うのはなぜなのか。その時、桜川さんはなんて答えるんだろうと、つい想像してしまうのはなぜなんだろうか。



 翌日、土曜日だが、朝早くから出勤した。

 会社は静まり返っていたが、休みを返上して出ている忙しい部署もあるようだ。ちらりほらりと人影が見えた。


 上着を脱ぎ、ハンガーにかけた。それから、自分のデスクに行き、工場からの電話を待った。

 電話はすぐに来た。昨日とは違う、別の人からの電話だった。どうやら、この人物が、担当者らしい。

「初めまして。昨夜は失礼しました」

 まず、一番に謝ってきた。


「今日は、桜川さんは?」

「彼女は出社していません」

「そうですか。前に、やはり同じようなことがあって、桜川さんは、休日だというのに、出社していたことがありまして。今日は上司の魚住さんが出社されるから、安心して休まれたんですね」


「以前は、上司の田子主任も、出社していたんですか?」

「いいえ。田子主任は、そういう時、桜川さんだけに任せて休んでいました。家族サービスがあるとかで。まだ、子供も生まれたばかりだったみたいですしね」

「………」


 なんだか、随分と責任感の無い人間だったんだな、田子さんは。部下に任せっきりだったわけか。

「それで、本題に入ってもらっていいですか?どこの営業所に荷物は届くんですか?」

「あ!すみません。今から言います。メモの用意はいいですか?」

 営業所の場所と連絡先を聞いた。


 最後に担当者は、

「桜川さんによろしくお伝えください。僕が先に帰ってしまったばかりに、何やら桜川さんにうちの上司が嫌なことを言ったようで」

と言い出した。


「あなたの上司だったんですか?」

「はい。ここだけの話、融通の利かない、女性に偏見を持っている頭の固い上司ですよ。いつも、桜川さんは、よくやってくれているんです。こっちの無理なお願いも聞いてもらっているし、こっちのミスも、本当にうまくカバーしてくれている。そんな人に、つっかかってしまったようで、申し訳ありませんでした。では、先方にもよろしくお伝えください。大事な取引先ですから」


「わかっています。ありがとうございました。無理を言ってしまって」

「いいえ。全然かまいませんよ。本当に桜川さんには、いつもお世話になっているんですから、このくらいどうってことないんです。それでは失礼します」


 驚いた。工場の担当者も、桜川さん贔屓なんだな。それだけ、いつも桜川さんは、誠意をもって接しているってことか。

 

 桜川さんのことを、見る目を変えなくてはいけない。ただ、のほほんとゆるく仕事をしている腰掛けOL。そんな考えを捨てないと、ちゃんと桜川さんを見ることはできないな。


 得意先にも連絡を入れた。するとまた、桜川さんにお礼を言ってくれと、そう言われた。いや、今回手配をしたのは僕なんだが。まあ、いいか。部下がそれだけ、信頼を受けているというのは、上司の僕にとっても喜ばしいことだ。


 そうか。もしかすると、田子主任は、桜川さんに任せきりで、その分、桜川さんと工場、それから得意先の信頼関係が深まったのかもしれないな。

 僕もある程度は、桜川さんに任せるか。彼女は意外と、仕事ができる人間なのかもしれない。


 その日の帰り道、レンタルショップに寄って、DVDを返した。そして、明日は休みだから借りていこうと、店内をうろついた。

「あ、『アンタッチャブル』、返ってきている」

 ということは、桜川さんも今日、この店に来たっていうことか。


 何時頃来たんだろう。ここまで来て、何かを借りてまた家に帰ったのか。それとも、どこかに行くついでに寄ったのか。

 ここまで来たなら、会社に来てもよかったのに。


 ふと、そんなことを考えている自分に気が付き、何を考えているんだと打ち消した。彼女が会社に来たからと言って、何があるわけでもない。僕はただ淡々と書類に目を通し、これからの予定を立て、その間、彼女が会社に来ても、彼女がすることは何もない。


 さあ、何を借りるか考えよう。桜川さんのことは、もう頭の中から追い出そう。

 ゆっくりと店内を歩き、借りる映画を探した。だが、目につくものは、昨日桜川さんと話した映画ばかりだ。


 ああ、『オールウェイズ』、好きだって言っていたよな。それから、『オーロラの彼方へ』。あれ?『レインマン』借りられている。もしかして、桜川さんが借りたのかもしれないな。観たいって言っていたもんな。

 どのシーンが好きなんだろう。僕だったら、トム・クルーズとダスティン・ホフマンが踊るシーンだ。


 今度会ったら聞いてみよう。また、びっくりするだろうか。なんで、主任、私が『レインマン』を借りたって、知っているんですか?とか、言いながら目を丸くする桜川さんの顔が目に浮かぶ。


 って、いや。だから、なんだってそう、彼女のことばかり思い出しているんだ。それもまた、妄想までしていた。


 ダメだ。映画なんか観ようとしているから、彼女を思い出すんだ。借りないで、明日は、どこかに出かけよう。いや。家でしっかりと時間をかけて、料理をするのもいいな。それに、名古屋から届いた荷物、片付けていないものもあった。そうだ。部屋の片づけをするか。


 そんなことを必死に考え、僕は家路についた。そして、洗濯物を取り込みながら、

「あ、しまった。口紅落とし忘れた」

と、昨日着て、今朝洗ったYシャツを見て、がっかりした。


「まあ、今からでも遅くないか。口紅落とせるだろ…」

 そう呟きながら、洗面所に向かった。口紅の色はうっすらピンク。その色を見ていると、桜川さんの電車で踏ん張って立っていた姿を思い出した。


 ああ。揺れる中、必死に立っていたっけな。僕にぶつかるたびに謝って…。

 ドスンと僕の胸に、ぶつかってきた。彼女の髪からは、いい香りがした。


 ハッ! 

 だから、なんだって僕は、桜川さんのことを思い浮かべているんだ。

 また、必死に頭から、桜川さんのことを追い出し、黙々と僕はYシャツを洗った。




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