表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/171

第26話 伊織さん 佑さん ~佑編~

「なんか、伝わっていない感じですね」

「えっと」

 伊織さんは、斜め上を見ながら考え込んだ。どうやら思い出そうとしているらしい。

「家に呼んで、夕飯を一緒に食べた日です。伊織さんに酷いことを言い傷つけたことを謝り、その時、僕の気持ちは素直に云いました。すごく情けないこともいっぱい云いましたが」


「え?」

「まあ、僕も実を言うと、何を言ったか覚えていないんですが。なにしろ、必死だったので」

「必死って?」

「伊織さんにふられないよう、他の男に奪われないよう、必死だったんです。離れていかれては困るので」

「ええ?!」


 あ。しまった。さらに情けないことを暴露してしまった。

「でも、主任、結婚は考えられないとか、これが高校生ならもっと気軽にとか、そんな話をして」

 よかった。必死だっていうのは、聞き流してくれたようだ。


「ああ、そんなことも言ったかもしれません」

 僕はすぐに冷静をよそおって、そんなふうに答えた。実は高校生なら…なんて、そんなことを言ったことすら覚えていない。

「だから、私、てっきり、高校生だったら付き合えるけど、この年齢じゃ無理ですって、断られたのかなあって」


「は?僕はそんなことを言いましたか?」

「た、多分」

「う~~~~ん。どうだったかな。結婚はまだ考えられないと正直に云いましたけど、でも、伊織さんが大事で、他の男に心を奪われなくてよかったと、そんなことを云ったと思うんですが」


「そ、そういえば…」

 伊織さんは顔をどんどん赤くして、両手で頬を抑えた。それから、

「でも私、女子力ゼロで、何も取り柄がないし、可愛くないし、なんで主任、いえ、佑さんに好きになってもらえたのかがわかりません」

と言い出した。


「僕もそうです。だから、こんなアンポンタンでもいいですかと聞きました」

「あ、そういえば」

「伊織さんは、こんな僕でも受け入れてくれたんですよね?」

「もちろん。っていうか、主任はだって、素敵ですから。ほら、鴫野ちゃんも言っていたけど、主任、あこがれの的になっちゃうくらい、素敵なんですよ!」


 う…。なんだって、そういうことを照れもせず言えるんだ。時々、すごいことを伊織さんは言うよな。ものすごく照れる。やばいな。顔が熱い。

「……それ、照れます」

 正直にそう言ってみた。伊織さんは僕の顔を見て、少し口元を緩めた。


「でも、私は、なんで好きになってもらったのかわからないままで…」

「伊織さんの良さですか?」

「はい」

 伊織さんの良さ…。良さ…。ポンと浮かぶのは、可愛いということ。愛しいということ。でも、そんなこと恥ずかしくて言えそうもない。


「ん~~~」

「いいです。ないなら、いいんです」

「ないわけないですよ。ただ、どう言ったらいいか、悩んでいただけで」

 伊織さんは不安そうに僕の顔を見た。その顔も可愛い。いや、そんな顔で見ないでくれ。ますます何を言っていいかわからなくなる。


「すみません。具体的に言えません。それに、かなり抵抗があります。すごく照れくさいと言うか…。よく、伊織さんは僕のどこがいいかとか、素敵だとか言えますよね。感心します。僕は、そういうことを言うのに抵抗がある」

「………」

 

 伊織さんは黙って俯いた。ちょっと表情が寂しげに見える。僕がちゃんと伝えられないからか…。そうだな。ちゃんと具体的に言わないと、伝わらないよな。

「しいて言うなら…、伊織さんは特別なんですよ」

「特別?」


 伊織さんが顔をあげて僕を見た。

「はい。僕は一人でいるのが好きで、一人の方が楽だし、幸せだと思っていたんです」

「……」

「でも、伊織さんといると、一人より楽しいし、幸せなんです」

「え?」


「だから、ずっと一緒にいたいと思ったし、こうやって今も、幸せ感じているっていうわけです」

「幸せなんですか?」

「はい。伊織さんは?」

「すごく幸せです」


「くす」

 可愛いなあ。それに、即答してくれるんだ。嬉しいよな。

「じゃあ、もうずっと一緒にいますか?」

「え?えっと?」

「一緒に住んじゃうとか」


「ええ?!」

 あ、ものすごく驚いている。

「…なんていうのは冗談ですけど」

 そう言うと、伊織さんはほっと安心したように息を吐いた。


 いや、冗談を言ったわけじゃない。本当は一緒に住みたいって思っている。ここで安心されても困る。

「いえ。半分、本気です。一緒に住んだら、楽しいだろうなってそう思っていますから」

「え?!」

 ……。また、伊織さんの顔が引きつった。一緒に住むなんて、伊織さんにとっては考えられないことなのかな。


「……伊織さんが、そういう気がないなら無理強いはしません。でも、いつか一緒に住めたらいいなって、そう思っています」

「あの、部屋をシェアってことですか?」

「はい?」

「あ、一緒に住めば、家賃も半分で済むし…」


「家賃は僕が払います。気にしないでいいですよ」

「そういうわけには!」

「ルームメイトになるわけではなくて、同棲です。結婚前に住むんだから、同棲になりますよね?」

 伊織さんは、相当驚いたらしい。しばらく目を見開き、口を開けて静止している。


「それは、その。ちょっと、考えさせてください」

 慌てながら伊織さんがそう叫んだ。

「あ、いつかの話で、今すぐにとは言っていません」

「あ、あ、そうか」


 伊織さんは、ほっとしながらも目が泳いでいる。そして、ぽっと顔を赤くさせ、両手で頬を隠した。そんな伊織さんを見ていて、僕はこのまま今日も一緒にいたいと痛切に願ってしまった。


 今日もどころか、明日も明後日もその先も…。伊織さんと暮らせたら、まったく違った毎日になる。いつも満たされてあったかくって、きっといつでも心が和んでいる。


「伊織さん」

「はいっ?」

「今日も泊まっていきますか?」

「い、いいえ。帰ります。着替えもないし、化粧品もないし、いろいろとあの、だから、その」

 

 そうか。泊まっていくわけにはいかないのか…。

「じゃあ、送ります。でも、もう少し一緒にいてくれますか?」

「え?」


「伊織さんといると、和らぐんです」

「は、はい。い、います」


 伊織さんは表情を硬くした。僕が和んでも、このままじゃ伊織さんの方が疲れちゃいそうだよな。

「伊織さん」

「はいいっ?!」

「今後は、遠慮はいらないですからね。僕は、伊織さんの恋人なんですから」

「はい」


 にこっと伊織さんに微笑むと、伊織さんは真っ赤になった。真っ赤になったまま俯き、また頬を手で隠した。でも、じっと見ている僕の視線に気が付いたのか、また僕の方をちらっと見て、目が合うとさらに顔を赤くさせた。そして、恥ずかしそうに俯いた。


 ……可愛いな。今、伊織さんは思い切り照れているんだろうか。

 うず。思わず抱きしめたくなった。いや、ダメだ。さすがにそれはダメだろ。抱きしめたくなった手を膝に置き、僕は伊織さんから視線を外した。


「すみません、のんびりとしていて下さい。僕は洗濯してきます」

「え?じゃ、私も何か手伝い…」

「病み上がりの人は、大人しくしていて下さい」

「はい」


「リビングでテレビでも観ていていいですよ」

 そう言うと伊織さんは、ダイニングからリビングに移った。僕は洗濯機を回し、朝食の後片付けをして、伊織さんの隣に行った。


「…すみません、何もしなくって甘えてばかり」

「……」

 そう言って申し訳なさそうにしている伊織さんの顔をじっと見た。すると伊織さんは、恥ずかしそうに目を伏せてしまった。


「いいんですけど、全然」

「え?」

「甘えていいですよ。多分僕は、いろいろと世話を焼くのが好きみたいですし」

「そうなんですか?」


「ああ、母と姉の世話を焼いてきたからかなあ。あの頃は嫌々やっていたけど」

「嫌々?」

「伊織さんは面倒じゃないんですよね。そういえば、部下の面倒を見ていたのも、それでなのかな」

「部下って、塩谷さんですか?」


「塩谷もですが、他にも独身男性が名古屋には二人いて、僕のマンションに呼んで、飯を食べさせたりしていましたし」

「優しいんですね、主任」

「優しいのとは違うと思いますよ。多分」


 そう言うと伊織さんは、「優しいんです」と、呟いた。そして、

「だから、営業の人からは慕われていたんですね…。その、塩谷さんっていう人からも」

と僕の方も見ず、言葉を続けた。

「塩谷か。けっこう面倒くさい女性なんですが」

「え?」


「普段はしっかりとしていますが、酒飲むと人が変わってしまって、いきなりため口たたくは、甘えてくるは…」

「あ、甘える?主任にですか?」

「………。そういえば、さっきから「主任」に戻っていますね、伊織さん」

「あ、ごめんなさい。た、た、た、佑さん」


 そんなに佑って呼びにくいのか?

「佑さんに甘えていたんですか?その、塩谷っていう人」

「いつもは、男勝りの勝気な女性なんですけどね」

「………」


「伊織さん?」

「え?」

「何か、気になることでも?」

「いいえ。甘えるって、どんなふうにするのかなって、ちょっと…」


「甘えるっていうのは、だから、そうだな」

 塩谷の場合は、甘えるっていうか、絡んでくるというか。愚痴っぽくなるし、もう1件付き合えだの、しつこくなってくるんだよな。あれは、甘えるとは違うのかな。


 黙って伊織さんは、僕が話すのを待っている。その時、洗濯が終わる合図がして、

「洗濯物干してきます」

と僕はソファを立った。


 バルコニーに出て洗濯物を干した。すると伊織さんもやってきて、

「野菜にお水あげてもいいですか?」

と聞いてきた。


「ああ、お願いします」

 伊織さんは嬉しそうにバルコニーに出ると、プランターの野菜たちのもとに行った。

「元気に育っていますね」


「でしょ?日当たりもいいし、この場所、家庭菜園に向いているみたいですよ。だから、一緒に住むときには、伊織さんの家の野菜たちも持って来たらいいですよ」

「え?」

 え?と言ったきり、なぜか伊織さんは真っ赤になり、一点を見つめた。いったい何を考えているのか。


 洗濯物を干し終えた僕は、バルコニーの柵に掴まり、何やら赤くなっている伊織さんの横に僕は並んだ。

「あそこ、大きな公園があるの、見えますか?」

「え?はい」

「東京にしては珍しいんですよ。僕はまだ行ったことがないんですけどね」


「そうなんですか」

「今度行ってみましょうか」

「あ、はい」

 伊織さんはほんのりと頬を染め、嬉しそうに僕を見た。

 

 伊織さんの目は、表情豊かだ。目は口ほどにものを言うと言うが、伊織さんの目ほどそれを言い当てている目はないと思う。寂しそうな目、不安そうな目、そして嬉しそうな時の目…。嬉しそうにしているのを見ると、こっちまで嬉しくなって浮かれてしまう。


「それから、見たい映画があるんです。多分、伊織さんも気に入るはずです」

 僕は心を弾ませながら、そう伊織さんに誘った。

「え?ロードショーをしているんですか?」

「いえ。まだこれからですが。確か来週からだったかな。見に行きませんか?」


「行きます」

「じゃあ、一緒に行きましょう」

「はい」

 また、伊織さんの目は輝いた。そして、嬉しそうに微笑む。


 この笑顔を見られるのなら、なんだって叶えてあげたくなる。本当に、伊織さんと出会ってからの僕は、人が変わったようだ。今迄、女性に対してけっこう冷たかったんだけどな。付き合った女性にだって、こんなふうに思ったことはなかった。


 本当に伊織さんは不思議な女性だ。なにしろ、僕をこんなに夢中にさせるんだからな。そして、僕をいとも簡単に幸せにしてくれる。


 昼前に僕は、伊織さんを車で送った。本当は今日も1日一緒にいたい。

 だが、そんな我儘を言えなかった。結局僕もまだ、彼女に遠慮しているのか。それとも、男の僕の方が甘えるのに抵抗があるのか…。


 もし、一緒にいたいからまだ帰らないでください…と、駄々をこねたら伊織さんはどうするんだろうか。ふとそんなことを思い、車の中で駄々をこねそうになった。

 信号が赤になり、車を止めた時に伊織さんの方を見ると、伊織さんは顔を赤くして、

「ずっと、すっぴんで、ごめんなさい」

といきなり謝ってきた。

 

「何で謝るんですか?別にすっぴんでもいいですよ」

 そう答えると、伊織さんは僕の顔を見てから、すぐにまた視線を下に向けた。

「私、化粧しないと幼くなるから嫌なんです」

「なんでですか?可愛らしくなるのに」


「いえ。私、可愛くないです」

「可愛いと思っているんですから、そこは素直に受け止めてください」

「あ、はい。ごめんなさい」

 信号が青に変わり、僕は車を発進させた。


「たまに、伊織さんは頑固になりますよね」

 まっすぐ前を見ながら、そう伊織さんに言った。

「ごめんなさい」

「いえ。謝らなくてもいいんですけど」


 そう言うと、僕の方を伊織さんがちらっと見たのを感じた。

「はい?」

 僕も伊織さんの方に目を向けた。

「いえ、なんでもないです」


 あ、赤くなった。

 伊織さん、可愛いと思った次の瞬間、僕の左手はハンドルを離れ、伊織さんの右手を握っていた。

 

「あ、あの?え?え?」

 隣で伊織さんが、手を見たり僕の顔を見たり、かなり動揺しているのがわかる。

「すみません」

 僕はすぐに握っていた手を離し、ハンドルに戻した。


「いえ!」

 真っ赤になった伊織さんは、大きな声でそう言ってしばらく俯いてしまった。


 しまったかな。いきなり手を握ったのはまずかったよな。それも、ほとんど無意識だ。何をしているんだ、僕は。

 でも…。動揺したとはいえ、伊織さん、嫌がったわけじゃないな。真っ赤になって恥ずかしがってはいるものの。


「今日と明日は、ゆっくり休んで、風邪を完治させてくださいね」

「はい」

「月曜、会えないと寂しいですから」

「は、はいっ」


 伊織さんが赤くなりながら、思い切り頷いた。くす、可愛い。

 そうか。このくらいの甘えなら、伊織さんも嫌がらないんだな。


 僕は、これからも素直に思っていることは伝えよう…、とその時に決意していた。きっと伊織さんなら、受け止めてくれる。そんなこともなぜか、感じていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ