第26話 伊織さん 佑さん ~伊織編~
翌朝、目が覚めてしばらく悩んだ。ここは、どこだっけ?なんだって私は、ベッドに寝ているんだ?
とりあえず、起き上がった。着ているのは紺色の男物のパジャマ。
あ!そうだ。主任のマンションだ。着ているのは、主任のパジャマ。
ベッドから降りて部屋を出た。そしてリビングに行くと、ソファで主任がすやすや眠っていた。服は着替えている。でも、パジャマじゃなくて、スェットとパーカーだ。主任でもこんな恰好するんだな。
上には、毛布がかかっている。寒くなかったのかな、これだけで。
じ~~~。主任の寝顔を眺めた。主任の顔ってやっぱり好きだな。そして、胸を高鳴らせた。
「ん?」
ドキ。起きた?
もそっと主任は顔をこっちに向けて目を開けた。
「あ、伊織さん?熱、下がったんですか?」
伊織さんって今言った?!
「あ、はい。多分」
伊織さんと言われたので、私は思い切り動揺してしまった。
「よかった。あ、今、朝飯作りますよ。お粥にしましょうか」
「いいです。主任はもう少し寝ていてください」
「え?」
主任が私の顔をじろっと睨むように見た。
なんか、怒っているの?
「主任って言いましたか?今」
「はい」
「二人の時には、佑でいいと言いましたよね?」
「……そ、そうでしたっけ?」
「すっとぼけるんですか?」
「いえ!そうじゃなくて。私、熱で朦朧としてて、あんまり覚えていなくって」
「は?」
あ、呆れたっていう顔だ。
「そうですか。朦朧としていたんですか…。じゃあ、どこまで僕の話をちゃんと聞けていたのかな」
どこまでが夢で、どこまでが現実なんですか?と私の方が聞きたい。
だけど、二人の時には佑でいいなんて、言ったっけ?
あ、主任じゃなくて、名前で呼んでと言われたような気が…。いや、でも、あれも夢だよね?
「伊織さんの服、ここにあります。そのパジャマも汗かいていますよね?洗濯するので、洗濯機に放り込んでくれていいですよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
そう言って私は、自分の服を手にしてまた寝室に戻った。
ドキドキ。寝起きの主任、ちょっと髪が跳ねてて可愛かった。それに、なんだか、会社にいる時よりずっと近くに感じるのはなんでかな。伊織さんって呼ばれたからかな。
脱いだパジャマを持って、パウダールームのドアを開けた。言われたとおりに洗濯機にパジャマを入れると、
「伊織さん、そこに新しい歯ブラシ出ているから、それ、使っていいですよ。僕が予備で買っていたものです」
と、主任がこっちにやってきてそう言った。
「あ、はい」
「伊織さん、顔も洗いますよね。タオルはこれを使ってください」
パウダールームの棚から、主任はタオルを取ってくれた。
顔を洗い、歯を磨いた。すっかり化粧もとれ、すっぴんだ。でも、もう主任にはすっぴんも見られているから、今さら恥ずかしがってもしょうがないよね。
そして、ダイニングに行くと、コーヒーのいい香りが立ち込めていた。
「伊織さん。梅干しのお粥にしましたよ」
「ありがとうございます」
主任はどうやら、トーストとコーヒーのようだ。
私が先にテーブルに着くと、主任も自分のトーストやコーヒーを持ってテーブルに着いた。そして、ほぼ同時に「いただきます」と言い、食べだした。
「美味しい」
なんだって、こうも主任が作るものは全部美味しいんだろう。
「主任って、すごいですよね」
「僕は、二人でいる時、佑さんと呼ばれないと返事をしないことにしました」
ええ?!
「あ、あ、あの。た、佑さんって、その、お粥も美味しく作れてすごいですよね」
「くす」
あ、笑われた。私がしどろもどろになっているからだ。
「伊織さんに佑さんって呼ばれるの、いいですね」
え?
ドキ!
何が?何がいいのかな。あと、なんだって、伊織さん、佑さんって呼び合っているんだろう。これってまさか、昨日の夢の続き?じゃないよね。もう、目が覚めているんだよね?
「でも、職場では主任で通してください。僕も桜川さんって呼びますし、多分、今迄同様、僕はきっとそっけない態度を取ると思います」
「あ、はい」
「みんなに付き合っているのがばれると、やっぱり、やっかいだと思いますんで」
「……付き合っている…?」
「はい」
「わ、私と主任が?」
「佑…」
「あ、た、佑さんと私が?」
「…そうか。昨日、そのあたりの話をした時に、すでに朦朧としていたんですね」
「……え?」
「っていうか、伊織さん、僕らが付き合っていないとでも思っていたんですか」
「だって、いったいいつ、そういうことに?」
「は?」
「私、主任…いえ、佑さんにふられましたよね?」
「はい」
「ですよね?じゃあ、なんで、付き合うことになっているのか、さっぱり」
「は?」
「え?」
「ふったあとで、僕は正直に気持ちを打ち明けましたよね?」
え?え?え?
目を丸くして主任の顔を見ると、主任は眉間に皺を寄せ、
「なんか、伝わっていない感じですね」
と呟いてからため息をした。
「えっと」
思い返してみたが、やっぱりわからない。首を傾げていると、
「家に呼んで、夕飯を一緒に食べた日です。伊織さんに酷いことを言い傷つけたことを謝り、その時、僕の気持ちは素直に云いました。すごく情けないこともいっぱい云いましたが」
と教えてくれた。
「え?」
あの時?
仕事の話に結局なっちゃったんじゃなかったっけ?
「まあ、僕も実を言うと、何を言ったか覚えていないんですが。なにしろ、必死だったので」
「必死って?」
「伊織さんにふられないよう、他の男に奪われないよう、必死だったんです。離れていかれては困るので」
「ええ?!」
うそ。必死って?そうだったっけ?
「でも、主任、結婚は考えられないとか、これが高校生ならもっと気軽にとか、そんな話をして」
「ああ、そんなことも言ったかもしれません」
「だから、私、てっきり、高校生だったら付き合えるけど、この年齢じゃ無理ですって、断られたのかなあって」
「は?僕はそんなことを言いましたか?」
「た、多分」
「う~~~~ん。どうだったかな。結婚はまだ考えられないと正直に云いましたけど、でも、伊織さんが大事で、他の男に心を奪われなくてよかったと、そんなことを云ったと思うんですが」
「そ、そういえば…」
それって、告白だったってこと?
きゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。うそ。主任から私、告白されていたってこと?!
「でも私、女子力ゼロで、何も取り柄がないし、可愛くないし、なんで主任、いえ、佑さんに好きになってもらえたのかがわかりません」
「僕もそうです。だから、こんなアンポンタンでもいいですかと聞きました」
「あ、そういえば」
「伊織さんは、こんな僕でも受け入れてくれたんですよね?」
「もちろん。っていうか、主任はだって、素敵ですから。ほら、鴫野ちゃんも言っていたけど、主任、あこがれの的になっちゃうくらい、素敵なんですよ!」
「……それ、照れます」
主任は顔を赤くした。
うそ。照れている主任、初めて見た!可愛いかも。
「でも、私は、なんで好きになってもらったのかわからないままで…」
「伊織さんの良さですか?」
「はい」
ドキドキドキ。なんて主任は言うんだろう。ああ、やばい。聞かなかったらよかったかも。
主任、なかなか話してくれない。もしや、どこも好きなところはない…なんてことないよね?やっぱり、好きじゃなかった…とか。
「ん~~~」
あ、悩んでいるみたい。どうしよう。
「いいです。ないなら、いいんです」
「ないわけないですよ。ただ、どう言ったらいいか、悩んでいただけで」
やっぱり、悩むほどなんだ。
「すみません。具体的に言えません」
やっぱり?
「それに、かなり抵抗があります。すごく照れくさいと言うか」
え?
「よく、伊織さんは僕のどこがいいかとか、素敵だとか言えますよね。感心します。僕は、そういうことを言うのに抵抗がある」
「………」
それ、ほんと?本当はそんなに好きでもないとか。
「しいて言うなら…、伊織さんは特別なんですよ」
「特別?」
「はい。僕は一人でいるのが好きで、一人の方が楽だし、幸せだと思っていたんです」
「……」
だから、結婚も考えられないんだよね、主任。
「でも、伊織さんといると、一人より楽しいし、幸せなんです」
「え?」
うそ。そうなの?そんな嬉しいことを云ってもらえるなんて…。
「だから、ずっと一緒にいたいと思ったし、こうやって今も、幸せ感じているっていうわけです」
「幸せなんですか?」
「はい。伊織さんは?」
「すごく幸せです」
「くす」
あ、また笑った。目を細めて下を向いてくすくすと笑うと、
「じゃあ、もうずっと一緒にいますか?」
と主任は私の方を向いて、そうおどけて見せた。
「え?えっと?」
「一緒に住んじゃうとか」
「ええ?!」
「…なんていうのは冗談ですけど」
なんだ。びっくりした!
「いえ。半分、本気です。一緒に住んだら、楽しいだろうなってそう思っていますから」
「え?!」
「……伊織さんが、そういう気がないなら無理強いはしません。でも、いつか一緒に住めたらいいなって、そう思っています」
一緒に住むって?
「あの、部屋をシェアってことですか?」
「はい?」
「あ、一緒に住めば、家賃も半分で済むし…」
「家賃は僕が払います。気にしないでいいですよ」
「そういうわけには!」
「ルームメイトになるわけではなくて、同棲です。結婚前に住むんだから、同棲になりますよね?」
ど、ど、同棲?
私と主任が?
同棲~~~~~~~~~~~~~?!!!!
私の人生に、そんなことが起きるとは思わなかった!
「それは、その。ちょっと、考えさせてください」
「あ、いつかの話で、今すぐにとは言っていません」
「あ、あ、そうか」
ドキドキドキドキドキドキ。私、舞い上がってる。
主任と付き合うってだけでも、足が宙につかないくらい舞い上がっている。それなのに、同棲なんて聞いたもんだから、ますます混乱してきた。
「伊織さん」
「はいっ?」
「今日も泊まっていきますか?」
「い、いいえ。帰ります。着替えもないし、化粧品もないし、いろいろとあの、だから、その」
ダメだ。しどろもどろだ。
「じゃあ、送ります。でも、もう少し一緒にいてくれますか?」
「え?」
「伊織さんといると、和らぐんです」
ドキ。
「は、はい。い、います」
主任、今、すっごく優しい目で私を見た。
どうしよう。嬉しすぎて溶けそうだよ。なんだって急にこんなハッピーになっているわけ?
やっぱり、夢かもしれない。
「伊織さん」
「はいいっ?!」
その、優しい声で名前を呼ばれるだけでも、胸が高鳴っちゃう。
「今後は、遠慮はいらないですからね。僕は、伊織さんの恋人なんですから」
「はい」
ひょえうわ~~~~~~~~~~~~~~~~~~。脳みそ、溶けた。
恋人という言葉に、脳みそが対応不可能。で、溶けた。
今まで、こんな甘い気持ちになったことがあったかな。
2回付き合った。でも、さっさと別れちゃって、一回もこんな気持ちになれなかった。
主任は、甘い気持ちにさせてくれる言葉を云ってくれる。それも、優しい声で、優しい目で。
ああ!
幸せです。
26歳まで、あと5か月。賞味期限切れる寸前、彼氏ができた。
この分だと、賞味期限前に、食べてもらえるかもしれない…なんてことを期待して、私は一人、かっかと顔を熱くさせていた。




