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第25話 お泊り ~佑編~

 洗い物を終え、寝室に行きベッドの横まで行った。桜川さんは僕のパジャマを着て、鼻先まで布団に潜り込んでいた。その仕草がやけに可愛い。

「桜川さん、具合どうですか?」 

「大丈夫です」


「…冷えピタ、貼ってあげますね」

 桜川さんの前髪をあげ、ペタッと冷えピタを貼った。冷たいのか、桜川さんは眉間に皺を寄せた。そして、

「すみません。なんか、重ね重ね主任に迷惑かけて」

と、申し訳なさそうな声を出して謝ってきた。


「……なんでかな」

 僕はそんな桜川さんを見て、考えてしまった。

「何で桜川さんは、そんなに他人行儀なんだろう」

「え?」


「さっきも言いましたけど、僕は今、上司じゃないですよ。ああ、僕のことを主任って呼んでいるから、まだ会社にいるみたいになるのかもしれない。名前でいいですよ」

「名前?う、魚住さん?」

「下の名前でいいですよ」


「ひょえ?!た、佑さん?」

 そんなにびっくりしないでも…。

「じゃ、僕も二人の時には伊織さんって呼びますから」

「伊織さん?!」

 

 また目を丸くしてびっくりしている。付き合っているんだから、名前で呼び合ってもいいと思うんだけどな。

「少し休んでください。僕は、仕事部屋で仕事をします。何かあったら呼んでください。あ、声が聞こえるように、ドアは開けておきます」


「はい」

「おやすみなさい、伊織さん」

「……はい」

 伊織さん…。


 そう言ってみて、少し恥ずかしくなった。でも、僕は少し、いや、かなり嬉しくなっていた。

 多分、そう呼びたかったんだ。もう、前から。


 仕事部屋に入り、パソコンに向かった。だが、桜川さんが気になり、時々後ろを向いた。寝室も仕事部屋もドアを開きっぱなしにしているので、振り返るとベッドがここからでも見える。


 伊織さん、佑さん。そう呼び合えば、さすがに恋人同士みたいになってくるよな。そんなことをボケッと考えた。どうも今は他人行儀と言うか、二人きりでいても会社の延長上にいる感じだ。上司と部下という関係が、プライベートの時間まで続いてしまう。


 だけど、これからはきっと変わっていくよな…。これからの二人…。それを僕は想像していた。だが、桜川さんの声が聞こえてきて、僕は妄想の世界から抜け出した。


「う~~~ん」

 苦しいのか?気になって寝室に行くと、半分布団が落ちかかっていた。額に汗もかいている。

「暑いですか?」

「主任…」

 桜川さんはうっすらと目を開けた。


「暑いようでしたら、薄い布団にしましょうか?」

 きょろきょろと桜川さんは、目を動かした。どうやら、ここはどこだ?と考えているようだ。そして僕の顔を見ると、恥ずかしそうにまた布団を鼻先まで持ち上げた。


「熱、もう上がりきったんですね。とりあえず、冷えピタは変えましょう。あと、汗もかいているので、着替えたほうがいいかな」

「すみません」

 着替えのパジャマを渡しながら、

「じゃあ、これに着替えて。僕はリビングのソファで寝ます。何かあったらすぐに来ますから、呼んでください」

と言うと、桜川さんは目を丸くした。

 

「え?ソファで?そんな、申し訳ないっ」

「じゃ、一緒に寝ますか?」

「ひょえ?!」

 さらに目が丸くなり、桜川さんは思い切り恥ずかしそうに布団で顔を隠した。くす、可愛い。


「冗談ですよ。ゆっくり休んでください」

 そう言って僕は寝室を出た。

 まいったなあ。桜川さんがやけに可愛い…。


 また、仕事部屋でパソコンに向かった。だが、やっぱり仕事は手につかなかった。

「う…ん。う…」

 桜川さん?

「う~~~~~ん…」


 なんだか、うなされているみたいだな。

 寝室に行って顔を見た。ちょっと苦しそうだ。冷えピタもすぐにあったまってしまう。そっと冷えピタを貼り替え、桜川さんの手を取った。すると、桜川さんは目を覚ました。

「主任?」

「うなされてましたよ」


「え?」

「僕がここにいますから、大丈夫ですよ。ゆっくりと寝てください」

 手を握りしめたままそう言うと、桜川さんはとろんとした目で僕を見て、そのままそっと目を閉じた。手は、僕の手を握りしめたまま。


 僕はもう、仕事部屋に戻らなかった。ベッドの横に座り、桜川さんの手をずっと握ったまま、ずっと顔を見ていた。時々苦しそうに息を吐き、う~~んと唸ったり、すうっと深く眠ったりを桜川さんは繰り返した。


 そして、2時を過ぎた頃、スウスウと寝息も安定し、顔色も赤みを消したので、僕はそっと握っていた手を離し、風呂に入りに行った。


 さっぱりとして、風呂を出た。そして気になり、そっと寝室を覗きに行った。

「ん…」

 桜川さんが何かを言っている。また、うなされているのか?


 ベッドの脇まで行き、顔を覗き込んだ。赤みは消えているし、苦しそうな表情もしていない。それどころか、うっすら笑みさえ浮かべている。何か、楽しい夢でも見ているんだろうか。

「…にん…、き…」


 ん?なんか今、言ったよな。寝言か?

 耳を澄ませ、聞いてみた。すると、

「主任、大好き…」

と聞こえてきた。


 僕のことか!僕の夢を見ているのか!それも、大好きって言ったぞ、今。いや、聞き間違いか?

「主任…、大…好き…」

 聞き間違いじゃない。また、言った。


 かあっ!顔が一気に熱くなった。まいった。いったい、どんな夢だ。


 ベッドの横に座り込み、またしばらく桜川さんの可愛い寝顔を眺めた。冷えピタが取れそうになっていたからそっと、前髪をあげて冷えピタを取った。おでこに触れるともう熱くないので、替えの冷えピタは貼らなかった。


 そして僕は、そっと彼女の髪を撫でた。それから、おでこも。

 やばいなあ。めちゃくちゃ可愛いじゃないか…。なんなんだ、この「愛しい」っていう感情は…。


 やけに胸があったかい。ほんわかした優しい気持ちに包まれる。

 こんな気持ちになれる自分が不思議だ。僕も普通に、一人の女性を愛することができる男だったってわけか。


 もう少し、もう少しと、寝顔を見ていた。だが、さすがに目が閉じかけ、僕は立ち上がりソファに毛布を持って移動した。

 もし、一緒に暮らしたら、あんな寝顔を毎日見れるんだ。それも、すぐ隣で。


 夢を見た。朝起きると隣で桜川さんが寝ているという夢だ。僕は目を覚ました彼女に、

「伊織さん、おはよう」

と挨拶をした。あれ?何で僕は、伊織さんと呼んだんだ?

 

 ああ、そうか。伊織さん、佑さんと呼びあうようにしたんだ。僕らは付き合っているんだから、これからは名前で呼び合う。それを思い出し、僕は夢の中だというのにやたらと浮かれていた。


「伊織さん、おはよう。良く眠れた?」

「おはよう、佑さん。とっても良く眠れたよ」

 夢の中の桜川さんは、敬語を使わない。ニコニコ顔で僕に抱き着いてくる。


「伊織さんは甘えん坊だね」

「うん」

 そう言って抱き着いてくる桜川さんを抱きしめた。ギュウっと…。


 ああ、これって僕の願望かもな。甘えてくる桜川さん。抱きしめる僕…。そんな関係にいつなれるんだろう。なぜか夢の中の僕は、桜川さんを抱きしめながらそんなことを考えている。


ふと、何か人の気配を感じて、僕は自然と目を開けた。するとそこには、桜川さんの顔があった。いや、桜川さんじゃない。伊織さんだ。


「あ、伊織さん?熱、下がったんですか?」

「あ、はい。多分」

「よかった。あ、今、朝飯作りますよ。お粥にしましょうか」

「いいです。主任はもう少し寝ていてください」


「え?」

 主任?佑さんだろ?

「主任って言いましたか?今」

「はい」


「二人の時には、佑でいいと言いましたよね?」

「……そ、そうでしたっけ?」

 そうでしたっけ?

「すっとぼけるんですか?」


「いえ!そうじゃなくて。私、熱で朦朧としてて、あんまり覚えていなくって」

「は?」

 覚えていない?昨夜のことをか?

「そうですか。朦朧としていたんですか…。じゃあ、どこまで僕の話をちゃんと聞けていたのかな」

 僕がそう言っても、伊織さんは首を傾げただけだ。


 どうやら、伊織さん、佑さんと呼びあうようになったことは憶えていないようだ。

 癪に障る。こっちは、夢の中でも伊織さんと呼び、浮かれていたと言うのに。


 僕はわざと、伊織さんと呼ぶことにした。

「伊織さんの服、ここにあります。そのパジャマも汗かいていますよね?洗濯するので、洗濯機に放り込んでくれていいですよ」

 そう言うと、伊織さんはやっぱり、他人行儀な返事をする。

「あ、はい。ありがとうございます」


 洗面所に行った伊織さんに、

「伊織さん、そこに新しい歯ブラシ出ているから、それ、使っていいですよ。僕が予備で買っていたものです」

と、言いに行った。

「あ、はい」


「伊織さん、顔も洗いますよね。タオルはこれを使ってください」

 僕は伊織さんを連呼した。伊織さんはそのたびに顔を赤らめた。

 まったく。なんていうか、初々しいよなあ。


 くす。僕は笑いながらキッチンに戻った。さて、お粥を作るとするか。それに、僕の朝飯はトーストとハムエッグ。それから、コーヒーを挽いて、淹れるとするか。


 いつもの朝飯に、プラス伊織さんのお粥を作った。時計を見ると9時。4時頃から寝たから、まあ、眠れた方だな。なぜか、すっきりしているし。


 ダイニングのテーブルに、伊織さんと僕の朝食を用意した。伊織さんにはお茶を入れた。ふむ。和洋折衷のテーブルになったが、これもまあ、いいかもな。


 顔を洗い、着替えをした伊織さんが、ダイニングにやってきた。

「伊織さん。梅干しのお粥にしましたよ」

「ありがとうございます」

 そう言って丁寧に伊織さんは頭まで下げた。


 まだまだ、他人行儀だよな。それとも、やたらといつもから礼儀正しいのか?それに、さっきから一回も「佑さん」と呼ばれていない。

 

 二人でダイニングテーブルに着き、朝ご飯を食べだした。お粥を食べた伊織さんは、

「美味しい」

と顔をほころばせ、そして、目をキラキラさせて僕のことを見た。


「主任って、すごいですよね」

 主任?主任って言ったのか?

 ムッ。僕はずっと伊織さんと呼んでいるんだ。なのになんで、いまだに主任って呼ぶんだ?


「僕は、二人でいる時、佑さんと呼ばれないと返事をしないことにしました」

 僕は拗ねてそんなことを言った。言った後で、ああ、大人げないよなあ…と、自分に呆れてしまった。


「あ、あ、あの。た、佑さんって、その、お粥も美味しく作れてすごいですよね」

 あれ?顔を真っ赤にさせ、必死に佑さんって呼んでくれた。


「くす」

 可愛いよなあ。それにしても、佑さんって呼ばれるのはくすぐったいものなんだな。

「伊織さんに佑さんって呼ばれるの、いいですね」

 そう照れながら言うと、伊織さんまで赤くなって照れている。


 俯いて真っ赤になって、もじもじしている伊織さんを見ていると、こっちまで恥ずかしくなってくる。

 あ、でも、会社でもこんな状態じゃ、すぐに付き合っていることがみんなにばれちゃうよな。


「でも、職場では主任で通してください。僕も桜川さんって呼びますし、多分、今迄同様、僕はきっとそっけない態度を取ると思います」

「あ、はい」

「みんなに付き合っているのがばれると、やっぱり、やっかいだと思いますんで」


「……付き合っている…?」

「はい」

「わ、私と主任が?」

「佑…」


「あ、た、佑さんと私が?」

「…そうか。昨日、そのあたりの話をした時に、すでに朦朧としていたんですね」

「……え?」

「っていうか、伊織さん、僕らが付き合っていないとでも思っていたんですか」

 

「だって、いったいいつ、そういうことに?」

「は?」

 いつ…だって?

「私、主任…いえ、佑さんにふられましたよね?」

「はい」


「ですよね?じゃあ、なんで、付き合うことになっているのか、さっぱり」

「は?」

「え?」

「ふったあとで、僕は正直に気持ちを打ち明けましたよね?」


 なんだって、首を思い切り傾げているんだ。ちょっと待て。僕は、ちゃんと伝えたよな?

 だが、じっと伊織さんの顔を見ていると、目を丸くして伊織さんも僕の顔を不思議そうに見ている。

 これは、もしや、伝わってない?



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