第25話 お泊り ~伊織編~
鍋焼きうどん、美味しかった。食べ終わった後、お茶を飲み、主任と会話をしていたら、なんだか、へんてこりんな雰囲気になってしまった。
なんで、主任は眉をしかめて私を見ているんだろう。
なんか、変なことを私は言ったんだろうか。えっと、えっと。なんだろう。
「あれ?」
主任は、不思議そうに首を傾げた。
「いや、でもな」
そう言うと、また私の方を見た。
「桜川さん、時々、なんかずれているって言うか、ちょっと疑問に思うことがあったはあったんですが」
主任が、話しにくそうな雰囲気を思い切り醸し出しながら、そう前置きをした。
なんだろう。疑問って…。
ドキドキ。なんだろう。ずれているって。私、なんか変なことをやっぱり言ったのかな。
「でも、まさか、そんなわけはないと思って、聞きませんでしたが」
「はい」
何?何?
「聞くと言うか、確認と言うか」
確認?
なんだろう。主任は、一瞬下を向いて黙り込んだ。でも、顔を上げると、また言い出しにくいという雰囲気を醸し出しながら、
「僕ら、付き合っていますよね?」
と、真面目な顔をしてそう言った。
え?
今、なんて?
付き合ってる?!って言った?
「はあっ?!」
何それ。何言ってるの、主任。冗談?でも、真顔だ。じゃあ、何?
「はあ?って…。なんでそんなに驚くんですか。あれ?付き合っていますよね?」
ええええっ?!!!
私は驚きのあまり、椅子からひっくり返りそうになった。でも、なんとか体勢を持ち直し、回線がブチ切れそうだった思考回路を繋ぎ留め、考えをめぐらした。
付き合ってるっていうのは、えっと。彼氏と彼女ってこと?何それ。いつそんなことになったっけ?
いや、なっていない。交際を申し込まれてもいないし、好きだとも言われていないし、いや、それどころか、私、ふられてるよね。
これは夢。幻聴。それとも、何?!
「桜川さん?大丈夫ですか?」
「え?」
「なんか、顔がすごく赤いですけど」
「はい。暑いです」
「ちょっと、いいですか?」
主任はガタンと椅子から立ち上がり、私のおでこに手を伸ばした。
ドキン。な、なんでおでこ触ったの?
「熱?熱、ありますよね?」
え?熱?
「そうか。だから、ずっと顔が赤かったんですね。ちょっと待っていてください。今、体温計持ってきます」
そう言うと主任は、慌てながらどこかに消えた。
熱。そうか。熱だ。だから、幻聴が聞こえたに違いない。
「はい、持ってきました。熱、測ってください」
「はい」
「あ、ソファの方が楽ですよね」
主任は、私の背中に優しく手を当て、ゆっくりと私を椅子から立ち上がらせると、ソファに連れて行ってくれた。
私は主任の手のぬくもりを感じ、ドキドキしながらソファに座った。
「片付けてきますから、桜川さんは熱を測っていてくださいね」
「はい」
大人しく、体温計を脇に挟んだ。ピピ…。1分して音が鳴り、体温計を取り出すと、38度3分だった。
「ああ、やっぱり」
私から体温計を受け取った主任がそう呟いた。
「すみません。ごめんなさい」
また、迷惑をかけた。なんだって私、いつもこうなんだろう。
「こっちこそ、すみませんでした。熱があるのにも気がつけず。大丈夫ですか?だるかったり、頭が痛かったりしませんか?」
「平気です」
「薬、合わないんですよね?冷えピタあったかな」
そう言って、また主任はどこかに消えた。廊下にあるクローゼットか、それとも他の部屋に行っているのか。
「ありましたよ、冷えピタ。これを貼って、僕のパジャマ貸しますから、寝室で着替えてベッドで横になってください」
「はい」
ん?今、ベッドで横になってって言った?
「いえいえ!私、帰ります。これ以上迷惑かけるわけには」
「そこです」
「は?」
何?そこって。
「変に僕に気を使うなって、ずっと思っていたんです。僕ら、付き合っていますよね?だったら、そんなに僕に気を使う必要ないですよ」
「は?」
「ほら、寝室に行きますよ」
そう言うと、主任は私をひょいっとお姫様抱っこしてしまった。
「うそ。私、重いです!」
「軽いですよ」
え~~~~!嘘。嘘。何この状況。
リビングを出て廊下に行くと、玄関に近いドアを開け、主任は私を抱っこしたまま部屋に入った。寝室だ。ベッドが真ん中にデン!とある。その脇にサイドテーブル。それだけの部屋だ。
ゆっくりと私をベッドに寝かせると、主任はその部屋のクローゼットを開け、中からパジャマを取り出した。
「はい。僕は、洗い物をしてきますから、桜川さんはこれに着替えて、休んでください」
「え?」
「水、持ってきます。あとは…、何かいりますか?ポカリの方がよかったら、買ってきますよ」
「だ、大丈夫です」
「寒かったら言ってください。もっとあったかい布団も出します」
「だ、大丈夫です」
「大丈夫じゃないですよ。もっと甘えていいって言っているのに…。もう1度言っておきますが、僕は桜川さんの上司じゃないですよ」
「え?」
「今は、桜川さんの彼氏…つまり、恋人なんですから、もっと頼ったり甘えたりしていいですよ。わかりましたか?」
「……」
「わかった?返事は?」
「え?あ、はい」
「じゃあ、片づけが終わったら様子見に来ます」
バタンとドアを閉め、主任は行ってしまった。
えっと。えっと。えっと。きっとこれは夢だ。熱で見ている夢なんだ。じゃなかったら、ずうっと幻覚が見えているに違いない。
だって、主任、彼氏とか、恋人とか、とんでもないことを言ってたよ?
私と主任が付き合っているだなんて、そんなことあるわけないのに。
だよね?
あるわけないよね!?
ああ、なんだか、頭痛がしてきた。着替えて寝よう。
主任が出してくれたパジャマに着替えた。ドキドキする。主任のパジャマだよ?紺と白のストライプのパジャマ。着てみたら、ほんのりといい匂いがした。柔軟剤かな。
脱いだ服をちゃんと畳み、どこに置くか悩んだ。置けるところはどこにもないので、枕の横に置き、布団にもぐりこんだ。
ふわ…。布団、気持ちいい。ふわふわだ。枕も大きくてふわふわだ。
ドキドキドキドキ。このベッドにいつも主任は寝ているんだよね?そのベッドに私、寝ちゃってるの?
あ、これも夢かも。そうだ。きっと、ずっと夢を見ているんだ。
なんて、そんなことをふわふわ思っていると、主任がドアをノックして入ってきた。
「桜川さん、具合どうですか?」
「大丈夫です」
「…冷えピタ、貼ってあげますね」
主任は箱から冷えピタを出し、ペタッとおでこに貼ってくれた。
「すみません。なんか、重ね重ね主任に迷惑かけて」
「……なんでかな」
主任は私の顔を覗き込むと、眉間に皺を寄せ、
「何で桜川さんは、そんなに他人行儀なんだろう」
と呟いた。
「え?」
「さっきも言いましたけど、僕は今、上司じゃないですよ。ああ、僕のことを主任って呼んでいるから、まだ会社にいるみたいになるのかもしれない。名前でいいですよ」
「名前?う、魚住さん?」
「下の名前でいいですよ」
「ひょえ?!た、佑さん?」
「はい」
え~~。そ、そんなの、呼びにくいよ。
「じゃ、僕も二人の時には伊織さんって呼びますから」
「伊織さん?!」
わあ!恥ずかしい。
「少し休んでください。僕は、仕事部屋で仕事をします。何かあったら呼んでください。あ、声が聞こえるように、ドアは開けておきます」
「はい」
「おやすみなさい、伊織さん」
うわ。伊織さんって言った!
「……はい」
ドキドキドキドキ。
主任はドアを開けたままにして、廊下に行った。そして、真向かいにある部屋のドアを開け、そのドアも開けたまま、中に入って行った。
あの部屋が仕事部屋なのか。
私は、まだドキドキしていた。でも、だんだんと瞼が重くなり、眠ってしまった。
「伊織さん」
「佑さん」
「僕ら、付き合っているんですよ。だから、結婚しましょう」
「はい。佑さん」
「一緒に住みましょう」
「はい、佑さん」
「じゃあ、一緒のベッドに寝ましょう」
「え?そ、そんな!」
私の寝ているベッドに主任が入ってきた。
きゃ~~~。隣で寝るなんて、そんなの恥ずかしい。でも、嬉しい。でも、でもでも。心の準備がまだ。
もじもじしているうちに、布団がずり下がった。
「暑いですか?」
という主任の声が聞こえて、私は目を開けた。
あれ?
「主任…」
「暑いようでしたら、薄い布団にしましょうか?」
え?ここ、どこ?
あ、さっきのは夢?結婚しましょうだの、一緒に寝ましょうだの言っていた主任は。それも、私のこと伊織さんって呼んだりして…。
あれ?どこまでが夢?ここって、主任のマンション?
そうだった。私、熱出しちゃって。それで、主任のベッドに寝かせてもらって。それで、主任が、付き合っているだの、恋人だのと言って、私のことを伊織さんって呼ぶとか言い出して。
それも、全部、夢?
「熱、もう上がりきったんですね。とりあえず、冷えピタは替えましょう。あと、汗もかいているので、着替えたほうがいいかな」
「……」
そうか。熱出して、主任のベッドに寝ているのは現実のようだ。
「すみません」
主任はまた、クローゼットを開けパジャマを取り出した。今度のは、紺一色のパジャマだ。
「じゃあ、これに着替えて。僕はリビングのソファで寝ます。何かあったらすぐに来ますから、呼んでください」
「え?ソファで?そんな、申し訳ないっ」
「じゃ、一緒に寝ますか?」
「ひょえ?!」
何それ?!これも夢?
「冗談ですよ。ゆっくり休んでください」
主任はにっこりと微笑み、部屋を出て行った。
頭が重い。体がだるい。なんとかベッドに座り込み、着替えをした。枕の横に置いたはずの私の着替えはそこにはなかった。
あれ?
とりあえず、脱いだパジャマを畳んで、また枕の横に置いた。
「は~~~」
しんどい。サイドボードに水があり、それを飲んだ。
そして、また寝転がり、天井を見つめた。
ここは、主任の部屋…。
サイドボードには目覚まし時計と、水のペットボトルだけ。部屋には、ベッドとサイドボードだけ。ここは、本当に寝るだけの部屋なんだな。
窓にはブラインド。かなり殺風景な部屋だ。
また、私は目がとろりんとしてきて、夢の中に入って行った。次に見た夢には、美晴が出てきた。美晴は二階堂さんと結婚していて、
「次はお姉ちゃんだよ」
と、夢の中で言っていた。
「私は無理だよ。だって、主任は結婚なんかしないって言っているし」
「だから、お姉ちゃんから押し倒しなよ」
「無理、無理」
「なんで?だってもう、主任のベッドで寝ているじゃない」
そこで目が覚めた。すると、目の前に主任の顔があった。
「主任?」
なんで、ここに。
「うなされてましたよ」
「え?」
にこりと主任が微笑んで、なぜか私の手を握っていた。
「僕がここにいますから、大丈夫ですよ。ゆっくりと寝てください」
主任。優しい。優しすぎる。
この前も主任は、朝まで私の看病をしてくれてた。時々目を開けると、主任の顔が見えた。あれも夢なんかじゃなくて、主任が私のことを見ていてくれていたんだ。
なんでこんなに主任は優しいの?他の人にもそうなの?部下だから?大事な部下だから?
あれ?そうじゃない。主任、私のこと恋人って言ってた。
ううん。あれは夢。
そのあとは目を覚ますこともなく、朝までぐっすりと眠った。主任に手を握ってもらって、私は安心していたのかもしれない。
主任、大好き…。夢の中で私は、夢の中に現れた主任に何度もそう言っていた。




