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第24話 え? ~佑編~

 スーパーを出て、僕が買ったものを持ち、マンションまでの道を歩いた。桜川さんとの距離は微妙。いや、微妙どころか、少し僕より後ろを桜川さんは歩いている。


「最近、映画館に行きましたか?」

「いいえ」

「僕もです。あんまり見たい映画もなかったので」

「ですよね」


「桜川さんって、実家どこでしたっけ?」

「小田原です」

「時々帰ったりするんですか?」

「夏とお正月くらい…。あ、でも、今年の夏は帰りませんでした」


「家族は?妹さんのほかに兄弟はいるんですか?」

「いいえ」

「じゃあ、今、実家はお母さんとお父さんだけ?」

「はい。あと、猫が1匹」


「……寂しがってないですか?娘二人とも家から出ちゃったら」

「う~~~ん。そうでもないです。ただ、孫の顔が見たいと言われますけど」

「孫…?」

「結婚もまだなのに、気が早いですよね」


 孫か…。

「妹さん、結婚は…」

「あ、破談になっちゃって、いつするかも。だから、私の方に矛先が向いたみたいで」

「矛先って?」


「妹が結婚するから、親は妹に孫を期待していたようなんです。でも、妹の結婚がなくなったから、私に早く結婚してほしいのか、写真を送ってきたりするようになって」

「写真…、見合い相手のですか?」

「はい」


 うそだろ。

「まさか、見合い、しないですよね?」

 ちょうど信号が赤になり、僕と桜川さんは横に並んだ。彼女の顔をしっかりと見ながらそう聞くと、

「はい。しません」

と、桜川さんは、はっきりとそう言った。


 ほっとした。僕が結婚は考えられないなんて煮え切らないことを言っているうちに、他の男と結婚を決めてしまう可能性だってあるんだよな。


 マンションに着いた。

「いいですね、主任のマンション。新しいし、大きいし、駅から近いし」

「じゃあ、ここに住みますか?」

「え?無理ですよ。家賃高いですよね」


 僕と一緒に住めばいいんです。

 口から今にも飛び出しそうになった言葉を引っ込めた。まだ、同棲をする覚悟はできていない。いずれ一緒に住みたいとは思っている。だけど、今直ぐじゃない。


 エントランスに入り、エレベーターホールに行った。

「夕飯、1時間くらいで出来ると思います」

「あ、はい」

 そんな話をしていると、エレベーターが来て乗り込んだ。


 しん…。桜川さんは黙り込み、エレベーターの中は静まり返ってしまった。

「桜川さん」

「はい?」

「DVDでも借りてきたら良かったですね」

「あ、そうですね…」


 そのあとも、桜川さんは黙っていた。大人しいのは緊張しているからか?もう、僕のマンションに来るのも、3回目、いや、4回目か。慣れてくれてもいい頃だと思うんだが。


 エレベーターが8階に止まり、桜川さんを連れて僕の部屋まで歩いていると、最悪なことに隣の奥さんと出くわしてしまった。

「あら…」

 桜川さんを見て、にやりと笑ったよな…。


 僕はあれこれ話をされるのが嫌で、桜川さんの背中に腕を回し、さっさと玄関に入った。すると、桜川さんの表情は、さっきよりもさらに緊張してしまったようだ。

「すみません。どうも隣の奥さん苦手なんです。話し出すと長いし、あれこれ世話を焼きたがるし」

 僕はさっと桜川さんの背中から手を離し、靴を脱いだ。


「そうなんですか?」

 桜川さんは、僕が彼女から離れると、ほっとした顔を見せた。 

「あの奥さんに見られたから、あっという間に噂が広まるかもな」

 そう言いながら廊下を歩くと、

「え?」

と後ろからびっくりしたように桜川さんが聞いてきた。


「魚住さんが、彼女をマンションに連れて来たとか、そういう噂です」

 きっと明日には、井戸端会議で僕の話に花が咲くんだろう。

 どんな噂が流れるんだ?女をマンションに連れ込んでいるのよ…とか?いや、普通に恋人がいるとか、そういう噂か?

 まあ、どうでもいいか。だいたい、いつか桜川さんも僕の部屋に住むことになるんだし。遅かれ、早かれ。


「そ、そんな噂が広まっていいんですか?」

 おや?変なことを言ってしまったかな。桜川さんを心配させてしまったようだ。

「僕が独身だと知って、食事やら何やらあれこれ世話を焼きたがっていたし、あの分だと見合い話も持ってきかねなかったので、かえって良かったですよ」


「ほんとに?」

「はい」

 にこりと微笑むと、ようやく安心したように桜川さんはほっと息を吐いた。


 リビングに行き、

「桜川さんはソファで寛いでいてください。テレビでもつけて見ていていいですよ」

と僕が言うと、「はい」と桜川さんは頷いた。

 今日はやけに素直だな。そう思いながら僕は、キッチンに行く前にバスルームに行き風呂の用意をした。


「……」

 バスタブを洗いながら、ふと考えてしまった。今夜、桜川さんがこの風呂に入って泊まっていく…なんてことはあり得るんだろうか…。

 念のため、いつもより綺麗に洗っておくか。


 って。何を考えているんだ、何を。


 桜川さんを押し倒す勇気もないくせに。だいたい、そんなことをしたら嫌われそうだ。まだまだ、彼女は僕を警戒している。それはさっき玄関に入る時に、何気に僕が彼女の背中に手を回した時にもわかった。背中に力が入り、桜川さんの表情は硬くなった。


 キッチンに行き、夕飯の準備を始めた。桜川さんは大人しく、ソファでテレビを観ている。

 そして、夕飯の準備が整い、桜川さんを呼びに行くと、ソファですやすや桜川さんは眠っていた。


「…また寝てる…」

 本当に僕に警戒しているのか?警戒していたとしたら、こんなにぐっすり寝れるんだろうか。それとも、逆に僕を信頼しきっているのか?手なんか出してくるわけがないと…。


 いや、待てよ。そもそも、東佐野ですら平気で家にあげていたくらいだ。男性に対しての危機感そのものがないのかもしれないよな。


「桜川さん…」

 呼んでみたが、まだすやすや寝ている。まったく、無防備な可愛い寝顔だよな。思わず、キスしたくなる。でも、そんなことをしたら、こんな関係も壊れるのかな…。


「桜川さん」

「ん?」

「夕飯できましたよ」

 ようやく目を開けて、桜川さんはぼんやりと僕の顔を見た。


「あ、す、すみません」

 おや?なんか、顔が赤いな…。

「大丈夫ですか?なんだか、顔が赤いですけど」

「あ、はい」


 ダイニングに移動して、「いただきます」と夕飯を二人で食べだした。桜川さんは嬉しそうに、

「美味しい」

と鍋焼きうどんを食べている。

「美味しいでしょ?冬は時々作るんです。名古屋でも部下が泊まっていって、次の日、作ってやったりしていました。冬の寒い日は喜ばれましたよ」


「…名古屋の部下って、今度うちの課に来る人ですか?」

「ああ、そうです。あれ?誰かに聞きましたか?」

「真広から」

 ああ、そういう話も溝口さんとするわけか。


「そうか。なかなか優秀な女性ですよ。塩谷っていうんですが」

「主任が認めるんですから、相当優秀なんでしょうね」

「はい。彼女のことはそんじょそこいらの男性社員よりも、期待しているんです」

「じゃあ、その、塩谷さんが東京に来たら、やっぱり主任の鍋焼きうどん、食べに来るんですね」


 うちに塩谷が鍋焼きうどんを食べに?まさか。

「いいえ」

 僕はあっさりとそう答え、お茶を飲んだ。

「そうですか」


 桜川さんはなぜか、沈んだ声で俯いたが、すぐにびっくりした顔で僕を見た。

「え?いいえって?」

「来ませんよ。このマンションには、部下も連れてこないつもりですし」

「え?なんでですか?」


「こっちでは、仕事の時間とプライベートの時間をしっかりと分けようかと思っています。名古屋では、最初に部下を家に呼んじゃったものだから、そのままずるずると、ちょくちょくみんな泊りに来るようになっちゃいましたが」

「……」

 なんで、桜川さん、目を丸くしているんだろうな。そんなに驚くことだったのか?


「名古屋は和室もあったので、布団何枚か敷いて、雑魚寝してもらったりしていました。でも、ここには和室もないですからね」

「そうですね。でも、泊まらなくても、主任の手料理を食べたいって、やってくるかもしれないですよね。だって、本当に美味しいし」

「ああ、それも呼びません」


「え?」

「プライベートと仕事、きっちり分けますから。部下を家に呼ぶのも、今後一切ないと思いますよ」

 僕がそう言うと、桜川さんは首を傾げ、しばらく何やら考え込んでいる。

 どうしたんだ?僕は何か変なことでも言ったか?それとも、そんなにプライベートと仕事を分けるってことが意外だったのか?


 でも、このマンションは僕にとって城みたいなもんだ。一人の時間を満喫する空間にしたかった。だから、和室の部屋のあるマンションではなく、洋間だけのマンションにした。

 だが、今となっては、一人の城ではなく、桜川さんと二人の城になった。そんな二人の空間を、他のやつに邪魔されたくはない…。


 なんてことまで説明するのは、さすがに恥ずかしいから言わないが…。

 そんなことを思っていると、まだ桜川さんは首を傾げ、何かを考えているようだった。そしてようやく、僕の方に顔を向けた。


「あの、つかぬことを聞きますが、私が主任の家に来る時間は、その…。主任にとって仕事の時間ですか?プライベートの時間ですか?」

「え?」

「あ、だから、あの。今のこの時間ってプライベートですよね?」


「はい、もちろん」

 そりゃそうだ。仕事の時間なわけがない。桜川さんと二人きりの時間だ。

「それを、私が邪魔しているってことになりませんか?」

「は?」

 邪魔?二人の時間なのに、なんでそんなことを言い出したんだ?


「今夜は、特にフラワーアレンジをするわけでもないですし。なのに、こんなふうにお邪魔してしまって、迷惑だったんじゃ…」

 はあ?…いったい何を言い出したんだ。


「すみません。言っている意味がよくわかりません。どういうことですか?」

「あ、あの。だから、その。さっき、部下は家に呼ばないと言っていたのに、私、来ちゃっているから、申し訳ないことをしているのかと思って」


「え?」

 部下を呼ばないとは確かに言ったが…。でも、桜川さんは部下じゃない。付き合っているんだから。

「桜川さんは、確かに部下ですが、でも、会社を一歩出たら、違いますよね?」

「え?そうなんですか?」

 

「え?」

 え?そうなんですか?って今言ったよな。なんでだ?なんで、そんなことを言い出したんだ?

「え?」

 桜川さんをじっと見ていると、桜川さんも不思議そうな顔をして僕を見た。


 待てよ。まさか、桜川さんは僕と付き合っている気がないとか…。

 そう考えると、腑に落ちてくることはいくつかある。たとえば、やけに他人行儀でいるところとか、全然甘えてもくれないところとか。


 でもな、僕は確かに告白した。自分の想いを赤裸々に告げたはずだ。

「桜川さん、時々、なんかずれているって言うか、ちょっと疑問に思うことがあったはあったんですが」

 桜川さんは、キョトンとした顔で僕を見た。

「まさか、そんなわけはないと思って、聞きませんでしたが」

「はい」


 まさか、まさかだよな。付き合っているから今日も僕の部屋に来たんだよな。それに、僕は確かに桜川さんに告白した。それはわかってくれていたよな。

「聞くと言うか、確認と言うか」

 桜川さんの顔を見ると、眉を潜め、何を聞いてくるんだろうと少し戸惑っているようにも見える。


「僕ら、付き合っていますよね?」

 僕は単刀直入にそう聞いてみた。すると、桜川さんは一瞬キョトンとした顔で僕を見た。でも、そのあとみるみるうちに目が見開き、

「はあっ?!」

と大きな声を上げた。


「はあ?って…。なんでそんなに驚くんですか。あれ?付き合っていますよね?」

 ガタガタ…。桜川さんは慌てたのか、椅子からずり落ちそうになって、慌てて体勢を戻したようだ。

 なんだって、そんなに驚くんだ?


「……」

 桜川さん、真っ赤だ。真っ赤な顔で僕を見ている。顔だけじゃない。耳も、首も…。なんだか目はとろんとしているし、様子がおかしい?


「桜川さん?大丈夫ですか?」

「え?」

「なんか、顔がすごく赤いですけど」

「はい。暑いです」


 まさか、熱?

「ちょっと、いいですか?」

 僕は手を伸ばし、桜川さんのおでこを触った。


「熱?熱、ありますよね?」

 触っただけでもわかるくらい熱い。かなりの高熱かもしれない。

「そうか。だから、ずっと顔が赤かったんですね。ちょっと待っていてください。今、体温計持ってきます」

 

 僕は急いで、寝室のサイドボードの引出しに入っている体温計を取りに行った。

 そして、桜川さんをソファに座らせ、体温を測ってもらった。熱は、38度3分。

 

 ああ、そうか。顔が熱かったのも、目がトロンとしていたのも、全部熱のせいか。なんだって僕は、気づけなかったんだ。

 ソファで寝てしまったのも、熱で体がだるかったからかもしれないよな。


「すみません。ごめんなさい」

 桜川さんは、真っ赤な顔でいきなり謝ってきた。

「こっちこそ、すみませんでした。熱があるのにも気がつけず。大丈夫ですか?だるかったり、頭が痛かったりしませんか?」


「平気です」

「薬、合わないんですよね?冷えピタあったかな」

 寝室のクローゼットに入っている救急箱を見に行った。冷えピタが入っていたので、急いでリビングに戻り、

「ありましたよ、冷えピタ。これを貼って、僕のパジャマ貸しますから、寝室で着替えてベッドで横になってください」

と桜川さんに冷えピタの箱を渡した。


「はい」

 桜川さんは、大人しく冷えピタの箱を手にしようとした。だが、 

「いえいえ!私、帰ります。これ以上迷惑かけるわけには」

と、また僕に箱を突き返してきた。

「そこです」

「は?」


「変に僕に気を使うなって、ずっと思っていたんです。僕ら、付き合っていますよね?だったら、そんなに僕に気を使う必要ないですよ」

「は?」

 は?じゃない。まったく。なんだって、こんな高熱出している時ですら遠慮するんだよ。


「ほら、寝室に行きますよ」

 僕は有無も言わさず、桜川さんをひょいっと抱きかかえた。

「うそ。私、重いです!」

「軽いですよ」


 こう見えても僕は、ジムに行って鍛えているんだ。東京に来てからは、行く回数も減ってはいたが。

 

 寝室に行き、ベッドに桜川さんをそっと寝かせた。観念したのか、桜川さんは大人しくなっていた。

 僕のパジャマを渡し、

「はい。僕は、洗い物をしてきますから、桜川さんはこれに着替えて、休んでください」

と桜川さんに言った。


「え?」

「水、持ってきます。あとは…、何かいりますか?ポカリの方がよかったら、買ってきますよ」

「だ、大丈夫です」

「寒かったら言ってください。もっとあったかい布団も出します」

「だ、大丈夫です」


「大丈夫じゃないですよ。もっと甘えていいって言っているのに…。もう1度言っておきますが、僕は桜川さんの上司じゃないですよ」

「え?」

「今は、桜川さんの彼氏…つまり、恋人なんですから、もっと頼ったり甘えたりしていいですよ。わかりましたか?」

「……」


 なんだってまた、首を傾げているんだ。

「わかった?返事は?」

「え?あ、はい」

「じゃあ、片づけが終わったら様子見に来ます」

 そう言うと僕は寝室を出た。


 それから、キッチンで洗い物をした。それにしても、熱が38度もあるっていうのに、何で僕は気づけなかったんだろう。顔が赤いのも照れているのかとばかり思っていた。相当なアホだな。


 それも、風呂場を洗いながら、変な期待までしていたなんて。情けない。こんなだから、頼ってくれないのか。いつまでたっても、他人行儀でいるのは、僕が頼りないからか?


 それとも、なんでだ?



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