第23話 2人で残業 ~伊織編~
真広がコピー室に来て、コピーをしながら私の話を聞いてくれた。
「わざわざ、主任に会いに来ちゃったのか。積極的だね」
「そんなふうに見えなかった。大人しそうな人だったよ」
「でもさ、会いに来たんでしょ?それも、デート誘ったりしていたんでしょ?」
「うん」
「どうするの?伊織」
「え?ど、どうするって?」
「だからね、部長の娘にとられる前に、なんとかしないと。やっぱり、伊織から仕掛けて行けば?」
「できないよ」
「でも、このままでいいの?」
「…私、主任の信頼に応えたいし、仕事も頑張りたいし…。なのに、ミスばかりして、呆れられることばっかりしてる。仕掛けるとか、そういう以前に、もう嫌われているかもしれない」
う…。自分で言って、また涙が出てきた。
「伊織~。仕事がどうのって言ってる場合じゃないよ?このままじゃ、部長の娘さんと付き合っちゃうよ。結婚までしたらどうすんの?」
結婚?!主任と部長の娘さんが?
トントン!
「溝口さん、コピーに何十分かかっているんですか?」
え?この声主任?
「わ、主任が来ちゃった。やばい」
小声でそう言うと、真広はコピーした紙を手に持ち、
「すみません。もうできました」
とドアを開けた。
「あの、主任。伊織…、桜川さんにもコピー手伝ってもらってて」
そう真広が言ってくれたので、私も真広の後ろから続いてコピー室から出た。
「すみません、主任」
おずおずとそう主任の顔も見ないで謝ると、
「桜川さんには、今日の件で話もあるので、ちょっと残ってもらえますか?」
と私だけ残された。
真広はこっちを気にしながらデスクに戻って行き、私は主任とコピー室に入った。
バタン。主任はきっちりとドアも閉め、私の方を向いた。
「桜川さん」
「はい」
怒っているんだよね。なんだか、声が怖い。
「今日のことですが」
「申し訳ありませんでした」
「ああ、いいです。請求書の件は、今後気を付けてもらえれば、それで」
「え?はい」
あれ?怒ってないの?
「菜穂さん…、部長の娘さんのことです」
「…え?」
部長の娘さんのこと?
ドクン。なんだろう。まさか、付き合うことになりました…っていう報告だったり?
「すみません。僕がきつく言って泣かせてしまいましたか?」
主任は私の顔を見て、眉をひそめ、そう聞いてきた。あ、やっぱり、泣いたのばれているよね。
「これは違います。じ、自分が情けなくて泣きました」
「泣くことはないですよ」
ドクン。こんなことで泣いて呆れてる?
「ごめんなさい。泣いたりして」
「いえ、責めているわけじゃなくて…」
はあ…と主任がため息をした。やっぱり、呆れているんだよね?
ああ、もっと気持ちがのめり込んでいく。どうしよう。
「仕事のことは、気にしないでください。あ、もちろん、なるべくこれからはミスしないようにしてほしいですが。ただ、ミスをしても大丈夫ですよ。僕がちゃんとフォローします。桜川さんの上司なんですから」
「え?」
「僕のことは信頼してください。どんどん頼ってもらってかまいませんから」
あれ?なんだか、急に主任が優しい声になった?
主任の顔を見ると、目もすごく優しかった。
うわ…。ダメだ。優しくされても今は泣きそうだ。
「仕事のこととは関係ない話なんですが。もし、桜川さんが変に誤解しているといけないと思って、念のため言っておきます」
「え?」
仕事以外のことって?
「部長の娘さんと僕は、別に付き合うこともしないですし、二人で会って食事をすることもないですので、安心してください」
「え?!」
「それを心配していませんでしたか?」
わあ、ばれてる。それもしっかりとばれていたんだ!
「あ、あの。それは、その…、はい」
どうしよう。ここはなんて言ったらいいんだろう。
「心配無用ですから。…仕事のことも、菜穂さんのことも気にしないでいいです。ですから、桜川さんは泣くこともないですし、落ち込まなくてもいいですよ」
え?
それって、もしかして、私が泣いたり凹んだりしているから、元気づけてくれているの?上司として?
「すみません。あの、私のことを元気づけてくれているんですよね?」
「え?はい、まあ」
「主任、ありがとうございます」
私はぺこりと頭を下げた。そこまで、主任は部下のことを気にかけてくれるんだ。
私のことも呆れたりせず、ちゃんとこうやってフォローしてくれる…。それだけでも、嬉しいことだよ。
「じゃあ、席に戻って仕事を再開してください」
「はい」
元気を出そう。ちゃんと主任にこたえなくちゃ。それから、信頼しよう。部下としてだけど、私のことをきちんと大事に思ってくれているんだから。
主任、やっぱり優しいし、器が大きい。
仕事のことだけでなく、私が主任を好きだって気持ちも、きっと大事に思ってくれているんだよね…。
5時半、体がだるくなっていた。でも、昨日休んでいた分仕事がたまっていて、今日は残業しないとならないようだ。
「伊織、仕事終わる?」
「ううん。もう少しかかりそう。先に帰っていいよ」
そう言うと真広は席を立ち、わざわざ私の横まで来ると、
「主任、あのあと怒ったの?」
と、私に小声で聞いてきた。
「ううん。元気づけてくれた」
「あ、そうなんだ。よかった。伊織、戻ってきてから仕事に集中していたし、大丈夫そうだなって思っていたんだ」
「うん。心配かけてごめんね、もう大丈夫」
「ふうん。良かったね」
ちょっと意味深な笑みを浮かべ、真広はロッカー室に行ってしまった。そして、そのあと残業していると、
「あれ?残業?」
と、南部課長が聞いてきた。
「はい。昨日休んじゃったから、データ入力、たまっていて…」
「あ、そうか~~。病み上がりなのに大変だね。誰かに手伝ってもらえないのかな?」
「あ、大丈夫です。そんなにかからないと思います」
「そう。じゃあ、悪いけど、接待があるから先に失礼するよ。魚住君はまだいるのかな?」
課長が主任に聞いた。主任は、
「はい。まだ仕事があるので」
と、一言クールな表情で返した。
「そう。あ、魚住君…」
課長はなぜか、主任のそばまで行き、ぼそぼそと小声で何かを話している。
「桜川さんだけど…」
ん?今、私の名前聞こえたような。
私はうんと耳を澄まし、二人の会話に集中した。
「大丈夫?ちゃんとフォローしておいた?優しい言葉かけてくれよな?このあと彼女、残業みたいだけど頼んだよ」
「はい、大丈夫です」
「それじゃ、お先にね」
その言葉だけは大きく言うと、課長はオフィスを出て行った。
聞こえた。
耳、澄まさなければよかった。っていうか、そういう話は私のいないところでしてほしい。
………。画面を見ているのに、まったく目に入ってこない。ああ。なんだって、課長の言葉を頭の中で繰り返しちゃうんだろう。
ちゃんとフォローしておいた?優しい言葉かけてくれよな?
それって、どういう意味かな。
主任は、課長から言われたから、私を元気づけに来たのかな。
そういうことか。
ダメだ~~~~~~~~~~。やっとこ元気になったのに、また、一気に落ち込んでしまった。
どうしよう。まったく仕事が手につかない。
「どうしたんですか?」
ドキーーーッ!!
いつの間にか、主任が私の後ろに立っていた。
「具合でも悪いんですか?」
「え?はい?」
「なんか今、ぼ~~っとしていたようですが」
「いえ、大丈夫です」
「顔色もなんとなくですが、赤いような。熱、また出ましたか?」
「いいえ。大丈夫です。すみません。すぐに仕事終えます。でないと、主任も帰れないですよね」
「何か手伝いましょうか?」
「大丈夫です。もう少し入力したら終わります」
「そうですか。じゃあ、何かあったかいものでも買ってきましょうか。お茶か…、紅茶か」
「いえ。大丈夫です。主任も仕事してください。私だったら、本当に大丈夫…」
「桜川さん」
え?なんか顔近づいてない?
ドックン。顔、私の顔のすぐ横にあるんだけど?!
「遠慮はしないでいいですからね」
耳元で囁かれた。うわ!
「え、遠慮はしていません。だだ、大丈夫です」
ドキドキドキ。わあ。心臓が…。さっきまで、落ち込んでブルーになっていたのに。体も顔も熱いよ。
「じゃあ、何かあったら言ってください」
主任はやっと自分のデスクに戻って行った。
ああ、びっくりした。そうだ。今の、周りのみんながどう思うかな。
と、慌ててきょろきょろと周りを見ると、課の人は私と主任を残していなくなっていたし、隣の課も誰もいなかった。ちょっと遠くに人がちらりほらりいるだけで。
そうか。私がぼ~~っとしている間に、みんな帰って行ったのか。さすが、金曜日。でも、いつもならもうちょっと、人がいるような気がするんだけど。
「あの…、今日は皆さん、帰るの早いですね」
「3課と4課は合同で飲み会があるようですよ」
「え?そうなんですか」
「うちの課も、接待や直帰で、男性陣はいないし、北畠さんも定時に帰りましたし」
「そうですね。さっさと帰りましたね…」
「習い事をしているそうですよ」
「そうなんですか」
「はい。料理を習っているから、今度手料理を食べてくださいと言われ、丁重にお断りしましたが…」
そ、そうなんだ。北畠さん、何気に主任に迫っているよね。
「あの、主任」
「はい?」
「いろいろと気を使っていただき、ありがとうございます」
「え?何がですか?」
課長に言われて、残業している私のことも、気にかけてくれたんだよね。だから、飲み物買ってきましょうか、なんて言ってくれたんだよね?
「何がですか?桜川さん」
「あの、だから、その。さっきも、私の具合が悪いんじゃないかって気にかけてくれて」
「そりゃ、心配ですから」
「すみません。いつも心配させて」
「そうですね。もっと、丈夫になってもらわないと困りますね」
グサ。
クールないつもの主任に戻ったかも。
「そ、そうですよね」
「だいたい、桜川さんは栄養が偏っているんじゃないですか?いつも、コンビニのお弁当とかで済ませていませんか?」
ドキーーッ!
「なんでそれを?」
「なんとなく、キッチンを見たらわかります。普段、料理していないですよね?苦手って言っていたし」
「は、はい」
わあ。もう、穴があったら入りたい。恥ずかしい。
「食事から気を付けたほうがいいですよ。ちゃんと栄養あるものを、バランスよく食べないと」
「はい」
「桜川さんが作る野菜は、栄養たっぷりだと思うので、それをちゃんと料理して食べたらどうですか?」
「はい。そうなんですよね。いつも、グリーンサラダだったら作るんですが」
「サラダは料理とは言いません」
グッサリ。なんか、いきなり主任、きつくなっているかも。
「今度、桜川さんが作った野菜で調理しますよ。また、野菜を持って来てください」
「はい…。え?」
「好き嫌いはないですよね?」
「はあ…」
「じゃあ、桜川さんの体調管理は、僕が引き受けますから」
ええ!?
「しゅ、主任、そこまでお世話になっては…」
「はい?」
「あの、主任はそこまで、部下の面倒を見て下さるんですか?」
「いいえ。名古屋では、たまに手料理を食べさせることはありましたが、体調管理まではみないですよ」
「じゃあ、なんで?」
あ、まさか課長が…。
「あの、課長が何か言っていたんですか?」
「そうですね。部下に病気になってもらっては困ると言っていましたね」
やっぱり課長が?でも、だからって、そんなことまで。
「すみません。こんな体調管理もできない、ダメな部下で…」
「……」
無言?まさか、本当は面倒なんて見たくないって思っていたりとか?課長に言われたから仕方なく…とか!?
「桜川さん」
「はい…」
「ここは職場ですが…」
「はい」
「でも、周りに人もいないし、そんなに堅苦しくなることないですよ」
え?
「二人きりなので、僕のリビングにいるつもりで、少し気持ちを和らげてもらってもかまいません。あ、そうだ。仕事終わったら、何か美味しいものでも食べに行きますか?それとも、うちで食べますか?」
え?
ドキ。ドキドキドキ。なんか、いきなり、優しいモード?
「えっと、あの」
ここはなんて言ったらいいのかな。また断ったら、主任、傷つくかな。
「僕の手料理の方がいいですか?」
「でも、帰ってから作るのは大変ですよね?」
「そんなことないですよ、いつもしていることなので。ただ、材料を帰りに買うので、買い物に付き合ってもらうかもしれませんが」
「そのくらいは全然…」
「じゃあ、美味しいもの作りますので、仕事、ちゃっちゃと終わらせましょうか」
「はい」
うわ。主任が優しく笑ってくれた。
これも、課長から言われているから、してくれるのかな。あ、そうか。体調管理のためなのかも。
落ち込んでいた。でも、主任に優しい言葉をかけてもらったり、笑ってもらうと一気に嬉しくなる。
ああ、私ってなんて単純なんだろう。本当に恋をすると、一喜一憂。主任の言葉や表情で、こんなにも上がったり下がったり、また上がったり。ほんと、忙しい。




