第18話 仕事中 ~伊織編~
翌日、なんだか会社に行くのにドキドキした。主任、もう来てるよね。だって、いつも早いもん。
そうか。私も電車早くに乗ったら、主任と朝、一緒に来れるんじゃないの?
…なんて、想像してみたけど、恥ずかしいからやめた。
化粧室に行き、髪をとかし、化粧直しまでしていると、
「さすが、念入りだ~~」
と、真広が来てちゃかされてしまった。
「化粧直しなんてしなかった伊織が、随分と変わったよねえ」
「う、うるさいなあ。そういう真広も、化粧ばっちりだよね?」
「むふふ。デートなんだ~~。昨日メールが来て、今夜会おうって」
「そうなんだ」
「もっと忙しいのかと思っていたら、そうでもないみたい。社長ともなると違うのかな」
「さあ?どうなんだろうね」
「伊織はいいよね~~。いつでも会えるし」
「う、うるさいよ。そういう話、あまり課ではしないでね」
「はいは~~い。ちゃんと内緒にしておきます」
真広はそう言うとにやにやしながら、ロッカールームに行った。ロッカールームには、すでに北畠さんが座って寛いでいた。
「あれ?北畠さん、髪型変えました?」
真広が声をかけると、北畠さんは、
「前髪切ってみたの。若返ったって美容師さんに言われちゃった」
と、少女のように笑って答えた。
「昨日行ったんですか?」
「うん、そう。会社帰りに」
前髪切っただけじゃない。髪の色も明るくなってる。それに、服も若作り…いや、可愛らしい服だ。
「恋をすると、変わりますよねえ」
「やあねえ、溝口さんったら」
バシンと北畠さんは真広の背中を叩いた。
ああ、なんか、嫌な予感がするんだけど。
3人でデスクに向かった。北畠さんは、
「おはようございます。主任」
と、主任に挨拶をすると席に着いた。私と真広は、課のみんなに向かって挨拶をして椅子に座った。
「おはようございます。北畠さん、溝口さん、さっそくなんですが、今日の会議の準備、頼んでもいいですか?」
主任がそう言うと、北畠さんはニコニコ顔で、
「はい」
と即答した。真広はちょっとだけ遅れて「は~い」とやる気のない声を上げた。
「…溝口さん」
「はい?」
あ、主任、なんとなく顔、怖い。まさか、怒った?
「もう少し、仕事に対して真面目な態度でお願いします」
「…はい」
真広はつまらなさそうに答え、私の顔を見て眉をしかめた。なんだってあんな男がいいわけ?と口だけ動かすと、
「じゃあ、会議室に行きましょう」
と言う北畠さんの張り切った声に、またやる気のない声で返事をした。
あ~~あ。真広は態度を変えるつもりはないらしい。
それにしても主任、最近は注意もあまりしなかったのにな。
そのあとも、主任は男性社員にも注意をしたり、隣の課の女性陣まで、仕事中に大きな声で笑っていると、
「仕事中です。静かにしてください」
と注意していた。
「何様?隣の課まで口出さないで」
コーヒーを入れに行くと、隣の課の子たちが文句を言っていた。ああ、主任の悪口だな。
「大人しくなったと思ったら、全然じゃないよ。私たちの上司じゃないんだから、口出さないでほしいわ」
「ほんと、ほんと!」
コーヒーをもうカップに注いだというのに、二人はまだその場にいる。
嫌だなあ、主任の悪口を聞いているの…。
「桜川さん」
ドキーーー!主任が来ちゃった。
「コーヒー、まだ残っていますか?」
「はい。主任も飲みますか?入れましょうか?」
「お願いします」
主任がやってくると、隣の課の子たちは慌てて席に戻って行った。
「……あの」
聞こえていたよね?あの子たちの話。
「はい?」
「いえ」
何も言えずに黙ってカップにコーヒーを注いでいると、
「何を言われても気にしませんから大丈夫ですよ」
と主任は小声で私に言った。
「え?あ…」
「ああいうのは慣れています。名古屋でも嫌われていましたし」
「女性社員にですか?」
「はい。事務職の人からは嫌われます。営業職の女性には好かれるんですけどね」
え?
「す、好かれるんですか?」
「はい。けっこう、慕ってくれましたけど」
うそ。気になる。あ、家にも来たっていう人?
どんな人?何歳?仲良かったの?
って、聞けるわけもないし、そんなこと気にしていることがばれただけで、きっとドン引きするよね。
「……しゅ、主任はお砂糖…」
「ブラックでいいです。眠気覚ましたいんで」
「眠気?あまり寝ていないんですか?」
「はい」
「……そうなんですか」
そんなに帰り遅くなったのかな。
「ちょっと、考え事をしていたもので」
「…そうなんですか」
仕事のことかな。
「桜川さんは眠れましたか?」
「実は私も考え事をして、眠れなくって」
「……僕のことじゃないですよね」
ドキーーーーッ。
「なんで、それ」
わかったの?
「あれ?図星ですか?僕のことを考えていて眠れなかったんですか?」
「い、いえ。あの。えっと」
わあ。顔熱い。どうしよう。
「…あ、桜川さん、そういえば、ファイルがどこにあるかわからないので、聞きたかったんです」
「え?」
「コーヒー入れてもらってすみません。デスクに戻ったら、ファイルを探してもらえませんか?」
「はい」
なんの?なんか、話がいきなり飛んだ?
と不思議がっていると、そこに岸和田君がやってきた。あ、そうか。岸和田君が来ていたのに気付いてわざと、そんなことを言い出したんだ。
「あっれ~~。コーヒーないじゃんか。くそ。タイミング悪かったな」
そう言いながら、岸和田君は私を見ると、
「伊織ちゃん、コーヒー作って?」
と何やら可愛い声を出してきた。
「自分の課の女性に頼んでください。桜川さんには今、仕事を頼んだところですから」
「ファイル探しのでしょ?そんなのあとでもいいんじゃないっすか?」
「急いで探してもらわないと困るんです!」
主任はきっぱりとそう言うと、先にデスクに戻って行った。私も慌てて主任の後に続いた。後ろから岸和田君の、「ちぇっ。うちの課の女性、怖いのに」という舌打ちが聞こえてきた。
「主任、どのファイルですか?」
「…いいです。見つかりました」
デスクに座ってパソコンを見ながら、そう主任は答えた。
「そ、そうですか」
もしや、初めから見つからないファイルなんかなかったのかな。まあ、いいか。
ドキン。
なんか、これって、隠れて恋愛をしているみたいでドキドキしちゃうかも。これが、職場恋愛?
きゃあ。ドキドキ。
じゃあ、付き合っちゃったりしたら、みんなに秘密にして、こそこそとデートしたり?
メールで、秘密にやり取りしたり?どこか遠くで待ち合わせして、ご飯食べに行ったり?
なんて、アホなことを妄想していると、
「桜川さん!」
と主任が呼んでいる声がして、びっくりして私は大きな声で返事をしてしまった。
「はいっ!!!」
うわ。みんなに注目された。
「ちょっと、いいですか?」
ドキン。
「は、はい」
静かに席を立ち、主任のそばに行った。すると、
「ここ、入力ミスしています。合計金額がすごいことになっていますよ」
と、注意をされた。
「あ!す、すみません。すぐに直します!」
「気を付けてください。このまま、請求書が先方に送られていたら、クレーム来ますから」
「はい。すみませんでした」
ああ、最悪。浮かれているとこれだ。
ランチは外に行った。私がお弁当を持って来なかったから、真広が「じゃ、外に行こう」と誘い出された。
「なんか、主任がまた元に戻ったね」
「え?」
「いっとき、静かになったよねって、みんなで言ってたの。嫌味も少なくなったし、注意も受けることなくなっていたのに、今日復活してた」
「そ、そうだね。私も仕事のミス指摘された」
「ああ、言われてたね」
「なんか、凹んだ。桜川さん、こんなミスしてって、呆れていないかなあ」
パスタを食べながらそう言うと、
「あのくらい平気でしょ」
と真広に笑われた。
「私は完璧、嫌われているけどね。でも、いいんだ。別に主任に嫌われても」
「嫌ってないよ。心配だってしているし」
「誰を?」
「真広のこと、主任、心配してたでしょ?ほら、岸和田君とデートした時」
「ああ、あれ。別に心配ってわけじゃなくって、これ以上私が仕事しなくなると困るからじゃないの?」
「…仕事かあ。そうだね。私も言われた。営業職をする気はないかとまで聞かれた」
「え?まじで?」
「無理ですって答えた。でも、仕事頑張ってくださいと言われた。頼りになるって」
「へえ。随分と伊織ってば、気に入られているんだね」
「仕事面でね。部下としてはきっと、信頼されていると思う。あ、今日へましちゃったけど」
「それってさあ、恋愛感情はないってことかな」
「え?」
「部下として認めてくれてるかもしれないけど、女性としてじゃないってことだよね?」
「そう思う?真広も」
「うん。あの人仕事人間だし、女性として見てもらうのは難しそうだね」
「や、やっぱり?」
「…やっぱり、色仕掛けしかないんじゃない?」
「そういうの無理。女子力もないし、色気もないし」
「妹の美晴ちゃんは、色っぽいのにねえ」
う…。真広にまで言われてしまった。一回、うちに遊びに来た時に、ちょうど美晴が来て、3人で飲んだんだよね。美晴ちゃん、伊織と違って色気あるって、さんざん真広言っていたもんなあ。
ない色気を、どう絞り出そうとしても無理だよね。うん。無理だ。無理だったら、他で勝負しないとならないのかな。でも、どこで?
ああ。凹む。
午後、主任はまた野田さんと出かけた。野田さんは、一番主任と年が近いかもしれない。でも、すでに結婚もして赤ちゃんもいる。
私は主任がいなくなると、途端に気が抜けてしまった。隣にいる北畠さんも同じように気が抜けたのか、頬杖をつき、
「今度、課で飲み会でもないかしらね」
なんて、そんなことを言い出している。
「いいですね、飲み会」
あ、真広が話に乗った。すると、
「そうだな。魚住君が来て、課で飲みに行ったことがないから、皆で明日にでも行こうか?」
と課長も話に乗った。
「いいですね。どこ行きます?」
「寿司屋がいいかな。あの旨い寿司屋。魚住君は寿司好きかなあ。どうだろうね、北畠さん」
「帰ってきたら聞いてみます」
北畠さんは、ものすごく嬉しそうにそう答えた。
「北畠さん、張り切ってますね」
課の男性社員がそう言うと、北畠さんは頬を染めた。
う~~ん。北畠さんが主任をお気に入りなのは、みんなにバレバレのようだ。でも、みんな茶化しもしないし、応援する気もないらしい。
私がもし、主任を好きだってことがみんなにばれたらどうなるのかな。
もしや、もうばれていたり?だって、真広にはばれていたし。
午後、主任のいない会社はつまらなかった。でも、5時近くになり、主任が戻ってくると、私の気分はハイになり、隣の北畠さんもハイになっていた。
「主任、お疲れ様です。ところで、お寿司は好きですか?」
主任がデスクに座る前に、すでに北畠さんはそう聞いていた。
「はい?」
「お寿司です。好きですか?課のみんなで明日、飲みに行こうかって話になっているんです」
「ああ、寿司屋にですか?寿司、好きですよ」
「決まりだな。野田君、帰ってきてすぐに悪いんだが、あの寿司屋に予約入れてくれないか?」
「はい」
課長に言われ、野田さんがすぐに寿司屋に電話を入れた。
「美味しいお寿司屋なんですよ~~。主任は日本酒飲まれます?」
北畠さんが、顔を高揚させながらそう聞くと、
「お酒は得意じゃないので」
と、主任はクールに返事をした。
「あ、そうでしたね。でも、お寿司美味しいですから」
北畠さんの言葉に、主任はかすかに微笑んだ。そして、すぐにパソコンに目を向け、仕事をし始めた。
明日、みんなで飲み会。ふと視線を感じ、真広を見ると、
「チャンス」
と口を動かし、ウィンクをしてきた。
だよね。チャンスなんだよね。ドキドキ。
明日が、楽しみのようでなんだか怖い。




