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第17話 初ドライブ ~佑編~

 助手席に桜川さんが乗っている。僕は浮かれていた。

「あ…」

 しまった。

「すみません、今、左折しないとならなかった」

「え?」

「ちょっと、遠回りになりますが、いいですか?」


「はいっ。全然いいです」

 桜川さんの返事、やけに元気だ。

 道路は混んでいた。行き交う車のヘッドライトが夜道を照らし、静かな車内はゆっくりと時間が流れているように感じられた。


「道、混んでいますね。すみません。時間かかるかもしれないです」

「全然、いいです」

 うっとりとした顔をして桜川さんがそう答えた。

「もしや、ドライブ、楽しんでいますか?」

「はい」


「ラジオでもつけましょうか」

「あ、はい」

 ラジオをつけた。この雰囲気に合うジャズを流している番組を僕は選んだ。桜川さんの目は、とろんとしている。すっかりドライブを満喫しているようだ。そんな表情も可愛い。

「くす」

 

 僕が微かに笑うと、桜川さんは僕の方を見た。

「車酔いはしないほうですか?」

「はい。あ、でも、主任の運転が上手だからかも」

「そうですね。僕の運転で酔った人は今までいませんから」


「…そうなんですね」

 桜川さんが僕の顔を見つめた。それも、うっとりとした目で…。

 ドキン。心臓が踊った。それを悟られないよう、わざと僕はクールをよそおった。だが、信号が赤になり車を止め、何気に桜川さんを横目で見てみると、すでに桜川さんは窓の外を見ていた。


 なんだ。意識してクールな顔をしなくてもよかったんだな。それに、そっぽ向かれているのもさみしいもんだ。

「夜の街もいいですよね。都会を運転するのはあまり好きじゃないんですけど」

 僕は窓の外を見ている桜川さんに声をかけた。


「あ、そうなんですか?」

 窓から僕の方に桜川さんは視線を向けた。

「一人だと、空いている道の方がいいですよ。混んでいるとイライラしてしまって。名古屋はよかったですよ。ちょっと郊外に行くと、のどかな風景も広がっていて」


「一人でドライブしていたんですか?」

「そうですね。基本、車で移動していたので」

「……こっちでは車じゃなくって、電車移動ですか?」

「そのほうが便利ですよ。でも、デートだったら車もいいですね。都会の夜景、見れたりしますしね」


 桜川さんが黙り込んだ。それから、また僕の方を見て口を開いた。

「あの、私も一つ聞きたいことが」

「なんですか?」

「部長のお宅にはもう?」

「ああ、行ってきましたよ。課長と一緒に。その帰りに桜川さんと遭遇したんですよ」


「その、どうでしたか?」

「静かな住宅地にあって、広くて立派な家でした」

「それで、その、む、娘さんはいらっしゃったんですか?」

「いましたよ」


「どど、どんな方でしたか?」

「お母さん似でした。部長に似ないで良かったですよね」

「…じゃあ、お綺麗ってこと?」

「あはは。はっきり言いますね。桜川さんも」


「主任好みの綺麗な女性ですか?」

「僕好み?僕の好みを知っているんですか?」

「知りません」

「…好みの女性はないですよ。女性にあまり、興味もなかったので」

「え?」


 あ、今のは変な言い方をしたかな。

「仕事人間でしたので」

 とってつけたような言い方をした。すると、

「でも、こんな人がいいなとか、嫌だなとか…そういうのはないんですか?」

と桜川さんはまた質問をしてきた。


「姉や母のような人はダメですね」

「どんなタイプですか?」

「強引で、強くて、男勝りの…」

「部長の娘さんは、そんな感じじゃないですよね?」


「そうですね。もっと大人しそうでしたよ。まあ、あまり話もしなかったので、印象だけですけど」

「………」

「桜川さん?」

 どうしたんだ。なんだか、俯いたまま黙り込んでしまったけど。


「あ、いえ。すみません。…部長の娘さんとは…、あの」

「はい」

 桜川さんがまた黙り込んだ。その間に、車は彼女のアパートに到着した。

「着きましたよ」


「ありがとうございます」

 桜川さんは顔を上げ、窓の外を確認してからそう言った。

「何か、聞きたいことがあるんじゃないんですか?」

 僕は様子がおかしかった桜川さんが気になり、そう尋ねた。だが、

「主任は部長の娘さんと、お付き合いするのかなって、ちょっと」

と桜川さんが言ったので、頭が真っ白になった。


「は?!」

 僕が、部長の娘とお付き合い?するわけがないだろう。桜川さんが好きで、桜川さんに告白したばかりだっていうのに。


「しませんよ。先日部長の娘さんと会った時も、そんな話は一切しませんでしたし」

「そうなんですか?」

「…え?」

 まさかと思うが、桜川さん、僕が桜川さんと付き合うことわかっていないわけじゃないよな。僕が告白したことはわかっているよな。


 うん。僕は自分でも情けなくなるくらい、本心をきちんと告げた。桜川さんに対しての感情も想いも、ちゃんと正直に云った。

 でも桜川さんは今、かなりほっとした表情をした。あ、まさか僕が部長の娘と二股かけるなんて思ったわけでもないよな。


「い、いえ。なんでもないです。それじゃあ、失礼します。おやすみなさい」

 桜川さんは助手席のドアを開け、車から降りた。僕は、彼女に見送られながら車を発進した。


 マンションに着くまで、桜川さんに言った言葉を思い返そうとしたが、思い出せなかった。なにしろ、いっぱいいっぱいになりながらの告白だったし。ただ、格好悪かろうがなんだろうが、素直になろうと思ったのは確かだ。


 桜川さんは目を丸くしたり、顔を真っ赤にさせながら僕の話を聞いていたし、車の中ではうっとりとした顔で僕を見つめていた。

 彼女も僕を好きだと言ってくれた。


 そうだよな。今後、僕と桜川さんは付き合うっていうことだ。結婚はまだ考えられないと正直に伝えた。それも、彼女はわかってくれた。


 はあ…。マンションに帰り、電気をつけてリビングのソファに沈み込み息をはいた。ものすごく僕は緊張していたようだ。

 それから、この部屋にいた桜川さんの存在を感じた。


 リビングにも、ダイニングにも彼女の存在感は残っていた。目を閉じて彼女の表情も思い出した。くす…。思わず笑みがこぼれた。

 やっぱり、桜川さんは可愛い。


「まいった」

 ぼぞっと呟いてから、僕はしばらくソファで彼女を思い出していた。


 人を好きになるって、大変だな。その人のことばかりを考え、心臓が早く鳴り、早くまた会いたいって思ってみたり、彼女の一挙一動を思い返してみたり。

「はあ…」

 この先、会社で僕は、彼女に対してどんな態度を取ったらいいんだろうか。


 ……。

「今迄通りだよな。うん。変に意識するより、今迄通り接したほうがいい」

 ソファから立ち上がり、風呂に入った。寝支度を整え、ベッドに潜り込み、改めて彼女が他の男と付き合うようにならなくてほっとした。


「声も顔も体系も服のセンスも、仕事っぷりも、料理も優しさも好きな映画も、とにかく全部が好き…」

 桜川さんの言った言葉は憶えている。すごいことを彼女は言っていた。今さらながら赤面する。そして、またほっとしている。


 僕は彼女のどこが好きなんだろうな。笑顔か。いや、恥ずかしそうにしている顔も、寝顔も、困った表情も、全部可愛いな。

 ……。ああ、自分の思考にびっくりする。この僕が、一人の女性の全部を可愛いと思っているなんて…。


「まいった」

 またため息をして寝返りを打った。そして僕は、ふと想像してしまった。このベッドに彼女が寝ているところを。


 僕の腕枕で、彼女があの可愛い寝顔でスウスウと寝息を立てながら寝ていたとしたら…。

「寝よう!そんなこと妄想していたら眠れなくなる!」

 頭から桜川さんのことを追い出し、僕は眠りについた。


 朝…。僕は自分でもわかるくらい、テンションが上がっていた。ベッドからいつもよりも元気に起き上がる。洗面所に行き顔を洗う。いつもより念入りに歯も磨き、髪もいつもより時間をかけ整えた。多少の寝癖くらい今までなら気にならなかった。だが、今日はやけに気になった。


 朝食を作り、コーヒーを淹れ、ダイニングに着く。新聞を読みながら、朝食を食べ、いつもより早い時間にすべてが整い、ベランダに出てプランターの野菜たちに水をあげた。


 それから、颯爽と僕はマンションを出て駅に向かった。

 電車に1本早く乗った。おかげで、電車はいつもよりも空いていた。そして、オフィスに着くと、まだ誰も来ていなかった。


「ああ、随分と早くに着いたもんだ」

 ぼそっとそう言いながら、僕は上着をハンガーにかけ椅子に腰かけた。

「……」

 桜川さんのデスクを見た。なぜか僕は、彼女がいないそのデスクを、ぼけっと眺めてしまった。


「おはようございます。魚住主任、早いですね」

 そう言って出てきたのは、隣の課の男性社員だ。いつもなら、彼の方が早くに出社している。

「ああ、はい。1本早い電車に乗れてしまって…」

「そうなんですか。僕は、バスが30分に1本しかないので、1本逃すと遅刻になるんですよ」


「ああ、だからいつも、早い時間に出社しているんですね」

「そうなんですよ。郊外に家を買ったもので、通勤が大変で。魚住主任は結婚まだですよね。郊外に家を買うのも考えもんですよ。まあ、奥さんと子供は環境もいいし、郊外に家を買って良かったと言っていますけどね」

「大変ですね」


「まあ、都内に家を買うほど稼いでもいないですから、しょうがないんですけどねえ。ははは」

 この男性社員は、30代半ばだよな。その年齢で持ち家があるだけすごいと思うが。

「魚住主任は、マンションに住んでいるんですか?賃貸ですよね?」

「ええ、まあ」


「まだまだ、結婚を考える年齢でもないですか」

「そうですね。まだ、考えられないですよ」

「そうですか。僕が結婚したのは26歳です。アパート暮らしでしたけど、なんとかその頃から貯金を奥さんと貯めて、頭金くらい貯まったんで家を買ったんですが…。やっぱり、将来結婚するなら、貯金は必要ですね」


「ああ、そうですよね。奥さんも働いていたんですね」

「奥さんにも働いてもらわないと、家なんか持てませんよ。これからだって、奥さんにはパート勤めをしてもらう予定です」

「そうなんですか…」


 僕は、桜川さんが仕事を辞めたいと言ったら、すんなりOKするな。もし、働きたいと言ったら、それもそれでOKだ。ただ、家を買うとなると、やっぱり貯金は必要だな。

 今のマンションは賃貸だから、結婚したらすぐにマンションを買ってもいいかもな。一生そこに住み続けないとしても、いずれ家を買う気になったらマンションを売ればいいんだし。となると、マンションはどこのあたりに買ったほうがいいのか…。


 パソコンを開きながら、そんなことを僕は考えていた。そして気づくと、桜川さんも出社をしていた。

「おはようございます。主任」

 元気に僕に挨拶をしてきたのは北畠さんだ。そのあと、桜川さんも僕に…ではなく、課のみんなに向けて挨拶をして席に着いた。


 ……。僕は、ほんのちょっと拗ねた。「おはようございます、魚住主任」と、僕だけに挨拶してもいいんじゃないのか。


 ハッ!さっきから、僕の思考はどうなっているんだ。だいたい、なんだって桜川さんと結婚することを前提に、マンション購入のことまで考えているんだ。仕事だ。仕事に専念だ!


 僕は仕事に集中しだした。不思議とその日は仕事に専念することができた。隣の課の女性の笑い声がでかいことも注意したり、溝口さんのミスも、しっかりと注意をした。


 だが、情けないことに、桜川さんがコーヒーを入れに行ったのを見て、思わず僕もあとに続いてしまった。

 みんながいる前で、桜川さんに声をかけるのは気が引けた。まず、僕は今迄通りに彼女に接することができるのか…。


 だから、用を頼むのも今日は溝口さんや北畠さんだけだ。


「何様?隣の課まで口出さないで」

「大人しくなったと思ったら、全然じゃないよ。私たちの上司じゃないんだから、口出さないでほしいわ」

「ほんと、ほんと!」

 そんな声が聞こえてきた。思い切りコーヒーを入れながら、隣の課の女性たちが僕の悪口を言っているようだ。


 桜川さんは、そんな女性陣の隣で小さくなりながら佇んでいる。

「桜川さん、コーヒー、まだ残っていますか?」

 声をかけると、桜川さんだけでなく、その場にいた隣の課の女性陣もびっくりしながらこっちを向いた。

「はい。主任も飲みますか?入れましょうか?」

「お願いします」


「あ、そろそろ席に戻らないと」

 そう言いながら、隣の課の女性たちは戻って行った。顔を引きつらせながら。

「あの…」

 桜川さんは、僕のコーヒーをつぎながら、何かを言いたそうにした。


「何を言われても気にしませんから大丈夫ですよ」

 僕は察して、彼女にそう言った。

「え?あ…」

「ああいうのは慣れています。名古屋でも嫌われていましたし」

「女性社員にですか?」


「はい。事務職の人からは嫌われます。営業職の女性には好かれるんですけどね」

「す、好かれるんですか?」

「はい。けっこう、慕ってくれましたけど」

 そう言うと、しばらく桜川さんは黙り込み、コーヒーカップを見つめた。


 ?どうしたんだ?

「……しゅ、主任はお砂糖…」

 ああ、お砂糖を入れるか悩んでいたのか?

「ブラックでいいです。眠気覚ましたいんで」

「眠気?あまり寝ていないんですか?」

「はい」


「……そうなんですか」

「ちょっと、考え事をしていたもので」

「…そうなんですか」

 まさか、桜川さんのことを考えていて…とは言えないよなあ。それもかなり、言えないような妄想をしていたわけだし。


「桜川さんは眠れましたか?」

「実は私も考え事をして、眠れなくって」

「……僕のことじゃないですよね」

「なんで、それ」


 あ、真っ赤になった。

「あれ?図星ですか?僕のことを考えていて眠れなかったんですか?」

「い、いえ。あの。えっと」

 さらに真っ赤になった。本当に全部が顔に出るんだな。思い切り可愛いよなあ。


 僕もです。桜川さんのことを考えていて眠れなかったんです。と言ってみるか?そうしたらどうするかな。もっと赤くなるのかな。


 あ…。なんだ。岸和田がこっちに向かってやってきている。コーヒーを入れに来たのか。まったく。なんだってこうあいつは、タイミングが悪いんだ。


「…あ、桜川さん、そういえば、ファイルがどこにあるかわからないので、聞きたかったんです」

「え?」

「コーヒー入れてもらってすみません。デスクに戻ったら、ファイルを探してもらえませんか?」

 僕はわざと岸和田に聞こえるように大きめの声でそう言った。


「はい」

 桜川さんはきょとんとした。それもそうか。話が唐突に飛び過ぎたな。

「あっれ~~。コーヒーないじゃんか。くそ。タイミング悪かったな」

 岸和田は桜川さんの横に立つと、コーヒーメーカーのポットを見てそう言った。


 ふん!まったくだ。なんだって、こんな時にやってくるんだ。タイミングが悪すぎなんだよ、いつも。やっと桜川さんと二人で話ができたって言うのに。


「伊織ちゃん、コーヒー作って?」

 伊織ちゃんだと?!何を馴れ馴れしく下の名前で呼んでいるんだ、こいつは!

「自分の課の女性に頼んでください。桜川さんには今、仕事を頼んだところですから」


「ファイル探しのでしょ?そんなのあとでもいいんじゃないっすか?」

「急いで探してもらわないと困るんです!」

 そう言って僕は、コーヒーカップを手にして自分のデスクに戻った。


「主任、どのファイルですか?」

 桜川さんもデスクに着くと、僕にそう聞いてきた。

「…いいです。見つかりました」

「そ、そうですか」


 桜川さん、まさか、本気でファイルを探していると思ったのか。あれは、岸和田が来たからとっさについた嘘だと言うのに。


 それにしても…。僕も仕事中に桜川さんのことを気にし過ぎだな。

 彼女の存在を気にしながらも、僕はそのあとも仕事に集中した。


 …いや、その日は、彼女の存在が逆に僕に仕事のやる気を出させていたかもしれない。



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