第16話 素直になれ ~伊織編~
私はケーキを口に運ぶ途中だったが、ポロリとフォークからチョコレートケーキがこぼれ落ちた。
「わからないとでも思ってた?いつ聞こうかと思っていたんだけど、その前に教えてくれるかなあと期待もしていたんだよね」
「え?」
「話してくれてもいいじゃん。水臭い。で、お付き合いはしているの?主任と」
「してないっ」
「あ、なんだ。片思い中?」
「そう」
「…。ふ~~~ん」
「なんで、わかったの?私、顔に出てる?」
「うん。わりかし。主任と話をする時、様子変だし。主任に褒められると、すっごく嬉しそうにしてるし。主任からの頼みごとは、すっごく一生懸命になっちゃうし。今朝だって、猛ダッシュでコピー室すっとんで行ったし」
ああ、そうだったっけ。
「前だったら、ちんたら仕事していたのに、主任が来てからまるで人変わったみたいに頑張ってるから。初めはね、主任が怖いからだと思っていたんだけど、話をしている時嬉しそうだしさあ」
わかっていたのか。バレバレか。まさか、課のみんなにもばれているとか?
「あ、北畠さんは気づいていないよ。自分が主任に熱あげているから、伊織のことなんか気にしてないもん。私は主任のことどうでもいいから、冷静に観察できるんだよね。主任もさ、伊織のこと特別視しているかなあって、そう感じてはいたんだけど。でも、はっきりとしないよね。ほら、部長の娘、あれも気になるところだよね」
「うん」
「それにしても、主任のどこがいいんだか。伊織ってマゾ?」
「え?」
「北畠さんの場合、若いからっていうだけで、主任が好きみたいだけど。伊織は?どこが良かったの?」
「……主任、別に怖くないし」
「嫌味っぽいし、姑みたいにうるさいじゃん」
「そんなことないよ。仕事しっかりしているだけだし」
「仕事ができる男がいいわけか。まあ、将来は有望かもね。ただし、仕事人間でつまんないと思うよ?」
「そんなことないよ。趣味も合うし」
「趣味?」
「あ、あの。映画の話を前にしたら、好きな映画が同じだったの」
「それだけで~~?」
「…うん」
「まあ、いいけどさ。でも、随分近場で済ませるんだなあ」
「近場?」
「職場恋愛、大変かもよ?それも、あの主任って、結婚願望薄そうだし。出世のためなら、部長の娘と結婚しちゃいそうだし」
「え?」
「結婚も出世のためにしそう。どうする?早くに落とさないと、部長の娘と結婚しちゃうかもよ」
「……」
え?そうなの?
「なんかさ、小耳に挟んだんだけど、この間、主任と課長、部長の家に呼ばれたらしいじゃない?部長の娘、主任のこと気に入ったらしいよ」
「え?」
「課長が話してた。部長の娘と結婚じゃ、将来有望だけど、大変だなあ、魚住もって」
「……」
うそ。
え?そんなことになってるの?!じゃあ、私が頑張っても無理ってこと?
まさか、主任の話ってそれ?それで、すみませんって謝られた?
「あ、いい考えがある。ここは実力行使だよ。主任とお酒でも飲んで、ホテル誘って、体の関係を持って、部長の娘から略奪愛だよ。いたよね?同期でそういう子」
「え?あの子、そんなことしたの?」
「そう。そうやって奪ったみたい」
うそ~~~~~~。
「そ、そんなの無理。だいいち、部長の娘から奪ったら、主任の出世はどうなるの?」
「あ、そっか。左遷させられたりしてね」
……。え?ってことになると、主任はまさか、絶対に部長の娘と結婚することになるの?
「真広。私はやっぱり、絶望的?」
「そんなことわかんないよ、頑張ってみたら?」
「…真広は、あの社長とうまくいったの?」
「うん。ばっちり。またデートするの。あの人すごいんだよ。あの若さでさあ」
真広はそのあと、息継ぎするのも惜しいくらいの勢いで、話し始めた。どうやら私のことよりも、自分の話を聞いてほしかったようだ。
その社長がどれだけすごい人で、とってもその人に気に入られたと喜んでいた。岸和田なんか目じゃないわ、あんなやつ…とも言っていた。
真広といい、美晴といい、なんでこうも積極的なんだ。その自信はどこから来るんだ。意中の人が出来たなら、何が何でもゲットする。その気負いもすごいけど、本当にゲットしてしまえるところが私には真似できないところだ。
どんな手段を使うのか。
あ、素直に行けって、美晴は言っていたか。じゃあ、美晴は素直に気持ちを告げていただけなんだろうか。
「ねえ、真広」
「え?」
「私はどう頑張ったらいいと思う?」
「う~~ん、色仕掛け?やっぱり、どんどん押したらいいんじゃないの?」
「色仕掛けなんて無理なんだけど」
「大丈夫だよ。けっこう酔っちゃえばなんとかなるって。お酒の力借りたら?二人で飲みに行ったらいいじゃん」
「2人だけで、飲みに行くチャンスを作ることが何より難しそう」
「ああ、あの主任じゃね…。飲み会もしばらくないだろうしねえ」
ぼそっとそう言うと、真広はまた、自分の話を始めてしまった。
うんうんと相槌を打ちながらも、私は主任のことを考えていた。色仕掛けといえば、カラオケの帰り、部屋に寄りませんか…なんて、私はすっごいことを主任に言っていたんだよな。でも、主任、断ったよね。
あれってもしや、私に興味がないからなのか?
…そうだったりして。もし、興味があれば、部屋に入ってきたかもしれないよね。でも、お見舞いには来てくれた。だけど、ただ心配してだよね。
うわ~~~~~。またいろいろと考えたら、頭が爆発しそうになってきた。考えたらダメだ。もうここは、心のままに行くしかない。
素直に。そう、素直にだよ。
真広と別れて一人で電車に乗った。何か美晴からメールでも来ていないかと、携帯を見てみると、
「あ、主任?」
と、主任からメールが来ていることに気が付いた。
ひゃあ!
ドキドキしながらメールを見た。
>今日、オフィスに戻ってから話をしようと思っていましたが、直帰することになりました。すみません。家に7時半には着くと思います。よかったら、夕飯を一緒に食べませんか?
え?
え?!
夕飯を食べながら、話?そんなに大事な話なの?
まさか。実は結婚の報告があって、とか?
え~~~~~~~~~~~。どうしよう。
悩んでいると、携帯がいきなりなった。わあ。電話?
「もしもし」
「桜川さん?魚住です」
「あ、はい」
「今、家に着きました。桜川さんは家ですか?」
「いえ。まだ電車です」
「そうですか。電車だったら、手短に話します。夕飯は済みましたか?」
「まだです」
「じゃあ、うちに来てください。簡単なものですけど、用意しておきます」
ええ?!
「待ってます。それじゃ」
き、切られた。
あ、ここで降りなきゃ!
慌てて最寄駅のひとつ前の駅で飛び降りた。
来てくださいって言われたけど、いいの?行っても。
主任のマンションで夕飯ってことだよね。
ドキ。ドキ。沈まれ、心臓。まず、期待はしないこと。だって、悪い報告かもしれないし。だいたい、ふられたばっかりだよ、私。それも、この前なんて、婚活頑張ってくださいって言われたんだし。
あ、いきなりブルーになってきた。マンションの前まで来たけど、もう帰りたい。
部屋番号を押した。すると、
「どうぞ」
と、すぐに主任がエントランスのドアを開いてくれた。
開かれたドアから中に入り、エレベーターに乗り込んだ。足が重い。行きたくない。帰っちゃおうかな。そんなことを思いつつ、部屋の前まで辿り着いてしまった。
ドキドキしながらチャイムを押した。また主任はすぐにドアを開けてくれた。
「どうぞ」
「…あ、はい。お邪魔します」
そう言って、玄関に入ってから、
「お邪魔してもいいんですか?」
と聞いてみた。
「いいですよ。たいした料理できませんでしたけど」
料理のことは関係ない。私なんかが部屋に上がってもいいのかって思ったから聞いてみた。でも、呼んだのは主任だし。
「あ、あの。お疲れですよね?私、こんな時間に来ても良かったんですか?」
また、口からそんな言葉が飛び出した。どうも、私は帰りたいのかそんなことばかりを聞いてしまう。
「いいですよ。どうしても早くに話がしたかったので、こっちこそ、無理言って来てもらってすみません」
「………いえ」
早くに話?早くにとっとと、諦めろっていうこと?まさか。
ドスン。あ、気持ちが沈んだ。
ダメだ。どうも悪い方にしか考えられない。でも、それしか浮かばない。
「どうぞ」
「はい」
ダイニングテーブルに着いた。主任はご飯をよそって、お味噌汁もお椀によそうと、それらをお盆に乗せて持ってきた。
煮物、揚げ物、サラダ…。全然たいしたことないものじゃない。帰ってきてからこれだけのものを作れた主任って、やっぱり天才。
「いただきます」
手を合わせ、主任が作ってくれたものをいただいた。さっき、ケーキを食べたから、はっきり言ってお腹はすいていないけれど、でも、美味しいし、主任が作ってくれたものだから、私はすべてを食べ切った。
「ごちそうさまです」
「デザートいりますか?」
「いえ。お腹いっぱいです」
「…そうですか」
主任はそう言うと、お皿やお椀を片付けだした。
「実は、帰りにデパートによって、美味しいプリンを買ってきたんです。桜川さん好きかなと思って。今日持って行ってください。賞味期限あまりないので、明日にでも食べてください」
「そんな、悪いです。主任が召し上がってください」
「僕の分も買ってあります。桜川さんの分は、桜川さんに食べてほしいので」
「…すみません。気を使ってもらって」
「……いいえ。僕の方こそ謝らないと」
ドキン。
いよいよ、本題?!
「桜川さん、リビングに来てください」
「はい」
私は席を立ち、リビングのソファに座った。なぜか主任は立ったままだ。そして、主任の方をちらっと見ると、
「すみませんでした」
と、ぺこりと頭を下げられた。
「あ、あの、頭あげてください」
おたおたと、私はソファから立って主任に近づいてそう言った。主任は頭を上げ私の顔を見ると、もう一回謝ってきた。
「あ、あの」
謝られても、どうしたらいいのか。いったい、なんで謝られているのか。いや、これはやっぱり、私にきっぱりと諦めてくれと言っているのか。
「東佐野が、昨日やってきたんです」
「え?!」
東佐野さんが?
「桜川さんが泣いていたと言っていました」
「……」
東佐野さん、それを言いに?
「昨日のうちに、謝りに行こうと思いました…が、気持ちの整理がつかなくて」
「い、いいんです。あれは勝手に私が落ち込んで泣いただけです」
「………いえ、傷つけました。自分でもわかっています。とんでもないことを言ってしまったって」
「い、いえ。そんなこと」
「いいえ!大人げないことをしました。自分の愚かさに自分で恥じました」
「え?」
「まさか、自分がそんな感情を抱くなんて思いもしなかったし、初めてのことだし」
「感情?」
「嫉妬です」
「は?!」
嫉妬?!
「嫉妬です。東佐野にガツンと言われてから、僕は自分の気持ちと正直に向き合いました。あれは、あのもやもやしたのはなんだったのか。なんであんなことを、桜川さんに言ってしまったのか」
「え?」
嫉妬?嫉妬って?
「最低ですよね。桜川さんには、恋愛感情を持っていないなんて言っておきながら、他の男といるだけで、嫉妬しているなんて」
ええ?!
「あれはまったくの嘘です。自分の気持ちと真逆のことを言いました。婚活頑張ってくださいなんて思ってもいないです。頑張られては困ります」
は?
目を点にして主任を見た。さっきから主任の言っている意味がわからない。主任はそんな私を見ると、一度視線を下げ、しばらく黙り込んだ。
しばらくして、主任はまた口を開いた。でも、あまり歯切れのいい話し方ではなかった。
「だ、だからと言って、結婚を前提にお付き合いというのも…」
あ、私とってこと?
「そ、それは、その。私、好きですって言っちゃったけど、結婚とかはまだ、いえ。その…」
私まで、しどろもどろになってしまった。
「すみません。僕の中では、結婚というのは一生しないものだと思っていたので、いまだにぴんと来ないんです」
「はあ」
「まだ、僕と桜川さんが学生なら…。たとえば、高校生だったら、お付き合いだってもっと気軽にできるんですよね」
「……はい」
「将来のことなど、まだどうなるかもわからないし、結婚なんか考えたりもしないし、ただ、好きだから付き合うってできると思うんですが、この年になると…どうも」
「で、ですよね?」
ん?好きって今言った?
主任はまだ黙り込み、顔をあげて私をじっと見た。ドキ。私の方が今度は目をそらしてしまった。
まだ見てる。目のやり場に困る。下を向き、主任の言葉を待った。
「一つだけ、聞いてもいいですか?」
「はい」
私は下を向いたままそう答えた。
「桜川さんは、僕にあこがれているだけで、好きじゃない…ようなことを言いましたけど、あれは、本心ですか?それとも、僕のことを気遣ってそう言ったんですか?」
ドキ。そうだった。そんなことを言ってしまった。
どうしよう。いや、ここは素直に言わないと。素直に、好きですって。
「本心は…」
あ、声が裏返った。
ゴホンと咳払いをして、顔をあげて主任の顔を見た。あ、すごく真剣な目で私を見ている。
美晴が言ったように、ここはちゃんと、素直にならなくっちゃ。頑張れ、私。




