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第15話 正直な気持ち ~佑編~

 日曜日。朝からどんよりした天気だ。僕の気分のように。ああ、頭が重い。

 コーヒーをブラックで飲み、なんとか目を覚ました。洗濯だの掃除だのを適当に済ませ、遅い朝飯を食べた。


 すでに時計は10時半。

「何かに没頭して、桜川さんのことは考えないようにするか」

 我が家は2LDKだ。一部屋は寝室、一部屋は仕事部屋にしようとしていて、そのまま段ボール箱が積んである状態のままだ。


「片付けるか」

 そう呟き、段ボール箱を開けた。中から本やらファイルを取り出し、それらを空の本棚に入れる。段ボールにはまだ服も入っていた。冬ものだ。それらはウォークインクローゼットの中に仕舞い込んだ。


「なんとか片付いたな」

 デスクの上を綺麗に拭き、ノートパソコンを置いた。殺風景だから、ダイニングテーブルの上にあるサボテンを持ってきた。


「これで、ここで仕事ができるな」

 早速椅子に腰かけ、ノートパソコンを開いた。それからは仕事に没頭した。

「…腹が減ったな」

 時計を見るとすでに3時近くになっていた。


「ああ、随分と没頭していたんだな」

 キッチンに移動して、簡単な昼飯を作った。昼と言ってもすでに4時だ。夕飯に近い。食べ終わり、食器を洗っていると、ピンポンとチャイムが鳴った。


「はい?」

「俺だ。開けろよ」

 この声、「東佐野か?」と聞いてみると、

「そうだよ」

と横柄な声が返ってきた。やっぱりな。


 エントランスのドアを開け、廊下をうろつきながら東佐野が来るのを待った。桜川さんのことだよな。東佐野は走ってきたのか、息を切らしながらやってきた。

「何か用か?」

 白々しく聞いてみると、

「自分の胸に聞いてみろ」

といきなり突っかかってきた。


「ここじゃなんだから、部屋に入れよ」

 不本意ながら東佐野を招き入れた。東佐野は勝手にどんどんとダイニングに入って行き、椅子に腰かけもせず僕の方を向くと、

「俺が来た訳わかるよな」

と、すごんできた。


「桜川さんのことか」

「ああ、そうだ。昨日、ボロボロに泣いてた。お前が泣かせたんだよなあ?」

 ボロボロに泣いてた?!

 ズキッ。やっぱり、傷つけた。


「伊織ちゃんに婚活頑張れって言ったんだって?」

「言ったさ。彼女が結婚したいって言うなら、婚活頑張ればいいことだ。僕には関係ない」

「関係ないだと?伊織ちゃんがお前のこと、一途に思っているのも関係ないって言うのかよ!」

「一途?そんなわけないだろ。だったら、次の男とデートなんかしないだろ?!」


「はあっ?!」

 東佐野が僕の胸ぐらを掴んできた。

「離せよ」

「離すかっ!お前さ、本当にいいわけ?伊織ちゃんが他の男と結婚しても」


「ああ。僕には結婚願望もないし、彼女と付き合う気も結婚する気もないからな」

「ああ、そうかよっ!」

 東佐野は掴んでいた僕のシャツを離すと、

「じゃあ、俺が伊織ちゃんもらってもいいんだな」

と、睨みながら言ってきた。


「え?」

「俺が伊織ちゃんと結婚してもいいんだよな?」

「お前が?お前、そんな気ないくせに何言ってるんだよ」

「あるさ!言ったろ?伊織ちゃんのことは大事にしているって。今迄遊んできた女とも縁を切った。今後は役者としても食っていける。伊織ちゃんを養っていける」


「…養う?」

「ああ。だから、真剣にプロポーズする。それでも、いいんだな!?」

 プロポーズ?!何を言ってるんだ、こいつは。

「じょ、冗談を言うな。お前が結婚なんて」


「冗談じゃない。俺は本気だ。目を見りゃわかるだろ?俺が冗談で言っているように見えるか?」

「…」

 真剣な目だ。俺と目が合っても、視線を外さずまっすぐにこっちを見ている。


 結婚?桜川さんと東佐野が?


 冗談だろ。いや、冗談じゃないのか…。じゃあ、本気でプロポーズするのか?そうしたら、桜川さんはどうするんだ。結婚するのか?こいつと?

 僕以外の男と、桜川さんが結婚するのか?!


 ムカ。ムカムカムカムカ。


「渡さない…」

「え?なんて言った?もっと大きな声で言わなきゃ聞こえないだろ、魚住」

「渡さないって言ったんだ」

「伊織ちゃんを?でも、お前ふったんだよな」


「ああ、そうだ。結婚なんか考えられないし、部下として桜川さんのことは見ていたし」

「じゃあ、伊織ちゃんが誰と結婚しようが関係ないだろ?俺と結婚したって、お前には関係ないことだろ?」

「関係あるんだよ」

「なんでだ?!今さら、伊織ちゃんのことが実は好きでしたなんて言うんじゃないだろうな」


 ムカ。

 図星だ。

 そうだ。


 桜川さんのことが好きだ。だからずっと気になっていた。他の男と一緒にいても、東佐野と一緒にいてもムカついたのは嫉妬だ。


「なんだよ、魚住。今頃気が付いたのか?それとも、気づいていたけど、認めなかったのか?」

「そうだ。認めたくなかった。気ままに独身貴族で一生を終えようと思っていた。誰かを好きになって、一緒にいたいって思うなんて、そんなことは僕の人生で有り得ないことだって、そう思っていた」

「だから、自分の気持ちを見ないようにしていたのか?」


「ああ、そうだよ。お前の言うとおりだ。ずっと自分の気持ちを見ないようにしてきた。わざとしてきた」

「じゃあ、そのまんま見ないようにしていろよ。それで、俺と伊織ちゃんが結婚するのを指くわえて見ていたらいいだろ」

「うるさい!」


 今度は僕が東佐野の胸ぐらを掴んだ。

「渡さないって言ったろ!僕はもう自分の気持ちを認めたんだ。今、しっかりと認めた。桜川さんが好きだ。お前になんか渡さない。他の誰にも渡す気なんかない!」

「じゃあ、結婚するのか?ちゃんと伊織ちゃんを幸せにできるのか?」


「ああ!するさ。僕だって彼女が大事だ。泣かせたくなんかない」

「もう何度も泣かせただろ?お前の言うことなんかあてにならないぞ」

「泣かせない。もう泣かせない。傷つけたくなんかない。それが本心だ」

 そう言って東佐野の目をじっと見た。


 先に視線を外したのは東佐野だった。

「はいはい。ちゃんと本音を吐いたな」

 そう言うと胸ぐらを掴んでいた僕の手を掴み、

「じゃあ、本気で伊織ちゃんを幸せにしろよな」

と、東佐野は口元を緩ませてそう言った。


「お前、カマかけたのか?僕に本音を言わせるために」

「いいや。俺だって伊織ちゃんのことは大事に思っているから。お前がなんとも思っていないなら、俺がもらうつもりだったよ」

「僕が真剣に思っているってわかったら、身を引くのか?諦めるのか?」


「ああ」

「なんでだ。そんだけの思いだったってことか?」

「かもな」

 本当か?でも、さっきの目は真剣だったぞ。


「俺はさ、伊織ちゃんが幸せ掴めたらそれでいいんだ」

「東佐野?」

「俺は役者をするのが1番だから、伊織ちゃんより優先順位が上なんだよね」

「……」


「だから、伊織ちゃんを幸せにできるか、正直自信はない」

「じゃあ、なんでさっき、もらうって言ったりしたんだ?」

「お前の本音が聞きたかった。それだけだ」

「……」

 やっぱり、カマかけたんじゃないか。


「じゃあな、俺は明日から舞台なんだ。それも、地方回りだ。だからしばらく家を空ける」

「……」

「その間、魚住、ちゃんと伊織ちゃんのこと見てやれよ。彼女、強がっているけど、けっこう弱いからさ」

「弱い?」


「たまにね、折れそうになってる。でも、あんまり人に弱さを見せたり甘えたりするのが苦手なんだろ。俺だって最近だよ、そういう部分を知ったの…」

「それだけお前に心を許しているってことか?」

「相談相手みたいなもんで、恋愛対象じゃないな、俺は」


「…」

「だってさ、伊織ちゃん、お前に惚れ込んでいるしさ」

「え?」

「でも昨日は、お前のことアンポンタンて言っていたけどな」

「アンポンタン?」


「ああ。案外もうお前のことなんか嫌いになっていたりしてな?」

「え?!」

「ははは」

 なんだよ、冗談か…。


「ちゃんと、彼女とも真正面から向き合えよ。あと、自分の気持ちにも正直になれ」

「……お前に説教されるとは思わなかったな」

「そうだな。ま、頑張れよ。そうだ。東京公演のチケットを2枚持ってきた。伊織ちゃんと観に来いよ、じゃあな」


 東佐野は胸ポケットに入っていたチケットを2枚くれた。でも、僕があいつの胸ぐらを掴んだから、チケットはよれていた。


 東佐野が帰ってから、僕はチケットをリビングのテーブルの上に置き、ソファに座ってしばらく考え込んだ。

 きっと、今も桜川さんは落ち込んでいるかもしれない。僕が昨日、あんなことを言ったばっかりに、傷ついて…。


 自分の気持ちをちゃんと見てみた。今迄の自分の行動や、自分の感情もしっかりと思い返してみた。どれもこれも、桜川さんが好きだから取った行動だし、好きだから湧いた感情だった。


 可愛いと思ったのも、心配をしたのも、ムカついたのも、もやもやしたのも。全部だ。

 

「まいった」

 僕はそれだけ彼女に、惚れていたんだ。


 好きだという気持ちを素直に受け入れると、一気に溢れてきた彼女への想い。いつの間に、こんなに想いは募っていたのか。


「アホだな。見ないようにずっとしていたけど、なんだってもっと早くに素直に認めなかったのかな。認めていたら、桜川さんを傷つけなかったのに」

 結婚という言葉に多分惑わされた。僕が結婚するわけないと、そう思い込んでいた。いまだに結婚だけは、受け入れがたいものだ。


 もし、彼女に告白したら、結婚をもっと間近に考えないとならないのか。それとも、付き合ってみて、そのあと結婚を考えたらいいのか。

 どっちにしろ、好きっていう気持ちには変わりないわけだ。彼女が大事という気持ちだけでも、ちゃんと伝えないと…。


「はあ…」

 桜川さんの暗い顔を思い出した。昨日、ホームに一人残した彼女は、いつもより小さくはかなく見えた。東佐野が言うように、折れそうにも見えた。


 ギュ…。胸の奥が痛む。そんな表情にさせたのは僕だ。

 思い知らされる。僕は、相当彼女が好きだ。何度も何度も彼女の顔が脳裏に浮かんで消えない。


 携帯を手にした。これから会えないかと電話をしようか。それとも、メールをしようか。だけど、結局どっちもできなかった。

 好きです。

 付き合って下さい。

 

 いきなりそんなことを言い出せるわけもなく。なんて言って自分の気持ちを表現したらいいのか、そんなことをあれこれ考えているうちに夜になった。


「ダメだ。すごく緊張もする。だいたい告白なんて自分の人生の中で一回だってしたこともないんだ。桜川さんも僕に告白する時、すごく勇気がいったんだろうか」

 はあ…とため息ばかりが出る。自分の情けなさが嫌になる。


 仕事のことならいくらでも交渉ができる。話術にも自信がある。そんな僕が、彼女に自分の気持ちを告げるというだけのことができない。

 呆れる。自分で自分が呆れてくる。


「世の男性は、どうやって思いを告げてるんだ?」

 プロポーズじゃない。結婚は考えられない。今はただ、付き合いたい、それだけだ。


 結局、その日は電話もメールもできずに終わった。明日、直接会って、帰りにでも話をしよう。

 そう決心してその日は眠りについた。


 翌日、桜川さんは思ったより元気そうに見えた。でも、カラ元気かもしれない。

 今日も外回りだ。なんとか帰ってから桜川さんをつかまえ、話をしたい。そう思い、

「桜川さん、今日持っていく資料なのでコピーしてください」

と、自分でコピーをせず、桜川さんに頼んだ。


 桜川さんはコピー室にすっ飛んで行った。そして、コピーが終わった頃合いを見計らって、コピー室に行った。

「あ、すみません。遅くなって。コピー終わりました」

 僕がコピー室まで来たからか、桜川さんはそう謝った。

「あ、ありがとうございます」


 コピーしたものを受け取りながら、彼女の顔を近くで見た。ああ、目が赤いし瞼が腫れている。泣かせたのは僕だ。

 彼女は視線をそらし下を向いた。その顔も辛そうに見えた。僕と目を合わせているのが辛いのかもしれない。


「すみませんでした」

 思わず僕は謝った。

「え?」

 桜川さんは驚いた顔で僕を見た。


「すみません。時間がないから、ちゃんと話ができませんが…。また、時間を作ってちゃんとお話しします」

「え?」

「…それじゃあ、行ってきます」

「あ、はい」


 不安げな顔を桜川さんはしていた。今日の帰り、一緒に帰ってちゃんと話をしよう。

 仕事中はさすがに仕事に集中して、桜川さんになんて告白しようか考えられなかった。


「ああ、主任、これだと会社に帰るの7時を過ぎますよ」

「野田さんは帰りますか?家の方がここから近いですよね」

「じゃあ、主任も直帰しましょう。僕だけ帰るのはさすがに申し訳ないですし」

「いえ。僕は…」


「まだ会社で仕事が残っているんですか?それ、明日じゃダメですか?」

「……」

 野田君、上司が会社に戻っているのに自分だけ直帰するわけにはいかないと思っているんだろうな。僕も仕事のために帰るんじゃなくて、桜川さんに会いたいだけだし。


「じゃあ、直帰しましょう。今日の報告書は家でも作れますし」

「はい!」

 仕方ない。桜川さんに帰りに家に来てもらおう。帰りがけに何か簡単に作れる食材を買って。


>今日、オフィスに戻ってから話をしようと思っていましたが、直帰することになりました。すみません。家に7時半には着くと思います。よかったら、夕飯を一緒に食べませんか?


 そう野田君と別れてから、桜川さんにメールをした。でも、返事はなかなか来なかった。

 最寄駅に着き、スーパーで買い物を済ませた。携帯を見ると、やっぱり返信は来ていなかった。


 家に着いた。食材をキッチンに運び、夕飯を準備する前に桜川さんに思い切って電話をしてみることにした。

「もしもし」

 桜川さんの声は小さかった。僕からの電話で、困っているのかもしれない。


「桜川さん?魚住です」

「あ、はい」

「今、家に着きました。桜川さんは家ですか?」

「いえ。まだ電車です」


 ああ、電車だから声が小さいのか。

「そうですか。電車だったら、手短に話します。夕飯は済みましたか?」

「まだです」

「じゃあ、うちに来てください。簡単なものですけど、用意しておきます」


 有無を言わせないうちに電話を切った。強引過ぎたか。でも、今日中になんとか話がしたい。何日も桜川さんを待たせるわけにもいかない。それに何より、もう一回謝りたい。


 そんなことを思いながら、僕は料理をし始めていた。



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