第14話 もどかしさ~佑編~
結局仕事に集中できず、その日は終わった。どうも桜川さんが視界に入ると、気になってしまう。明日からは外回りの仕事を中心に動こう。
家に帰りシャワーを浴びた。さっぱりとしてから夕飯を作った。そして、ダイニングテーブルで夕飯を食べる。
我が家のダイニングは、一人暮らしだと言うのに4人掛けのテーブルだ。これは名古屋にいた頃、忙しくて部下にダイニングテーブルを買ってもらうようにお願いしたんだが、なぜかこんな大きなものを買って来てしまった。
「だって、私たちが主任の家でごちそうになる時にテーブルが必要になるじゃないですか」
部下の家で一回だけ、夕飯を作りごちそうした。それ以来、また主任の料理が食べたいとしつこく言ってきたが、そうそう女性の家だったし行くわけにもいかず、断り続けていたら、そんな大きなテーブルをその子が頼んでしまったんだ。
それから、飲み会のあとや外回りをして直帰する時など、時々その子や他の部下たちが僕のマンションにやってきて、食べたり、飲んだり、泊まっていく日もあった。まあ、部下との絆も深まったし、あれはあれでよかったが、東京のマンションにはあまり人は呼ばないようにしようと、そう思っていたんだが…。
「このテーブル、やっぱりデカ過ぎだよな」
一人で座っていると、変に余っている空間が寂しさを感じさせる。
「…二人で座ると、違っていたな」
目の前に座っていた桜川さんを思い出す。美味しそうに食べる顔が目の前にあると、ほっこりと気持ちがあったかくなるもんだよな。
「……まいったな」
どうしたら桜川さんのことを考えずに済むんだ。ずっとだ。僕はずっと桜川さんのことを考えている。
翌日は課長と部長の家に行く日だった。憂鬱だ。ビジネススーツは堅苦しいだろうから、チノパンを履き、シャツを着た。
課長と待ち合わせをした時間に、駅に着いた。課長はまだ来ていなかった。
土曜日の午後5時。行き交う人の中には、カップルもいる。ベタベタしているカップルもいれば、付き合い始めたばかりなのか、恥ずかしそうに手を繋いでいる高校生らしきカップルもいる。すでに、冷えているのか、冷めた表情でちょっと距離を置いているカップルもいる。喧嘩をしたのかもしれないな。
デートなんて、何年していないだろう。付き合っていた頃にだって、デートと呼べるようなものはほとんどしなかったし。そういうのも、面倒だったからな…。思えば、僕は彼女に対してかなり冷たかったかもしれない。だからよく、喧嘩にもなったのかな。
僕の家に彼女が泊まりに来て、喧嘩になり、泊まらないで帰って行く。そんなパターンが多かった。だから、とてもじゃないが人と一緒に暮らすなんて無理だなって、その時も実感していた。たったの1日だって、持たないんだから。
だけどな…。あ、あのカップルの女の子、桜川さんに雰囲気が似ているな。彼氏といて嬉しそうだ。今、彼女はどうしているんだろうか。
「やあ、待たせて悪いね、魚住君」
ぼ~~っと桜川さんのことを考えていると、課長が目の前に現れていた。
「いえ。ここからタクシーですよね?」
「そうそう。バスもあるらしいけど、本数が少ないって言っていたよ。タクシーで行っちゃおう」
「はい」
タクシー乗り場に行き、停まっていたタクシーに乗り込んだ。行き先を告げると課長は、
「出掛けに妻と喧嘩してね、出るのが遅くなってしまったんだよ」
と、笑いながら話し出した。
「喧嘩ですか。奥様と喧嘩するんですか?課長、温厚で会社では怒ることもないのに」
「妻とはよく喧嘩するよ。顔が合えばガミガミ言ってくるから、ついこっちも言い返してしまってね」
「へえ」
「君のご両親は?」
「…僕の両親も喧嘩はよくしていましたよ。もう僕が高校の時に離婚していますが」
「ああ、そうだったね。悪い悪い。変なことを聞いてしまって」
「いえ。大丈夫です」
課長はしばらく外を見て、
「魚住君は結婚する気はあるのかい?」
と唐突に聞いてきた。
「は?」
「部長は娘さんと君を引き合わせるために、今日家に呼んだんだろう?」
「…そのようですね」
「部長の娘さんとは、何回か会っているが、とてもいい子だよ。取引先の○○電工の経理部にいるんだ。魚住君は○○電工に行ったことはないんだっけね?」
「いえ。一回行きましたが、営業部にしか行かなかったので」
「ああ、そうか。それで会っていないのか。年末に○○電工の人と忘年会をするのが恒例になっていてね、そこに来るんだよ。大人しそうな、可愛らしい人だよ」
「そうですか」
「大人しいからなのか、浮いた話がまったくないらしい。それで部長も、なんとか将来有望な君と、娘さんとを引き合わせたくなったんじゃないのかなあ」
それは困る。まったく結婚する気なんてない。
「はっきり言って、僕は結婚願望はありません。仲の悪い両親を見て育ってしまったし、独り身の方が気が楽ですし」
「そうか。だけど、この先ずっと一人でいるのは寂しいだろう」
「どうですかね…」
「誰もいない真っ暗な家に帰るのは嫌じゃないかい?僕も単身赴任を少しの間していたことがあるけれど、真っ暗な寒いアパートに帰るのは嫌だったなあ」
「…そうですか」
そんなに嫌だと思ったことはない。だけど…。
たとえば、家に帰ると「おかえりなさい」と出迎えてくれる奥さんがいて、その傍らに可愛い子供がいて、パパ、パパと甘えてくる。
「今日の収穫はこれです。どう?立派な茄子でしょう」
「じゃあ、早速茄子の煮付けを作ろうか?伊織も好きだよね、茄子の煮付け」
「はい。大好きです。主任の作る茄子の煮付け」
いや、そこは「主任」じゃなくて、「佑さん」だろう…。
「魚住君、ついたよ。降りないのかい?」
「あ、はい。降ります」
いつの間にかタクシーは止まっていた。 僕は慌ててタクシーから降り、そして今繰り広げられた妄想劇を思い返し、赤面した。
伊織?佑さん?なんだってまた、桜川さんと結婚している妄想をしているんだ。
部長の家は立派だった。閑静な住宅街の中でも目を引く大きな門構え。家の中に案内され、リビングに行くと明るい色のカーテンと、その明るさと同じくらい明るい笑顔の奥さんがいた。
「いらっしゃい。すぐにご飯にしますか?それとも、少しのんびりと寛いでからにしますか?」
「食事は6時過ぎでいいよな。まあ、ゆっくりとお茶でも飲んでくれ」
部長に言われ、僕と課長はリビングのソファに座った。リビング…というより応接間だな。テーブルを囲み、立派なソファがデン!と置いてある。
お茶と煎餅を奥さんが持って来てくれた。そして奥さんは、
「菜穂~~。菜穂ちゃん~~」
と、2階に続く階段の上に向かって、娘さんを呼んだ。
静かに娘さんが降りてきた。ああ、確かに第1印象は「大人しい」だな。小柄で細くて髪が長くて、俯き加減に歩いてくると、
「こんばんは」
と、小さな声で僕たちに挨拶をした。
「お邪魔しています」
そう僕が言うと、娘さんはちらりと僕の顔を見て、また視線を下げた。
「菜穂もここに座って、魚住君と話をしたらどうだい?」
「え?はい」
菜穂さんは部長の隣に座った。ちょうど僕の席の真ん前だ。
「菜穂さんは、もう会社に入って何年になるんですか?」
課長が聞いた。菜穂さんは少しだけ顔を上げ、
「3年になります」
とそう答えた。
「今年で25だ。もう結婚適齢期だよな、菜穂も」
「いえ、そんな…」
部長の言葉に菜穂さんはまた俯いた。
「菜穂さんは、何か趣味とかあるんですか?」
そう課長が聞いた。課長、もしや、何か企んでいるのか。まさかと思うが、部長に何か頼まれているんじゃないのか。こんなこと、根掘り葉掘り聞くタイプじゃないよな。
「趣味ですか。えっと。1年前から料理教室に行っています。あと、子供の頃からケーキつくりは好きで。他には…、ピアノを子供の頃から習っていて、今でも時々弾くことがあります」
ああ。だからリビングにピアノが置いてあるのか。
「すばらしいですね。僕の娘なんて料理もできないし、そんな習い事もしていないですよ。最近は学校で軽音楽部に入って、ギターを買って毎日部屋にこもってギターの練習なんかしています」
課長がそう言うと、
「軽音楽部ですか。いいですね」
と、菜穂さんは顔を上げた。
「どうでしょうねえ。髪も茶色に染めて、今度ライブをするんだと粋がっていますけど。勉強もろくすっぽしないで、そんなことばかりに夢中になって。って、僕の娘の話はどうでもいいですね。そうだ。魚住君は休みの日、何をしているんだい?」
やっぱり。絶対に部長とグルだよな。
「僕ですか。…映画でも見ていますね。映画館に行ったり、家でDVDを観たり。そのくらいしか僕には趣味はないですから」
そう淡々と答えると、
「どんな映画を観られるんですか?私も映画は好きです」
と、菜穂さんが聞いてきた。
「…いろいろです。SFも、アクション映画も、ミュージカルも観ますよ」
「そうなんですか」
ぼそっと菜穂さんはそう答え、また俯いた。
「さあ、ご飯の用意ができましたから、こちらにどうぞ」
奥さんに呼ばれ、僕たちは移動した。それからは、やたらと明るい奥さんがべらべらと話だし、菜穂さんはまったく会話に入ってこなかった。
夕飯を食べ終わると、すでに9時近かった。
「もうこんな時間ですので、失礼します」
僕がそう言うと課長も、
「ああ、本当だ」
と時計を見て席を立った。
玄関まで部長と奥さん、娘さんが見送りに来た。タクシーを部長が呼んでくれたので、家を出るとちょうどタクシーが家の前で止まったところだった。
「それでは、おやすみなさい」
「気を付けて。また遊びに来てくださいね」
奥さんが元気にそう言った。菜穂さんはぺこりとお辞儀をしただけだった。
タクシーに乗り込むと、行き先を告げた課長は、
「どうだい?菜穂ちゃん、可愛らしい人だっただろう?」
と、僕の感想を聞きたがった。
「そうですね。母親似ですね。部長に似ないで良かったですよね」
「あはは。そうだね。でも性格は部長かな。部長はそんなにおしゃべりなほうじゃないけど、奥さんはおしゃべりだったもんなあ」
「明るい奥さんでしたね」
「で、どうだい?菜穂ちゃんは」
「どうだいって?」
「お付き合いをする気になったかい?」
「は?!」
僕の驚きを見て、課長はまっすぐ前を向いた。そして黙り込んでしまった。
「なにか、部長に頼まれたんですか?」
「え?何かって?」
「だから、僕が娘さんと付き合うように取り計らえ…とか」
「そこまで頼まれていないよ。ただ、菜穂ちゃんと付き合うようになればいいと思っていると言っていたから、僕も協力しようと思っただけで」
「すみませんが、あまりそのようなことはしないでくださいませんか」
「迷惑だったかな?」
「迷惑と言うか…。僕ははっきり言って、結婚願望がまったくないんです。なので、部長や娘さんに期待させるのが悪いですから」
「お付き合いをするうちに考えも変わるかもしれないじゃないか」
「ありません」
即答だった。すると課長はもう、なんにも話をしなくなってしまった。
駅前に着き、タクシーが止まった。課長が清算をして先にタクシーを降り、
「あれ?桜川さん?」
と驚きの声を上げた。
桜川さん?僕は慌ててタクシーを降りた。すると桜川さんの肩を抱いた知らない男がそこにはいた。
「あ」
桜川さんとも目が合った。
「もう、本当に大丈夫です。電車で帰ります」
「送って行くって。ほら、顔色もよくないしさ」
こいつ、誰だ。桜川さん、嫌がっているのか?
「ああ、デートか…。魚住君、邪魔しちゃ悪いから、さっさと行こうか」
課長がそう言って歩き出した。
デート?
デート?!
僕も課長の後を追い、歩き出した。内心、ものすごくイライラ、もやもやしながら。
僕に告白したのはついこの前だ。それなのにもう、他の男とデートをしているのか?
その男と僕を両天秤にしていたのか?それとも、僕にふられてすぐに次の男を見つけたのか?
僕のことを好きだって言ったよな。それとも、単なる憧れだけだったのか?
ムカ。ムカムカ。胃のあたりがやけに気持ち悪い。いや、胸か?なんだかものすごくムカつく。
課長と改札口を抜けた。
「じゃあ、魚住君、ここで」
「はい、失礼します」
頭を下げ、僕は課長と逆方向のホームに向かった。
そして、一人で電車を待ちながら、さっきの桜川さんと知らない男のことを思い返していた。
肩を抱いていた。しつこそうな男だった。やけに胸板の厚い、少しギラギラしている感じの男だ。
「あの…」
桜川さんだ。あの男と帰ったんじゃなかったのか。いつの間にか僕の近くに来ていた。
「一人ですか?彼氏は?」
「一人です。それに、さっきの人はか、彼氏じゃないですし」
「…そうなんですか」
「あ、あの。真広が婚活パーティに行くって張り切っていて、その付き添いで行って」
「……溝口さんも一緒だったんですか」
「はい。一緒でした」
婚活パーティだって?結婚がそんなにしたいのか?ダメだ。さらに苛立ってきた。
「……。溝口さんは、岸和田とデートもしているようですし、お付き合いしているのかと思っていました」
「いいえ。岸和田君のことは真広、なんとも思っていないし。この前のもデートってほどのものじゃ」
「ああ、そうか。岸和田とは結婚できそうもないから、婚活パーティに行ったってことですか」
ああ、苛立つ。つい口調まで荒くなってきた。
「そんなに、溝口さんは結婚したいんですか」
「え?」
「……桜川さんもですか?結婚してくれるなら、誰でもいいんですか?」
「そ、そう言うわけじゃない…です」
「岸和田がダメなら次…。僕がダメなら次ですか…」
僕の言葉に、明らかに桜川さんの顔は沈んだ。言い過ぎたか。
「いや。そういうのが、婚活っていうものかもしれないですよね。まあ、頑張ってください。それじゃあ」
そう言って僕は、その場にいるのも辛くなり、ホームを歩き出した。
桜川さんは何も言わなかった。少しだけ歩き、振り返って見た。桜川さんは俯きながら、立っていた。
ズキッ!
…僕は何を言ったんだ。単なる嫉妬だよな。相手の男に嫉妬して、僕を好きだと言ったくせにと拗ねただけだ。なんて子供じみているんだ。
きっと桜川さんを傷つけた。
ズキズキ…。胸が痛い。
なんだってこうも、僕は桜川さんのことでこんなに悩まされているんだ。ここのところずっとだ。
くそ!
どうにもならない自分の感情がもどかしい。いったい、どうしたらいいんだ。
くそ!