第14話 もどかしさ ~伊織編~
しばらくロッカールームで、ブルーになっていた。気持ちが全然あがってこない。主任の顔を見て、胸がギュウってえぐられる様に痛かった。
「でも、もう行かなくちゃ」
時計を見たら1時間経過していた。
なんとかデスクに戻った。課長が、
「桜川さん、大丈夫かい?もし、また気分が悪くなったらすぐに言ってくれ」
と言ってくれた。
「はい」
課長の方を向いて頷いた。でも、つい課長の横にいる主任に目が行ってしまう。
バチッ!あ、目が合った。
どうしよう…。と一瞬、頭が真っ白になったが、すぐに主任のほうが目をそらした。
目、そらされた。
それからも、主任から声をかけてくれることもなく、時間が過ぎていく。
ギリリ。胃が痛くなってきた。
何も考えないようにして仕事に没頭した。とにかく、今は仕事をしよう。それしかない。
なんとか午前中は過ぎた。ランチは胃に優しいうどんにした。そして、真広と早めに休憩室に戻ると、なんだかやけにご機嫌の北畠さんが、私たちにお菓子をくれた。
「主任に、びっくりしちゃった」
椅子に座り、真広と北畠さんがくれたお菓子を食べようとすると、北畠さんが突然そう話し出した。
「びっくり?」
「今日、コーヒーを淹れに行ったら、主任がいて」
「主任がいたから、コーヒー淹れに行ったんじゃないんですか~?」
真広がそう言うと、北畠さんは、
「違うわよ」
と顔を赤らめた。いや、絶対に主任がいたから、コーヒーを淹れに行ったんだ。
「それで、主任がコーヒーを淹れるのを待っていたら、私の分も淹れるからデスクで待っててくださいって」
「へ~~~」
「それもね、ブラックで持って来たの。私がコーヒー、ブラックで飲むこと知っていたのよ」
そう言うと、北畠さんはうっとりとした。
「主任、優しいし、ちゃんと私のこと見ているんだなあ~~」
「よかったですね~~」
真広が心のこもっていない相槌を打っても、北畠さんはニコニコ顔だ。
「主任、優しいんですね」
北畠さんにも…。心の中でそこだけ呟いた。
「そうなのよ。あなたたちは冷たいって言っていたけど、とんでもないわよ」
私は言っていません。主任が優しいのは私だって知っています。でも、他の人にも優しいっていうのは、知りませんでした。
「あ、なんか旨そうなもん食ってる。一つちょうだい、真広ちゃん」
真広の後ろから手を伸ばし、北畠さんが広げていたお菓子を岸和田君がバクッと食べた。
「あ、それ、北畠さんの…」
「え?あ、うまいっす。ごちそうになります」
そう言うと岸和田君は、私たちのテーブルに椅子を持って来て勝手に座ってしまった。手には缶コーヒーを持っている。
「午前中、コーヒー淹れに行ったら、魚住主任がいてさ、頭来ること言うから、コーヒー淹れずにデスクに戻っちゃって、飲めなかったんだよね」
そう言うと、グビッと缶コーヒーを岸和田君は飲んだ。
「頭来ること?嫌味でも言われた?」
真広がにんまり笑いながらそう聞くと、
「ああ、すげえ嫌味ったらしいよ、あの人」
と、岸和田君は眉をひそめてそう答えた。
「どんな嫌味言われたの?」
「俺がさ、真広ちゃんとデートするの、気に食わないみたいだよ」
「え?私と岸和田君が?それを何で主任が?」
「結婚する気もないのに、真広ちゃんに気を持たせるようなことはしないほうがいいってさ。なんなんだ、あの人。余計なお世話だって」
「……そんなこと、主任が言ったの?」
「へ~~。でも、それって溝口さんのことを思って言ったんじゃない?」
北畠さんが口をはさんだ。
「仕事に支障きたすから、やめてくれってさ」
「なんだ。結局は仕事じゃない」
真広は、「ほんと、大きなお世話」と、岸和田君と話を合わせた。だが、
「この年で、マジで結婚なんか考えるわけないよな?いろんな女性と付き合わなきゃ損するよ。結婚なんか人生の墓場なんだし、そうそう早くから一人の女に縛られたくないし。魚住主任、まじめ過ぎだっつ~の」
と岸和田君がへらへらと笑うと、真広の顔は明らかに引きつった。
「歯、磨いてくる」
「私も」
真広と一緒に化粧室に行った。そして、歯を磨きながら真広は怒りをあらわにした。
「岸和田、あそこまで軽いと思わなかったわ。もう、デートするのやめた」
「やめるの?付き合わないの?」
私が鏡に映っている真広に聞くと、真広も鏡の中の私を見て、
「やっぱり私は、結婚したいもん!」
と言ってから、口をゆすぎだした。
歯磨きが終わると、真広は化粧直しをし始めた。私も、まだ目が腫れているので、アイシャドーを塗りなおした。
「あんなのに引っかかっていたら、何年たっても結婚できやしない。私は遊ぶつもりはないの。さっさといい男捕まえて結婚するんだから」
私の横で真広は息巻いている。
「だからっ!また婚活パーティ行くよ!この前は冴えない男ばっかりで金の無駄遣いで終わったけど、今度はもっとグレードが高いパーティ探すからね」
「え?」
「行くよね?伊織も」
「……うん」
主任にふられたんだし、ここは婚活パーティでもコンパでも、どこにだって行ってやろうじゃないの。なんて、心の中で私も息巻いてみた。だけど、気分はついていかない。やっぱり、落ち込んだままだ。
「伊織?伊織も結婚退職したいんでしょ?」
「え?うん」
「それも、26までに」
「そ、そうそう。26まで…。って、妹の美晴に先を越されるって思っていたんだけど、あの子、結婚やめるかも」
「え?なんで?」
口紅を塗っていた真広が、目を丸くしてこっちを向いた。
「元彼に会っちゃったんだって」
「あちゃ。やけぼっくいに火ですか?」
「元彼はどうかしらないけど、美晴は元彼を引きずっていたって自覚したみたい」
「それだけで、結婚やめるの?すっごくいい条件の相手なのに」
「条件だけじゃできないのかもね。結婚って」
ぼそっとそう呟き、私も口紅を塗った。
「好きかどうかが、やっぱり一番なのかな」
真広もそんなことを呟いた。
それにしても…。口紅を塗って、髪をとかしている真広を見ながらぼんやりと私は考えた。主任、真広のことを心配して、岸和田君にああ言ったんだよね。真広はきっと主任にとって、大事な部下なんだ。
北畠さんだってそうだ。結局、私だけが特別扱いされていたわけじゃないんだよね。
主任は、ちゃんと部下のことを考えている。口うるさくあれこれ言っていたけど、ちゃんと仕事をすれば、ちゃんと認めてくれるし評価してくれる。それは、私だけじゃないんだ。誰に対してもなんだ。
特別だと思われていると思い、有頂天になった自分が恥ずかしくなった。もしかしたら、他の人が熱出しても、主任はちゃんとお見舞いに行くかもしれないんだよね。
午後、まだ凹んだままだった。でも、どうしても主任にハンコをもらわないといけない書類がある。課長じゃダメだ。主任にもらってから、次に課長にもらわないとならないものだ。
本当言うと、午前中にはこの書類はできあがっていた。今日中に経理に回すものだが、ついこんな時間までほっておいてしまった。
そろそろ、ハンコもらって、課長からももらって、経理に行かないとなあ…。気が重い。
なんとか立ち上がった。もし、主任が今日どこかに出かけて、遅くまで帰ってこない…とかだったら、主任飛ばして課長にハンコをもらうのになあ。
主任の顔を見るのも、声を聞くのもつらいのに。そう思いながら主任のデスクまで行き、
「ハンコお願いします」
と、静かに書類を置いた。主任も静かにハンコを押し、「はい」と書類を返してくれた。
胸が痛む。ズキズキする。さっさと席に戻ろう。と、戻りかけると、
「あ、桜川さん」
と主任に呼び止められた。
ドキ。何?!
「昨日と一昨日、休んでいた時の受注なんですが」
「あ、はい」
「もう、ファイルは見ましたか?一応、僕や北畠さん、溝口さんが受注をした分、間違いがないかチェックをしておいてください」
「もう見ました」
それしか言葉が出てこなかった。
「そうですか」
主任もそれ以上は何も言わなかった。
気まずい。きっと主任も気まずい思いをしている。ああ、私、告白なんかしなかったら良かった。
ズシンと心に重りが乗ったまま、私は家路についた。ビールを飲む気にもなれず、なんとなく東佐野さんにメールをした。
でも、返事は来なかった。お芝居の稽古中かな?
東佐野さんに元気をもらいたかったのかな、私。きっと、相談できるのは東佐野さんだけだからかもしれない。真広にも言えない。美晴にも、なんとなく言えないでいた。
私は、美晴の相談事を聞く余裕なんかなかった。だから、美晴からメールが来ても、
>まだ、風邪が治らないの。ごめんね。
とそう返した。
美晴は、いつも恋する相手を振り向かせてきた。自分からふることはあっても、ふられることはなかった。いったい、どうやったら相手を振り向かせられるんだろうか。やっぱり、女子力がまったくないからなのか。
翌日も、翌々日も気持ちは沈んだまま。まだ風邪が完治していないからっていう理由で、金曜日のフラワーアレンジ教室も休ませてもらった。
主任は、今日も昨日も、ほとんど外出していた。わざと、外に仕事を作っているわけじゃないよね?なんて、疑ったりする自分が嫌になる。
でも、外出してくれて、ほっとしている自分もいる。いったい、いつになったら、まともに主任の顔が見られるのかな…。
金曜の夜美晴が来て、夕飯を作ってくれた。美晴は明日、二階堂さんとデートをするらしい。
「明日、断るの?結婚」
「ううん」
「え?じゃあ、どうするの?」
「…わかんない」
美晴の顔も沈んでいた。
「もし、結婚をやめるなら、早いうちに言わないと…」
「まだ、迷っているから」
二階堂さんのこと、好きじゃないよね?美晴…。とは聞けなかった。
「お姉ちゃんは?」
「え?」
「26までに相手、見つけないの?」
「…婚活はする。今度真広と婚活パーティに行ってくる予定だし」
「ああ、そうなんだ。ちゃんと考えているんだね。でも」
でも?
「あんまり焦って、好きでもない男と結婚するのはやめたほうがいいよね。だったら、まだ独身でいる方がましかもね」
え?!どうしたの?
「結婚ってなんだろうね。何が幸せな結婚なんだろうね」
美晴はそう言うと、ぼ~~っとテレビを観はじめた。美晴らしくない。こんな美晴初めて見る。
ううん。前にもこんな美晴見たことある。ああ、大学卒業間近の頃だ。しばらくうつ状態になり、ある日突然、私は25までに結婚する!と宣言してから、元気になった。
あの頃、明宏君と別れたのかもしれないなあ。
美晴は夕飯を食べ終えると、
「そろそろ、帰るね」
と言って、自分のアパートに帰って行った。
私はというと、早くも真広が婚活パーティに予約していて、明日の夜行ってくる予定だ。
気分はまったく乗らない。でも、なんにもしていないと、ずうっと主任のことをめそめそ思っていそうだ。
婚活パーティには、前と同じ服を着た。はっきり言って、やる気はゼロだ。こんな私が行ったりして、本気で婚活する気で来ている人たちには申し訳ない。でも、まあ、今回は真広の付添いってくらいの気持ちで行ってこよう。
真広は相当気合を入れている。服も新調し、昨日美容院にも行ったようだ。そして、今回のパーティは、30前後の男性が主に出席していた。それも、かなりの高年収のようだ。この前のパーティに来ていた人たちとは、明らかに違う。
名刺交換をすると、医者もいれば、弁護士もいた。IT関係の社長とか、なんだかすごい人ばかりだ。私には不釣り合いだと思う。
「え~~、社長なんですか?」
真広がしなを作った。こんな真広、初めて見る。
真広は狙いをこの社長に決めたようだ。34歳で社長。確かにすごいかもしれない。
真広とその人が話をしていると、私のところには弁護士がやってきた。
「こんばんは」
「こんばんは…」
あ、なんだか、苦手な人かも。なんていうか、ちょっとしゃべりにくいような雰囲気の…。
「失礼ですけど、今、おいくつですか?」
「25です」
いきなり年齢の話?
「お若いですね。まだまだ、結婚する気、本当はないんじゃないんですか?」
は?
「だったら、お見合いパーティに来ていません」
「でも、まだ25でしょう?今日は女性陣も30歳前後の方が多いですよ」
「……えっと。25だと何か問題でも?」
わざわざ、そんなことを話しに来たのかなあ、この人。
「いいえ。若くて結婚願望があるというなら、ぜひ話をしてみたいと思いまして」
「え?」
「僕は、女性は若いほうがいいですから」
は?
「よかったら、1度デートしませんか?」
「……」
なんか、やけに積極的な人だな。そんなとところも嫌かも。
「それは、その…」
「とりあえず、今日、一緒に帰るっていうのはどうですか?帰りにお茶でもしませんか?もっとゆっくりと話がしてみたいんです。あ、ほら、パーテイの時間もあとわずかですし」
時計を見ると、残り15分だった。
「伊織、一緒に帰ったら?私もこの人と一緒に帰りにお茶していくから。ね?」
真広はITの社長と一緒に帰るらしい。
「…じゃあ、はい。お茶だけ」
第一印象はよくない。っていうのは、そういえば、主任もそうだったっけ。だから、この人も、もう少し話してみないとわからないよね。
パーテイが終わり、4人で会場をあとにした。ビルを出てからは、別々の店へと向かって行った。真広たちがどこに行ったか知らないが、私は弁護士の伊丹さんとお酒も飲めるちょっとしたカフェバーに入った。
「何か飲みますか?」
「伊丹さんは?」
カウンターに座り、伊丹さんはジントニックを頼んだ。私は、モスコミュールを頼んだ。
「桜川さんはお酒強いですか?」
「普通です。強くもないし、弱くもないし」
「じゃあ、けっこう飲まれるんですか?」
「いいえ。そんなでもないです」
「お仕事は?事務と聞きましたが、これからも続けるつもりですか?」
「え?」
「結婚したら、専業主婦になりたいんですか?」
「はい。仕事は辞めると思います」
「へえ。じゃあ、お料理なんかが得意だったり?」
「お料理が得意のほうがいいですか?」
「そりゃあまあ、できないよりはできたほうが」
「…男の人はみんなそうですか?」
「そりゃ、そうでしょう。まったく料理もできないようじゃ、困っちゃいますよね」
「……女が料理はするものですか?」
「あ、なんですか?もしや、男女平等じゃないと…とかそんな考えですか?子供産まれたら育児も平等で…とか?あれ?でも、専業主婦になりたいんじゃないんですか?仕事をバリバリやって行きたいって言うなら、そういう意見もわからなくもないですが」
「…料理苦手です。家事も苦手です。だから、結婚向いていないかもしれないですよね?」
「ははは。本音が出た。やっぱり、結婚なんかする気ないんでしょ。まだまだ、遊ぶつもりで、今日来たのもひやかしできたとか?」
「……。いいえ。結婚はしたいんですけど…」
乗り気はなかった。でも、結婚はしたい。仕事で生きていく気はない。だいいち、そんなにバリバリ仕事ができるほどの能力もない。
ああ、私って、なんて中途半端な人間なんだろう。
「結局、男性は女性に家事や料理ができることを望んでいるんですよね。女子力が高いほうが理想なんですよね」
「そりゃ、そうでしょう。女性だって仕事ができて、年収がいい男性の方がいいでしょ?」
「…よくわかりません」
主任は仕事ができる。そこも魅力的だ。でも、そこだけじゃない。なんでもできるところに惹かれたわけでもない。じゃあ、どこかな。
どこだろう。わからないけど、いつの間にか好きになっていた。ああ、そうだった。主任の顔も体系も服のセンスも声も髪型も、話し方も仕草も、とにかく全部が好きだった。全部、私が、好きだなって思える人だった。
最初の印象だって、時計や腕、服が好みだなって思ったっけ。ちょっと嫌味な感じのことを言われて頭に来て、最悪な出会いだって思ったけれど、でも、やっぱり、主任は私の好みの人そのものだった。あれだけ、どこもかしこも私好みの人なんて、他にはいないかもしれない。
だって、この伊丹さんっていう人は、まず体系がムキムキで好きじゃない。そのムキムキ感がよくわかるようなスーツを着ていて、なんか香水もつけているみたいだ。それに髪、パーマかな?ちょっとボサボサすぎるし、髭も少しはやしているけど、ワイルド感を出しているんだろうか。そこも好きじゃない。
声も低すぎて好きじゃない。話し方も、ちょっと嫌らしくって好きじゃない。指も太いし、それに指輪をしている。なんかごっつい指輪だ。時計も派手すぎる。俺は金持ってます感が滲み出ていて、そこが何より好きじゃない。
あれ?もしや、全部嫌いかも。靴もやたらと先が尖りすぎ。でも、汚れているし、あ、爪もなんで小指伸ばしているの?うわ。引く…。
伊丹さんはジントニック2杯目をおかわりして、それもグイグイ飲んでいる。私はモスコミュールを半分だけ飲み、
「そろそろ帰ります」
と席を立った。
「え?もう?」
「ごめんなさい。ちょっと気分が悪くなってきて」
お財布からお金を出そうとすると、
「ここは払いますからいいですよ」
と言われた。
意地でも奢られたくなかった。でも、さっさと帰りたかったから、会計を任せてお店の外に出た。
「桜川さん、送りますよ」
「いいえ、けっこうです。まだ早いですし」
「気分が悪いんですよね。タクシー拾いましょう。ここじゃ、拾いにくいから駅前のタクシー乗り場まで行きましょう」
「大丈夫ですから。電車で帰ります」
そう言っても伊丹さんは、駅に向かって一緒に歩きだしてしまった。
一緒にタクシーだなんてとんでもない。そのまま、どっかに連れ込まれてもいやだ。そんなことはないと思うけど、でも、初対面のどんな人だかもわからない人なわけだし、やっぱり警戒してしまう。
「あ、タクシー1台もないなあ」
タクシー乗り場には、数人の人が待っていて、タクシーは1台もない。よかった。
「じゃあ、電車で帰ります」
「すぐに来ると思うから待っていようよ」
しつこい。とそこへ、1台タクシーがやってきた。
「あ、ほら、もう1台来たし、案外すぐに来るんじゃない?」
「でも、私、車酔いもしそうだし」
なんとか、逃げようとしても、さっきから肩まで抱いている。こういうなれなれしいところも嫌いだ。なんて、頭に来ていると、なんと今来たタクシーから課長が降りてきて、見つかってしまった。
「あれ?桜川さん?」
課長が降りた後、なんとそのタクシーから主任まで降りてきた。
「あ」
主任。
「あ…」
主任も私を見て、黙り込んでその場に立ち止まった。
やばい。伊丹さんと一緒にいるところ見られた。
いや、別に主任に見られてもどうでもいいことかな。
でも、やっぱり、変な誤解をされたくない。
ああ、私、未練がましい。私が誰と会っていようが主任には関係ないことだよね。
「もう、本当に大丈夫です。電車で帰ります」
「送って行くって。ほら、顔色もよくないしさ」
いいんですってば。もう!主任の前であまり、べったりくっつかないで。
心の中でそう叫んだ。
「ああ、デートか…。魚住君、邪魔しちゃ悪いから、さっさと行こうか」
課長はそう言って、さっさと歩き出した。主任もふっと視線を私から外し、課長と肩を並べて歩き出した。
デートなんかじゃないんです!心の中で叫んだ。この人は何の関係もない人なんです。もう、絶対に会うこともない人なんです!
心の声が届くわけもなく、主任は人ごみの中に消えて行った。
ああ。なんだって、こんなどうでもいい人と、一緒にいたりしたんだろう、私…。思い切り後悔した。
「本当に一人で、帰れますから。もうほっといてください!」
そう言って私は、まるで主任を追いかけるようにして駅に向かって走り出した。もし、追いついたとしても、声なんかかけることもできないくせに。




