第13話 告白 ~佑編~
僕に、恋をしているっていうのか?
…思考回路が止まった。真っ白だ。
僕は上司だ。桜川さんは部下だ。それ以上でもないしそれ以下でもない。
上司として慕ってくれていたんだろう?僕だって、部下として心配したり、面倒を見たりしていたんだ。それだけだ。
「桜川さん。僕は、桜川さんのことを恋愛対象として見たことはありません。部下として今日も心配で見に来たし…」
「……部下」
「……」
やばいな。桜川さんの表情…。もしかして泣きだすかもしれないな。ここは、ちゃんと、丁寧に説明をしないと。
「何か、桜川さんに誤解を招くようなことをしたとしたら謝ります。ですが、名古屋にいた頃も、部下を家に呼んだり、部下が、具合が悪い時には見舞いに行ったりしていました」
「女性の…?」
「いえ。男性の…。あ、営業職の女性なら、家に来て飲んだりもしていましたよ」
「あ、あの。主任は悪くありません。私があまり、男性と付き合ったことないから、なんか、ちょっと、浮ついちゃったって言うか」
「浮ついた?」
「私も主任のこと上司として尊敬しています。こ、恋の対象とか、そういうの関係なしに人間として好きって言うか。仕事もできるし、なんでもこなせちゃうし」
「そんなことないですよ」
「いいえ。きっと私、それであこがれて…。だから、恋…じゃないかもしれません。だから、気にしないでください」
桜川さんの顔、必死だ。僕に気を使っているのか。いや、それとも本心か?
「私が言ったこと、忘れてください。ちょっと東佐野さんに言われて、勘違いしただけです。もう、全然気にしないで、今迄通り、部下の一人として接してください」
ああ、思い切り作り笑いをしている。やっぱり、僕に気を使っているのか…。
「ほんと、気にしないでくださいね。明日は元気に会社に行きます。それで、今まで以上に仕事も頑張ります。主任もビシビシしごいてください。よろしくお願いします」
「はい」
このまま居座っても、桜川さんに辛い思いをさせるだけかもしれないな。
「それじゃあ、僕はそろそろ失礼します」
僕は、桜川さんのアパートから駅に向かった。桜川さんは、元気をよそおって僕を見送ってくれていた。
明日、会社に来るよな…。突然、やめたりしないよな。そこまでは思いつめたりしないだろう。
はあ。気が重い。傷つけたかな。傷つけたよな。
僕が軽はずみだったか。家に呼んだり、家に行ったり…。男性社員と女性社員を同じように扱ったら、やっぱり誤解を招くんだな。
東佐野がなんか言ったって言っていたな。おせっかいでもやいたんだろうか。まったく、あいつは。
部下…もしくは、妹みたいな感覚だったんだ。恋じゃない。僕は恋なんかしない。結婚も考えていないし、桜川さんをそんな対象で見たことなんか一回だって…。
いや、可愛いとは思った。でも、きっと妹のようにだ。
気が合うとも思った。結婚後まで想像したりもした。でも、だからと言って「恋」じゃないよな。
マンションに着くと、すぐにシャワーを浴びた。冷静になって、もう一回桜川さんのことを考えてみた。
うん。どう考えたって、僕は彼女に恋愛感情を抱いていない。
水を飲み、パソコンを開いて仕事を始めた。何かに没頭していないと、桜川さんのことをあれこれ考えだしてしまう。忘れよう。これからも、部下として接しよう。家に呼ぶのもよくないな。プライベートで会うのはよそう。
いろんなことを自分で決めて、すっきりさせてからベッドに寝転がった。
明日から桜川さんに、どう接していこうか…。そんなことを一瞬思ったが、考えないようにして本を手にした。小難しい本だ。きっとこれで眠くなる。そう思いながら本を読んだが、なかなか眠れなかった。
結局寝たのは3時過ぎ。目覚ましで起き、眠い目をこすりながら顔を洗いに行った。
何度も、桜川さんのことを思い出した。でも、無理やり仕事のことを考え、桜川さんのことは頭から追い出した。追い出してはまた思い出し…、そんなことを繰り返しながら、僕はオフィスに着いた。
気が重い。でも、こっちが変な態度を取ったら、桜川さんも気にするだろうし…。いつもと同じようにしていたらいいんだよな。
ため息が出そうになり、ぐっと飲み込んだ。そして時計を見ると、いつもなら桜川さんがとうに出社している時間になっていた。
あ…。来た。溝口さんと席に向かって歩いてきた。僕はパソコンを見ているふりをしながら、二人の様子をうかがった。
溝口さんが席に着いた。だが、桜川さんは、一回椅子を引き、腰掛けようとしたが、何やら溝口さんに囁いて、またロッカールームの方に行ってしまった。
「課長、桜川さん、気分がすぐれないみたいで、少しロッカールームで休みますって」
「え?そうか~。もしかして、無理して出てきちゃったのかな?」
「朝から顔色悪かったし、そうかもしれないです」
「あとで様子を見に行ってあげてくれ。あんまりつらいようなら、医務室に行ってもいいし、家に帰ってもいいからと伝えてくれ。頼んだよ」
「はい」
「今の、聞こえてたかな?魚住主任」
「あ、はい。聞こえていました。僕だったら、今日は外回りもないので、桜川さんの仕事のフォローできますよ」
「そうか。頼んだよ」
「はい」
何事もなかったかのように、課長は仕事を始めた。溝口さんもパソコンを開き、メールチェックをしているようだ。
北畠さんは、
「主任、用事があれば言いつけてくださいね」
と僕に言った。
「ああ、はい」
僕はそれだけ返事をして、すぐにパソコンの画面を見た。だが、仕事は全く手につかなかった。
桜川さんの具合が悪いのは、僕のせいか?
それとも、また熱でも出たのか。
「………」
気になって仕方ない。
「はあ…」
知らない間にため息が出ていた。ロッカールームまで行って、様子を見るか。いや、僕が行ったりしたら、かえって辛い思いをさせるだけか。
あ~~~~~~、くそ。
胸の奥がもやもやする。何か、僕は後悔をしている。なんなんだ、いったい。
1時間して、桜川さんがデスクに来た。
「大丈夫?伊織」
「うん。なんとか」
そんな会話が聞こえてきた。
「桜川さん、大丈夫かい?もし、また気分が悪くなったらすぐに言ってくれ」
「はい」
課長の言葉に桜川さんが頷いた。そして、ちらっとこっちを見たから、目が合ってしまった。
まずい。
パッと視線をそらした。そして、もっと「やばい」と感じた。何で今、わざとらしく視線を避けてしまったんだ。ちゃんと、「大丈夫ですか?」と聞くべきだった。
もう一回桜川さんを見た。すると、暗い顔をしてパソコンを眺めていた。
もしや、傷つけたか?
ズキ。
なんだ、この胸の痛みは…。
暗い顔をしているだけじゃなかった。桜川さんの目、腫れている。泣いて腫れたような目をしている。
泣いた?僕が帰ってから?
「伊織、大丈夫?なんか、今日元気ないよ。まあ、高熱出していたんだし、仕方ないか」
「大丈夫だよ。もう大丈夫」
桜川さんが、溝口さんの言葉に、無理して明るく答えているのが聞こえてきた。
「そういえば、妹さんのことで聞いてって言っていたよね?なあに?」
「…うん、後で聞いて」
「深刻な話?」
「うん。ちょっと」
「だから、今日、伊織暗いの?」
「く、暗くないよ。やだなあ。このとおり、元気だよ?」
桜川さんは、笑いながらガッツポーズを作った。ああ、それが痛々しい。わざとらしく元気にしているのが、他の人でもわかったようだ。
「桜川さん、無理はダメよ」
北畠さんまで、そう言って桜川さんを励ましている。
……。妹さんが何かあったのか?それで暗いのか?それとも…。
席を立ち、コーヒーを淹れに行った。そこに、北畠さんがやってきた。
「コーヒー、淹れましょうか?」
「大丈夫です。ちょっと、気分転換のつもりで来たので、自分で淹れます」
「仕事が大変なんですか?」
「…ええ、まあ。あ、二人分淹れましょうか?北畠さんも飲まれるんですよね?」
「はい」
北畠さんは嬉しそうにその場に留まり、僕の顔をじっと見た。
「コーヒー、デスクまで持っていきますよ。席に戻って仕事をしていてください」
そう言うと、少しがっかりした表情をして、北畠さんは戻って行った。
「は~~~~」
北畠さんがいなくなってから、思い切りため息を吐いた。
コーヒーメーカーがポコポコと音を立て、コーヒーを注ぎだした。それを、ボケッと眺めながら、桜川さんの横顔を思い返した。
辛そうだったな。出社するのも本当は辛かったのかな。
「はあ」
僕は、何かを間違えたのかな。
ふと、そんな思いがよぎった。どうしたらよかったんだ?彼女の気持ちを受け入れたらよかったのか?そうして、桜川さんと付き合えばよかったんだろうか。
僕が?桜川さんと?
…っていうことは、結婚を前提に付き合うってことになるんだよな。
この僕が、桜川さんと結婚?!
ガチャン!
コーヒーメーカーの横にあったグラスをひっくり返してしまった。中には砂糖のスティックが何本も入っていたが、それらがバラバラと床に落ちた。
何をしているんだ、僕は。慌ててしゃがみこみ、それらをまたグラスの中に入れて、もとあった位置に戻した。
「はあ…」
「お疲れのようですね。大丈夫ですか?」
声がして、びっくりして振り向いた。あ、岸和田か…。
「顔色も良くないようですけど?」
「寝不足なだけですよ。コーヒーですか?」
「はい」
「3杯くらい作ったので、もう少し待ってください」
「……魚住主任って、独身主義ですか?」
「は?」
なんだ、唐突に。
「僕もなんですよね」
「え?」
それなのに、溝口さんとデートしたのか?
「一人の人に縛られるって、やっぱり、嫌ですよね」
「…そう思うんだったら、思わせぶりなことはしないほうがいいと思いますけどね」
そう言うと、明らかに岸和田はブスッとした顔をして、
「なんのことですか?」
と聞いてきた。
「溝口さんのことですが」
「え?」
「あまり、期待を持たせないほうがいいと思いますよ」
「主任には関係ないっすよね?」
「関係ありますよ。彼女の上司ですし、仕事に支障が出ても困りますので」
そう言うと、岸和田はコーヒーが出来上がるのも待たず、席に戻って行ってしまった。
コーヒーをカップに二人分淹れ、デスクに戻った。戻る途中で、
「はい」
と、一つを北畠さんのデスクに置いた。
「ありがとうございます」
「ミルクもお砂糖も入ってないですよ」
「いいです。いつもブラックだから」
「ですよね」
確か前に、私はブラックで飲んでいるの…と、自慢するように桜川さんに言っていたもんな。桜川さんが苦いと言って、ミルクを2杯も入れているのを見て。
ちらっと桜川さんの方を見てみた。桜川さんは、真ん前の書類をじいっと見つめていた。
「……」
僕は無言で自分のデスクに戻った。
そして…。僕は、さっき岸和田に言った言葉を思い返していた。
あれは、自分自身に言った言葉じゃないのか。
結婚する気もない。ずっと独身貴族でいるつもりだ。なのに、桜川さんに思わせぶりな態度を取って、彼女を傷つけた。
傷つけた。
僕はその日、僕から桜川さんに言葉をかけることができなかった。休んでいた時の受注のことなど、伝えないとならないことがあるというのに。
午後、4時を過ぎて、桜川さんは席を立ち、静かに僕のデスクの横まで来た。
「主任、ハンコをお願いします」
「…はい」
書類に目を通して僕はハンコを押した。桜川さんは、早くに席に戻りたいのか、書類を受け取るとすぐに歩き出した。
「あ、桜川さん」
「はい?」
少し緊張したように、桜川さんは立ち止まった。
「昨日と一昨日、休んでいた時の受注なんですが」
「あ、はい」
「もう、ファイルは見ましたか?一応、僕や北畠さん、溝口さんが受注をした分、間違いがないかチェックをしておいてください」
「もう見ました」
「そうですか」
桜川さんは静かにまた席に戻った。
はあ。そりゃそうだよな。朝一でそういう指示は出すべきことだよな。
プライベートのことを仕事に持ち込むことは昔から嫌いだ。そういう人間も、どこかで軽蔑していた。それがどうだ。思いっきり持ち込んでいるじゃないか。
ちゃんとしろ。仕事は仕事だ。そう自分に言い聞かせ、そのあとは仕事に没頭した。




