第13話 告白 ~伊織編~
「じゃね、頑張って」
そう言って、東佐野さんはドアを閉めた。
無理。告白なんて絶対に無理。だって、私のこと部下としか思っていないよ?それがわかっているのに。
でも、告白したら変わってくるかな。
なんて!!ああっ。東佐野さんが変なこと言うから、思い切り期待しちゃうじゃないか。
ドキドキ。ドキドキ。そろそろ主任来ちゃうかな。ダメだ。
あ、そうだ。主任が忘れていった腕時計、これをさっさと返して帰ってもらうってのは?なんだか、ドキドキが半端なくて大変なことになりそうだし。
トントン。ノックの音が聞こえた。今度こそ主任だ!
慌てて和室のテーブルの上にあった腕時計を取り、髪をなでて整えてからドアを開けた。
「あの、主任、忘れものでしたらこれですよね?」
ドアの前に立っていた主任にそう言って、時計を渡した。
「ああ、すみません」
主任は受け取りながら、ドアをグイッと開けて玄関の中に入ってきた。
「お邪魔します」
「あの、熱下がったんです」
「よかったですね。明日は来られますか?」
「はい。だから、今夜も大丈夫…」
「食材、買ってきました。食欲あるなら栄養あるものを食べたほうがいいですよ」
「あの、ありがとうございます。でも、あとは自分でなんとかしますから」
「…はい?」
「だから、主任はもう…」
「帰れっていうことですか?わざわざ、このために会社も定時に退社して、スーパーで買い物をして、ここまでやってきたっていうのに?」
ええ?怒った?
「す、すみません。ご迷惑ばかりかけて」
「…そう思うなら、黙って休んでいてください。夕飯作ります。あ、ゆっくりと風呂に入ってくれてもかまわないですよ」
「もう、シャワーなら浴びました」
「じゃあ、テレビでも観ていてください」
「で、でも」
「桜川さん」
びっくりした。主任の声大きかった。
「はい?」
「いうこときいて、そこに座ってテレビ観ていてください」
「は、はい」
主任、怒ってる?
私はすごすごと座椅子に座った。主任、私のために早く来てくれたんだよね。
「私のために、仕事切り上げてくれたんですか?」
もう一回謝ろうと思いそう聞いてみた。
「持ち帰ってきたんです。家でもどこでもできるから、大丈夫ですよ」
「すみません、なんか、本当に私、迷惑ばかり」
「………」
主任、無言で私のこと見てる。いたたまれなくなり、私は前を向いた。
「気にしないでください。いつものお礼とでも思ってくれたらいいですから」
主任、優しい声だ…。
「いつもの?」
振り返り、主任の顔を見ると顔も穏やかだった。
「フラワーアレンジや家庭菜園のために、わざわざ僕のマンションまで来てくれていますよね?」
「でも、あれは、別に」
「花代も僕は払っていませんし…。だから、気にしないでいいですよ」
主任。
主任は絶対優しいと思う。あんなことを言って私が気を使わないようにしてくれているんだ。お言葉に甘えて、今夜も主任の手料理をいただこう。
大人しくテレビを観ながら待っていた。夕飯ができると主任はテーブルにそれらを運んでくれた。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
にこりと主任は微笑んだ。ドキン。その笑顔がやっぱり優しい。
お料理も最高に美味しかった。美味しいと言うと、主任は嬉しそうに笑った。
どうしよう。
胸が高鳴る。
やっぱり、私は前よりもずうっと主任が好きになっている。
東佐野さんの言葉が脳裏に浮かぶ。もし、私が告白したら、主任、どうするかな。
ここまで、いろいろとよくしてくれるなんて、やっぱり、特別に思ってくれているからなのかな。
「……。主任」
「なんですか?」
「あの…」
告白…する?勇気を持って。
「あの…」
「はい」
「ひ、東佐野さんが言っていたんです。だからってわけじゃないんですけど、いえ。たとえ、そうじゃないにしても、あの…」
「はい?」
主任、私が告白するって気が付いてる?気が付いていないよね。キョトンとしているし。ああ、どうしよう。やめるなら今。でも、告白するとしても、今。
どっち?どっちにするの?
「こ、こんなに心配して、部屋に泊まっていくくらいだから、主任は伊織ちゃんのこと絶対に特別だって思っている…。って、東佐野さんが」
「特別?まあ、そうですね」
え?やっぱり、特別って思ってくれているの?!
ドキドキドキ。これは、もう、告白するしかないよね?
「主任、わ、私、女子力もないし、本当に女としてダメだって自分でも思います。でも、そ、そんな私ですが…、主任のこと」
うわ。勇気いる。このあとの言葉が出てこない。
「……」
主任の視線を感じる。ずっと見てる。私の言葉を待っているんだよね。ええい!伊織、勇気出せ!
「す、好きなんです」
い、言った~~~!
「今、なんて?」
ええ?も、もう一回言うの?
「好きなんです」
恥ずかしいけど、勢いでもう1回私は告白した。でも、
「…上司として…とか、人として…とかですか?」
と、主任がそんなことを聞いてきた。
違う。そう言う意味じゃないよ。
「いいえ。私は主任のこと尊敬しています。でも、それだけじゃなくって、きっと、こ、こ、恋しているんだと思います」
言った。言ったぞ。恋してるって今、私は言っちゃったぞ。どうしよう。
バクバク。主任が何にも言ってくれない。どうしたらいいんだろう。そんなにびっくりすることだったの?
一回下を向いて、主任の言葉を待った。でも、あんまり黙っているからそっと顔を上げた。あ、主任、なんか呆けている?
「あ、あの」
「え?あ…」
ドキドキ。主任が我に返ったように私を見た。
「えっと。すみません。いきなりのことだったんで、ちょっと驚いてしまって。その…」
そうだよね。やっぱり、私、言うタイミングを間違えたかな。
「桜川さん」
「はい」
あ、声が裏返ったかも。
「すみませんが、桜川さんの気持ちに応えることはできません」
……え?
「僕は、桜川さんのことを恋愛対象として見たことはありません。部下として今日も心配で見に来たし…」
「……部下」
そうか。うん。そうだよね。それ、わかってた。でも、ほんのちょっと、ううん、かなり期待した。だって、特別に思っているって言ってくれたし。
「何か、桜川さんに誤解を招くようなことをしたとしたら謝ります。ですが、名古屋にいた頃も、部下を家に呼んだり、部下が具合が悪い時には見舞いに行ったりしていました」
「女性の…?」
「いえ。男性の…。あ、営業職の女性なら、家に来て飲んだりもしていましたよ」
そ、そうだったんだ。私だけが特別だったわけじゃないんだ。
うわ。ショックとともに、ものすごい恥ずかしくなってきた。勝手に勘違いして、好きだなんて告白したりして。
「あ、あの。主任は悪くありません。私があまり、男性と付き合ったことないから、なんか、ちょっと、浮ついちゃったって言うか」
「浮ついた?」
「私も主任のこと上司として尊敬しています。こ、恋の対象とか、そういうの関係なしに人間として好きって言うか。仕事もできるし、なんでもこなせちゃうし」
「そんなことないですよ」
「いいえ。きっと私、それであこがれて…。だから、恋…じゃないかもしれません。だから、気にしないでください」
「はい?」
「私が言ったこと、忘れてください。ちょっと東佐野さんに言われて、勘違いしただけです。もう、全然気にしないで、今迄通り、部下の一人として接してください」
必死に笑顔を作った。多分、引きつっていた。
でも、笑って誤魔化すしかなかった。主任はそんな私を見て、すまなさそうな顔をした。
ああ、そんな顔しないで。主任が悪いわけじゃないんだから!
「ほんと、気にしないでくださいね。明日は元気に会社に行きます。それで、今まで以上に仕事も頑張ります。主任もビシビシしごいてください。よろしくお願いします」
そう言って、ぺこりとお辞儀をした。主任は、
「はい」
と一言だけ応えると、
「それじゃあ、僕はそろそろ失礼します」
と言って、立ち上がった。
「ごちそうさまでした。本当にありがとうございました」
「…いいえ。じゃあ、また明日」
「はい」
必死に元気に返事をした。
ドアの外まで見送りに行った。
「気を付けて」
と言うと、主任は振り返り、
「おやすみなさい」
と優しくそう言ってくれた。
主任の後姿をしばらく眺めた。そして、その背中がぼやけていることに気が付いた。ああ、私、泣いてる。
「ひいっく」
主任に聞こえたら大変と思い、ドアを閉めてから家の中で泣いた。
私の気持ちを伝えたら、何かが変わるような気がしてた。でも、主任を困らせるだけだったんだ。
「ひいっく」
告白なんかしなかったらよかった。
11時、メールが来た。東佐野さんからだった。
>どう?伊織ちゃん、ちゃんとコクれた?
>はい。フラれました。
>そうか。でもまだ、これからも頑張ってみたら?
>無理です。だって、すごく困っていたから。もう私の気持ちは捨てます。
>捨てちゃうの?諦めるってこと?
>はい。でないと、主任に迷惑かけるから。
>酒付き合おうか?
>病み上がりだから、やめておきます。
>大丈夫。もらい手なかったら、俺がいる。
>はい。だ~~れももらってくれなかったら、お願いします。
>まかせろ。じゃ、おやすみ。
涙は止まっていた。でも、頭の中は真っ白だ。
始まって間もない私の恋は、簡単に幕を下ろした。
明日、会社に行くのが気が重い。主任の顔を見るのが辛い。でも、行って元気な顔を見せないと…。
その日の夜は、強い雨も降りだし、雷の音までして眠れなかった。雷の音は嫌いだ。昔からダメだ。それだけでも、気が滅入るのに…。
ブルルル。携帯が鳴った。東佐野さんだ。
「伊織ちゃん、雷、大丈夫?」
「大丈夫じゃないです」
「俺、そっち行こうか?」
「え?」
「酒でも持って行こうか?」
「大丈夫です。なんとか寝ます」
「寝れるの?」
「はい。ごめんなさい、心配かけて。前にも雷がすごい日に怖くって、朝まで一緒に飲みましたよね、あ、途中で私は寝たけど」
「うん。雷、弱いもんね、伊織ちゃんは」
「でも、明日会社だし、今夜は頑張って寝ます」
「そう?じゃあ、どうしても怖かったら、電話して」
「はい。おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
電話を切ってほっとした。壁の向こうに東佐野さんがいる。何かあれば、来てくれるね…。
まだ雷は鳴っていた。だけど、少し安心できたからか、私はすぐに眠りについた。
翌朝、よく晴れた空…。外はかなり暑そうだ。
「はあ…」
空は綺麗な青空なのに、私の気持ちは沈んだまま。
「元気、出さなくっちゃ」
なんとか、化粧をして目の腫れも誤魔化した。泣くと私の瞼はすぐに腫れてしまい、一重になってしまう。
白のブラウスとベージュのスカートを履いた。服を明るめにしたら、顔も明るく見えるかもしれないと思って。朝食を食べる元気はないので、ヨーグルトだけ食べた。あと、美晴が持って来てくれたバナナをなんとか食べ、アパートを出た。
そういえば、美晴は結婚どうするんだろう。元彼と会って、引きずっていることに気が付いて、二階堂さんと結婚なんてできないかもしれないよね。
よく、男の人は終わった恋を引きずって、女の人はきっぱり忘れるとか言うけど、次に本気で好きになる人が現れない限り、けっこう女の人も引きずるもんだ。たとえば、大っ嫌いになって別れたりしたら別だろうけど。
なんてね。恋愛経験が少なすぎる私には、わかったような口たたけないよね。なにしろ、今回の恋も、片思いで終わっちゃったわけだし。
「は~~~」
ため息だ。朝から何度目かな。
オフィスに着いた。ロッカールームに行き、カバンをしまい、椅子に腰かけてまた大きなため息をした。
「おはよう、伊織」
「あ、おはよう、真広」
「熱下がった?」
「うん。ごめんね、迷惑かけて。仕事忙しかったでしょ?」
「そうでもないよ。私よりも北畠さんが張り切っていたけど」
「北畠さん?」
「主任にいいところを見せたかったみたいよ~~」
ドキ。主任…。
ダメだ。主任って聞いただけでも心臓が飛び出そうだ。
「主任さあ、昨日と一昨日、定時に上がったの。あの、仕事人間が、ずっと残業ばっかりしていた人が。もしかして、もう部長の娘さんと付き合っていたりしてね?」
「え?」
「だって、出世のためなら、そのくらいしちゃいそうじゃない?」
「……そうかな。わかんない」
ズキズキ。胸が痛む。万が一部長の娘さんと付き合うようになっても、私には何も言えない。私は単なる部下だし。もう、ふられているし。
恋愛対象には見れないって言われた。はっきりと。だったら、あんなに優しくしないでほしかったな。
ああ、また落ち込んでいく。ダメだよ、元気出さなくっちゃ。
なんとか気合を入れ、自分のデスクに向かった。でも、すでに主任は席についていて、その姿を見ただけでも、胸が痛んだ。
ズキ!
「ま、真広。なんか、気分悪いから、もう少しロッカー室で休む。課長にそう言っといて」
私は真広にそう頼み、逃げるようにロッカー室に戻った。
どうしよう。まともに主任の顔が見れないよ。