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第12話 お見舞い ~佑編~

 部屋の中は静かだった。時々、寝返りを打つ音と、桜川さんの息苦しそうな寝息が聞こえるだけで。

 パチパチとノートパソコンを打っていると、水の流れる音や、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。それから、アパートの前を車が通ると、その音も響く。


 マンションと違って、アパートっていうのは隣近所の音がよく聞こえるんだな。

 

 ふと、隣に東佐野がいるのを思い出した。こんな偶然あるのか?それにしても、桜川さんのこの部屋によく入り込んで飲んでいたのがあいつだったとは。

 あいつって、けっこう昔から女に手、早いよな。酔った勢いで…とかなかったのか?本当に大丈夫だったのか?


「はあ。なんだって僕は次から次へと桜川さんの心配ばかりしているんだ」

 そんなことをぼそっと呟き、また僕は仕事に集中した。


「ん~~~」

 桜川さんが苦しそうに唸っているのが聞こえ、僕はすぐさま様子を見に隣の部屋を覗いた。桜川さんは苦しそうに寝返りをうち、僕の方に顔を向けた。


「辛そうだな…」

 冷えピタはすでに熱くなっていた。新しいものと貼り替え、僕はしばらく桜川さんの顔を眺めた。

 真っ赤だ。それに汗もかいている。本当は着替えもさせたほうがいいんだろうが、そこまではさすがにできないな。


 タオルケットから手足を出し、また「う~~ん」と桜川さんは寝返りを打った。ああ、暑いのかもしれない。

「……」

 短めのパジャマのパンツ…。太ももまで丸見えだ。さっきまではタオルケットに隠れていた足…。あいつが来た時にも、ちゃんとタオルケットに隠れていたよな…。あいつ、東佐野。


 桜川さんから聞いた話だと、何もないようだが…。それに、東佐野には彼女がいるようだし。でも、派手な女だった。あれは彼女じゃないかもな。ただの遊び相手…。あいつならいそうだよな。いろんなバイトもしたって言っていたから、その時からの遊び相手かもしれないな。


 でも、桜川さんは違う。あいつが遊ぶような女じゃない。やっぱり、東佐野だと知ってますます桜川さんに近づけさせちゃいけないって気がしてきた。あいつにも、桜川さんに近づくなと釘を刺しておかないと。桜川さんにもだ。男の免疫なさそうだし、あんなやつに引っかかったりしたら大変だ。


 タオルケットで足を隠すか悩んだ末、暑いのだろうからとそのままにして、僕はまた隣の部屋に戻り仕事を再開した。

「いつ、帰ろうか」

 こんなことなら、一旦家に帰って、着替えも持って来たら良かったな。あ、そうか。明日の朝早くに帰って、シャワー浴びて着替えをして会社に行ったらいいのか。どうせ隣の駅だ。


 このまんま、苦しそうにしている桜川さんを一人にはできないもんな。

 小1時間仕事をして、それから洗面所を借りて、口をゆすぎ、顔を洗った。タオルは適当に借りてしまった。

 

 桜川さんの部屋は、女性らしさを感じさせなかった。特に片付いているわけでもないが、ちらかってもいない。多分、物が少ないからだろうな。コップには1本だけの歯ブラシ。タオルも1枚かかっているだけ。男っ気がまったく感じられない部屋だ。


 小さな豆電球だけにして、座椅子の背もたれを倒してそこに横になった。隣の和室の襖は開けておいた。こうしておけば、桜川さんに何かあってもすぐにわかるだろう。

 隣からテレビの音が聞こえてきた。東佐野の部屋の方からだ。まったく、こんな時間までテレビなんかつけておくなよ、近所迷惑だろ。それも、今、桜川さんが熱を出しているの知っているだろ?


 遠くで救急車の音がした。それから犬の鳴き声もする。ここは、本当にいろんな音が聞こえてくるんだな。

 

 そして、いつの間にか僕は眠りについていた。

 新聞配達らしいバイクの音で目が覚めた。テーブルの上に置いた腕時計を見ると、まだ6時前だった。


 僕は起き上がり、そうっと桜川さんの様子を見た。ああ、よく寝ている。寝息も苦しそうじゃないし、熱も下がったのかもしれない。そっとおでこに手を当てると、昨日ほど熱くなかった。

 太ももまで出ていた足も、タオルケットに隠れていた。


 僕は、顔を洗い、口をゆすぎ、手櫛で跳ねた髪を直した。そして、水を一杯だけもらい、静かに部屋を出た。鍵は玄関の下駄箱の上にかかっていた。それで鍵をかけ、郵便受けの中に入れておいた。


 テーブルの上には一応メモを置いておいた。メモの隣に使ったタオルも畳んで置いておいた。メモには、

「熱が下がっても、無理しないで休んでください。昨日作って残った白身魚と野菜の煮物は、冷蔵庫にしまっておきます。勝手に洗面所とタオル使いました。すみません」

と書いた。


 電車に乗り、マンションに帰ってシャワーを浴びた。朝食を軽く食べ、歯を磨いて髪を整え、洗濯物を干すと、僕はマンションを出た。


 会社の自分のデスクについてから、桜川さんに「鍵は郵便受けに入れておきました」とメールした。するとすぐに返信が来て、

>主任、まさか朝までいてくれたんですか?

とそこには書かれていた。


>朝一番で帰りました。もう出社していますよ。まさか、桜川さん、出社する気じゃないですよね?

>熱はもう、36度8分まで下がりました。午後からでも出社します。

>やめてください。また熱が出たらどうするんですか。今日は1日休んでください。いいですね?また、帰りに寄りますから、おとなしくしていてください。


 そうメールを返すと、しばらくメールが来なくなった。観念してまた、布団に入って寝る気になったのか。

 だが、10分後、

>今日も、来られるんですか?

と、そんなメールがやってきた。


>飯作りに行きます。お粥がいいですか?あ、白身魚と野菜の煮物、昼にでも食べてください。あと、妹さんが作った料理は、味も濃そうですし、消化にも良くなさそうなので、食べないほうがいいかもしれません。

>今日もだなんて、そんな迷惑はかけられません。


 ムッ。なんだってこう、人の好意を素直に受けないかな。

>実は忘れ物もしたので、今夜寄ります。

>忘れ物?なんですか?私が明日会社に届けます。

>急ぐので、僕が今夜取りに行きます。いいから桜川さんは寝てください。いいですね!!!


 ようやくメールが来なくなった。忘れ物と言うのはたいしたものじゃない。腕時計をテーブルの上に置いてきたのだ。腕時計は、3つ持っている。会社用に一つとプライベート用に二つ。今日してきたものは、プライベート用のものだが、まあ、ビジネススーツでも合わないものでもない。


 だが、今夜取りに行くとでも言わないと、桜川さんのアパートに行けそうもないからな。

 それにしても、熱が下がってよかった。


 ほっとして僕は仕事に集中した。その日は、ミーティングもあって、桜川さんの仕事を溝口さんと北畠さんに頼んでしまったが、特に北畠さんは張り切って引き受けてくれた。

「魚住主任の頼みなら、いくらでも引き受けます」

「そうですか、では、よろしくお願いします」


 こういう時に、気に入られていると得だ。だが、嫌われていると、頼みごとをなかなか引き受けてくれないから困るんだよな。と思いつつ、溝口さんを見てみると、

「北畠さん、半分私も手伝いますから言ってくださいね」

と、そんなことを北畠さんに言っているではないか。


 どういう風の吹き回しだ?と驚いていると、

「病み上がりに出社して、仕事がたまっていたりしたら、伊織大変だから」

と、溝口さんは微笑んでいた。

 そうか。同期だしな。友達なんだもんな。ちょっとだけ、溝口さんの印象が変わったかもな。

 

 昼休憩前にいったんデスクに戻り、パソコンのメールチェックをしていると、

「あ、伊織?悪い、休んでいるところを。あのさ、仕事のことなんだけど、○○電気の請求書の控えって、どこにあるの?」

と溝口さんが携帯で電話をしていた。仕事のことなのに、わざわざ自分の携帯で電話をしているのは、昨日僕が注意をしたからか。


「わかった。ううん、大丈夫。伊織はちゃんと休んで。そうだ、今夜帰りに寄ろうか?え?…いいの?誰かお見舞いに来てくれるの?」

 ギクリ。まさか、僕の名前を出したりしないよな?

「大丈夫?ほんと?食べるものあるの?え?お粥や煮物があるの?ああ、妹さんが作ってってくれたんだ。うん、わかった。じゃあ、お大事にね」


 ほっと胸を撫で下ろした。いや、さすがに僕の名前は出さないよな。

 いや。部下のことなんだし、上司の僕が様子を見に行ってもおかしくはないよな。

 いや、やっぱり、あまり知られないほうがいいよな。変な噂が流れても桜川さんも困るだろうし。


 そして、今日も5時半になり、僕はとっととオフィスをあとにした。そしてエレベーターホールに行くと、運悪く部長がやってきてしまった。

「やあ、魚住君、随分と早いね。いつも残業をしているのに珍しい」

「ええ、ちょっと用事がありまして」


「そうか。ところで、南部課長に聞いたら、今度の土曜日空いているそうだ。君も空けておいてくれ」

「土曜ですね、はい。わかりました」

「今夜も何もないなら、一杯誘いたかったんだがね…。あ、君は酒を飲めないんだっけ?」

「はい」


「そうか。一滴も無理なのかな?」

「ビール一杯だけなら」

「そうか。じゃあ、我が家に来た時には、一杯だけ付き合ってもらおうかな」

 そこにエレベーターが来た。上の階からも人が乗っていて、部長はエレベーターでは黙ってくれた。


 気が重いな。なんだって、部長の家に行かないとならないんだ。それも、娘さんと会わないとならない…。

 エレベーターが一階に着くと、

「お先に失礼します。すみません、急いでいるので」

と、僕は部長にお辞儀をして、足早にビルを出た。


「は~~あ」

 ため息をつき、一目散に桜川さんの駅に向かった。また駅ビルのスーパーで買い物を済ませ、その足ですぐにアパートに行くと、

「あ、来た~~。すげえ、主任」

と、なんでだか、廊下で東佐野が待っていた。


「…暇そうだな。バイトは?」

「役者一本だって言ったよな?俺」

「じゃあ、稽古はないのか?」

「あったよ。もう終わった」

「随分と早いんだな」


「まあね。あとで走りに行くけどさ」

「走りに?」

「体力つけておけって、座長に言われてて。で、主任はどうしてここに?」

「見舞い」


「伊織ちゃんなら、もう熱下がってたよ」

「東佐野はまた、桜川さんの部屋に入り込んだのか?」

「心配だったからね」

「お前さあ、いい加減にしたら?桜川さんはお前が遊ぶような子じゃないよ?」


「わかってるさ。そんなの会った頃からわかってるって。だから、大事にしてるだろ?」

「…え?」

「手も出さず、何かあれば相談に乗り、具合が悪い時には見舞いに行き…って、そうやってきたんだよ。そっちこそ、本気じゃないなら、優しくするのはやめたらどうだ?」


「……本気ってなんだ?僕は彼女の上司だ。上司が部下の心配をして何が悪い?」

「へえ、そう。ふ~~~ん。でも、桜川さんはそう思っているかどうか…ねえ?」

「彼女だって、上司として慕ってくれている。信頼もしてくれている」

 僕はそう言い放ち、「邪魔だ」と東佐野の体を押して、桜川さんの部屋のドアをノックした。


「はい」

 ちょっとしてから、桜川さんがドアを開けた。なぜかちゃんと化粧もしていて、服も着ている。

「あの、主任、忘れものでしたらこれですよね?」

 桜川さんの手には僕の腕時計が乗っていた。


「ああ、すみません」

 僕はそれを受け取りつつ、そのまま玄関に入って行った。廊下に東佐野は突っ立ったまま、中には入ってこなかった。


 バタン。僕は勝手にドアを閉め、

「お邪魔します」

と部屋に上がりこんだ。

「あの、熱下がったんです」

「よかったですね。明日は来られますか?」


「はい。だから、今夜も大丈夫…」

「食材、買ってきました。食欲あるなら栄養あるものを食べたほうがいいですよ」

「あの、ありがとうございます。でも、あとは自分でなんとかしますから」


「…はい?」

「だから、主任はもう…」

「帰れっていうことですか?わざわざ、このために会社も定時に退社して、スーパーで買い物をして、ここまでやってきたっていうのに?」


「す、すみません。ご迷惑ばかりかけて」

「…そう思うなら、黙って休んでいてください。夕飯作ります。あ、ゆっくりと風呂に入ってくれてもかまわないですよ」

「もう、シャワーなら浴びました」


「じゃあ、テレビでも観ていてください」

「で、でも」

「桜川さん」

「はい?」


 僕が大きな声を出したせいか、一瞬彼女は飛び上がった。

「いうこときいて、そこに座ってテレビ観ていてください」

「は、はい」

 桜川さんはようやく、すごすごと座椅子に座った。でもすぐに振り返り、

「私のために、仕事切り上げてくれたんですか?」

と聞いてきた。 


「持ち帰ってきたんです。家でもどこでもできるから、大丈夫ですよ」

「すみません、なんか、本当に私、迷惑ばかり」

「………」

 僕は黙って桜川さんの顔を見た。彼女は見られて困ったのか、すぐに前を向いてしまった。


「気にしないでください。いつものお礼とでも思ってくれたらいいですから」

「いつもの?」

 また、彼女はこっちを向いた。

「フラワーアレンジや家庭菜園のために、わざわざ僕のマンションまで来てくれていますよね?」


「でも、あれは、別に」

「花代も僕は払っていませんし…。だから、気にしないでいいですよ」

 そう言うと、桜川さんは納得したのか大人しくなった。


 本当は勝手に僕がしたくてしているだけだ。心配だからやってきて、世話をしたいからしている。ただそれだけなんだ。

 

 テレビの音が聞こえる中、僕は夕飯を作った。しっかりと二人分作り、僕も桜川さんと一緒に夕飯を食べた。昨日も実は、適当に自分の分を作り、簡単に食べてはいたが、一緒に食べたわけではなかった。


 桜川さんは、今夜も美味しいと言ってバクバクと食べてくれた。これだけ食欲があるなら、明日会社に出てこれそうだな。


「あの、主任」

「はい?」

「昨日、朝までいてくれたんですよね?」

「はい」


「…えっと、寝ないでずっと?」

「いいえ。ここで休みましたよ。勝手に洗面所使ったり、タオルまで使ってすみませんでした」

「いいえ!ただ、その。私の部屋散らかっていて、なんだか、恥ずかしいと言うか。また女子力ないって、ばれちゃいましたよね?」


「そうですか?別に散らかっていないと思いますけど?物が少ないようですし」

「女の子の部屋じゃないって、よく妹に言われます。東佐野さんにも、まったく色気のない部屋だよなあって。それに、冬になると、私、平気で袢纏とか着ちゃうし」

「東佐野?」


 ぴくっと僕の眉が動いた。それを察したのか、

「あ、なんでもないです」

と、桜川さんは俯いて黙り込んだ。

「今日も来たんですか?」

「今日は玄関先で話しただけです」


「そうですか」

「でも、男を部屋にあげるなって言うなら、主任も男のくせに勝手に部屋に上がっているって、そう言ってました」

「東佐野が?」

「はい」


「……僕とあいつを一緒にしないでください。僕はあいつみたいに軽薄じゃない。ってのは、桜川さんもわかっていますよね?」

「東佐野さんも軽薄じゃないと思います」

「平気で女と遊べるようなやつですよ?」


 そう言うと、桜川さんはグッと言葉を飲み込んだ。

「そ、そうですね。そういうところもあるみたいですけど」

 ああ、わかっているのか。そういう男だってことは。わかっていて、部屋にあげていたのか?


「……。主任」

「なんですか?」

「あの…」

 桜川さんは、真顔で僕を見た。それから、口をぱくぱくさせ、何かを言おうとして俯いた。そして、耳まで真っ赤になった。

「?」

 なんだ?何か言いたいことでもあるのか?


「あの…」

「はい」

「ひ、東佐野さんが言っていたんです。だからってわけじゃないんですけど、いえ。たとえ、そうじゃないにしても、あの…」

「はい?」


 いきなり、何か意を決したように桜川さんは顔を上げた。

「こ、こんなに心配して、部屋に泊まっていくくらいだから、主任は伊織ちゃんのこと絶対に特別だって思っている…。って、東佐野さんが」

「特別?まあ、そうですね」


 他の部下より特別扱いをしているかもしれない。それは自覚がある。平等に扱わないといけないんだろうが、やっぱり慕ってくれる方が上司も嬉しいってもんだろう。

「そうなんですね?」

 桜川さんの頬は高揚した。


 そして、桜川さんの顔はみるみる赤くなり、

「主任、わ、私、女子力もないし、本当に女としてダメだって自分でも思います。でも、そ、そんな私ですが…、主任のこと」

と、そこまで言うと黙り込んだ。


「……」

 僕のこと?

 僕が桜川さんをじっと見ていると、桜川さんは視線を他に向けた。でもまた、こっちを向くと、

「す、好きなんです」

と、唐突に言ってきた。


 え?

「今、なんて?」

「好きなんです」

「…上司として…とか、人として…とかですか?」


「いいえ。私は主任のこと尊敬しています。でも、それだけじゃなくって、きっと、こ、こ、恋しているんだと思います」

 恋?!


 恋って言うのは、あれか?恋愛の対象ってことか?    


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