第12話 お見舞い ~伊織編~
夜中、どんどんだるくなり、頭痛がしてきて、熱を測ったら37度8分。ああ、熱まで出ちゃった。
明日の朝には下がっているといいなと思いつつ、早々と布団に入って眠りについた。
翌朝、頭も体も重く、起きるのも精一杯だった。トイレに行き洗面所の鏡を見ると、顔が真っ赤だ。
「熱、下がらなかったな」
よろよろと和室に戻り、布団に寝っころがり熱を測った。なんと、39度まで上がっていた。
「さ、39度?」
こんな高熱、小学校の時以来かもしれない。会社にみんなが出てくる時間まで、なんとかふんばって起きていた。そして8時40分、主任に電話をするか、課長に電話をするか悩み、主任の声が聞きたいのにもかかわらず、課長のデスクに電話を入れた。
「すみません、39度の熱があって、今日はおやすみします」
課長はお大事にと言ってくれた。それに、魚住主任にも言っておくと…。
主任、少しは心配してくれるかな。なんて、そんな期待をしてから、すぐに打ち消した。どっちかっていったら、私の仕事のフォローも、主任がすることになるんだから、迷惑だって思っているかもしれない。体調管理ができないダメな社員だって思うかもしれないよな。
「はあ」
顔、見たかった。声も聴きたかった。呆れられてもいいから、やっぱり主任のデスクに電話をしたらよかった。そんなことを思っている私って、重症だ。
それにしても、熱が出ると急に心細くなる。そういえば、水枕どうしたっけ?あ、昨日ポカリ買っておけばよかった。
ブルルル。その時電話が鳴った。主任から?と慌てて布団の横に置いた携帯を手にすると、美晴からの電話だった。
「もしもし、お姉ちゃん?風邪どう?」
「…39度の熱…」
「え?やっぱり?なんか昨日も顔赤かったから、やばそうだなって思ったんだよね。私、今日遅番だから、仕事前に寄るね」
そう言うと美晴は電話を切った。そして、11時ごろにやってきて、
「お姉ちゃん、水、買ってきた。昨日冷蔵庫に少ししかなかったから。あと、バナナも買ってきたから食べれたら食べなよ。それじゃ、もう行かないと私お昼食べれなくなるから行くね。お大事に~~」
と、5分もしないうちに出て行ってしまった。
水とバナナ?はあ?普通、お粥とか、ポカリとか、冷えピタとか買ってこない?
しょうがない。水枕探すか…。
布団から這い出て、よろよろと水を飲みに行き、水枕を探した。
「あ、思い出した。東佐野さんに貸していたっけ」
また、よろよろと布団に寝転がり、メールで東佐野さんに、「水枕を返してください。熱出ちゃいました」と送った。
そして、死んだように私は爆睡した。
次に目を覚ましたら、
「あ、起きた、起きた。よかった~~」
と目の前に東佐野さんの顔があった。
「あれ?」
「水枕持ってきたよ。はい、ちゃんと氷も今いれたから、頭の下に敷いて」
「え?はい」
なんとか頭を上げ、水枕を頭の下に入れた。
「東佐野さん、なんで?鍵、持ってましたっけ?」
「いいや、開いてたよ。不用心だなあ。いつから鍵開けっ放し?」
「あ、美晴だ。朝寄って、鍵開けっ放しで出かけたんだ」
「妹さんだっけ?」
「はい」
「ったく、ちゃんと言っておいた方がいいよ。このへん、空き巣も多いし、アパートの住人だって、変な奴いるかもしれないんだし」
「ですね…」
「あ、そうそう。お粥持ってきた。レトルトのだけど、今食べる?」
「お粥ですか?よかった。妹、そういうの何も買って来てくれなかったんです」
「じゃあ、あっためようか?」
「お願いします」
コココン!
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「はい?」
東佐野さんが、私の代わりに答えてくれた。
「誰だ?伊織ちゃん、誰か来ることになってんの?」
そう言いながら、玄関に向かって行く。
ドアの外から何も声はしない。宅急便とかだったら、「お荷物届けに来ました」とか言うし、美晴は仕事で来るわけないから、もしやセールスか何かかも。
「ああ、妹さん?もしかして」
「それはないかも」
布団の中からそう言ったけど、声が小さかったからか、東佐野さんには届いていなかった。
「はい、美晴ちゃんだっけ?お姉さんのお見舞い?」
そう言いながら東佐野さんは、ガチャリとドアを開けた。
そして突然、
「おわ!」
と驚きの声を上げ、すごい速さで私のもとまで東佐野さんは駆けてきた。
「伊織ちゃん、魚住だ。主任が来た!」
「え?!!!しゅ、しゅ、主任が!?」
主任って、魚住主任?なななな、なんで?!
「何?主任、見舞いに来ることになってた?」
「いいえ。そんなわけないです。そんなわけっ!!ゴホッ!ゴホゴホ!」
「伊織ちゃん、大丈夫?」
思い切り咳き込み、東佐野さんが私の背中を撫でてくれた。
すると、魚住主任はズンズンと部屋の中に入ってきて、いきなり東佐野さんの腕をひねりあげてしまった。
ああ、変な人が勝手に家にあがっていると思い込んでいるの?どうしよう。
「いてててて。腕をひねるなよ、魚住主任」
主任、この人はお隣の…。そう説明しようとしたが、いきなり、
「なんだって、ここに東佐野がいるんだよっ?!」
と主任は東佐野さんに向かって、大声で聞いた。
あ、あれ?私、東佐野さんの名前、教えたことあったっけ?何で知ってるの?
「魚住主任こそ、何で来たわけ?お見舞い?あ、心配になってとか?あ、なんか買ってきた?」
あれれ?そういえば、東佐野さんって、主任の顔知っていたっけ?
「おい」
主任が怖い声で東佐野さんを睨んだ。すると、
「俺ってば、邪魔ものだよね。じゃあ、伊織ちゃん、邪魔ものは消えるから!」
と、主任の腕を振りほどき、東佐野さんは部屋を出て行った。
「…主任、ど、どうしてここに?」
「桜川さん、あいつなのか?隣の住人って」
「え?はい。あれ?主任、知り合い?」
「ああ。大学の時の悪友」
「え?そうなんですか?」
びっくりだ!東佐野さんと主任が知り合いだったなんて!
クラ…。びっくりしたからか、思い切り頭がくらくらしてきた。
「布団にちゃんと入って、桜川さん。薬は飲みましたか?」
「いえ。薬、気持ち悪くなるからいつも飲まないんです」
「そうですか。じゃあ、お粥は?」
「あります。東佐野さんが、レトルトのお粥を持って来てくれて。あとで、あっためて食べます」
「あいつ、お見舞いに来たんですか?」
「いいえ。前に東佐野さんが熱出して寝込んだ時に、水枕を貸してて、返してもらっていなかったから、メールで持って来てくださいと頼んだんです」
「あいつに水枕を?」
「はい。熱出ちゃったから、水枕が必要なんですってメールしたら、水枕とレトルトのお粥を持って来てくれて…」
「それだけですか?」
「はい。それだけで…。ハックシュン!」
「大丈夫ですか?とにかく大人しく横になって」
主任は、優しい声でそう言ってくれた。
私は大人しく寝転がった。それにしても、まさか、まさか主任がわざわざお見舞いに来てくれるなんて思ってもみなかった。どうしよう。めちゃくちゃ嬉しい。
ああ、でも、私、よれよれのパジャマだ。それも、太もも丸出しの…。慌ててタオルケットで全身を隠した。
それに、部屋散らかってる。雑誌は何冊も出しっぱなしだし、洗濯物もしまっていないものがあったかもしれない。
うわ~~~。恥ずかしい。
「お粥作りますから、ちゃんと寝ててください」
「いいです。あっためるだけだから、私でもできます」
「レトルトじゃなくて…。お米ありますか?」
「あ、炊飯器に昨日妹が焚いてくれたご飯が残っています」
「じゃあ、それでお粥作ります。あ、妹さん、今夜も来るんですか?」
「いいえ」
え?お粥を作るって言った?
「朝だけですか?」
「はい。仕事行く前に寄ってくれて、栄養ドリンクと水とバナナを置いて行ってくれたんです」
「それだけ?」
「昨日の夜も来ていて、おかずならたくさん作って冷蔵庫にあるから」
主任はそのままキッチンに行ってしまった。
うそ。お粥をわざわざ作ってくれるの?主任が?
どうしよう。えっと、キッチン綺麗にしていたっけ?あ、そうか。美晴が料理していたから、一応片付いてはいるよね。あの子、私より綺麗好きだし。
でも、冷蔵庫の中、どうなっていたっけ?いや、大丈夫だよね。なにしろ、ほとんど食材とか買わないし。あ、かえって、呆れるかも。料理していないのがばればれかも。
ドキドキ。なんか、熱がさらに上がったかもしれない。主任が我が家にいるって言うだけで緊張する。そのうえ、意識が朦朧としてきた…かも。
「お粥、できましたよ」
Yシャツの袖をまくり、お盆にお椀とお皿を乗せ、主任が和室に入ってきた。ドキン。袖をまくった腕が男らしいのに、手にはお椀の乗ったお盆。そのギャップになぜかドキッとした。
なんとか起き上がろうとすると、主任が枕を私と壁の間において、
「壁にもたれかかると楽ですよ」
と言ってくれた。こういう配慮も絶妙だ。
ああ、主任の動作一つ一つにドキッとしている。なんて思いつつ、ときめいていると、主任がお粥を蓮華に乗せ、私の口元まで持って来て、
「熱いから気を付けてください」
とそう言った。
え?これってまさか、食べさせてくれようとしてるの?
「自分で食べます」
うっわ~~。もっとクラクラ眩暈がした。
なんとか、自分で食べようと蓮華を持った。でも手が震えて、お粥が零れ落ちていく。ああ!
「やっぱり、無理しないでください」
主任はふうふうとお粥を冷まし、また蓮華ですくって私の口へと近づけた。
「はい」
ひょえ~~~。もう、観念するしかない。でも、めちゃくちゃ恥ずかしい。
パク。食べてみた。熱い。でも、なんとか飲み込んだ。
美味しい。美味しいけど、恥ずかしい!
だけど、主任は全く気にせず、どんどん私にお粥を食べさせてくれる。煮魚も箸で上手に食べさせてくれて、思わず、全部食べてしまった。
「ごちそうさまです」
「熱、上がりましたか?顔、真っ赤ですよ」
違います。すんごい恥ずかしかったんです。なんて言えないし。
主任は、買い物袋の中から何やらゴソゴソと取り出した。あ、冷えピタだ。そして、私のおでこにかかった前髪を手であげて、ペタンと冷えピタを貼ってくれた。
う、うわ~~~~~~~~~。主任におでこ触られた。前髪あげられる時、すごくくすぐったかった。
ダメだ。心臓が…。バクバクバクバク。
「はい、もう寝ててください」
「あ、後片付けはいいです。明日しますから」
「ダメです。桜川さんはとにかく休んでください」
う…。命令口調だ。でも、声はすんごい優しい。
はあ。今日は、とにかく主任のすべてにときめく。きっと熱のせいだ。頭がおかしくなっているんだ。いや、心臓か?
私はタオルケットを顔まであげた。でも、足先が出てしまうので、少しだけ下げた。
主任は、洗い物を終えると、ポカリを持って来てくれた。それもまさか、飲まされちゃうの?とドキドキしていると、コップに入れてくれて、コップを「はい」と渡された。よ、よかった。
ゴクゴクと飲み干すと、主任はそのコップを持ってまたキッチンに戻った。そして、もう帰りますと言うのかと思っていると、
「寝てください。何かあったら呼んでくださいね、隣の部屋で持ち帰った仕事をしますから」
と言い出した。
「い、いえ。もう主任は帰ってください。風邪うつしても悪いし」
「うつりませんよ。いいから、寝てください。僕も適当に時間見て帰りますから」
「はい」
適当に?そうか。私が起きていると帰りづらいのかな。寝ている間にそっと帰るってことかな。
そう思い、私は眠ることにした。
隣の部屋に主任がいる。ドキドキと不思議な安心感があった。病気の時に誰かがそばにいてくれるって、なんて安心するんだろう。
主任。やっぱり、好きだ。大好きだ。諦めないとって思っていたのに、こんなに優しくされたらどうしていいかわからなくなる。
知らない間に私は眠りについた。時々、体の節々が痛くなった。そして朦朧とする意識の中で、なぜか主任のあったかい視線を感じて、安心した。
ああ、主任がいてくれるのって、なんでこうもあったかい気持ちになるんだろう。
朝、目が覚めて、窓の外から鳥のさえずりが聞こえた。それから、一階から赤ちゃんの泣き声…。
でも、隣の部屋からは何も音がしない。キッチンからもだ。ああ、静かだ。主任、帰っちゃったんだな。
「当たり前か」
携帯を手にして時計を確認した。8時30分。もう、主任は会社にいるのかな。
それから熱を測った。36度8分。良かった。下がっている。シャワー浴びて、会社に行けるかもしれない。
その時、ブルルっと携帯が鳴って、心臓が飛び出るかと思った。それも、なんと主任からのメールだ。
>鍵は郵便受けに入れておきました。
あ、鍵?
私は慌てて起き上がり、郵便受けを見に行こうとして、その前にテーブルの上にあるメモを見つけた。
『熱が下がっても、無理しないで休んでください。昨日作って残った白身魚と野菜の煮物は、冷蔵庫にしまっておきます。勝手に洗面所とタオル使いました。すみません』
タオル。メモの横にあるこれのこと?え?なんで?まさか、主任、朝までいた…とか!?
私は慌てて、
>主任、まさか朝までいてくれたんですか?
とメールを送った。
>朝一番で帰りました。もう出社していますよ。まさか、桜川さん、出社する気じゃないですよね?
主任からすぐに返信が来た。
>熱はもう、36度8分まで下がりました。午後からでも出社します。
>やめてください。また熱が出たらどうするんですか。今日は1日休んでください。いいですね?また、帰りに寄りますから、おとなしくしていてください。
うわ。怒られた。午後から行くつもりだった。主任にも会いたかったし。って、え?帰りに寄るって書いてあった?まさか。うそ。
>今日も、来られるんですか?
>飯作りに行きます。お粥がいいですか?あ、白身魚と野菜の煮物、昼にでも食べてください。あと、妹さんが作った料理は、味も濃そうですし、消化にも良くなさそうなので、食べないほうがいいかもしれません。
うそうそ。今日も来てくれるの?そ、そんなに迷惑をかけるわけには…。
>今日もだなんて、そんな迷惑はかけられません。
>実は忘れ物もしたので、今夜寄ります。
>忘れ物?なんですか?私が明日会社に届けます。
>急ぐので、僕が今夜取りに行きます。いいから桜川さんは寝てください。いいですね!!!
う。命令口調だ。でも、でもでも、今日も来てくれるだなんて嬉しい。
あ、でも、私、シャワーも浴びていないから、汗臭いかも。
それに、家もやっぱり汚いよね。
それに、こんな恰好じゃダメだよね。
急いでシャワーを浴びた。髪も洗って乾かした。化粧までした。主任が来るのは夜だっていうのに、朝からドキドキした。
それから、部屋もきれいに掃除をした。ああ、洗面所も汚れていたのに見られちゃったよ。
やっぱり、美晴みたいにいつも綺麗にしておくべきだった。彼氏が家になんて来ることもないからって油断した。来るのなんて、東佐野さんくらいだし。
東佐野さんには、別に部屋が汚れていても気にならない。なにしろ、東佐野さんの部屋に比べたら、私の部屋なんて綺麗なもんだ。
「きれいにしているんだなあ、色気はないけど」
と、初めて来た時、びっくりしていたもんな。私も、東佐野さんの部屋に行った時には、汚くてびっくりしたけれど。
だけど、主任は別だ。だって、部屋がめちゃくちゃ綺麗だった。きっと綺麗好きだ。なのに、女の私の部屋がこんなに汚かったら…。ああ、幻滅されたかもしれない。
掃除をして洗濯もすると、さすがにどっと疲れが出て、私は寝てしまった。
昼過ぎ、起き出して主任が作ってくれた煮魚と煮物をあっためなおして食べた。美味しい。やっぱり、最高だ。
今夜も来てくれるんだ。ドキドキドキドキ。
そして、5時半を過ぎ、ドキドキしていると、コンコンとドアをノックする音がした。
「は、はははい!」
ドキドキしながらドアを開けると、
「残念でした~~。主任じゃなくって、俺でした~~」
と東佐野さんがおどけた顔をして立っていた。
「な~~んだ」
明らかに残念がると、
「あはは。伊織ちゃん、顔に出過ぎ。本当に今がっかりしたよね?主任がまた来てくれたと思った?」
と、ちょっとバカにされた。
ム…。
「主任、今夜も仕事の帰りに寄ってくれるってメールが来たから」
「え?何それ。メールでそんなやり取りしてるの?もう、恋人じゃん。それも、アツアツの!」
「ち、違います」
「いやいや。それは脈大有りだって。だから、魚住は俺に嫉妬してるじゃん。あとは、伊織ちゃんが積極的に迫ったらイチコロ。自分のことを好きだってわかったら、あいつもすぐに落ちるって」
「え?」
「男なんてね、単純な生き物なんだよ。結婚しないとか言ってる奴だってさ、目の前に自分を好いてくれる可愛い子がいれば、そりゃ、指くわえて黙ってるわけないだろ?」
「え?え?」
「押しまくれ。なんなら、伊織ちゃんから押し倒せ」
「無理です、そんなこと」
「だろうね。でも、気持ちくらいはちゃんとアピールしないとね?ま、頑張って」
アピール??
「向こうも絶対に伊織ちゃんのこと、特別だって思ってるって。じゃなきゃ、2日続けて見舞いに来ないよ?積極的にこくっちゃえって」
こく…る?
え~~~~!?




