第10話 嫉妬? ~佑編~
嫉妬?
誰に対して?それは、やはり岸和田と溝口さんがデートをするからか?
まさか、岸和田のことを気に入っていたのか?でも、確かに苦手だと言っていたよな。それどころか、嫌っているようだった。
あ、そうか。溝口さんだけ男とデートしているから、それで落ち込んだのか。
……いや、口先だけ嫌っているふりをして、実は岸和田のことを気に入っていたり?そういえば、大阪に行った男も、岸和田に似たチャラそうな男だった。ああいうタイプが本当は好きなのか?
僕が借りたDVDは適当に選んだものになった。SFのコーナーにあった、まだ観たことのないものを適当に手にしてレジに行った。桜川さんは店の入り口で待っていてくれた。
「すみません、お待たせして」
「いいえ。主任は何を借りたんですか?」
「え?ああ、なんか適当に」
「は?」
「店のお勧めとかって書いてあったので、それを」
「ああ、そうなんですね…」
桜川さんの表情が硬い。そのあとも、特に何も話すことなく駅に向かった。
「桜川さん、またアレンジ教えてくれませんか」
「……え?」
電車に乗り、吊革に掴まって二人で並び、僕は窓の外を見ながらそう聞いた。隣で桜川さんは、びっくりしながら僕の方を見た。
「前作ったのはもう枯れたし…。また、部屋に飾りたいと思いまして…」
「……」
無言?
「迷惑でしたか?」
もしや、僕となんてもう関わりになりたくない…とか?それとも、岸和田のことが気になってそれどころじゃない…とか?
「いいえ。迷惑なんてそんなことないです。ただ、いいんでしょうか?」
「何がですか?」
「私が、主任の部屋になんて行って」
「え?」
「その…。い、嫌がりませんか?」
「僕がですか?嫌だったら、誘ったりしませんが」
「主任がじゃなくて…、その…。主任の彼女…じゃなくって、えっと」
「彼女?ああ、僕には彼女なんていませんから安心してください」
なんだ。それを気にしていたのか。
「あ、あの。でも」
なんだ?まだ、何か気になるのか?それとも、やっぱり迷惑なのか?やんわりと断ろうとしているのか?
「主任、部長の娘さんとお付き合いをするんじゃ…」
「……え?!なんで、それ」
あ、しまった。思い切りびっくりしてしまって、声がでかくなった。隣で桜川さんも驚いている。
「すみません。盗み聞きをしたわけじゃなくって、たまたまフラワーアレンジをするために、少し前に会議室に行った人が偶然、部長と主任の話を聞いてしまって。そ、それで、フラワーアレンジをしている時に、その話をその子がして…。ごめんなさい。変なこと言っちゃって。でも、やっぱり、もしお付き合いをするとしたら、部屋に他の女性がのこのこと行くのは、悪くないかなあって、その…」
「………」
話があまり見えてこない。僕と部長はどんな話をしていたっけ?確か、部長の家に南部課長と一緒に行くことになって…。ああ、娘を気に入ったらというようなことを、部長は言っていたっけな。だが、まだ付き合うかどうかも決まっていないし。いや、付き合ったりなんかしない。僕は断ろうと思っているくらいだ。
「大丈夫です。桜川さん、気を使い過ぎですよ」
「え?」
「まだ、お付き合いどころか、部長の娘さんとは一回も会ったこともないですし」
「…でも」
「そんなに気にしたりしないでください。アレンジの先生として呼ぶわけですから、別に桜川さんとどうにかなるわけでもないですし、そんなつもりもないし」
「…え?」
桜川さんの表情が一瞬凍りついた…ように見えた。でも、すぐに笑顔になり、
「ですよね?私、気にし過ぎですよね?すみません。じゃ、じゃあ、いつにしますか?私、明日でも明後日でも暇だから大丈夫ですよ」
と俯き加減でそう言った。
「じゃあ、明日の午後にでも。明日は夕飯をご馳走します」
「え?そんな悪いです」
「いいですよ。教えてもらうんですから、そのお礼です」
桜川さんは、すみませんと小声で言って、また俯いた。
良かった。ほっとした。勝手に部長の娘さんと付き合うだなんて思われなくて。
ん?
なんでほっとしたんだ?わからない。きっとあれだ。変な噂がたっても困るし、本当に部長の娘さんと付き合う気なんかないから、誤解してほしくないだけだ。
桜川さんは、僕が電車から降りる時、ものすごい微笑を作り、ニコニコ顔でお辞儀をした。
だが、どこかわざとらしかった。笑顔なのに目だけは笑っていないような、そんな作り笑いだった。
翌日、午前中に洗濯や掃除を一気に済ませ、昼飯を食べる前に買い物に出た。昼飯は近くのうどん屋で食べ、スーパーで食材を買って帰ってきて、簡単な下ごしらえをした。
そして、桜川さんが来るのを待った。
もう、主任のマンションも覚えたので、迎えに来なくても大丈夫です…。と、今朝メールが来た。部屋番号を念のため教え、マンションのエントランスで部屋番号を押してくださいと、返事を送った。
そわそわ。2時ごろに行くと言っていたが、もうすでに2時を回っている。まさか、ほとんど一本道の簡単な道だが、迷子になっていたりしないよな。彼女は方向音痴だったりしないよな。
ソファに一回座った。だがまたすぐ立ち上がり、部屋をうろついた。やはり、迎えに行くべきか。だが、行き違いになっても困る。
あ、そうか。メールで聞いたらいいのか。
と、携帯を手にした時、ピンポンとチャイムが鳴った。
「はい」
「あ、主任。着きました」
「ああ、はい。今、開けます」
エントランスのドアを開けた。良かった。無事着いたんだな。
ほっと溜息を吐き、玄関に向かった。桜川さん用のスリッパを玄関に出し、しばらく来るのを待った。玄関のチャイムが鳴ると同時にドアを開けると、たくさんの花に囲まれた桜川さんの顔が目に飛び込んできた。
…色とりどりの花が、やけに桜川さんを可愛く見せている。一瞬、ドキッとしたくらいだ。
「迷わず来れましたか?」
そう聞くと、恥ずかしそうに桜川さんは、
「南口なのに、一回北口に出ちゃったんです。それで、迷子になりました」
と答えた。
…そうか。桜川さんは、方向に強くないんだな。頬を赤く染めた桜川さんが、いつもより年下に見えた。ああ、今日の格好もカジュアルで、会社に来る時と違うから、印象が違って見えるのかもな。やたらと今日は可愛い。
って、花だろ。花を持っているからそう見えるだけだ。自分にすぐにそう突っ込みを入れ、桜川さんをリビングに通した。
「すごい量の花ですね」
「今日は大きな花が多いので、そう見えるのかも」
「なるほど…」
花をダイニングテーブルに置いてもらった。
「暑かったでしょう。今、冷たいお茶持ってきますね」
「すみません」
桜川さんはそう言って、額から流れる汗をミニタオルで拭いた。
冷たいお茶を飲んで一息つくと、
「じゃあ、早速」
と、持っていた紙袋の中から、籠を取り出した。
「今日はこれで、アレンジをと思って」
ああ、アレンジ用の籠を持ってきてくれたのか。それに、サハラを詰め、花は新聞紙の上に広げ、
「じゃあ、始めましょうか」
と僕を見て微笑んだ。
「はい」
二人でダイニングの椅子に腰かけ、アレンジメントに取り掛かった。桜川さんは、前と同様、簡単に説明をするだけで、あとは全部僕の感性に任せてくれた。
前回は繊細なイメージのアレンジメントができたが、今回は花が大きいからか、かなりダイナミックなものが出来た。そして、前回同様、僕のはなんとも、不格好な出来上がりだった。
「主任のアレンジは、大胆で気持ちがいいですね」
桜川さんはニコニコ顔でそう褒めてくれた。
桜川さんの言葉は素直に受け止められた。これがお世辞なんだという感じがしない。褒められて素直に僕は嬉しかった。
バルコニーに出て、プランターを彼女は見に行った。その間に僕は、コーヒーを淹れた。ベランダから戻った桜川さんは、
「わあ、いい香り」
と目を閉じて、そのあとリビングのソファにやってきた。
「ケーキを買ってあるんです。食べますか?」
「はい!」
「じゃ、ソファで待っててください」
そう言うと、うきうきした感じで彼女は座った。
今日はどうやら、「女子力が…」と言う言葉は聞かないで済みそうだ。この前来た時より、寛いでくれている。
コーヒーとケーキを持って、リビングに行くと、テーブルに乗ったケーキをさらに目を輝かせて桜川さんは見た。
「美味しそう」
「美味しいですよ。駅の近くにあるケーキ屋なんですが、このケーキが僕は一番好きです」
「へ~~~」
そして、一口口に入れると、
「本当だ、美味しい」
と満面の笑みを浮かべた。
その笑顔は不思議な力がある。僕を一瞬にして幸福にしてしまうのだ。僕がケーキを食べた時よりも、彼女が食べたほうが幸せを感じるなんて、なんとも不思議な感覚だ。
この笑顔を見るために、夕飯もうまいものを作ろう…と、心の奥で思っている自分。そんな自分に気づき、改めて驚いている。人のために、料理を作ろうと心から思うなんてなあ。
母や姉のために作っていた料理はもはや、義務感と言うか、仕方なくと言うか、そんな感じだったしなあ。
「主任、借りた映画はもう観られましたか?」
「いえ。今夜にでも観ようかと思いました。桜川さんは?悲恋の映画借りてましたよね、観たんですか?」
「まだです。きっと目が腫れちゃうだろうから、昨日はやめました」
「…そうですか」
僕は昨日借りてきたDVDを棚から出した。そして、
「一緒に観ますか?」
と聞いてみた。
「なんか、難しそうな映画っぽいですね」
「う~~ん、そうですね」
「でも、観てみたいです」
そう言われて、僕はDVDをセットして、桜川さんの隣に座った。
桜川さんは、少し僕から離れた。ソファは二人がげだが、そんなに幅が狭いものではない。二人どころか、3人でも座れるくらいの余裕がある。桜川さんとの距離感も十分にとって座ったんだが、それでもまだ、近かったんだろうか。
ちらっと桜川さんの横顔を見た。すると、桜川さんも僕の方を見た。
「あ、あの」
目が合うと彼女は慌てて視線をそらし、
「コーヒー、美味しいです」
と言って、カップに残っていたコーヒーを飲んだ。
カチャカチャ。カップをお皿に戻す時、桜川さんの手が震えた。
緊張でか?僕が隣にいるからか?隣に座るのは、悪かったかな。もしかすると、男の免疫がないから…とか?それとも、僕に対してなんらかの抵抗を感じているから…とか。
まさかと思うが、僕が手を出すとでも思っているわけじゃないよなあ。それは絶対にないから、安心してほしいんだが…。
映画が始まった。映画の内容は面白かった。仮想現実の中に入っていくという内容で、たまに描写が気持ちの悪い部分もあったが、ストーリーは惹きこまれる面白いものだった。
桜川さんも、夢中になって観ていた。人が血を流すシーンなどは目を伏せたりしていたが、映画自体は面白い様子だった。
「SFも面白いですよね」
観終わると、彼女はぽつりとそう口にした。
「そうですね」
そう答えながら桜川さんのほうに顔を向けると、彼女も僕を見て目が合うと明らかに顔を赤くした。
「あ、お皿とコーヒーカップ、片付けます」
「いいですよ。僕がするので、ここでゆっくりしててください」
僕はさっさと立ち上がり、コーヒーカップやお皿をトレイに乗せた。そしてキッチンに行こうとすると、
「ふう」
という、安堵のため息が桜川さんから漏れたのが聞こえてきた。
やっぱり。僕が隣にいるのはかなり緊張することなのか。悪かったな。これからは、隣に座るのはやめたほうが良さそうだ。
「夕飯作っちゃうんで、テレビでも観て寛いでてください」
「え、でも」
「自分の家にいるぐらいの気持ちで寛いでいいですよ。あ、なんなら缶ビール買ってあるんで飲みますか?」
「主任、お酒飲まないんじゃ?」
「はい。桜川さんのために買っておきましたけど?」
「え?!」
あ、びっくりしている。
「す、すみません。あ、でも、今はまだいいです」
恐縮そうにそう言うと、彼女はキッチンのほうに向けていた顔を前に戻して、ソファに深く座りなおした。
うん。どうやら、ゆっくりと寛ぐ気になったらしい。
僕は、夕飯の準備を始めた。その間、リビングからはテレビの音が聞こえてきた。ドラマの再放送らしい。
1時間かけて、夕飯の支度は終わった。桜川さんはその間、大人しくソファに座っていた。
「桜川さん、ご飯できましたよ」
ダイニングからそう声をかけた。だが、まったく桜川さんは反応しない。
「桜川さん?」
ソファに近づくと、かすかに「す~す~」という寝息が聞こえた。
寝てる!?
桜川さんの顔を覗きこんで見た。寝ている。赤ん坊のような顔をして眠っている!
まさか、寝てしまうほど寛いでしまったとは…。驚きだ。でも、それ以上に寝顔の可愛らしさにもっと僕はびっくりした。
しばらく黙って寝顔を見た。それから、夕飯が冷めてしまうことに気が付き、
「桜川さん、起きてください。夕飯ですよ」
と、少し大きな声でそう言った。
「え?」
目を覚まし、しばらくキョトンとしてから、桜川さんは慌てたように立ち上がった。
「ごめんなさい、私、寝ちゃった…」
そのあと、顔を真っ赤にさせ、すぐに両手で顔を隠してしまった。
「夕飯、冷めちゃうので、食べましょう」
僕は特に寝ていたことには触れず、ダイニングテーブルについた。桜川さんも顔を真っ赤にしたままやってきた。
「いただきます」
そう言うと、小声で桜川さんも手を合わせて「いただきます」と言い、お箸を手にした。
「す、すみませんでした。寝ちゃって」
「いいですよ。疲れちゃいましたか?」
「いえ、あの。昨日あまり寝れなかったから」
「そうなんですか?」
「実は、隣の住人が来て、いろいろと話し込んでしまって」
「隣?って、男…。あ、まさかまた、部屋に上がりこんだとか?」
「お酒は飲みませんでした。仕事の話とかも真面目にしていたし…。ほんの少しだけ話すつもりが、長くなっちゃって」
ムカ。ムカムカ。なんだって、平気で男を部屋にあげるんだ。どんな男なんだよ。安心しているんだろうけど、男なんていきなり変身するかもしれないだろ。
「桜川さん…」
「はい?」
僕がすごんだ声を出したせいか、桜川さんはビクッと肩をすぼめた。
「おせっかいかもしれませんが」
「…隣の人のこと…ですか?」
「はい。あまりむやみに信用するのもどうかと…」
「え?」
「男なんですから、一応…。家に上がらせないほうがいいと思いますよ」
「はあ…」
シュンと桜川さんは下を向いた。
「……。食べましょうか」
「あ、はい」
顔、沈んだままだな…。
「桜川さんは和食、好きですか?」
「はい。好きです」
「今日も和食ですが…」
「あ、はい。美味しいです。茄子の煮付け、作ってくれたんですね」
「ああ、はい」
茄子の煮付けを食べた桜川さんの顔がほころんだ。
「美味しい」
良かった。かなりほっとした。浮かない顔のまま食べられても嬉しくない。美味しいと言って喜んで食べてくれる顔が見たかったんだ。
僕は満足していた。桜川さんの笑顔を見れて。そして、いつもより夕飯が美味しく感じられることも、目の前の席に誰かがいることも、すべてになんとなく漠然と幸せを感じていた。




