第9話 カラオケ ~佑編~
カラオケボックスに入り、カクテルとウーロン茶を頼んだ。ビールを飲むかと思いきや、桜川さんはカクテルにした。ビールばかり飲んでいても、飽きるのだろうか。
そして、僕の方が先に歌う羽目になった。
カラオケは大学生の頃、時々友人と行った。彼女も交えて行ったこともあるし、歌うのが好きな連中だったし、まあ、それなりに楽しかった。ああ、東佐野とも行ったりしていたっけな。
あとは母親の職場での飲み会や打ち上げの時にも、連れて行かれた。僕が歌うとなぜか盛り上がるらしく、しょっちゅう駆り出された。あの時は嫌々行っていた。周りがいくら盛り上がっても、自分は楽しめなかった。
会社に入ってからは、極力みんなで行くのを避けている。とにかく、僕は「バカ騒ぎ」とかが好きじゃない。カラオケに行っても、落ち着いて歌っていたい。だから、大勢でカラオケには行きたくはない。
行くとしたら、後輩や同期と、2~3人で行く。それも、歌うのが基本好きな連中とだ。
今日、桜川さんとこうやってカラオケに来たのは、自分でもなぜなのかわからない。多分、桜川さんがあまりにもさびしい人に思えたからだろう。
そんなことを言うと、桜川さんには悪いよな。
僕が歌いだすと、桜川さんは目を輝かせ、歌い終わると、思い切り拍手をした。
「すご~~~~~~い」
相当、驚いた様子だ。僕の歌はきっと下手くそだと思っていたんだろう。
桜川さんの番になった。少し緊張気味に桜川さんが歌った。遠慮なのか、いつもこうなのか、大人しめだった。そのあと、僕がまた歌うことになり、桜川さんのリクエストに応えると、また思い切り喜んでくれた。
その後、二人でデュエットをした。コブクロと絢香の曲だ。これには驚いた。さっきの歌と違い、桜川さんの歌声は張っているし、とてもうまい。
僕も調子に乗って、思い切り熱唱した。歌い終わると、清々しい気持ちになっていた。
へえ。さすが一人カラオケをしてきただけのことはあり、桜川さんは歌が上手だ。自分では自覚がないようだが。
そして二人で、思い切り楽しい時間を過ごした。うん、心から楽しめた。歌うのも、桜川さんの歌を聞くのも楽しかった。
遅くになったので、桜川さんのアパートまで送って行った。桜川さんは陽気だった。酔った上に、カラオケで相当ハイになったのだろう。ずっと明るく話し続け、アパートの前では、
「お茶、飲んでいきませんか?」
と誘ってくれた。
こんな遅くに、女性の一人暮らしの部屋に入り込むわけにはいかず、
「いいえ。遅いですから失礼します」
と丁重に断った。
「え?もう、そんな時間ですか?って、まだ12時前ですよ。送ってもらったんだから、お茶くらい出さないと申し訳ないです」
「もうすぐ12時過ぎますよ?もう、そんな時間って言っていい時間です」
桜川さんにそう言うと、桜川さんはまだ納得しない様子だった。
こんなふうに積極的に誘うとは思わなかったな。だが、さすがに部屋に上がりこむわけには…。と、桜川さんの部屋のドアの前で二人でいると、トントンと階段を上ってくる音がして、明らかに酔っ払っているであろう派手目な女性が僕らの方に歩いてきた。
「あら…」
その人は桜川さんを見ると、にやりと笑い、そのまま僕らの間をわざと通り抜けて行った。
酒臭い。それだけじゃない。香水の匂いもした。派手ないでたちといい、ホステスとか、そんな類の仕事をしているみたいだった。
鼻歌を歌いながら、桜川さんの隣の部屋のドアをノックし、中から誰かがドアを開け、
「来ちゃった~~~」
と言いながら、その女性は部屋の中へと消えて行った。
来ちゃった。ってことは、ここに住んでいるわけじゃないってことか。そんなことを思いつつ、桜川さんを見ると、
「また、あの人だ」
とぽつりと呟いた。
「え?」
「隣によく来る人なんです。彼女かな。たまに泊まっていくみたいで。あ、今日も泊まっていくのかなあ」
ちょっと憂鬱そうに桜川さんは目を伏せた。
「酒癖悪いとかですか?夜遅くまで騒いでいるとか?」
「いいえ。そんなことはないんですけど。まあ、あの、いろいろと」
「…」
何やら話しにくそうにしているので、それ以上は聞くのをやめた。
だが、
「隣の人とも、たまに飲むんです。けっこう遅くまで。明け方近くまで飲むこともあるから、こんな時間はまだまだ遅いって言わないんです」
と、唐突にそんな話をしだした。
「え?あの女性と?」
「いいえ。隣の住人と」
「男…ですか?」
「はい。面白い人なんです」
男と明け方まで飲む?!まじか?そんなふうには見えないのに。
「桜川さんの部屋でですか?」
「私の部屋だったこともありますけど、たいていがお隣で」
まじでか?男一人暮らしだろ?
「だから、気にしないでも…」
「いえ。僕は桜川さんの上司ですし。いえ。そういうことより、桜川さん、女性の一人暮らしですよ?そんなに簡単に男を部屋にあげたり、男の部屋に行かないほうがいいと思いますが」
「え?」
「あ、隣の人ともしかして、お付き合いをしているとか?」
「まさか。だったら、あの女性が来たりしたら、今頃修羅場になっていますけど」
「あ、ですよね」
そうだよな。付き合っているわけがないか。だったら、ますます危ないだろ。それもあんな派手な女性が夜中にやってくるような男の部屋に。
「桜川さん、まさか、隣の男に遊ばれていたり?」
「しませんよ~~~。本当にただの、お隣さんです」
う~~~ん。この人は、実は危なっかしい人なのか?
「とにかく、僕は帰りますが、戸締りとかしっかりとして、気を付けてくださいよ。マンションと違ってアパートじゃ、誰がやってくるかわからないんですから」
「主任のマンション、セキュリティばっちりって感じでしたもんね」
桜川さんはそう言うと、ぺこりとお辞儀をして鍵を開け、
「じゃあ、おやすみなさい。送っていただきありがとうございました」
とそう言うと、すぐに部屋に入って行った。
「鍵、閉めてくださいよ、ちゃんと」
そう言って僕がドアを閉めると、中からガチャリと鍵を閉めた音が聞こえた。一安心だな。
一人でまた電車に乗り、自分のマンションに帰った。シャワーを浴び、水を飲み、ソファに座ってほっと一息入れた。
「はあ…」
あのあと、桜川さんは、そのまま寝ちゃったんじゃないのか?そのくらい酔っていた。
気になった。服も化粧もそのままで、朝まで寝る桜川さん。もしや、二日酔いになってしまったり?
母や姉も飲んで帰ると、そのままベッドに潜り込んで寝てしまうことはしょっちゅうだった。母に至っては、リビングのソファで寝てしまうなんてこともあった。まあ、ほとんどがほっておくが、寒い日なんかはさすがに毛布を掛けてやった。
朝、二日酔いになって、苦しんでいる姿もよく見かけた。オレンジジュースだの、二人に持って行ってやったりもした。もともと酒は強くないが、ああいう姿を見て、もっと酒を飲もうと言う気が失せた。
酔っぱらいの介抱は面倒だ。くしゃくしゃになった服にアイロンをかけるのも僕だった。
母や姉の面倒は、もう見たくないと思う。2度とごめんだ。だが、なんだってこうも、桜川さんのこととなると気になるんだろうか。
もし、僕が一緒に住んでいたら、酔って帰った桜川さんにそのまま寝るなと言って、せめてパジャマに着替えさせてから、ベッドに連れて行く。
朝も、二日酔いで苦しむ桜川さんをちゃんと介抱するだろう。朝食も作り、甲斐甲斐しく世話をしそうだ。
そんなことが簡単に想像できる。それが何より不可思議だ。なんだって、そんなことを想像できてしまうのか。
絶対にそういう面倒なことがしたくないから、実家に帰らないし、誰かと暮らしたいとも思わないのに、なんだって、桜川さんだけは別なんだ。
平気で男の部屋に入り込み、酒を明け方まで飲むなんて、呆れてしまって、そんな女性は軽蔑をする。…はずなのに、なんだって桜川さんのことは軽蔑するより心配になるのか。
父性本能か?まさかなあ。
そこまで年だって離れていない。あ、妹みたいな感じか?妹だったら、こんな感覚になるのか?姉だから、飲んだくれていようと、面倒なだけだが、妹だと心配したり世話がしたくなるものなのか?
妹がいないから、そのへんはわからない。だが、きっとそうだ。
そんな結論をだし、ベッドに入り込んだ。そして、ゴロンと寝返りを打ち、僕は眠りについた。
また、あっという間に1週間は過ぎた。仕事は相変わらず忙しかった。課の連中もようやく仕事を前向きにとらえ、やる気を出してきた。前主任の失敗で、彼らもかなり気を落としていたらしい。どこか、仕事に対して尻込みをしているような印象を受けたが、今は率先して仕事をしようとしている。
僕もすっかり乗ってきていた。課の女性も、(いまだに溝口さんだけはやる気を見せないが)真面目に仕事に向き合うようになってきた。特に桜川さんは、積極的にいろいろとしてくれている。僕がそれに対して評価すると、嬉しそうにするのがわかる。
北畠さんも、それに負けずと一生懸命だ。南部課長も、最近は張り切りだし、部下だけでなく自分も積極的に動くようになってきている。
そんないい雰囲気の中、1課はいまだにだらだらと仕事をしているようだった。
部長にまた呼ばれたのは、金曜の終業時間間際の時だった。
「魚住君、ちょっといいかな」
会議室に一緒に入り、二人で椅子に腰かけた。
「最近、2課はいい感じだね。見ていてわかるよ」
「そうですか?ありがとうございます」
「あの南部君も変わってきている。君の影響は大きいね」
「ありがとうございます」
「まだまだ、忙しいとは思うんだけど、どうかな?今週か来週末にでも、娘と食事でも」
「え?」
「娘がね…、というか、妻が乗り気なんだよね。二人で食事が抵抗あるなら、一度うちに来てみないか?」
「部長のお宅にですか?」
「うん。まあ、そこで、娘を気に入ってくれたら、それからお付き合いを考えてくれてもいいんだがね」
付き合いをって、結婚を前提としてってことだよな。
まずいな。断れなくなるんじゃないのか?いきなり家に行くなんて、かえってまずくないか?
「まあ、軽い気持ちで来てくれないか。あ、一人が気まずいなら、南部課長も呼んでもいいが」
「……。そうですね、僕が一人で行くというのは、なんだか、気が引けます」
「ははは、それもそうだな。南部君を差し置いて君だけ呼んでしまったら、南部君の立場もないか」
とりあえず、一人で行くよりはいいだろう。
だが、そのあとはどうしたらいい?仕事が忙しいと断り続けるか。結婚は考えられないとはっきりと言うか。いや、一番はきっと、僕には付き合っている女性がいますと、嘘をつくことだろうな。これが一番てっとり早い。さすがにその女性と別れてまで、娘と付き合えとは言わないだろう。
ぽんと頭に浮かんだのは、桜川さんの顔だ。でも、僕の嘘に巻き込むわけにはいかない。それに、勝手に部長に僕と桜川さんが結婚するとか思われても困る。
重いため息をつき、僕は自分の席に着いた。なんだって部長は僕を気に入ってしまったのか。仕事の面で気に入ってくれたのはありがたいが、娘の結婚相手になんだって僕を選んだんだ。もっと他にもいい男はいるだろう。僕が結婚に向いているとでも思ったのか?
終業の時間は過ぎていた。桜川さんも溝口さんもすでに席にはいなかったが、しばらくすると、会議室から明るい女性陣の声が聞こえてきた。
ああ、フラワーアレンジメント教室が始まったのか。
今週末は、できたら我が家にまた桜川さんを呼びたかった。家庭菜園のこともまだまだ教えてほしいし、前に作ったアレンジは枯れてしまったので、新たに作りたいと思っていたところだ。
だが…、そんなにしょっちゅう呼んでもいいものなのだろうか。
そんなことを思いつつ、デスクで残業をしていた。課には他にも残業をしている社員が数名いた。前ならみんな、花の金曜日とっとと帰っていたが、最近はやる気になっているので、残っているようだ。それに、南部課長もいる。
1時間して、フラワーアレンジメント教室は終わったようだ。ぞろぞろと会議室から女性陣が、手にアレンジした花を持って出てきた。
「伊織、私、このあと約束があるからこれで帰るね」
「約束?」
「岸和田君と飲みに行くの。あ、このアレンジはデスクに飾ろうっと」
溝口さんは手にしていたアレンジメントをデスクに置くと、
「じゃあね。一階のカフェで待ち合わせているの」
と意気揚々と出て行った。
「お疲れ様です」
桜川さんも自分のデスクにアレンジを置くと、僕に挨拶をしてきた。
「お疲れ様です。今日も可愛いのができましたね」
「え?あ、はい」
ん?なんか、顔色が悪いな。元気がないように見えるけど、気のせいかな。
「それじゃあ、お先に失礼します」
桜川さんは、すぐにその場を去ろうとした。僕は、
「ああ、はい。お疲れ様」
と、その場はやり過ごし、自分もデスクを片付け、カバンを持った。
まだ残業している社員もいたが、
「お先に」
と席を立ち、何食わぬ顔をして廊下に出た。そして、ロッカールームに行った桜川さんをなんとなく待った。
ロッカールームから桜川さんが現れた。
「あれ?」
僕を見て、そう口にしたので、
「あ、僕もちょうど終わったんですよ」
と、とてもクールにそう言ってみた。
エレベーターホールに何気に二人で向かった。偶然にも…という空気を漂わせて。エレベーターホールには、他の部署の社員がいて、僕らは特に何も話もせず、そこに並んだ。
エレベーターが来て、エレベーターに乗り込んでも無言でいた。
そして、一階に着き、他の連中がさっさとビルの外に向かって歩き始めた頃、
「桜川さんはまっすぐに帰るんですか?」
と聞いてみた。
「はい」
「じゃあ、僕も…。あ、そうだった。DVDを借りようかと思っていたんです。良かったら一緒に見に行きませんか?」
「あ、ちょうどよかった。私も借りていきます」
その言葉にほっとした。私は先に帰りますと言われるかと思った。なぜなら、本題は明日のことだ。また、我が家に来て下さいと誘うのが一番の目的だ。それをまだ、切り出せていない。
僕らはレンタルショップに入った。そこで、彼女はにこにこしながらDVD探しを始めた。
さっき、暗い表情になっていたのは気のせいか。
「元気出ましたか?」
「え?」
桜川さんはびっくりしながら聞き返した。
「あ、さっき、ちょっと元気がないように見えたんですけど」
「あ、ああ…」
また、暗い表情になった。
「なんでもないです。ちょっとアレンジメントの時、頑張りすぎて」
「ああ、そうなんですね」
顔を上げた桜川さんの表情は、どこかぎこちなかった。
「何を借りようかな~~」
そう言って歩き出した桜川さんの横顔も、どこか元気が失せて見えた。
「僕は今日、SFでも見ようかと思っているんです」
「SF?」
「桜川さんの気分は?」
「気分?」
「その時の気分で観たい映画って変わってきませんか?」
「…主任はSFの気分ですか?」
「なんとなく。ちょっと不思議な感じの、異世界を覗きたいっていう気分です」
「はあ…。なるほど」
そう呟くと、桜川さんはしばらく黙り込み、
「私は、悲恋ものが見たいです。あんまりハッピーな感じは観たくないかも」
と、ぼそっと元気のない声で言った。
「え?」
「悲しい映画をわざと見たいっていう時ないですか?」
「やっぱり、何かあったんですか?」
「……いえ。ああ、はい」
どっちなんだ。あ、まさか、岸和田と溝口さんがデートするからか?
「落ち込むことでもあったんですね」
「はあ…、まあ」
顔、思い切り沈んでいるもんな。
「…悲恋ってことは、恋愛関係の落ち込むことですか」
「え?い、いいえ。そんなことは…。ただ、ちょっと、ただ」
「はい」
「…きっと、嫉妬」
「え?」
「いえ。違うかな。そうじゃなくって、き、気になるって言うか」
やっぱり、岸和田のことか?
「他の女性と、気になる男性がデート…とかですか?」
「ええ?!」
あ、思い切りびっくりしている。図星か、
「デートってわけじゃ。ただ、えっと、その」
そのあと、彼女は慌てふためいた。そして、はあっとため息を吐くと、
「気にしないでください。本当に、まったく気にしないでくださいね」
と、そんなことを言いだした。
そして、とぼとぼと店内を歩きだし、本当に悲恋の、思い切り泣けそうな映画を選んでいた。




