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第85話 不倫? ~佑編~

 その日は、課全体も仕事が落ち着いていて、課長が突然飲み会を提案した。

 飲み会自体が好きではないので、以前なら急ぎの仕事が無くても「仕事があるので遅れます」と、30分以上遅れていくことがほとんどだった。


 だが、今は違う。伊織がいるから、とっとと仕事を終わらせ一緒に店へと向かう。たいてい、伊織を隣に座らせてくれて、どうぞ二人の世界を作ってください…と放置してくれる。


 今日はしゃぶしゃぶだ。飲み会の時期でもなければ、金曜日でもないので当日でもすいていて、課のみんなが余裕で入ることができた。


「乾杯!」

 野田さんの音頭でみんなで乾杯した。伊織はビールを飲んでいる。


 そして二人の世界に浸っていると、新人の鶴原さんが僕にあれこれ話しかけてきた。

 鶴原さんとはあまり話す機会も無かった。真面目な性格のようで、仕事中にめったに雑談することもないようだ。


「主任もお酒飲めないんですね~~」

 自分も飲めないからか、親近感が沸いたのか鶴原さんはやけに僕に対して笑顔で話しかけてくる。だが、その隣にいる中山さんは、僕を睨んでいるようにも見える。


 そして、とうとう中山さんは僕を見てわなわな震えながら、

「主任、結婚されているんですよね。左手の薬指に指輪しているし」

と聞いてきて、

「それなのに、あんなことをするなんて」

と、わけのわからない、でもかなり、意味深な言葉を吐き捨てた。


「は?あんなって?」

 いったい、なんのことだ。

「コピー室であんな…。ふ、不倫なんて私はやっぱり、許せないです」

「不倫?!」

 いっせいに課の全員が僕を見た。


 不倫。不倫って?

 まったく、身に覚えが無い。いや、待てよ。コピー室でって言ったな。ってことは。


「な、中山さん、いきなり何を言い出すんだい?」

 課長が慌てたように中山さんを黙らせようとした。

「こんなところで言うことじゃないわよ」

 塩谷もあわてている。


 伊織を何気に見ると、口をあけたまま固まっている。

「中山さん、いい加減なこと言わないほうがいいよ」

 鶴原さんも、中山さんに注意した。だが、

「だって、許せないものは許せないんです」

と、中山さんは顔を真っ赤にしている。


「コピー室って…。この前、残業をしていた時の」

「そうです」

「う、魚住主任、まさか、中山さんに手を出しちゃったとか?」

「まさか」


 小林の言葉にそう返事をしようとすると、

「私にじゃないです!」

と、僕の言葉を遮って中山さんが叫んだ。


「主任が浮気するわけないじゃないよ。中山さんの見間違いでしょ」

「そうよ!」

 塩谷と北畠さんが半分呆れるようにそう言っても、まだ中山さんは、

「見たんです。あれって、不倫じゃなかったら、セクハラですか?」

と、またもやとんでもない発言をした。


「セクハラ?主任が?あははは」

 おい。溝口、笑うところか、それ。

「ねえ、中山さん。その時の相手って、まさか伊織?」

「そうです。桜川さんも結婚しているのに。今日だって、ずっと二人で仲よさそうにして、でもみんな何も言わないし、大人の世界ってこんななんですか」


「あははははは」

 思い切り笑ったのは、溝口だ。他のみんなも、

「なんだよ、びっくりさせないでくれ」

だの、

「あほらしい」

だの言って、身を乗り出していたのに、また深く座りなおした。


「え?あほらしいって?」

 中山さんはまだ、険しい顔をしている。その隣で鶴原さんは、青い顔をして、

「コピー室で何をしていたの?」

と、中山さんに小声で聞いている。


「抱き合ってたんだよ。私、この目で見ちゃったんだから」

「えええ?」

 新人二人、本当に僕たちが結婚していることを知らなかったんだなあ。


「主任、社内でいちゃつくのやめて下さいよ。こういう誤解を招くんですから」

「誤解?」

「そうよ、中山さんも鶴原さんも、なんで今まで知らなかったわけ?」

「え?な、何をですか?二人の不倫は公認とか?」


「中山さん、不倫じゃないですよ。れっきとした僕は伊織の夫です。自分の妻を抱きしめてもセクハラにも不倫にもならないですよね?」

「そうそう。社内でいちゃついていたってだけでね~~~?い、お、り」

 溝口さんはかなり酔っているようだ。そんなことを言って伊織をからかっている。


「……」

 伊織が泣きそう?

「伊織?どうした?」

「び、び、び、びっくりして」


「え?」

「佑さんが浮気するわけないって思ったけど、思ったけど…」

「するわけないだろう。他の女性になんてまったく興味も無い。まさか、一瞬でも僕が不倫していると思ったのかい?」


「ごめんなさい」

 あ、泣いた!

「ほらほらほら~~。中山さんが変なこと言うから~。伊織、泣く事ないって」

「いや、主任が社内でいちゃついたのが悪い」


 溝口さんの言葉に、塩谷が僕を責めた。

「ごめんなさい。お二人が結婚しているって知らなかったから。だ、だって、苗字も違うし」

「戸籍上では伊織は魚住伊織。職場では魚住が二人いるとやっかいだから、旧姓を名乗っているだけですよ」


 そう説明すると、中山さんも鶴原さんも、しゅんと肩をすぼめ、小さくなった。


「中山さん、主任が浮気するわけないじゃない」

 にやにやしながら、溝口さんが言った。

「そうだよ、自分の奥さんに激甘な人が」

「奥さんをエコヒイキしている人が」


 こいつら。

「溝口さん、野田さん、塩谷、変なことを言ってないでください」

 そう話を止めたが、

「激甘って」

「エコヒイキしているんですか?」

と、中山さんと鶴原さんが、思い切り興味を示してきた。


「桜川さんにだけは優しいのよ」

 塩谷がまたそんなことを言った。

「いつも主任怖いんですけど、優しい主任素敵ですもんね。羨ましいなあ、桜川さん」

「え?」


 ああ、中山さん、それ以上は言わないでくれ。ほら、伊織が青ざめている。

「いいなあ」

 中山さんは酔っているんだろう。どこを見ているのかわからないが、ぼんやりとしながらそう呟いた。



 飲み会も終わり、伊織と二人でマンションに帰った。伊織はなんだか元気がない。

「伊織?」

 ベッドに先に入った伊織は、布団の中で丸くなっていた。丸くなっている時はたいてい、さびしがったり不安を抱えているときだ。


「どうした?」

「なんでもない」

 ギュッと僕を抱きしめながらそう言った。


「飲んだのに眠くならなかったんだね、珍しく」

「うん」

「やっぱり。元気ないな。どうした?」

「佑さん」


「ん?」

「浮気しないよね?」

「しないよ」

「もし、中山さんが佑さんを好きになっちゃったとしても?」

「ならないだろ」


「優しい佑さんが素敵って言ってたじゃん」

 あ、かなり酔ってるな。こんなふうに拗ねた口調になる時は、かなり酔っている時だ。

「中山さんに僕は優しくないから、安心して」

「でも、でもでもでも」


「たとえ、中山さんが僕を気に入ったとしても、僕は彼女にまったく興味を持たないから安心して」

「本当に?」

「信じられない?」

「…。だって、昨日まで部下だと思っていたのに、恋愛対称になるってこともあるかもしれないし」


「ならないよ」

「でも、私のときは?」

「確かに、最初の印象は良くなかったけど、すぐに伊織のことは一人の女性として意識していたし」

「うそだ」


「うそじゃない」

「でも、佑さん、いつも冷たかった」

「いつ?」

「会社で、クールって言うか、そっけないって言うか」


「二人の時は違ったでしょ?みんながいる時にはわざと、無表情にしていたけどね」

「映画の話をする時には楽しそうだったけど」

「伊織とだったから、楽しかったんだと思うよ」

「ほんと?」


「伊織だけが特別」

 そう言ってキスをすると、伊織は安心しきったようにすぐさま眠ってしまった。

 ああ、まったく。心配なんか一切しないでいいのに。まあ、やきもちをやく伊織も可愛いけどね。



 その後、誤解が解けたからか中山さんは僕に対して、また壁を取っ払ったようだ。伊織とはまた違った意味で、かなりぼけているようだが、なんとか頑張って仕事を覚えようとしている。


 そして、あっという間に伊織が辞める日がやってきた。伊織はいつもは着ない明るい色のワンピースを着て、会社に行った。3時までは普通に仕事をし、そのあと、各部署に挨拶に回り、最後に営業部で挨拶をした。


 5時を過ぎた頃、同期の人たちから呼ばれ、伊織は会議室に行った。そこで、花束を貰ったらしい。目を真っ赤にして伊織は席に戻ってきた。


「桜川さん、今までお疲れ様でした」

 課のみんなも伊織に挨拶をして、課長が花束を渡した。

「ありがとうございます」

 伊織はまた目を潤ませ、泣くのを必死で我慢している。


「結婚式には行くから」

「フラワーアレンジ教室で、ちょくちょく来るんだよね?」

「主任とお幸せにね」

 そんな言葉をみんなからかけてもらい、伊織はとうとうぼろぼろと涙をこぼした。


「今まで、お世話になりました」

 みんなに深々とお辞儀をし、溝口さんと一緒に伊織はロッカールームへと消えた。


「とうとう、桜川さん、辞めちゃうのか、寂しくなるねえ」

 椅子に腰掛けながら、課長が呟いた。

「課の癒し担当だったから、これからどこで癒されようって感じっすよ」

「野田さんも癒されてたの?」


「そういう塩谷さんも?」

「塩谷さん、最初は桜川さんのこと嫌っていたのに」

「う~~ん。でも、知ってみたら意外と仕事できるし、何よりあのほわんとした笑顔に癒されていたからなあ」

「寂しいですね~~」


 課のみんながそれぞれに、呟きながらため息をついた。

「中山さんは、一人でも大丈夫かい?」

 小林がそう聞くと、中山さんは不安そうな顔で「はい」と頷いた。

「まあ、みんながフォローするから」


 野田さんは笑顔でそう言い、ちらっと僕を見た。

「主任も、寂しいでしょう。奥さんが辞めちゃって」

「家に帰れば会えるんですから、寂しくないですよ」

「またまた~~。一番寂しがっているくせに」


 う。うるさいぞ、塩谷。まさか、僕の顔が寂しそうだったのか?


「花束、一つ持つよ」

 まだ、目を赤くし、ぐずぐずと鼻をすすっている伊織にそう言って、一緒にエレベーターに乗った。

「明日から寂しい」

「そうだね。みんなに会えないのは寂しいよね」


「ううん。佑さんに会えないのが一番寂しい」

「僕?」

 顔を近づけそう聞くと、コクンと頷いた。ああ、可愛い。


「くす。家では一緒なのに」

「だって、今までずっと一緒だったから」

「うん。そうだなあ。やっぱり、僕も寂しいよ」

 スーパーで買い物をするのにも花束が邪魔で、いったん伊織とマンションまで帰り、

「二人でぱあっとお祝いしに行こう」

と近くのレストランに行った。


「お祝い?」

「寿退社に。乾杯」

 僕はノンアルコールのビール。伊織はビールで乾杯した。

「何年いたっけ?」


「4年」

「4年間、お疲れ様」

「ありがとう。主任のおかげで楽しいOL生活でした」

「ははは。そう?僕も伊織のおかげで楽しかったよ」


「ほんと?」

「ほんと。もう社内でこっそりいちゃつけないのが悲しいね」

「もう~~。けっこう、佑さんはスケベなんだから」

「ははは」


 ビールを飲んで、ようやく伊織が明るくなった。

「これからは、しばらく専業主婦だね。よろしくね、奥さん」

「はい。こちらこそ。ちゃんと家事もして、お料理も勉強する!」

「うん。頑張って」


 にこりと笑うと、伊織は顔を赤らめ、

「あ、その顔が好き」

と、酔った勢いで次々と僕を褒めだした。


「あとねえ、仕事をしている時のクールな顔も好きだったの。パソコンを打っている時の指とかも。それから、スーツの上着を脱いだり着る時も。あと、桜川さん、コピーお願いしますって、私を呼ぶ声とか」

「いい、いい。いちいち、そんなこと言わないでも」

 顔が火照る。なんだっていきなり、今さらそんなことを言い出したんだ。


「コーヒー、入れてあげるのは中山さんがするのかな」

「自分で入れるよ」

「でも、コピーとかは?中山さんに頼むの?」

「多分ね」


「寂しい。悲しい」

 うわ。泣きそうだな。相当酔ったのか?ビール1杯で?

 レストランからの帰り道も、僕の腕に伊織の腕を絡ませ、

「佑さんのいない家なんて、寂しすぎる」

と、悲しそうに言う。


 伊織の甘えはそのあとも、容赦なかった。なかなか僕を解放してくれず、

「そろそろ離して?風呂にも入れない。もう、伊織まで連れて風呂に入るよ?」

と、冗談で言ったのに、

「いいよ」

と言って、まだ僕の腕にしがみついている。


「それ、本気?」

 まあ、どうせ、逃げるんだろうと、伊織を引きずりながら洗面所まで行くと、なんと逃げずにまだ引っ付いている。


「風呂に入るなら、服、脱がないとね?」

「眠い」

「え?」

「寝そう」


 ああ、眠くて逃げ出すどころじゃなかったわけか。

「しょうがないなあ」

 結局僕が、お姫様抱っこをしてベッドに連れて行き、パジャマに着替えさせた。伊織は途中から、すでに夢の中。


「おやすみ」

 掛け布団をかけて、伊織の可愛いおでこにキスをする。伊織はすでに寝ているから、何も返答が無かった。そのかわり、可愛らしい寝息が聞こえた。


「まいったなあ」

 かなり、一緒に風呂に入れるのかと期待してしまった。


 でも、まあ、そのうち。


 一人で風呂に入りながら、思い切り甘えん坊になった伊織を思い出しにやついた。

 

 これからは、会社から帰ってくると、おかえりと抱きついてきて、今まで以上に甘えてくるのかもな。それはそれで、楽しみだな。


「ああ、やっぱり、激甘だな」

 自分でもそう思う。

 もうすぐ、結婚式だ。伊織の花嫁姿を想像して、またにやけながら、僕は風呂につかりすぎ、のぼせてしまった。

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