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第82話 のろけ ~佑編~

 定時になり、新人二人は帰っていった。塩谷は中山さんが、明日来ないんじゃないかと言い出した。野田さんや課長には、僕の接し方を指摘され、もっと優しくしたらどうだと言われてしまった。


 だが、どうやって優しくしたらいいと言うんだ。僕には無理難題だ。優しい言葉をかけようにも言葉に詰まる。いや、これでも、けっこう言葉には気を使っているほうだ。


 塩谷に対してのほうがかなりきつい。そこまできつい口調にならないよう、気をつけて言っているんだがな。


「桜川さんに対しての優しさの何十分の一でもいいから、優しくできないものかねえ、魚住君」

は?なんだ、それは。

「いや~~、無理ですね」

 課長にそう言い返した。伊織に対しては、わざと優しくしているわけじゃない。優しい言葉をかけたり、僕の態度が優しいというなら、それは自然とそうなっているだけで、作っているわけじゃない。


「でもね、桜川さんにはきつく言わないようにとか、気をつけるようにと注意したら、魚住君、ちゃんと優しく接したよね?」

「課長、だから、伊織にだったから、優しくできるんです。お言葉を返すようですが、別に僕は課長や部長に頼まれたから伊織に優しくしたり世話を焼いたわけじゃないですよ」


 ちょっと頭にきてそう言った。確かに課長にそういうことは言われていたが、そんなことを関係なしにして伊織のことは心から心配もしていたし、気にかけていたし、大事だった。


「はいはい。結局は、桜川さんにそれだけ惚れたっていうことを言いたいわけですね、やれやれ」

そう野田さんが言うと、課のみんながどっと笑った。

「もういいですよ、主任。それ以上惚気なくても。聞いてて嫌になってくる」

 塩谷は、本気で嫌がっているように見える。


「悪いな」

 つい、塩谷には本気で謝ってしまった。


 それにしても、惚気か。

 まさか、この僕が惚気るとはなあ。


 伊織を見ると真っ赤だ。やっぱりな。くす。ああいうところも可愛いよなあ。

 ああ、早く家に帰って思い切り、伊織に甘えたいなあ。


「伊織、今日は残業?」

「あ、30分くらい残るかも…です」

「じゃあ、僕もそのくらい残って仕事していくよ。終わったら声かけて」

「はい」


「あ~~あ、今日も仲睦まじく帰るんですか」

「まだまだ新婚ですからね、僕らは」

「はいはい」

 野田さんに軽くあしらわれたが、いちいちひやかすのもやめてほしいな。新婚なんだからいいじゃないか。


 伊織が仕事を終えたので、僕も終わりにした。残りは家でするとするか。

「お先に失礼します」

 残っていた課の連中に挨拶をして、僕らは会社を出た。


「佑さん、あんまりみんなの前で惚気ないで下さい」

 エレベーターから降りると、伊織がそんなことを言ってきた。

「ん?なんで?」

「恥ずかしいですよ」


「新婚なんだから、いいじゃないか。ただ、そろそろみんなも、あれこれひやかすのをやめてくれたらいいと思うけどね」

「そうですけど~」

「あけっぴろげに言っておけば、そのうち飽きてひやかさなくなるかと思ったんだけどなあ」


「あけっぴろげ?」

「そういえば、中山さん、どう?」

「暗いです」

「伊織、もう敬語じゃなくてもいいよ」


「あ、そうだった」

 伊織はへへっと笑い、僕をはにかんだ笑顔で見た。

「じゃあ、手を繋いでも大丈夫?」

「いいよ?」


 伊織と手を繋いで駅まで向かった。

「中山さん、明日も来るかな」

「え?」

「本当に暗かったから」


「僕が原因かな」

「……多分」

「やっぱり。でも、優しくしろと言われてもなあ」

「佑さんの優しさ知っちゃったら、中山さん、好きになっちゃうんじゃ」


「僕を?ははは、それはないでしょ」

「そんなのわかんないよ。だって、佑さんはものすごく」

「うん、わかった。伊織、ここでそれ以上は言わなくてもいい」

 僕は伊織の言葉を遮った。このままだと、人が周りにいるのに、素敵だとかあれこれ恥ずかしいことを言い出すだろう。


「ごめんなさい」

「……ん~~~。それにしても難しいよなあ。優しくってどう接したらいいんだろうなあ」

「……。今みたいに?」

「え?ああ、伊織と接するみたいに?」


「…でも、やっぱり、そうなったら、中山さんが…」

 また伊織はありえないことを想像して暗くなっているな。

「無理だな。伊織には別に優しくしようとしているわけじゃないし、伊織だけ特別だと思うし」

「え?」

 あ、今度は真っ赤になった。


「昔から、僕は女性と接するのが苦手だし」

「……わ、私は?」

「だから、伊織は特別なんだよ。自分でもわかんないけどね」

「……」


 ますます赤くなった。くす。可愛いよなあ。

「そうだなあ、まあ、あまりきつく言わないよう気をつけるよ」

「うん」


 伊織の手は冷たかったが、だんだんとあったまっていった。そして、僕らは早く帰って家であったまろうと、スーパーの買い物もさっさと済ませ、早足でマンションに帰った。


 伊織は洗濯物をしまい、たたんだり、風呂を洗うのが担当。僕は夕飯を作るのが担当。

 そして、伊織はおいしく僕の料理を食べるのが担当。その顔を見ると、一気に幸せになる。

 ああ、いいよな、こんな毎日。


 風呂に順番に入る。待っている間、僕はコタツでのんびりとテレビを見た。伊織が風呂から出てきて、

「佑さん、どうぞ」とまだ濡れた髪のまま僕に声をかける。ほんのりと頬がピンクに染まり、すっぴんの伊織は可愛らしさと色っぽさを同時に見せてくるから、少しだけ胸が高鳴ってしまう。


 ダメだ。明日も仕事だ。今夜抱くわけにはいかないんだから落ち着け。自分に言い聞かせながら風呂に入り、早くに伊織に甘えたくなり、さっさと風呂から出てしまう。


「あ、しまった。仕事持ってきたんだ」

 思い出してがっくりした。

「伊織、先に寝てる?」

「ううん。寂しいから私も何かする」


 伊織は一緒に仕事部屋である洋室に入り、パソコンを開いた。どうやら、今度のフラワーアレンジメント教室で使う説明文を作成するらしい。


「次は、どんなのにしようかな」

と独り言を言い、パソコンとにらめっこをしている。

「毎回、自分でアレンジを考えてるの?」

「うん。先生に習ったものを見本にして、ちょっとアレンジ加えたりして…」


「いいね。今度僕にもまた教えてくれる?」

「じゃあ、土曜日にでも」

「うん。春らしいのがいいね」

 そう僕が言うと、伊織はニコニコになりやる気を出したようだ。


 僕の仕事は30分で終わったが、伊織のほうが時間がかかっているようで、まだパソコンの前で苦戦をしていた。

「何か飲む?」

「え?」


「あったかいものでも入れてくるよ。ココアとか、ホットミルク」

「ホットミルクがいいなあ」

「了解」

 マグカップにホットミルクをいれ、伊織のテーブルの上に置いた。そして、椅子を隣に持ってきてパソコンを覗き込む。


 画面には、緑を多くあしらったアレンジの写真が出ていた。

「これを今度は作るの?」

「うん。どうかな」

「いいね。春らしい」


 伊織はフラワーアレンジのことを考えているとき、すごく真剣な顔になったり、嬉しそうに目が輝いたりする。野菜たちに水を上げているときには、優しい目をしているけどな。


「伊織、結婚式で飾る花、自分でアレンジしたいって言っていたよね」

「もし、できたらでいいんだけど」

「いいと思うよ。あと、ブーケも作ってみたら?」

「自分の?わ、どうしよう。作ってみたいかも」


 くす。また目が輝いた。

「伊織は、フラワーアレンジのことだと、すごく嬉しそうだね」

「ごめんなさい」

「え?謝ることないけど?」


「仕事もこれだけ打ち込めたらいいんだろうけど、いつもヘマもするし、打ち込めていないし」

「ああ、会社の仕事ってこと?でも、いつも伊織頑張ってるよ?お得意さんからも信頼されているし」

「そ…かな」

「自信持っていい。ただ、中山さんがそれを引き継いでくれるといいんだけどね」


「……」

「大丈夫。僕がフォローするし」

「うん」

 まだ暗いな。


「中山さんって可愛くて女の子らしくて、男子にもてそう」

 ああ、そういうことで暗くなったのか。

「安心して。僕のタイプじゃないから」

「佑さんのタイプって?」


「ん~~~。そうだな。やっぱり、趣味が合わないと話していてもつまらないし」

 そう言うと、伊織は嬉しそうに僕を見た。

「それから、世話を焼きたいから、多少面倒をかける子じゃないと」

 それはあまり嬉しくないらしい。口をとんがらせた。


「それと、元気で可愛くて一生懸命で」

「……」

 目を丸くしてきょとんとしたな。

「伊織みたいに」

「え?私?」


 目を丸くしているのが可愛くて、つい抱きしめてしまった。

「まだかかる?伊織」

「ううん。もう終わる」

「じゃあ、ベッド入ってもう休もうか」

「うん」


 寝室に二人で向かい、ベッドに入る。伊織の足は冷たかった。その足に僕の足をくっつけあっためながら、僕は伊織に抱きついた。

 伊織の体温、伊織のにおい、それらすべてが僕を癒す。


「伊織、おやすみ」

「おやすみなさい」

 僕の腕の中で、伊織がすーすーと寝息を立て始めた。これで、僕は完全に癒され、また明日仕事を頑張れる。


 翌日、朝、多少暗い顔をしていたが、ちゃんと中山さんはやってきた。5分前に伊織と2課にやってきて席に着いた。

「桜川さん、来て早々悪いんですが、コピーをお願いします」

「あ、はい!」


 伊織は僕の席まですっ飛んできて、原紙を受け取りコピー室にすっ飛んでいった。

「中山さんは、電話が鳴ったら出てくださいね」

「…はい」

 返事が暗いなあ。


 伊織はまた勢いよく戻ってきて、途中キャビネットに足をぶつけていた。

「いたっ!」

「大丈夫ですか?」

「は、はい」


 足、引きずってるじゃないか。

「ゆっくりでいいのに、いつも走ってくるから。また青あざ作ったんじゃないですか?」

「だ、大丈夫です…」

「気をつけてくださいね。い…、桜川さんはそそっかしいんだから」


「う…。わかってます」

 伊織はほんのちょっと口を尖らせ、拗ねたらしい。僕のデスクにコピーした用紙をどんと置き、自分のデスクに戻っていった。くすくすと課のみんなが笑った。だが、新人二人は笑うことなく、真面目な顔をして伊織に「大丈夫ですか」と聞いていた。


「うん、平気。いつものことだから」

 伊織は作り笑いを浮かべながらそう言った。


 そして、その日の午後、中山さんが電話で思い切りヘマをした。お客を相当怒らせてしまい、上司を出せと怒鳴られ、半べそをかきながら僕に助けを求めた。

 ちょうど伊織は課長にお茶出しを頼まれていなかったし、溝口さんは鶴原さんにFAXの仕方を教えに行っていていなかった。


 そのうえ、北畠さんは交通費の清算をしに、経理に行ったところだった。つまり、事務員みんながいなくて、誰にも助けを求められない状態だったわけだ。


 真っ青な顔をして、最初は申し訳ありませんと電話にぺこぺこと頭を下げていたが、

「主任、どうしましょう。上司を出せとずっと言われていて」

と、泣きそうな声で僕に聞いてきたのだ。


「何をやらかしたの?あ、今、ちゃんと保留にしてる?」

 塩谷が顔をしかめてそう聞いた。

「はい」

 保留になっているか確認しつつ、中山さんがそう返事をした。


「相手は?」

「△□工務店の方です」

「ああ、社長からじゃないですか?」

「え?そうなんですか?難波さんという方なんですが」


「社長ですよ。短気なんですよね、あの人は。関西弁で怒鳴っているんじゃないですか?」

「すみません!私、午前中に電話を取って、折り返し電話をしますと言って、うっかりしてて」

「うっかり?!」

 塩谷が怒鳴った。


「塩谷は黙っていろ」

 そう言って黙らせ、すぐに電話を変わった。

「申し訳ありません。魚住です」

 すると、難波社長がでっかい声で、今出たのは誰や?!と怒鳴りだした。


「4月から入った新入社員です」

「いつもの桜川さんはもう辞めたんか?!」

「まだいます。でも、4月末で退社します」

「辞めるんか?なんでや?結婚か?」


「はい。寿退社です」

「そうか!それはめでたいな。お祝いせんとな」

「いえ。お言葉だけで…。今、席をはずしているんですが、戻ってきたら桜川から電話させましょうか?」

「辞める前に一回電話で話したいって言うといてや。あ、そうやった!急な用件があるんやった」


 なぜか、伊織のことで気を良くした社長は、もう機嫌を直し、本題に入った。それを聞いているうちに、伊織が席に戻ってきた。

「難波さん、お話はわかりました。検討してまた連絡を入れます。はい。明日にでも返事をしますよ。あ、それと、桜川が戻ってきたので替わります」


 伊織に、

「難波社長からです。い、桜川さんが辞めると聞いて、話がしたいようですよ」

と受話器を渡すと、

「え?難波社長?」

と伊織は嬉しそうに電話に出た。


「はい、桜川です。え?わあ!ありがとうございます!!」

 結婚おめでとうとでも言われたんだろう。伊織は嬉しそうにお礼を言った。


 その隣で、まだ青くなっている中山さんに、

「大丈夫ですよ。あの人、短気なんですけど、すぐに機嫌が直っちゃうから。きっと中山さんも桜川さんみたいに仲良くなれますよ」

と小声で言うと、なぜか中山さんはびっくりしたように目を丸くして僕を見た。


「怒っていないんですか?」

「はい、すぐに機嫌よくなりました」

「え?あ、あの、主任は?」

「ああ、僕は別に…。今後は気をつけてください」


「はい、すみませんでした」

「中山さん、確かにいろいろと気をつけてはほしいんですが、でも、そこまでガチガチにならなくてもいいですよ。1日それだと、疲れるでしょう」


「…はい。すみません」

 暗い顔のまま、中山さんは仕事を再開した。これでも、優しくしたつもりなんだが、そう受け取ってもらえなかったのか。


「ふう…」

 コーヒーを入れつつ、やっぱり優しく接するのは難しいよなと思っていると、いつの間にか伊織がやってきていた。

「お疲れですか?」


「……」

「主任?」

「ふ…。すごいなあ、伊織は」

 小声でそう言うと、伊織がきょとんとした顔をした。


「伊織の顔を見て、一気に気持ちがほぐれた」

 顔を近づけそう言うと、今度は真っ赤になった。

「伊織もコーヒーで一息?」

「はい。中山さんの分も入れてあげようと思って」


「中山さんは?」

「インプットしています」

「ふむ…」

「何か、悩み事とかですか?」


「う~~ん。さっきね、あまりきつく言っても縮こまっちゃうだけだからと思って、優しい言葉もかけてみたんだけど、どうやら伝わらなかったみたいなんだよね」

「中山さんに?」

「うん。どうも優しくするのは、やっぱり僕には難しいみたいで」


「え?でも、いつも優しいですよ」

「伊織にはでしょ?伊織には自然とそうなっちゃうから」

 そんな話をしていると、後ろからコホンという咳払いが聞こえた。振り返ると、溝口さんが立っていた。


「主任、仕事サボって奥さんといちゃつくのは、やめてもらえませんか?」

「は?サボっていたわけじゃない。コーヒーを入れにきただけで。それにいちゃついてもいない。話をしていただけですよ」

「名前、呼び捨てにして?」


「いいでしょう。そのくらいは」

 僕はそう投げやりに言って席に戻った。まったく。せっかく伊織に癒されていたのに台無しだ。溝口め。


 席からちらりと中山さんを見た。なぜか目が合い、真っ青になった。この反応、名古屋でもよくあったな。目が合うと事務の子が真っ青になって視線をそむける。

 やっぱり、嫌われたっていうことか。まあ、いいけどな。仕事に支障さえ出なければな。


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