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第82話 のろけ ~伊織編~

 翌日、朝から中山さんは佑さんに怒られていた。昼休憩に一緒にロッカールームに行くと、中山さんは暗い顔をして、

「私、やっていけるでしょうか」

と聞こえるか聞こえないかの声で私に言った。


「え?」

「自信ないです」

 そこまで落ちたか。


「だ、大丈夫だよ。私も入社して1年は落ち込むことも多かったけど、なんとかここまでやってこれたし」

「でも、あの上司の下で、やっていける自信ありません」

 あの上司って、佑さんのことだよね。


「大丈夫だよ。魚住主任が東京に来た頃、時間のこととかミスしたこととか、細かく注意されて嫌になったけど、主任、本当は優しいし」

「そうは思えないです」

「……」


 どうしよう。どこまで言えばいい?

「でも、最初は私も印象悪かったけど、だんだんと主任の印象変わっていったし。きっと中山さんも主任の良さをわかってくるよ」

「良さ?」


 疑いのまなざしで中山さんが私を見た。良さなんかあんの?って感じで。

「う、うん」

 内心、あんまり佑さんの良さを知られたくない気もする。あんまり知っちゃって、佑さんを好きになられても困るし。


「中山さん、こんなこと言うともっとがっかりするかもしれないけど、私はいまだに主任の良さわかんないし、嫌いだわ」

 そう後ろから口を挟んできたのは真広だ。

「え?そ、そうなんですか」

 中山さんはもっと暗い顔になった。


「でも、課長もほかの人たちもすごくいい人だし、いろいろと助けてくれるよ」

「…だけど、直の上司って魚住主任なんですよね」

「中山さんが思うほど、怖くないと思いますけど」

 真広の横からそう言ってきたのは鶴原さんだ。


「つるちゃんは、怒られていないからだよ」

「はい。きっとミスをしなければ、怒られないですよ」

「でも、私もまだまだわかんないことだらけで、ミスをしない自信がない」

「大丈夫だよ。私もミスばっかりしているけど、そんなにきつく怒ったりしないから」


「はいはい。伊織には甘いもんね~~。主任。エコヒイキしているもんね~~」

「真広」

 そういうこと今言わないでも。

「え?エコヒイキ?そんなことする人なんですか?」

 ほら~~。もっと中山さん暗くなった。


「中山さん、早くご飯食べに行こう。遅くなったらまた怒られるよ」

 鶴原さんにせっつかれ、中山さんはロッカールームを出て行った。


「真広!エコヒイキとか言わないで。佑さんがもっと嫌われちゃう」

「いいじゃん。変に好かれて不倫になるより」

「不倫?そ、そんなこと佑さんがするわけ…」

 ないよね?!


「まあ、あの仕事人間が、そんなことするとは思えないけどね」

「そうそう。それに、伊織ちゃん一筋だし」

 いきなり鴫野ちゃんが話しに加わった。


「さ、休憩室に行ってお弁当食べよう」

「うん」

 元気に二人はそう言い、私の手をつかみロッカールームを出た。


 中山さん、いきなり会社辞めたりしないよね。私みたいに体調崩したりとか、胃潰瘍とかウツとかになったりしないよね。


 もっと佑さんの良さをアピールするべきだったかな。でも、あんまりアピールしすぎて中山さんが佑さんを好きになったら嫌だし。

 ああ、なんか、頭の中ぐるぐるだ。


 午後になり、中山さんに請求書の作成を教えた。中山さんはパソコンを打つのは得意らしい。一回教えたら、すぐに速度を上げ入力をした。覚えも早いし、これなら大丈夫なんじゃないかなあ。

「アルバイトとか大学時代にしていたの?」

「はい。時給いいからコールセンターで」


「え?じゃあ、電話得意なんじゃ」

「あ、でも、教わったことをただ言えばいいだけの発信業務だったんです。スクリプトがあって、ほとんどそれを言うだけの簡単な業務だったから」

「ああ、そっか。ここじゃ、そんなスクリプトもないもんねえ」


「そうなんですよね。だから、舞い上がっちゃって。会社の人の名前さん付けしちゃいけないってわかっていたんですけど、やっちゃいました」

「私もやったよ。南部さんって言っちゃったことあるよ。課長がそのときは、呼び捨てしていいんだよ~~って言ってくれたんだよね」


「南部課長は優しいですね」

「うん。それから、魚住主任の前の主任の田子さんも優しかった。田子主任に繋ぐ電話、私も切っちゃったことあったんだけど、いいよ、いいよ、またそのうちかけてくるよって言ってくれて」

「え~~~~~。優しいですね。そういうふうに言ってもらえたら、私も落ち込まないで済むのに」


「そうだよね」

 う…。佑さんのことフォローできない。

「で、でもね、た…じゃなくって、魚住主任は部下のこと大事にする人だから、言い方怖いけど、すごく頼りになるし、だから、ほんと、大丈夫だから」


 フォローになってる?

「そうですかね~~」

 あ、なっていなかったみたい。また暗い顔をして中山さんはインプットを始めた。


「出来上がりました」

「うん。じゃあ、プリントアウトしてください」

「はい」

 出力した請求書を中山さんは、私に渡してきた。


「主任にはんこお願いしますって言って、この書類を渡してきて」

 そう言いながら、また中山さんに請求書を渡すと、

「主任にですか?私がですか?」

と、中山さんは顔を引きつらせた。


「うん」

 頷くと、しぶしぶ中山さんは佑さんのデスクまで歩いていった。そして、もぞもぞと何か言いながら請求書を佑さんのデスクに置いた。

「はんこですね?」

 佑さんが中山さんのほうを向き聞いている。でも、中山さんは何も答えない。


「はんこですよね?」

 また佑さんが大きな声で聞き返した。

「はい」

 ようやく中山さんが返事をした。怖くて返事もできないのかなあ。


「中山さん。ここ、重複していますよね?」

 え?

「あ、本当だ。すみません。打ち間違えました」

「打ち間違え?」

「すみません。すぐに直し…」

 

 やばい。どこか間違えたんだ。

「ごめんなさい。どこか、間違っていましたか?」

 慌てて佑さんに聞くと、

「20日の分が重複しているようですよ。桜川さん、ちゃんとチェックしましたか?」

と佑さんが私に聞いてきた。


「はい。一緒にやったから」

「一緒に?一緒にやって間違えた?」

 ギク。

「すみません!!すぐ、すぐに直します。それから、中山さんを怒らないで下さい」


「怒りません。桜川さんがこれからは、ちゃんと指導してくれればいいですから」

「はい」

 しまった。ああ、失敗だ。あんまり中山さんが流暢にインプットできているからって、確認を怠ってしまった。それに、話にも夢中になっちゃってた。


 佑さんのデスクまで飛んで行き確認をすると、本当に重複してインプットしている部分があった。ああ、やばい。

「仕事中は仕事に集中ですよ。ほかの事は考えないように」

 佑さんにそう注意をされてしまった。

「はい。仕事に集中します」


 席に中山さんと戻り、

「ごめんね、中山さん」

と謝った。

「いいえ、私のほうこそ、私のせいで桜川さんまで怒られてすみません」

「ううん。私が見落としちゃったから」


 自己嫌悪だ。

「はあ」

 もっとしっかりしないと。中山さんにも佑さんにも迷惑かけちゃう。


「何か悩み事でもありますか?」

「え?!うわ。主任、びっくりした。突然後ろにいるから」

 いきなり声かけられて本当にびっくりだよ。


「で、何か悩み事?」

「いいえ。なんでもないです」

「本当に?考え事でもしていたんじゃないですか?」

「いいえ。別に何も…」


「そうですか。じゃあ、いいですけど。何かあれば話を聞きますよ?」

 佑さん、心配してる?

「はい。あ、でも、ないんです。だから、大丈夫なんです」

 そう言うと、佑さんは少しこっちを気にしながらも会議室に向かっていった。


「ね?本当は優しいし、部下のことを大事にしてくれるから、大丈夫だよ」

 中山さんにまた念を押すようにそう言うと、中山さんは何も言わず、佑さんの後姿を見ているだけだった。



 終業時間になり、

「お疲れ様でした」

と、中山さんと鶴原さんに言うと、二人はほっとした顔になり、デスクの上を片付けだした。


「中山さん、また明日ね」

「はい」

 元気ないなあ。


「中山さん、元気出してね」

「…。さっき、魚住主任、桜川さんには悩み事があるか聞いていましたけど」

「うん」

「桜川さんのことは、気にかけている感じでしたけど」

「え?」


「なんでもないです。お先に失礼します」

 中山さんは、慌てたようにそう言うと、ロッカールームに小走りで行ってしまった。


 ああ、なんだか、心配だなあ。本当に辞めたりしないよね。

「あの人、桜川さんの上を行くくらい、ヘマばかりするわね」

「え?」

 塩谷さん、今の言い方ちょっととげがある気が…。


「大丈夫なのかしら。明日から来なくなったりして」

「ええ?それは困る」

「桜川さん、辞めるのやめたら?もう少しいたらいいじゃない」

「私もそうしたいんですけど、でも、夫婦が同じ課にいるのって前例にないみたいで」


「前例にないだけでしょ?そんな社則もないんだろうし、部長とか、人事部とかに掛け合えばなんとかなるかもよ」

「なんとかなりますかね…」

 だったら、超嬉しいんだけど。


「ねえ、主任、なんとかなるかもしれないですよね」

 塩谷さんが佑さんにまで、その話を振った。だけど、

「さあ。どうだろな。どっちかが移動になるんじゃないのか」

と佑さんの返事は意外にも、あっさりしたものだった。


「それは嫌ですっ」

 あ、しまった。思わず大声が出ちゃった。

「いいじゃんねえ、夫婦で同じ課にいたって」

「塩谷、前なら、とんでもない。とっとと辞めろって言っていただろうに、お前も変わったよな」

 そう佑さんは言うと、くすっと笑った。


「私は別に。あの中山さんに比べたら、まだ桜川さんのほうがマシって思っただけで」

 ひどい。

「そう言うな。まだ二日目だ。そのうち、中山さんも慣れるだろ」

「そもそも、主任がきついんですよ。もっと優しくしてあげたらいいのに」

 野田さんがそう言うと、南部課長までうんうんと頷いた。


「それは無理っていうもんです。僕は無駄に優しくできない性格で。そのへんのフォローは野田さんがしてくださいよ」

「え?なぜですか?主任、桜川さんには、無駄に優しくしているじゃないですか」

 ぎょ。何を野田さん言ってるの。それに、無駄に優しくって何?


「無駄に優しいですか?ははは。まいったな。そんなつもりはないんですけど、伊織には甘くなっちゃうんですよ。惚れた弱みですね、きっと。でも、ほかの女性には優しくできないんですよね。優しくしようとしても、どう言っていいかもわからないし。無理して取り繕うこともできないし」

「はいはい。結局のろけですか」


「信じられない。惚れた弱みだって!伊織、聞いた?」

 聞いた。確かにこの耳で聞いた。私の聞き間違いかと思ったけど、真広にも聞こえていたんだね。

 うわ~~~。顔、あっつ~~~~。


「桜川さんに対しての優しさの何十分の一でもいいから、優しくできないものかねえ、魚住君」

 課長がそう言うと、

「いや~~、無理ですね」

と、佑さんは真面目な顔で答えた。


「でもね、桜川さんにはきつく言わないようにとか、気をつけるようにと注意したら、魚住君、ちゃんと優しく接したよね?」

「課長、だから、伊織にだったから、優しくできるんです。って、さっきも言いましたよね。お言葉を返すようですが、別に僕は課長や部長に頼まれたから伊織に優しくしたり世話を焼いたわけじゃないですよ」


「はいはい。結局は、桜川さんにそれだけ惚れたっていうことを言いたいわけですね、やれやれ」

 そう野田さんが言うと、課のみんながどっと笑った。

「もういいですよ、主任。それ以上惚気なくても。聞いてて嫌になってくる」

 そう塩谷さんが言うと、

「悪いな」

と、佑さんはしれっとした顔で謝った。


 ああ、信じられない。佑さんって平気でああいうことを言う。自分で惚気ているって自覚あるんだろうか。


「伊織、今日は残業?」

「あ、30分くらい残るかも…です」

「じゃあ、僕もそのくらい残って仕事していくよ。終わったら声かけて」

「はい」


「あ~~あ、今日も仲睦まじく帰るんですか」

「まだまだ新婚ですからね、僕らは」

「はいはい」

 野田さんと佑さんのコンビは面白い。野田さんって、けっこう佑さんにあれこれ突っ込みを入れるよね。


 はあ。中山さんのことで落ち込んでいたけど、一気に気持ちが解れた。

 中山さんももう少し、佑さんになじんでほしいなあ。好きになられては困るけどさ。


 ちらっとパソコンを打っている佑さんを見た。ああ、かっこいい。

 やっぱり、あんまり佑さんと仲良くなってもらっては困る。少し、佑さんを怖がるくらいのほうがいいのかなあ。

 

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