第81話 新入社員 ~伊織編~
4月。新入社員が入ってきた。
私は朝から暗かった。なにしろ、あと1ヶ月で退社することになる。寿退社は夢だったけど、もう佑さんと一緒に働けなくなると思うと悲しい。
だって、今までは丸々1日一緒だったんだよ。そりゃ、佑さんは出張とかたまにあったし、いない日もあったけど、でも、ほとんど毎日一緒に家を出て、会社でも佑さんを思う存分味わえて、帰りも一緒に帰ってきて、家でもべったりできたのに。
と、昨日の昼休憩で真広に言ったら、気持ち悪がられた。そこまで一緒にいたいって、変態だわって。
変態で悪かったな。ふんだ。それだけ、佑さんに夢中なの!と言い返したら、休憩室にいる他の社員にひやかされた。
「はあ」
朝もトイレでため息が出た。
「伊織、まだ1ヶ月会社にいられるんだから、ため息つかないの」
「私も6月までにすればよかったなあ」
「そうだよ。ボーナスだけはばっちり貰えば良かったのに」
「……くすん。いいなあ真広。まだまだ佑さんといられるなんて」
「私は嫌だけどね」
そんなことを言いながら早めに2課に行って席に着くと、人事部の女性が新人二人を連れてやってきた。
背が低く痩せ型の、ちょっとまだ学生って感じのまじめそうな女性と、もう一人は色白で可愛らしい大人しい雰囲気の女性だ。
朝礼でも部長が二人を紹介した。そして、2課の人には南部課長が二人を紹介し、佑さんもクールに挨拶をした。
それから、受注の仕方を教えてあげて下さいと佑さんは私と真広に言い、
「よろしくね」
となぜか、最高の笑みを見せた。
慌てて私は、今の佑さんの笑顔を新人の子が見ていないかチェックを入れた。あの笑顔でもし佑さんに一目惚れでもしたら。
ああ、良かった。見ていなかった。二人とも緊張しているのか俯いていた。
「あの、桜川さん、4月で退社されるんですか?」
「はい。私が4月で真広、あ、溝口さんが6月なんです」
「…寿退社?」
「…はい」
照れる!思わず左手隠しちゃった。
入籍した翌日から、私と佑さんの左手の薬指には結婚指輪が光っているのだ。もう、最近は慣れたけど、指輪の習慣がなかったから、最初は変な感じだったなあ。
「5月から、私、やっていけるでしょうか」
私の後任の中山さんが、顔を青ざめた。色白なのに、青ざめていくからさらに顔色が白くなった。
「大丈夫。わからないことは真広や北畠さんが教えてくれるから。二人とも優しいよ」
「はい」
暗い返事だなあ。でも、不安なのもわかるなあ。
私もちょっと心配。塩谷さんがうるさく叱ったり嫌味を言ったりしなければいいんだけど。
受注の仕方を教え、12時になった。
「中山さん、鶴原さん、仕事終わった?一緒にランチ行かない?」
いきなり、隣の課からそういう声が聞こえてきた。隣の課に入った新人の男性社員だ。鶴原さんというのは、真広の後任の新人さんだ。
「えっと」
二人は私と真広を見た。
「主任、12時になったのでお昼行ってきていいですよね」
「ああ、はい。いいですよ」
真広の質問に、パソコンの画面からちらっとこっちを見て佑さんがそう言い、
「なんだ。二人とも僕と魚住君で奢ろうかと思っていたのに、同期の男と昼飯食べに行っちゃうのか」
と南部課長は冗談交じりにそう言った。
「え?!あ、あのっ」
中山さんが返事に困ると、
「ああ、課長の冗談ですよ。僕はゆっくりと食べる時間もないので、さっさとその辺の蕎麦屋で食べるつもりだし、同期で食べてきていいですよ」
と佑さんは、かなりつっけんどんにそう言った。
「は、はい」
中山さんと鶴原さんは、そう言われてもまだ席を立つのを躊躇している。
「伊織、休憩室行こう。今日もお弁当もちでしょ?」
真広が元気に席を立ち、
「うん、持ってきた」
と私も席を立つと、ようやく二人も安心したように席を立った。
「今日のおかずは何?卵焼き入ってる?」
「あってもあげない!」
そう大きな声でつい言うと、課のみんながなぜかくすくすと笑い、私は慌てて口をつぐみ、ロッカールームに急いだ。
「恥ずかしい。みんなに聞こえちゃったよ。笑われたじゃん」
「いいじゃん。主任がお弁当作っていることは、課のみんなも知ってるでしょ。たださあ、なぜか主任は蕎麦屋で早食いなのね。何で自分のは作ってこないわけ?」
「少しでも早くに食べ終わって仕事をしたいって言ってた」
「は~~~。呆れるくらい仕事熱心だね」
真広が天を仰ぎながらそう言った。そこに新人二人もロッカールームに来て、
「あ、じゃあ、行ってきます」
と遠慮がちに私と真広に言うと、鞄を持って出て行った。
「隣の課の新人、中山さん狙ってるんじゃない?あんな遠くからでかい声でランチ誘わないでもいいじゃんねえ」
「え?そうなの?」
「そうでしょ。中山さんって絶対にモテるよ。自覚もしてると思う」
「可愛いもんね。女の子らしいし。佑さんも好きかな」
「はあ?何を言ってるの。主任は伊織みたいなのがタイプだから安心しなよ。まったく違うじゃん」
「私みたいなって?」
「主任は世話焼きだから、ちょっとダメな子がいいんだよ」
「どういう意味?」
「いいから、休憩室行こう」
ダメってどういう…。いや、言われなくても自分でもわかっているけどさ。
佑さんが実は尽くすタイプで、世話焼きでっていうのも、数ヶ月一緒に住んでわかっているけどね。ちょっとでも咳したりすると、早く寝ろだの、けっこううるさいし。部の新年会でつい飲みすぎて、家に帰ってソファで寝そうになったら、お姫様抱っこでベッドに連れて行ってくれて、それも、パジャマに着替えさせてくれた。あれには、びっくりした。
「伊織、はい、スカート脱いで。ちゃんとパジャマ着替えて。ほら、ブラウスも」
とか言いつつ、服を脱がし、パジャマを着せてくれた。そのあと、枕に頭を沈めると、布団をかけて、髪を撫でて優しくキスもしてくれた。
とにかく、佑さんは、優しい…。ほわわん。
「伊織、卵焼き、も~~らい」
「あ!」
しまった。思い出していたらやられた。
「今、何を思い出していたの?思い切りにやけてたよ。エッチだなあ」
「な、何も思い出していないってば」
やばい~~~。にやけちゃった。
12時55分。私と真広はコーヒー片手にデスクについた。ほとんどの課のみんなはすでに席にいて、中には雑談をしている人もいたが、野田さん、佑さん、塩谷さんは真剣な顔でパソコンを打っていた。
新人二人の姿は見えない。辺りにもいない。ロッカールームにもいなかったなあ。
そして、13時をちょっと過ぎた頃、
「すみません」
と少し慌てたように二人が戻ってきた。これは、やばいかな。でも、まだ初日だし…。
真広と同時に顔を上げ、同時に佑さんを見た。
「中山さん、鶴原さん」
わあ。佑さんの低くて抑揚のないあの言い方は怒っている時。それも、席まで立った。
「はい」
「今、何時ですか?」
「え?」
「時計、見てください」
二人がびっくりしながら佑さんを見つめているので、佑さんがまたそう言った。
「あ、あの、1時3分…」
そう中山さんが答えると、
「昼休憩は12時から13時まで。確かに、ここを出たのは12時過ぎていたかもしれませんが、それでも13時前には席に着いて、13時には仕事を開始できるようにして下さい」
と、佑さんはちょっときつい口調で言った。
「すみませんでした」
鶴原さんはすぐに謝った。でも、中山さんは暗くなっただけだ。
そこになぜか、堂々と隣の課に入った新入社員が戻ってきた。中山さんたちとランチに行っていた男性だ。
「そこの新人二人!午後は13時から。遅くなっているのになんだってそんなに堂々と戻ってきているんだ!」
ああ。佑さんがその人たちまで怒っちゃった。
「すみませんっした!」
ひとりがそう大きな声で答えると、
「すみませんでしただろう。ちゃんとはっきりと謝れ!」
とまた佑さんが怒鳴った。
「す、すみませんでした」
もうひとりは、慌てて頭まで下げた。今、怒られたほうは少しむくれた感じで、「すみませんでした」と小声で言った。
「ったく!」
舌打ちまでして佑さんは席に戻っていった。
「こ、怖いんですね、魚住主任って」
そう呟いたのは中山さんだ。でも、
「しっ!中山さん、そういうこと言わない」
と、鶴原さんが小声で注意し、主任のほうを窺うようにちらっと横目で見た。
「あ…」
中山さんも佑さんをちらりと見て、佑さんが睨んでいるのに気がつき、真っ青になりながら俯いた。
「時間には超うるさくって、細かいから気をつけてね」
真広がそう言うと、二人とも暗く「はい」と頷いた。
う、う~~~ん。ここはどうフォローするところ?本当は優しいんだよ!と言うべき?でも、あんまり褒めて、佑さんに惚れられても困るし。
5時半になり、
「中山さん、鶴原さん、お疲れ様。今日はもう帰っていいよ。明日は直接自分の席に着いてね。そうだな。せめて5分前までに着いておかないとまた主任に怒られちゃうからね」
と、南部課長がにこやかにそう言った。
「あ、は、はい」
二人は緊張しながら答えると、ぺこりとお辞儀をして2課を去っていった。相当疲れたのか後姿が、哀愁を帯びている。
「あ~~あ。主任が怒ったりして、もう来なくなっちゃったらどうするんですか」
真広がそう言うと、
「そんなことで辞めるようなら、とっとと辞めてもらったほうがいいのよ」
と言い返したのはもちろん塩谷さんだ。
「最初が肝心ですから。甘い顔をして、毎回遅刻とか困りますからね。誰かさんのように」
「はあ?私だって真面目に5分前には席に着いているでしょうがっ!」
真広がそうたてついたが、佑さんは無視。
「伊織、今日突然接待が入ってしまったんだ。先に帰ってもらってもいいかな」
「ちょっと!人の話、無視しないで下さい」
まだ真広は怒っているようだ。
「ああ、溝口さんは残業ですか?」
「はあ?月末締めで忙しいから、帰れませんけど?!」
「伊織も残業?」
「はい。1時間くらいかかるかも」
「そうか。じゃあ、溝口さんと夕飯でも食べて、気をつけて帰って。あ、もし、僕が遅くなるようなら先に寝ててもいいからね?」
「はい」
思い切り佑さんの顔も声も優しくなった。
「うわ。出た。主任の甘やかし」
「むかつく。奥さんにだけ優しいんだよね、この人は」
そう塩谷さんと真広がぼやくと、課長が笑った。
「ははは。仲いいよねえ、相変わらず」
「本当ですよ。あまり課でいちゃつかないでほしいなあ」
「いちゃついていないですよ、別に」
佑さんはクールにそう野田さんに言うと、席を立ち上着を羽織った。
「じゃあ、課長、行きましょうか」
「桜川さん、悪いね。ご主人今日はちょっと借りるからね。ははは」
もう、課長、にやにやしながらそういうこと言わないでほしいなあ。
課長と佑さんが出て行った後も、課のみんなにひやかされた。もう結婚してからだいぶ経ったのに、いまだにこうやってからかわれる。
残業を終え、真広と近くのトンカツ屋さんに入りトンカツを食べ、ビールは飲まずに家に帰った。ここで飲んだくれては、遅くまで仕事をしているだんな様に悪いというものだ。
真広はこういうとき、私を優先してくれる。岸和田君も、どっかで食べて帰るからいいわよ、と言って付き合ってくれる。ありがたいよなあ。
その代わり私も、岸和田君が出張とか接待の時、真広とご飯を食べて帰ることもある。稀だけど、佑さんが暇なときには、3人で夕飯を食べに行ったこともある。
でも、まだ我が家に呼んだことはない。一回は佑さんの作った料理を食べてみたいと言われるんだけど。
家に帰り、お風呂も済ませ、リビングで待っていると、22時を過ぎた頃、佑さんが帰ってきた。
「おかえりなさい」
玄関の鍵を開ける音に反応して、思い切り玄関に走っていく。そして、佑さんが現れるとつい抱きついてしまう。
「ただいま、伊織。寂しかった?」
「うん」
ぎゅっと佑さんは抱きしめてくれて、優しくチュッとキスまでしてくれる。
「いいね、こういうの」
「え?」
「帰ってくると、伊織がおかえりなさいと出迎えてくれるの」
「来月から毎日そうなるよ?」
「ああ、そっか」
私は寂しいよ。佑さんは?
「そうか。それは、寂しくなるなあ。外出先から社に戻っても伊織はいないのか」
寂しいの?ほんと?
「……」
ぎゅっと腰を抱きしめたまま、佑さんはリビングに私を連れて行き、ソファに座るとむぎゅっと思い切り抱きしめられた。
「家に帰ってくるまで、癒されないのか。寂しいなあ」
そう呟くと、私の頭までなでなでと撫でてきた。
「あ、あの」
今日、あんなに怒っちゃって、中山さんと鶴原さん、大丈夫かな。と喉まで出掛かり言うのをやめた。
「何?」
「ううん。佑さんも寂しがってくれて嬉しいなって」
「そりゃ、寂しいですよ。思いっきり」
そう言うと、また優しく髪を撫で、チュッとキスをしてくれた。
ああ、家ではいつも優しいの。それにたまに、可愛いんだ。この佑さんは誰にも見せたくないなあ。
佑さんと一緒に働けるのもあとちょっと。
やっぱり、それを考えると、私は思い切り寂しくなる。この優しい佑さんも大好きだけど、仕事をしている佑さんも大好きだから。




