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第8話 歓迎会 ~佑編~

 月曜日、早めにオフィスに着いた。人も少なく、落ち着いている。パソコンを開き、メールに目を通す。5分もすると、南部課長も現れた。

「やあ、魚住君、おはよう」

「おはようございます」


「そういえば、今日から1課に岸和田電工の社長の息子が戻ってくるよ」

「岸和田電工?」

 取引先だよな、うちの課の…。


「そうなんだよ。次男が我が社に入社して、2年間札幌支店に行っていたが、本社に戻ってきたんだよ。得意先の息子だから、扱いにくいかもしれないけど、まあ、課も違うし、適当にあしらってくれて構わないと思うけどね」

 適当にあしらう?


「ボンボンって言うのは、扱いにくいもんだからねえ。2課に配属にならなくてほっとしているよ」

「…そうですね」

 心から僕もそう思う。なにしろ、僕はお世辞の類が苦手だし、上っ面だけいい顔をするのも苦手だ。

 いくら取引先のボンボンと言えど、使えない無能な社員はビシビシしごくか切り捨てるか…。


 そんなことを考えつつパソコンの画面を見ていると、

「おはようございます。今日から本社の営業部に配属になった岸和田です」

という元気な声が聞こえてきた。


 顔を上げると、隣の課の課長に元気におちゃらけた感じの男が、挨拶をしているのが見えた。

「やあ、岸和田君。よろしく頼むよ」

 1課の課長は、少し引きつりながら笑ってそう答えている。あいつが、岸和田電工のボンボンか。見るからに遊んでいるちゃらんぽらんな感じの男だな。


 ああいうタイプの人間は苦手だ。なるべく関わりを持たないようにしよう。ふっと視線をまたパソコンの画面に移した。すると今度は、

「おはようございます」

という、大人しめの桜川さんの声が聞こえてきた。


 ああ、桜川さんだ…。

 ん?なんで一瞬僕は、心の奥が弾んだんだ?


 弾む気持ちを思い切り押し込め、思い切りクールに、

「おはようございます」

と返事をしてみた。すると桜川さんは、緊張したように微笑み、席に着いた。


 …クール過ぎたか?もっと柔らかく挨拶をしたほうが良かったのか?

 って、だから僕はなんだってこうも、桜川さんのことになるといろいろと気にしてしまうのだろう。不自然だよな。二人でいる時はもっと、自然体でいられるのに。


 いや、だから。もう桜川さんのことは気にせず仕事に集中しよう。と、パソコンのファイルを開き、データをチェックし始めると、

「あ!」

という、桜川さんのでかい声が聞こえてきた。


 どうしたんだ?課のほとんどの人が桜川さんに注目した。僕も思わず顔を上げてしまった。

「何?伊織」

 桜川さんの前の席の溝口さんの問いに、

「なんでもない。ちょっと、家の鍵閉めたか気になっただけ。でも、思い出した。ちゃんと閉めてた」

と恥ずかしそうに桜川さんが答えた。

 なんだ、そんなことか。僕も含め、みんなが仕事に戻った。


 それにしても、けっこうおっちょこちょいなのかもしれないな、桜川さんは…。

 ……そういうところも、可愛いのかもな……。

 って、今、僕は何を思った?可愛い?


「あああっ!」

 また桜川さんが叫んだ。もう雄叫びに近いくらいの声で。

「今度は何?伊織」

「け、消しちゃった。どうしよう…。大事なデータ」


 泣きそうな顔をしながら、桜川さんは固まっている。今度はミスか…。今日の桜川さんは、いったいどうしちゃったんだか。

「どうかしましたか?桜川さん」

 僕は静かに席を立ち、桜川さんの席まで歩いて行った。


「あ、あの。今入れたデータ、全部消してしまって」

「ああ、これですか?」

 僕は桜川さんのマウスを借りて、消したデータを復活させた。


「はい。直りましたよ」

「え?」

「このくらいで、悲鳴あげないでくださいね、桜川さん」

「あ、は、はい。すみませんでした」


 桜川さんは小さい声で、肩をすぼめてそう答えた。顔は真っ赤だ。かなり動揺したのかな。

 くす…。

 あ、つい笑ってしまった。


 こんなミス、前だったら僕は怒っていただろう。なのに、なんだってまた、ミスをして真っ赤になっている桜川さんが可愛いだなんて思ってしまうのか。

 ……。ダメだな。僕がまず、気を引き締めないと…。


 とにかく、仕事に集中だ。

 と、パソコンの画面をひたすら見ていると、

「ね、かっこいいよね」

という溝口さんの浮かれた声が聞こえてきた。


 ふと視線を上げてみると、溝口さんは隣の課の岸和田のことを見ていて、北畠さんと桜川さんまでが振り返り、岸和田のことを見ていた。


「私の趣味じゃないわ」

「え?イケメンじゃないですか?」

「ああいうのは、イケメンとは言わないわ。主任のほうがずっとかっこいいわよ」

 僕?


「北畠さんって趣味わる~~~」

 …。溝口さん、僕に全部聞こえているのがわかっていないのか?

「男見る目ないですよ」

「そうかしら。私からしてみたら、よっぽど溝口さんのほうが男見る目ないと思うけど」


 溝口さんと北畠さんの会話に、まったく桜川さんは一言も発しなかった。溝口さんと北畠さんが誰をどう思おうがどうでもいい。それより、桜川さんは…。いや、桜川さんが誰をどう思おうと、やっぱりどうでもいいことだ。なんだって、耳をダンボにして聞いているんだ、僕は。


 その週の金曜日は、僕と岸和田の歓迎会を部で開いてくれた。岸和田と一緒と言うのが少し不満ではあるが、まあ、こういう会は得意ではないし、一人で歓迎されて注目されるよりはましかもしれない。


 部長の挨拶のあと、よろしくお願いしますとだけ言って頭を下げた。岸和田がおちゃらけた挨拶をしていたが、自分の部下でもないし、僕にはどうでもいいことだ。


 そのあと、なぜか北畠さんに話しかけられた。なんとなく、北畠さんには気に入られているようだが、やっぱりそれも、僕にはどうでもいいことだ。

「北畠さん、こっちで一緒に飲みましょうよ~~」

 部のお局が、北畠さんを連れ去ってくれた。ありがたい。これで一人でのんびりできるというものだ。


 桜川さんは、溝口さんと岸和田と一緒にいる。が、桜川さんだけが離れ、扉を開けて出て行った。ああ、トイレか。

 それにしても、溝口さんのはしゃぎよう、岸和田と話ができるのが嬉しくてしょうがないようだ。僕には絶対に見せない笑顔だな。


「あの、ビールのおかわりはどうですか?」

 グラスを持って、桜川さんが近づいてきていた。いつの間にかトイレから戻ってきたらしい。僕が一人でいるから気を使って聞いてくれたのか?


「あ、すみません。それって、ノンアルコールビールですか?」

「いえ。普通のビールですけど」

「僕はお酒苦手なんで、ノンアルコールを飲んでいたんです」

「そうなんですか?すみません」


「いえ。いいですよ。それは桜川さんが飲んでください」

 そう言うと、桜川さんはテーブルに視線を移した。ノンアルコールビールを探しているのかもしれない。

「桜川さんは、お酒強いんですか?」

「私ですか?そ、そうでもないです」


「あ、そうなんですか?昼間っからビール飲んでいたし、強いのかと思いました」

 半分冗談でそう言うと、桜川さんの顔が暗くなった。

「そんなにいっつも飲んでいるわけじゃないんです」

 あ、気を悪くしたかもな。


「そうですか」

 ここはどう、フォローするべきか。冗談ですよとおどけるか、それとも…。

「今日はすみませんでした。ミスしてしまって」

「ああ、あんなの、すぐに直せるし大丈夫ですよ。もう、へましても一人で直せますよね?」


「はい。すみません。大げさに騒いだりして」

「いいえ」

 う~~ん。ここはもう少し、バシッと注意するべきか?でも、こんな飲み会の席で怒るのもな。

 

 どうも今日は調子が出ない。桜川さんとの会話が弾まない。どうも気を使う…。

 桜川さんも黙り込んで、ビールを一口、二口と飲んでいる。


「……」

 何かを話しかけようとした。でも、ふと視線を感じ、振り返ってみた。すると、岸和田がこっちをじっと見ていた。

 なんだ?僕に用か?それとも、桜川さんか?


 岸和田はてくてくと僕に向かって歩いてくると、

「魚住さん、すごいですね。その若さで主任だなんて」

と、突然そんな話をふってきた。


「君だって、ずいぶん早くに支店から本社に戻ってきたじゃないか」

「僕は出世したわけじゃないっすから」

「そうかな。支店めぐりをさせられず、戻ってこれるなんて、本社の営業部で鍛えられて出世するコースなんじゃないのかい?」


「どうですかね。またすぐに移動になるかもしれないですから、わかんないっすよ」

 まあ、そうかもな。いくら、取引先の社長の息子だからって、仕事が出来なけりゃ、またどこかに飛ばされるだろ。


「……え~~と、君は」

 岸和田が桜川さんを見て、

「名前、なんていったっけ?」

と堂々とタメ口で聞いた。


 岸和田の方が先輩か?

「桜川です」

「いつ入社?僕よりあとだよね?」

「いいえ、1年先ですけど?」


 桜川さんがそう答えると、岸和田はやばいという顔を一瞬して、

「あ~~。そうですよね。うん。僕が入った時、確かにいた、いた!」

と、おちゃらけた。呆れるやつだな。そんな嘘ばればれだろ。


「いいですよ、覚えていなくたって当然です。私は、真広みたいに目立った美人じゃないですし」

 え…。桜川さんの突っ込み、けっこう棘がないか?

「い、いや。あはは。覚えているってば。うん。溝口さんと同期の、桜川さんっすよね?」

 あ~あ。ますます、桜川さんの表情がきつくなったよ。怒らせているのがわからないのか?


 そうか。なんとなくわかった。岸和田は溝口さんの名前だけを憶えていて、桜川さんのことはまったく覚えていなかったってわけか。それで、桜川さんはへそを曲げたのか。でも、こんなやつに覚えられなくたって、どうでもいいじゃないか。


「桜川さんと魚住さんは、仲いいんすね」

 え?

「な、何を言ってるの?上司だから話をしていただけで、仲がいいとかそういうのじゃ…」

 桜川さんが慌てながら、岸和田に反論している。


「上司と部下が仲がいいって、別に変なことじゃないっすよ。ただ、魚住さんが女性社員と話をしているのが、ちょっと意外だったもんで…」

「意外?」

「あ~~、でも、そんなに話が盛り上がっているようにも見えなかったし?すみません、仲がいいっていうのは、僕の勘違いっすね」


 なんだ?何が言いたいんだ?こいつは。

「桜川さんって、溝口さんと同期って言ってましたけど、溝口さん、付き合ってる男とかいるか知ってますか?」

 ん?なんだ。結局、桜川さんじゃなくて、溝口さんが狙いか?


 岸和田はそんなことを聞きながら、桜川さんを連れて溝口さんのいる場所へと戻って行った。

 で、結局はなんだったんだ、あの男は。


 それにしても、ちょっと二人で話をしているだけで、仲がいいと思われるのか?気を付けないとな。桜川さんとは別に、なんの関係もないわけだし。まあ、フラワーアレンジメントと、家庭菜園の先生ではあるけれど。だが、それも、会社の人間には内緒にしておいたほうがいいな。変な噂がたっても面倒だ。


 岸和田に連れて行かれた桜川さんは、ずっとつまらなさそうにしている。溝口さんは対照的に、嬉しそうに岸和田と話をしているが。

 ほ…。きっと桜川さんは、岸和田のことをよく思っていない。


 ん?

 なんだって僕は、内心ほっとしたんだ?

 最近の僕は、自分で自分のことがわからなくなってきている。

 桜川さんと岸和田がどうなろうと、知ったこっちゃないのに。


 歓迎会のあと、若手だけでカラオケにいく流れになった。もちろん、僕は行かない。カラオケは苦手ではないが、他の奴に歌を聞かせるのも嫌だし、他の奴の下手な歌を聞くのも嫌だ。

「僕はこれで失礼します」

 ビルの外に出て、陽気な足取りでカラオケボックスへと向かうみんなにそう言った。


「主任、来ないんですか?」

 北畠さんだ。ああ、北畠さんも、ギリで若手に入るのか?

「はい。カラオケは苦手なので、すみません。みなさんで楽しんでください」

 そう言うと岸和田が、溝口さんの肩を抱き、

「魚住さん、お疲れっす。じゃ、カラオケ行くとしますか~~」

と、くるっと方向転換をして僕に背を向けた。


「私もここで失礼します」

 突然、溝口さんの隣にいた桜川さんがそう言って、一歩、みんなから離れた。

「え?行かないの?伊織」

「うん。私もカラオケ苦手だし」


「え~~~。じゃあ、私も」

「何言っちゃってるの、溝口さん!酔った勢いで2次会、行っちゃおう」

 溝口さんの肩を抱いたまま、岸和田が陽気にそう言って、

「じゃ、桜川さん、お疲れ様」

と桜川さんには手を振った。


 肩なんて抱いていていいのか?セクハラじゃないのか?でもまあ、溝口さんも嬉しそうだから、セクハラにはならないのかもな。


「お疲れ様です」

 桜川さんはそう言うと、その場に立ち止まった。他の連中はもう桜川さんに目も向けず、カラオケボックスへと向かって行った。


「桜川さん、送りますよ」

 かなりみんなとの距離ができてから、僕は桜川さんに近づきそう言った。すると、桜川さんは驚いたようにこっちを向いた。


「え?まだ、主任いたんですね」

「いましたよ。とっとと帰ったかと思いましたか?」

「はい。あ、すみません。別に、主任が冷たいとかそう言っているわけじゃ…。ただ、二人でいるところ、あんまり見られたくないかもなあって思って、その」


「そうですね。変な噂がたっても困りますしね。岸和田みたいに、仲がいいなんて言い出すやつがいても困りますからね」

「ですよね」

 あ。桜川さんが暗くなった。


「ですが、帰る方向も一緒ですし、もう、部の連中もいないですし、二人で帰っても問題ないと思いますし」

「やっぱり、いいです。隣駅のカラオケに行きますから」

「は?」

「なんとなく歌いたい気分なんで。酔っぱらっているせいもあって」


「カラオケ、苦手なんじゃ?」

「いいえ。好きです。ただ、みんなの前で歌うのが苦手ってだけで」

「じゃあ、まさか、一人カラオケですか?」

「変ですか?変ですよね」


 あ、また暗くなった。

「いいえ。変じゃないですけど、寂しくないですか?」

「はい。別に。好きなように歌えるし、気兼ねもいらないし、ストレス解消になりますよ」

「ビール飲みながらですか?」


「はい。もうちょっと飲みたいなって思うし」

 やっぱり、お酒好きじゃないか…。それにしても、ビール飲みながら一人カラオケか。一人でビール飲んで映画も、かなり引いたが、一人カラオケも、どうかと…。


「付き合いますよ」

「は?!」

「カラオケ。僕も歌いたい気分になってきました」

「でも、主任、カラオケ苦手だって」

「歌うのは嫌いじゃないです。ただ、大勢で行って盛り上がったりするのは嫌いですけどね」 

 そう言うと、しばらく桜川さんは目をぱちくりとさせた。


「隣の駅にカラオケボックスあるんですか?」

「え?はい。行くとしたらいつもそこなんです。よく行くから店員にも顔、覚えられていて」

「そんなによく、一人カラオケに行くんですか?」

「はあ…」


「そんなによく、ストレスがたまるんですか?」

「…ええ、まあ」

 なんだかなあ。まだ25だよな。随分と寂しい生活送っているんだな。


「それじゃ、行きますか。あ、今日も何かストレスたまったんですか?」

「なんとなく。あの、岸和田君に…」

「ああ。彼は確かに。ああいうタイプが苦手だと、ストレスたまりそうですね」

 そう言うと、桜川さんは、

「主任、わかってくれます?苦手なんです、ああいう類の人間って」

と、僕の目をまっすぐに見てそう言った。


 そうか、それは良かった。

 あ、また僕はほっとしている。そして、ああいう類の人間は僕も苦手だ。だから、やっぱり、桜川さんとは気が合う…と、また僕は再認識した。

 

 そして僕と桜川さんは、電車に乗り、隣駅で降りて、カラオケボックスへと入って行った。




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