第80話 これからもよろしく ~伊織編~
月曜日、佑さんとドキドキしながら出社した。多分、ドキドキしていたのは私だけだとは思うけど。
入籍したことを部長や課長に報告し、人事部の人にも佑さんは報告しに行った。すると、9時半頃、人事部の女性(佑さんと同期)がやってきて、
「魚住さん、この書類書いてもらえます?」
と、佑さんに何種類かの書類を渡していた。
「それから、魚住伊織さん」
……。
「あ、は、はい」
私だ!呼ばれてもわからなかった!
「奥さんにも書類提出してもらうのがあるの」
そう言いながら、私のデスクまでやってきた。
「まずはこれ」
私にも数種類の書類をその人は渡して、簡単に書き方の説明をすると、
「じゃあ、今週中には提出してくださいね」
と、事務的な口調で言うと去っていった。
「もう、魚住伊織なんだね」
にやけながら真広がそう言うと、ほかの人も、
「おめでとう」
「お祝いしないとね」
と、私や佑さんに言ってくれた。
「ありがとうございます」
「忘年会も兼ねて部でお祝いしよう」
そう南部課長が言うと、
「課でもお祝いしたいですね」
と、野田さんが顔を乗り出して言ってきた。
「いいですよ、そんな何度も悪いですから」
佑さんは静かにそう答え、キリッとクールな顔つきになると、
「塩谷、昨日の報告書はまだか?」
と、突然仕事モードになった。
「はい、できています」
「報告書見ながら話も聞く。野田さんも今、時間大丈夫ですか?会議室でミーティングもしたいんですが」
「わかりました」
そして、3人で会議室に行ってしまった。
「魚住君、結婚しても相変わらずの仕事人間だねえ」
課長の言葉にみんな苦笑した。そして私をみんなは見ると、
「桜川さんも大変だね」
と同情された。
佑さんたちはミーティングが終わると、すぐに3人で外出してしまった。今日はどうやら忙しいようだ。会社で佑さんの姿を見られなくなりがっかりだ。
「は~あ。今日は忙しいみたいだなあ」
「主任?いいじゃないの。家に帰ったらべったりなんでしょ?」
え?なんでわかるの?
「図星?新婚だもんね。べったりにもなるよね~~」
しまった。顔が熱い。きっと真っ赤だ。
「桜川さん、溝口さん、一緒に昼飯いいかな」
そこになぜか小林君がお弁当をどこかで買ってきて、勝手に座ってしまった。
「けっこう、ショックだなあ」
お弁当をあけながら、小林君はそう言うと、
「もうちょっと早くに東京に戻ってきていたらなあ」
と、呟いた。
「そうしたら、伊織と付き合えたのにって?」
「何言ってるの、真広」
「うん、そう。魚住主任って夏に東京に来たんだって?それより早くに戻ってきていたらなあ」
え?何それ。
「札幌に彼女いるんじゃないの?小林君」
真広の質問に小林君は、ほんのちょっと動揺の色を見せた。
「僕には、遠距離は無理みたいでさ」
「別れたんだ」
真広、ストレートすぎ。もうちょっとオブラートに包もうよ。
「結婚って言う手もあったのに」
ますます、真広は攻撃的に言い出した。
「まだ、結婚する気はないから。それは、さすがにね」
「じゃあ、伊織とだってもし付き合ったとしても、結婚もしないで宙ぶらりんなままってことでしょ?良かったね、伊織。ちゃんと結婚してくれる主任で。小林君と付き合ったって、結婚もしないで無駄に年食うだけだったよ」
真広~~~。そのとおりだとしても、もう少し言い方が。
「桜川さんだったら、結婚考えたかもなあ。桜川さんって、家庭的だし」
「え?私のどこが?」
「そうだよ。見た目にだまされたらダメだよ、小林君。伊織より私のほうがよっぽど、家庭的だからね」
「……。ははは」
「笑うところ?頭くるなあ」
真広が怒りをあらわにした。
「本当なんだよ、小林君。私、女子力ないの。家事が苦手で、料理なんて全然しないし」
「え…。いやいや、そんな謙遜しなくても」
「本当だよ。伊織、サラダくらいしか作らないもん」
「でも、その弁当、手作りだよね」
「これは、主任の手作り弁当だよね。愛妻ならぬ、愛夫弁当」
真広がまたばらしてくれた。
「ええ?!魚住主任が弁当を作ってんの?」
「し~~~。声、でかい。小林君」
「もうみんなにばれてるんだから、いいじゃん、伊織」
「……」
周りを見ると、特別驚いている人もいない。そうか。もうすでに休憩室で真広や鴫野ちゃんがさわいだから、みんなにはばれているわけね。
「まじで?え?じゃあ、料理はもしかして」
「うん。主任が作ってる。主任、一人暮らしが長くて、家事も得意なんだよね」
「……まじで?」
「小林君だって札幌で一人暮らしでしょ?」
「…う、うん。でも、ほとんど外食。彼女がたま~~に来て作ってくれてたけど、レパートリーが少ないし、彼女は両親と暮らしているからか、料理も家事もできなくて、それでちょっと結婚を考えたっていうか」
「あ~~~。奥さんは家政婦じゃないのに、料理ができるとか、家事ができるとか、そういうの求めちゃって、やだやだ」
真広の言葉に小林君は少しむきになり、
「大事なところだろ、それ。一生一緒に暮らすんだぜ?」
といきなり、男っぽい言葉遣いで言い出した。
「子供が生まれたら、家事も育児も分担してやっていかなくちゃ。女だけにそういうのを求めていたら、そのうちうまくいかなくなって、離婚だわ」
「じゃあ、溝口さんの彼氏は?やってくれるわけ?」
「料理は下手。でも、家事は手伝ってくれるって」
「一緒に暮らしてるわけ?」
「まだ。来年から同棲するけど」
「じゃあ、まだわからないじゃないか」
「まだね。だから、同棲して、結婚できるか見極めるんじゃない」
「溝口さんが?」
「そうよ~。男を選ぶ権利だってあるでしょ?女側に。彼女さん、あんたと結婚しなくてよかったわね」
「はあ?」
「まあまあ、小林君。私みたいに家事が全然ダメな女性ばかりじゃないから。うちの妹なんて、めっちゃ得意だったし。あ、今はフードコーディネーターになるって言って結婚なんかする気まったくないみたいだけど」
「え?」
やっと、小林君が冷静になったらしく、静かに私の話を聞きだした。
「だからね、小林君にもぴったりの女性が現れるよ。だって、私にだって現れたんだもん」
「主任に家事任せてるわけ?主任、怒らない?」
「…一応、掃除とかは一緒にしているし、洗濯ものをたたんだりするのは私の役目だし」
「それだけ?」
「だって、佑さん、完璧なんだもん。私がいろいろとしなくても、できちゃうから」
うわ。今の、情けない発言かも。
「ちょっと、自分で言って落ち込んできた」
「まあ、まあ、伊織。主任はそんなでも伊織がいいって結婚したわけなんだから、落ち込まないで堂々としていていいんだよ。もっと、堂々とさ」
「いや、やっぱり、女性としてどうかと思うけどね、俺は」
「小林!何も知らないくせにグダグダうるさい。あんたには関係ないだろが!」
真広がそう言って怒った。でも、私には怒れない。だって、私自身、やっぱり、女性としてどうだろうって思うもん。
6時。佑さんはデスク周りをきれいに片付けると、
「伊織、仕事終わった?」
と、優しく聞いてきた。
「あ、はい。終わりました」
「じゃ、帰ろうか」
「はい」
二人でみんなに挨拶をする。すると、
「いいねえ、新婚ほやほやなカップル。そういえば、新婚旅行は行かないの?」
とか、
「式はいつ?」
と、課のみんなに聞かれてしまった。
「式は来年夏になるかもしれないですね。6月頃はうまっていて。旅行はそのうち、休みが取れたら行きますよ」
「主任、仕事仕事で桜川さんほっぽらかすとかわいそうですよ。早くに有給とって旅行連れて行ってあげてくださいね」
そう言ったのは野田さんだ。
「わかってます」
ちょっと拗ねたように佑さんは答えた。
「じゃあ、お先」
「お疲れ様でした」
一番元気にそう言ったのは、塩谷さんだった。
帰りの電車で、なんとなく佑さんに塩谷さんのことを聞いてみた。
「塩谷?前と変わらず、仕事ばりばりやってるよ?」
「でも、なんとなくだけど、雰囲気変わったような気がする。こう、柔らかくなったって言うか」
「くす。あいつ、伊織のこと認めたからじゃないかな」
「え?」
いつの間に?
「一緒にいて癒される存在って、伊織のことを塩谷も思っているみたいだよ」
「癒す?私、いつ塩谷さんを?」
「さあね?」
そう言って佑さんは優しく微笑んだ。
「佑さん」
「ん?」
その優しさに甘えてみたくなり、私は変な質問をしてしまった。
「今日、小林君に、女としてどうだって言われちゃって。佑さんもそう思っているのかな」
「え?小林がなんだって?」
あ、いきなり佑さんが怖い口調になった。
「昼休みに、真広と3人でお弁当食べて」
「無視してって言ったのに」
「ごめんなさい。でも、勝手に座ってきて」
「……ん?それで、女としてどうかって、何が?」
「私が料理も家事もできないって話をしたら」
「何?それで、あいつは勝手にそんなことを言ったのか?頭にくるやつだな」
わ。また、怒り出した。
「でも、私自身もそう思うし」
「僕がいいんだから、いいんだよ。伊織はそのままでいいの」
「……。たまに、塩谷さんが、甘すぎるって言うけど、私もそう思います」
「え?」
「佑さん、私に甘すぎる」
「……ダメ?」
「ダメじゃないけど」
「だったら、伊織は僕に甘えててください?僕がそれで満足しているんだから」
「い、いいのかなあ」
「もし、伊織がもっと料理に挑戦したいって言うなら、もちろん応援するし」
「…はい。もう少しがんばりたいです」
「くす」
笑われた?私には無理って思われてる?
「じゃあ、週末、僕の料理教室開こうか?その代わり、また僕にフラワーアレンジ教えてくれるかな?」
「はい、もちろんっ」
良かった~~。
あれ?
なんか、やっぱり、佑さんは私に甘い。いや、これはもしかして、うまく佑さんに操られているのかなあ。そんな気もしてきた。
最寄り駅に着き、スーパーに寄って買い物をした。それから、手を繋いで、
「風が冷たいね。早く帰ってあったまろう」
と小走りになって帰った。
夕飯は、鍋。昨日私のアパートからコタツを運んだ。それをリビングに置き、そこで鍋を食べた。佑さんはご機嫌で、コタツでニコニコとしている。
「信じられないなあ」
ぼそっと佑さんが呟いた。
「え?」
「この部屋でコタツに入って、伊織とくつろいでいる自分」
「…」
「ここに引っ越してきた日には、夢にも思わない光景」
佑さんがすごく幸せそうな顔をしてそう言うから、私は黙って聞いていた。
「一人が楽しいと感じていた時間は、なんとも寂しくて空っぽだったんだなって、今は思う。あの頃には、こういうあったかさを知らないでいたから、一人のほうが幸せだなんて思っていたんだろうなあ」
「……」
「そのうち、子供ができたら、この部屋は手狭になるね。引越しでもして…、ああ、もっともっとにぎやかになるんだろうな」
「うん」
にこりと佑さんが微笑むから、私もうれしくなって微笑み返した。
いつか、そんな日が来るね。佑さんはどんなパパになるんだろう。そして、子供をつれてまた横浜に遊びに行って、お父さんに会おうね。
うちの実家にも行こう。お父さんはきっと孫に野菜の作り方を教える。お母さんはどうするかなあ。でも、孫の顔を見るのを楽しみにしているから、喜ぶだろうなあ。
佑さんのお母さんやお姉さんも喜んでくれるかな。
これから起きてくることが、今からわくわく楽しみだな。
幸せそうな佑さんを見ていると、こんなダメダメな私でもいいんだって思えてくる。
「佑さん」
「ん?」
「あの、えっと」
「うん」
「ありがとう」
「…何が?」
「その、私と結婚してくれて」
「あはは。いきなりお礼?びっくりだな」
佑さんはそう笑うと、優しい顔になって、
「僕のほうこそありがとう。これからもよろしくね」
と、言ってくれた。




