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第77話 敬語はやめよう ~伊織編~

 その日、佑さんと一緒にマンションに帰る途中、

「伊織さん、明日から指輪してくださいね」

と、突然言われた。

「え?指輪ですか?」


「婚約指輪です」

 ダイヤモンドの?でも、勿体ない。

「ちゃんと左手の薬指に」

「……あの、なぜ、突然?」


「他の男にとられたくないですから」

「何をですか?」

「伊織さんをです」

 は?


 一瞬、何を言われているのかわからずキョトンとしていると、

「今日来た○△物産の嵐山さんも、伊織さんを狙っていたでしょう」

と、少し怖い顔をして佑さんが言った。


「あれは、からかっていたんだと思います。じゃなきゃ、社交辞令とか?」

「まさか。僕と結婚すると知ってショックを受けていましたよ?伊織さん、他の男も狙っているかもしれないんですから、ちゃんと指輪してください」

「……はい」


 うわ。ヤキモチ?ちょっとドキドキしちゃった。

「結婚したら、結婚指輪、してくださいね」

「佑さんも?」

「はい、しますよ」


 思い切りほっとすると、佑さんが私の顔を覗き込んだ。

「指輪、僕がしないと思ったんですか?」

「い、いいえ。指輪してくれたら、他の女性が寄ってこないかなって思って」

「……寄ってこないですよ、僕には」


「でも、今日、大阪支店の人が…」

「あいつは、別に僕に気があるわけじゃなくて、独身仲間が減るのが嫌だっただけでしょう」

 マンションのエントランスを抜け、私たちはエレベーターに乗り込んだ。私はついじっと佑さんの横顔を見てしまった。


「はい?」

 それに気が付き佑さんが私を見た。

「佑さんは、今日の岡本さんっていう人とか、塩谷さんには敬語を使わないんですね」

「ああ、そうですね」

 じゃあ、私にはなんで敬語?って、どうも聞きづらいな。


 8階に着き、エレベーターを降りて廊下を歩き出した。佑さんはスーパーの袋を持っていないほうの手をコートのポケットにつっこみ、家の鍵を取り出した。そして、鍵を開けるとドアを開き、

「どうぞ」

と私を先に通してくれた。


 いつもそうだ。ちょっとした時に佑さんの優しさが出る。

「洗濯物取り込みます。お風呂も綺麗にしますね」

「お願いします」

 佑さんはスーツの上着を脱ぎ、カーディガンを羽織るとキッチンに入って行った。


 お風呂の用意も済み、洗濯物も畳み終え、なんとなくダイニングに行ってキッチンにいる佑さんを見た。ああ、今日も佑さんは素敵だなあ。

 そう思いながら佑さんに見惚れていると、佑さんが私を見てくすっと笑った。


「お腹すきましたか?もう少し待っててくださいね」

「い、いえ。そうじゃなくってですね、見惚れていたんです」

「僕にですか?」

「はい」


「……」

 あれ?ちょっと呆れたかな。眉をしかめちゃった。包丁を置き、手を洗うと佑さんはなぜかダイニングまでやってきた。


「伊織さん」

 あれれ?なんで抱きしめてきたのかな。

「は、はい?」

「今すぐ、抱きたくなりました」

「ええ?!!」


 それは、困る!

「我慢しますけど」

「は、はい」

 良かった。


「テレビでも観て待っててくださいね」

「はい」

 チュッと私にキスをして、また佑さんはキッチンに戻って行った。


 大人しく私はリビングに行きソファに座った。テレビをつけて、ぼけっとそれを眺めた。でも、内容は入ってこない。


 敬語でも別にいいんだけど、いいんだけど…。そんなことが気になってしまう。

 でも、もし敬語じゃなくなったら、塩谷さんと話すみたいになるのかな。今日の岡本さんに対してもそうだったけど、ちょっとクールって言うか、素っ気ないって言うか、そんな感じの話し方…。

 

 あ、でも、塩谷さんにはけっこう大笑いをしながら話していたこともあったな。私の前だと、くすって笑うのにな。

 なんだか、いろいろと違うんだよね。


 クスって笑うのも、可愛いからいいんだけど。それに今、とても優しいからいいんだけど。これ以上何かを望むのは贅沢ってもんだよね。


「夕飯、できましたよ、伊織さん」

「あ、はい。すみません」

 慌ててダイニングに行って、テーブルを拭いたり、お料理を運ぶお手伝いをした。そして、二人で席に着いて「いただきます」をした。


 今日は肉じゃがだ。それにお味噌汁とサラダ、ホウレンソウの胡麻和え、昨日作ってあった切り干し大根。

「ごちそうさまでした」

 今日もどれもが美味しかった。


「デザート食べますか?今日買ってきたイチゴ」

「はい」

 あっという間にイチゴが出てきた。それを食べながら、佑さんが、

「何か、僕に言いたいことがあるんじゃないんですか?」

と突然聞いてきた。


「え?!」

 びっくりして声がひっくり返った。

「何か、言いたそうな顔をしていますけど」

 うそ。慌てて両手で顔を隠したが、ぶっと笑われ、

「やっぱり」

と言われてしまった。


「あ、あの。たいしたことじゃないんです」

「たいしたことじゃなくても、言いたいことは言ってください」

「……はい」

 どうしよう。こんなこと言って呆れないかな。


「あの、あのですね」

「はい」

「私にはなんで、敬語なのかなって思いまして」

「………え?」


 うわ。引いた?変なこと聞いちゃった?

「伊織さんも敬語ですよね」

「はい。なんか、佑さんが敬語だから、その…」

「ああ、僕のせいですか」


 怒った?焦って顔を上げて佑さんの表情を見た。あれ?怒っているっていう顔じゃない。優しい顔をしている。

「い、いいえ。佑さんのせいってわけじゃ…」

「う~~ん。そうだなあ。敬語で話すの、けっこう気に入っていたんですけど。でも、それが原因で、恋人らしくならないのかなって、そう思っていたこともありましたけどね」


「恋人らしくないんでしょうか?」

「いいえ。今は、そんなこともないと思いますが」

 敬語を気に入ってた?そうなの?


「う~~~ん。どうしようかな~~~」

 悩んじゃった。そんなに悩むことだったのかな。

「わかりました。敬語、やめましょう」

 佑さんはそう言って、閉じていた目を開けた。


「あ、は、はい」

「家では、敬語はやめて、職場では敬語で…。で、いいですか?」

「はい」

「じゃあ、伊織さんも、敬語はやめますか?」


「…努力します」

「努力って」

 あ、またくすくすと笑われてしまった。

「まあ、いいか。徐々に敬語をやめていくってことで、ね?」


 わあ。なんか、ドキッとした。敬語じゃない佑さんに。

「はい」

と頷くと、またくすっと笑われた。


 敬語じゃない佑さん、どう変わっていくのかな。


 洗い物を終え、佑さんと順番にお風呂に入った。お風呂から出ると、

「伊織さん、ちょっと仕事があるので、先に寝ていいですよ」

と言われた。あれ、敬語だ。


「はい」

 敬語で言われると、こっちも「はい」と答えてしまう。

 

 一人で寝室に入った。ベッドに座って、なんか寂しくなって、仕事部屋に行ってみた。

「あの、コーヒーとか飲みますか?」

「眠れなくなるからいいです。すぐに終わりますし」

「そうですか」


「寂しいですか?あっと。敬語になっていましたね…」

 そう言ってくすっと佑さんは笑った。

「え、えっと。ちょっと、寂しい…かな」

 小声でそう言うと、佑さんは、

「じゃあ、一個仕事を頼もうかな」

と、私の家から持ってきた私のノートパソコンを、佑さんのデスク横の小さ目のテーブルの上に広げた。


 ダイニングの椅子も一個佑さんは持って来て、

「すみません。今度伊織さんの椅子買いますので、今日はこの椅子使って下さい」

と申し訳なさそうに言った。

「いいです。いつもこの椅子で」

「買いますよ。もっと座り心地良さそうなものを。仕事頼むこともあるかもしれないし」


 私が椅子に腰かけると、USBメモリーを渡され、

「この中に入っているデータ、表にしてもらえますか?」

と佑さんが言ってきた。

「はい」


「あ、しまった」

「え?」

「敬語になってた。う~~~ん、難しいな」 

 佑さんはぼりっと頭を掻いて、俯いた。


「いいんです。無理して敬語をやめなくても」

 慌ててそう言うと、佑さんはちらっと私の顔を見て、

「いや。徐々に変えていくから…。伊織さんも…」

と、ぼそぼそっと呟くようにそう言った。


「はい」

 そのあとは、黙って二人でパソコンに向かった。なんだか、不思議。家でも仕事って。でも、こういうのもいいな。家でも佑さんのお手伝いが出来て、役に立てるなんて。どんどん、こき使ってくれてもいいんだけどな。


 20分くらい黙って作業をしていると、佑さんが、両手を真上にあげて伸びをした。

「う~~~~ん」

 それから私を見て、

「そんなに根詰めないでもいいです…、いや。いいよ」

と、途中で言い直した。


「でも、もうすぐできるから」

「…なんか、家でまでこき使っちゃって悪いな」

「いいえ。どんどんこき使って下さい。お役に立てるのは嬉しいから」

「……くす。会社と一緒だ、それじゃ…」


「あ、すみません。敬語だった。えっと、あの」

 困っていると、佑さんは優しく笑って、

「ね?なかなか、敬語が抜けないでしょう」

とそう言った。


「そうですね」

「あと10分したらやめて、もう寝ましょうか。11時半になるし」

「はい」

 また黙って、10分仕事をした。どうやら佑さんはその間に仕事を終えたようだった。


「そっちは、明日会社で仕上げますから途中でいいですよ」

「はい」

 結局、佑さんも敬語のままだなあ。


 そう思いつつ、二人で仕事部屋から寝室に移った。そして、ベッドに寝転がると、佑さんは私を抱きしめて、

「今日は手、出さないけど、少し甘えます」

と、私の耳にキスをした。


 甘える?甘えるって?ドキドキ。

「伊織さんも、抱きしめてもらっていいですか?」

「あ、はい」

 ギュ。佑さんを抱きしめた。佑さんも私をギュッと抱きしめ、髪にキスをした。


 甘えているのは私の方だと思う。佑さんの腕の中で、ほわわんと夢心地になっていると、

「う~~~~ん」

と、佑さんの悩む声が聞こえてきた。


「は、はい?」

 何を悩んでいるの?

「やっぱり、どうも敬語になっちゃうな~」

 ああ、悩ませちゃったんだ、私。申し訳ない。


 しばらく、佑さんは私を抱きしめていた。私も、佑さんの胸に顔をうずめ甘えていた。

「おやすみなさい、伊織さん」

「はい。おやすみなさい」


 ああ、もう、敬語でもどっちでもいいかな。だって、佑さんは優しくて、あったかいし。

 距離感がちょっとあるなって思っちゃったけど、敬語の佑さんでも、こんなにも近いって、なんだか、今夜はそう感じられるし。


 結局、こうやってベッドに入って、佑さんの腕の中にいると一気に安心して、幸せな気持ちで私は眠ることができる。

 うん。これはもうすでに、十分すぎるほど、幸せだよ、私。




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