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第76話 焦る気持ち ~佑編~

 その日の午後、とんでもないやつが本社にやってきた。大阪支店にいた同期の岡本だ。入社した当時から、なぜかライバル意識を持たれ、大阪支店でもやたらと僕に絡んできた。


 わざわざ僕のデスクに来て、結婚するのかと聞いてきた。それも、独身の会に入っていたくせにと、わけのわからないことも言うし、伊織さんがすぐそこにいるのに、結婚は人生の墓場だの、出世のために結婚するのかだの、そんなことをうるさく言う。


「さっきの岡本さんって人、塩谷さん以上の人でしたね」

 野田さんが電車の中でそう言った。これから、野田さんと○△物産の担当者に会って、□□重機との契約をしに行く。


「岡本ですか。あいつは昔からああなんですよ。確か、来期に本社に戻ってくるはずだ。マーケティング部だって言っていたっけな」

「営業じゃないんですね」

「良かったですよ。営業だったら、面倒なことになっていました」


「面倒と言うと?」

「ライバル意識を持たれて、やたらと絡んでくるんですよ。一度、彼女は結婚話が出たんですが、僕が取り組んでいたプロジェクトを成功させ、営業成績を上げたからなのか、結婚をやめて彼氏とも別れ、仕事に専念をすると僕に報告に来たくらいで。その頃でしたね、独身の会とかいうのを結成したのは」


「そこに、魚住主任も入っていたんですか?」

「入ったつもりはないんですが、僕が結婚はしないと言っていたので、勝手に会員扱いにされていました」

「相当、主任は桜川さんに惚れ込んじゃったんですねえ」

「……は?」


 突然の野田さんの言葉に驚いていると、

「だって、独身主義だったのに、桜川さんと出会ってから、180度変わっちゃったわけですよね?」

と野田さんは、少しにやつきながらそう言った。


「ああ、まあ」

「桜川さんの存在はたいしたもんですね」

「………そうですね」

 今となっては、なんだってあんなに頑なに独身でいることを主張していたのかもわからないくらいだ。


「さっきの岡本さんでしたっけ?ああいう女性は僕もダメですね。弱いですよ」

「僕も苦手です」

 そんなことを言いながら、僕らは○△物産さんとの待ち合わせ場所に行った。


 ○△物産の担当者は二人。だが、今日はそのうちの若手だけが来た。上司である人は、この若手に任せたらしい。名前は嵐山。まだ27歳。なかなかのやり手だ。見た目はごつい。高校時代はラグビー部だったらしい。

 □□重機との契約を終え、このあとの打ち合わせをしたいと言うので、そのまま社に連れてきた。


「すみません、桜川さん、応接室にコーヒーを3つお願いします」

「はい!」

 2課に顔を出し、伊織さんにお願いすると、伊織さんは元気よく返事をして席を立った。


 ああ。つい、伊織さんにお願いをしてしまった。伊織さんを感じて、少しでも癒されたいんだろうなあ、僕は。


 トントン。控えめのノックの音の後に、控えめの伊織さんの声がした。

「失礼します」

「はい」

 そう答えると、伊織さんは応接室のドアを静かに開けた。


 それから、物静かにテーブルに近づき、嵐山さんの前にコーヒーを置く。

「ミルクとお砂糖は入りますか?」

「いや、いらないです」

 そう野太い声で嵐山さんは答えると、おもむろに伊織さんの方に顔を向けた。


「桜川さん…ですか?」

「え?あ、はい」

「やっぱり。声でそうかなって思いましたよ。電話で聞く声とはちょっと違っていますけど、ほら、溝口さんのほうが、声に張りがありますよね」


「………」

 あ、伊織さんが固まった。顔が引きつっている。

「すみません。悪い意味じゃないですよ。桜川さんの声の方が優しくて、女らしいと感じたものですから」


「お、女らしい?」

「う~~ん。思った通りの人ですね。電話でしか話したことがなかったですが、きっとこんな感じの奥ゆかしい女らしい人なんだろうなって思っていたんですよ」

「おく?奥ゆかしい?」


 慌てた伊織さんが、僕の前に置こうとしていたコーヒーを少しテーブルにこぼしてしまった。

「すみません、主任」

「大丈夫ですよ」

 伊織さんは、おたおたとテーブルを拭き、必死に震える手を抑えながらコーヒーを置いた。 


「嵐山さん、そんなこと言うもんだから、桜川さんが動揺しているじゃないですか」

 苦笑しながら野田さんがそう言うと、

「すみません。動揺させるつもりはなかったんですよ」

と、嵐山さんは申し訳なさそうに伊織さんに言った。


 野田さんのコーヒーも静かに伊織さんは置くと、

「それでは」

と小さい声で言って、その場を去ろうとした。でも、嵐山さんが伊織さんを引き留めた。


「今度、忘年会をしませんか。ぜひ、桜川さんと溝口さんにも来てほしいです」

「え?」

「うちの事務員も呼びますから。うちの事務員は、二人とも魚住さんのファンなんですよ。魚住さんが来ると、二人のどっちがお茶を運ぶかでいつも揉めているんです」


「……忘年会ですか。それは課長に相談しないと」

 僕はそう言って話を切り替え、伊織さんを席に戻したかった。だが、しつこく嵐山さんは伊織さんに話しかけている。


「桜川さんはお酒飲みますか?」

「え?はい。あ、でも、強くないのであまり飲みません」

「弱いんですか?飲むとすぐに赤くなるとかですか?」

「いえ。寝ちゃうので」


「あはは。可愛らしいですね」

 そう笑いながら、ちらっと嵐山さんは伊織さんの左手を見た。薬指を確認しているようだ。

 指輪をしていない…と、そう確認をしたんだろう。

「では、酔ったらちゃんと僕が送りますよ。寝てもいいですよ?女性一人くらい、軽くおぶれますからね」

と、伊織さんに言い寄ろうとしている。


「え?」

 伊織さんの顔がまた引きつった。

「いやいや、嵐山さん。それはちょっと…。ねえ、魚住主任」

 野田さんがなんとかしないとと思ったのか、はっきりしない口調で口をはさんだ。


「桜川さん、もう、席に戻っていいですよ。仕事を再開してください」

 僕は動かないでいる伊織さんにそう声をかけた。伊織さんはほっとした顔で、

「はい。失礼します」

と言い、頭を下げた。


「嵐山さん。あまり、うちの事務の子をからかわないでください」

 そうかなり真面目に言ってみた。だが、嵐山さんには、冗談としか聞こえないらしい。

「あははは!からかったつもりはないんですよ。本当に僕のタイプの女性なんです」


 カラン、カラン、カラン…。

 ドアを開け、応接室を出ようとしていた伊織さんが、慌てたからなのかお盆を床に落としたらしい。思い切りカランカランと音が鳴り響いた。


「す、すみません!」

 伊織さんは、落としたお盆を拾おうとしゃがみこんだ。そして、立ち上がる時にドアノブに頭をぶつけ、「いた!」と声を上げ、顔を真っ赤にしながら頭を撫でた。


「あ、あ、あの、私、このようにおっちょこちょいで、全然奥ゆかしくないし、女らしくもないので、ですから、その…」

 ああ、慌てまくっているな。視線も定まっていないようだ。だが、ちらっと僕の顔を、助けを求めるように見た。


「いやいや、おっちょこちょいなところも可愛いっていうものですよ、ねえ、魚住さん」

 あ、ちょうどいいように、僕に振ってくれたな。

「そうですね。可愛いですよ。だから、もう桜川さんは売約済みです」

「……え?」


「来春には結婚退職もするんですよ。嵐山さん、残念ながら、さっさと諦めたほうがいいですね」

 そう僕がはっきりと言うと、伊織さんは顔を赤くしてはいるが、ほっと安堵したように息を吐き、

「あの、失礼します」

と、応接室から出て行った。


「結婚ですか。そっか~~~~。左手に指輪をしていないものだから、てっきりフリーかと…」

 やっぱり、確認していたな。

「誰ですか?社内にいるんですか?彼女のハートを射止めた男性が」

「……それはまあ、置いておいて。仕事の話を始めませんか」


 そう話を切り替えたにも関わらず、

「タイプだったのになあ。本当に電話で話していた頃から、いい子だなあって思っていたのに残念だなあ。もう少し早くにアタックすればよかったのかなあ」

と、嵐山さんはまだ、ぶつくさと言っている。


「嵐山さん、そんなこと、結婚相手を前にして言わないほうがいいですよ、ね?主任」

「え?!」

「野田さん、なんだってそういうことを」

 ばらすんだ。こんな場所で。


「いずれ、ばれるんですからいいじゃないですか。それも、近いうちに入籍もするんですよね?」

「今週末には入籍します」

 僕がそう言うと、あっけにとられたように嵐山さんは口をあんぐりと開けたまま静止した。


「え…。じゃあ、魚住さんが結婚相手?」

「はい」

「まじですか?マジで部下に手、出しちゃったんですか?」

「聞こえが悪いですよ、嵐山さん。手、出したって言うより、あれですよね?桜川さんの想いが通じた…が正解ですよね?」


 野田さん、またいい加減なことを。まあ、きっとフォローしてくれているんだろうけど。

「桜川さんが思いを寄せていたってことですか」

「はい。そりゃもう、わかりやすいくらいに、魚住主任にぞっこんで」


「はあ。まあ、わかりますけどね。うちの事務の子たちも、本当に魚住さんに憧れていますからね。イケメンだし、仕事出来るし、スマートだし。そっか~~~。桜川さんも、魚住さんに惚れていたんですね。で、その想いに応えたってことか~~」

 ぞっこん?想いに応えた?若干違う気もするが、ここであえて否定することでもないよな。


「では、いいですか?仕事の話をして」

 コーヒーを一口飲んでそう言うと、嵐山さんもコーヒーを飲んだ。そしてかなり重いため息をして、

「あっという間に、失恋だなあ」

と呟いた。


 この男、本気で伊織さんを好きだったのか?

 冗談じゃない。危なかった。ウカウカしていたら、こんな男に伊織さんを取られていたところだった。かなり、押しが強そうな男だし、もしこの男に伊織さんが迫られていたらどうなっていたことか。


 それにしても、奥ゆかしいだの、女らしいだのっていうのは、伊織さんじゃないだろ。そりゃ、きゃぴきゃぴしてもいないし、バリバリ働くタイプでもないし、遊んでいる雰囲気もしないが。

 じゃあ、伊織さんを表現するとしたら、なんだ?


 可愛い。

 あったかい。

 一生懸命で、健気。

 

 それから、落ち込みやすい。一人で抱えやすい。人に甘えるのが下手で、不器用で、おっちょこちょいで、慌てん坊で、そして、食べている時は幸せそうだ。


 そういう伊織さんを好きになった。


 仕事の話は小1時間で終わった。冷めたコーヒーを飲み干し、また嵐山さんは重いため息をついた。

「羨ましいですね、魚住さん」

「○△物産さんにも素敵な女性は大勢いるでしょう」

 そう言ったのは野田さんだ。


「意外と、我が社は強い女性が多いんですよ。事務の子も、仕事バリバリするタイプか、それか、魚住さんみたいに出世間違いなさそうなタイプを虎視眈々と狙っているような、計算高い女とか」

「嵐山さんも仕事出来るし、狙われているんじゃないんですか?」

 野田さんが、またからかうようにそう聞いた。


「そうなんですよねえ。僕に言い寄ってくる女性は、どうも、裏がありそうで怖いんですよ。そういうタイプはダメです。女を売り物にするような女性も苦手です」

「どんなですか?」


「例えば、化粧が濃いとか、やたらと爪が尖っていて、派手に色を塗っていたりとか。そのうえ、香水までぷんぷんとさせている女性は嫌ですねえ。やっぱり、女性は家庭的が1番ですよ。料理や家事ができて、旦那に尽くすような」

「そんな女性、今時いますか?ははは。女性に夢を見過ぎでしょう、嵐山さんは」


「あまりいないんですよ。我が社にだってそうそういない。だから、桜川さんは貴重なんですよっ」

 嵐山さんは野田さんの言葉に、力強い声でそう答えた。

「まあ、確かに、桜川さんは化粧も派手じゃないし、強そうでもないし、肉食でもなさそうですけどね」

「いいですねえ。魚住主任は、あんなに素晴らしい奥さんをもらって」

 野田さんの言葉にうんうんと頷いた後、僕にそう嵐山さんは言ってきた。


「お料理で、胃袋を掴まれたって感じですか?」

「いいえ」

「でも、やっぱり、美味しいんでしょうね、桜川さんの手料理、食べてみたかったなあ」

「僕も食べたことはないですよ」


「え?もうすぐ結婚するのに?ああ、彼女、実家暮らしとか」

「いいえ。もう一緒に暮らしています」

「いいですね。一緒に暮らしているんですか…。は~~~、羨ましい。って、あれ?一緒に暮らしているのに、まだ手料理を食べたことがない?じゃあ、何を食べてるんですか。あ!そうか。忙しくて夕飯の時間に帰っていないとか?外食ばかり、魚住さんはしているんですか」


「いいえ」

「魚住主任はこう見えて、お料理が得意なんですよ」

 野田さんが僕の代わりに答えた。

「じゃあ、魚住さんがご飯作っているんですか」


「そうです。桜川さんはいつでも、美味しそうに食べてくれますよ」

 僕は淡々とそう告げた。その時の嵐山さんの顔は面白かった。驚いたような、がっかりしたような、複雑な顔をしていた。


「でも、彼女の手料理食べたいって思いませんか」

「別に。料理をするのが好きなので、美味しく食べてもらえたらそれでいいですよ。彼女も料理は苦手ですしね」

「え?」 

 さらに、嵐山さんの顔は引きつった。多分、自分の理想と違ったからだろう。


 勝手に自分の理想を、たまにしか電話で話をしないような、桜川さんに押し付けたんだろうな。迷惑な話だ。まったく桜川さんを知らないくせに、勝手に理想を押し付けておいて、狙おうとしてみたり、勝手に落ち込んでみたり。


 きっと、こういうやつは、付き合ってみて理想と違うからって、がっかりだとか言って別れを切り出すんだろう。じゃなきゃ、自分の理想の女性に変えさせようと、無理難題を押し付けてみたり。


「魚住主任と桜川さんは、お似合いのカップルですよ。本当に」

 野田さんが爽やかにそう言って、笑った。僕はその言葉に、

「そうですね。自分でもそう思います」

と、しれっと言っておいた。


 これで、嵐山さんも、伊織さんに対しての想いを残さないで済むだろう。


 忘年会をするかしないかは置いておいて、今後も伊織さんに変に絡んできては困る。とっとと伊織さんを諦め、忘れてしまってほしい。


「びっくりしましたね、嵐山さんには」

 嵐山さんが帰った後、野田さんはそんなことを僕に言った。

「そうですね。でもまあ、あれだけ言えば、もう諦めたでしょう」

「だけど、桜川さんにはさっさと指輪をあげたほうがいいですよ」


「もうあげましたけど?」

「じゃあ、ちゃんと左手の薬指に指輪をはめさせないと。ああやって、また言い寄られたら大変ですよ。指輪していたら、たいていの男は諦めますから」

「ああ、なるほど」


 そうだよな。婚約指輪なら今でもできる。早速今日帰ったら、明日から指輪をするよう伝えておこう。

 他社の奴に、知らない間に言い寄られたりしたら大変だ。まったく、伊織さんはどこか隙があるのかもしれないし、意外とモテるしな。意外とはよけいか…。


 この僕ですら、夢中にさせたんだから、他の男だって伊織さんに惚れたとしてもおかしくないわけだ。なぜか、ずっと彼氏ができなかったようだが。


 それから、わずかの間に僕は、伊織さんを狙っていた男性が他にもいることを知る。だが、本人はそんなこと、まったく知らなかったようだ。鈍感なのか、自分に自信がないから、まさか、思われているなんて思ってもみなかっただけか。


 とっとと、伊織さんと入籍して、他の奴が伊織さんに言い寄らないようにしないとな。


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