第76話 焦る気持ち ~伊織編~
翌日の昼休み、お弁当を持って休憩室に移動した。すると、ほとんど外に食べに行く北畠さんが、お弁当を買ってお局女子と入ってきた。
「ここのお弁当、安いし美味しいのよ」
どうやらお局女子のお勧めらしい。私と真広の隣のテーブルに腰かけ、お弁当を広げだした。
「伊織~~。それ、美味しそうなんだけど」
「え?」
また真広が私のお弁当を狙ってる!
「かぼちゃの煮物。私の好物なんだよね」
「私も好きだから、これはダメ」
「え~~。ケチ。また、主任に作ってもらえばいいじゃん」
「え?!」
真広の言葉に、隣のテーブルの北畠さんが反応した。そして、私の方を見て、
「かぼちゃの煮物、主任が作ったの?」
と聞いてきた。
「お弁当丸ごと、主任が作ったそうですよ」
「ええ?!主任が?!」
ガタンと椅子から立ち上がり、お弁当をわざわざのぞきに来て、
「まあ、美味しそう」
と、北畠さんは目を丸くした。
「伊織~~、一個ちょうだい」
「ダメ!私のがなくなる」
「ケチ~~」
そう言い合っている私と真広の横で、
「主任、お弁当まで作ってくれるわけ?」
と、まだ北畠さんは驚いている。
ああ、ばれた。もしかして、主任にお弁当作らせているなんてとんでもない女だとか、呆れている?
「いいわね~~。主任の手料理食べてみたい」
ぼそっと羨ましそうに言うと、北畠さんはもといた席に戻った。
あ、羨ましがっているだけか。ちょっとホッとした。
「真広」
「え?」
隣のテーブルにも聞こえないくらいの小声で、真広に話しかけた。
「料理とか、お弁当とかも作ってもらって、朝も起こしてもらって、今日なんて私のせいで遅刻させそうになって、私って主任のお荷物にしかなっていないような気がするんだよね」
「え?朝、起こしてもらってるの?まさかと思うけど、おはよう、伊織、朝だよ。朝ご飯できているよって、お盆に朝食乗せてベッドまで持って来てくれたり?」
「それはない。いや、近いかも」
「え?」
「朝ご飯できていますよって、起こしに来るから」
「………」
あ、さすがに真広が呆れたかも。
「何それ、羨ましい。されてみたい」
え?
「そっか。主任ってそこまでマメなのか。家事もしっかりとするんだっけ」
「うん。家事が得意って」
「じゃあ、いいんじゃない?今まで伊織はずっとお弁当もほとんど作らず料理もせず、そんな暮らしをしていたんだもん。いきなり、主任と暮らして早起きして料理やお弁当を作るって、かなり無理があるでしょ?でも主任は、ずっと今までもそう言う暮らしをしてきたんだから、お弁当を作ったりもう一人分の料理をするのだって、たいした苦になっていないんじゃない?」
「う、うん。二人分の料理を作るほうが楽だとも言ってた」
「だったら、素直に甘えたら?きっと、伊織の世話を焼くのが好きなんじゃない?世話焼きだから、伊織みたいな子を選んだんだと思うよ」
「…こんな手がかかるダメな子ってことだよね」
「そうそう。家事が得意な完璧な子じゃ、世話を焼くことも出来なくてつまらないんじゃないの?」
「……」
あんまり喜べないなあ。
「美晴ちゃんみたいな子だったら、主任、結婚したいと思わないよ、きっと」
「ちょっとへこむ」
「なんで?主任と結婚できて嬉しいんでしょ?素直に喜べば?私、ちょっと羨ましくなってきたよ?」
「主任のこと嫌っていたんじゃ…」
焦ってそう聞くと、
「うん、嫌い。でも、なんでも世話してくれるって生活味わってみたい。岸和田じゃ、ずっと実家暮らしだし、家事なんてしたことないと思うし」
「………」
羨ましいことなのか。でも、手放しに喜べないな。なんか、佑さんの重荷になっているとしか思えなくなってきた。
「私、癒せているのかな」
「え?」
「癒されるって言ってくれたんだけど、そうなのかな」
「うん。それは絶対に大丈夫だよ。だって、会社でだって、主任は伊織に甘えてるじゃない」
「え?!い、いつ?」
「え~~~~。自覚ないの~~~?この前も伊織のそばに来て嬉しそうにしていたし、外出から帰ってきて、資料室で伊織に甘えたりしてるでしょ?」
「え?」
資料室!?
「伊織のコロン、主任のスーツから匂ってたことあったし」
あ!そう言えばそんなこと佑さんが言ってた。
「一緒にいて癒されるから、結婚を考えたんでしょ?伊織はもっと自信持っていいよ」
「そうよね~~。主任、桜川さんにだけは優しいしね~~」
いきなり、私と真広の話に隣のテーブルから北畠さんが首を突っ込んだ。
ひょえ!話聞かれてた。
「あ、あの。歯磨きしなきゃ!」
返事に困り、さっさと私はお弁当を片付けて席を立った。真広も一緒にくっついてきて、歯を磨きながらにやついている。
「何にやついているの?」
「面白いんだもん。ねえ、家での主任ってどうなの?意外ともっと甘えん坊になっていたりして」
「え?!」
ゴホッ。ゴホッ。
「大丈夫?」
思い切りむせちゃったよ。慌ててうがいをすると、また真広はにやついて、
「甘えん坊なんだねえ」
と囁くように言った。
「で、で、どうやって甘えるの?」
小声で私の腕をつっつきながら真広が聞いてきた。
「甘えないってば」
慌ててそう言っても、真広はまだしつこく、
「いいから教えなさい」
と言ってくる。
「ダメ。内緒。絶対に言いたくない、勿体ない」
「何それ~~。もっと知りたくなった」
言うわけないじゃん。膝枕したとか、頭撫でたとか。それも、佑さんから頭撫でてって甘えて来たとか…。
「じゃあ、岸和田さんは?甘えてくる?」
「あいつは甘えん坊だよ。二人きりだと私のことちゃんづけだし」
「え。真広ちゃんっていうの?」
「たまに、ま~ちゃんとか?」
うわ。人は見かけによらないもんだな。
「伊織ちゃんって呼ばれたりしないの?」
「ないない」
「じゃあ、いつも呼び捨て?」
「ううん。さん付け」
「え、桜川さん?」
「伊織さんだよ」
「まさかと思うけど…。伊織は家でも主任?」
「名前にさん付けだよ」
「魚住さん?佑さん?」
「佑さん」
「まさかと思うけど、家でも敬語?」
「うん」
「ひょえ~~。伊織ってば家でまで敬語を使うなんて」
「だって、主任も敬語だし」
「まじで?!」
そこまで話していると、化粧室に人事部の子が来て、私は話しをするのをやめた。真広も気を使ってか、黙り込んだ。
「コーヒー入れて、席戻ろうか」
「うん」
そそくさと化粧室を出て、ロッカールームを経由し、コーヒーを入れに行った。
「やっぱさ、変わっているカップルだよね」
そう言いながら、真広はマグカップを持って2課に戻った。
「そうかな、珍しいのかな」
「うん。不思議。主任って塩谷さんには、あんな言葉使いなのにね」
「そうだね。でも、他の人には敬語だよね。部下である野田さんにも」
「だよねえ」
デスクに行くと、塩谷さんの姿はなかったが、主任はいた。野田さんと何か打ち合わせをしているのか、話し込んでいる。
「ちょっと、魚住君?!」
そこにツカツカとスーツ姿の女性が近づいてきた。痩せていて髪をひっつめ、お団子にしている。黒縁メガネで背が高く、いかにも仕事ができるOLさんって感じだ。
「結婚するって本当なわけ?!」
かなりの剣幕だ。佑さんはその人の顔を見上げた。ううん、課のみんなが、一斉に彼女を見た。
「なんで本社に?ああ、出張?」
「そうよ。びっくりよ。今、廊下で同期の子に会って、魚住君が結婚するって聞いたのよ。私、そんな話聞いてないわよ」
「それで?何で岡本が怒っているんだ?」
「結婚するなら報告し合うって約束でしょ?っていうか、独身の会に入っていたくせに、何、ぬけぬけと結婚しようとしているわけ?信じられないわ」
「独身の会ってなんだ?」
「大阪支店で作ったでしょ?」
「ああ、4年前にそんなこと言っていたっけな。僕は別にそんな会に入ったつもりはなかったけどな」
佑さんは淡々とそう言って、また野田さんの方を向いた。でも、その岡本さんていう人は、話を切り上げようとしない。
「ちょっと。本気で結婚するの?結婚は人生の墓場。もし、魔がさして結婚するようなことになったら、お互い目を覚ませあおうって言ってたわよね。だから、目を覚ませに来たわよ」
「は?」
佑さんは目を丸くして、また岡本さんの方を向いた。
課のみんなは、なんとなく仕事をしているふりをしながら、話に耳を傾けている。真広だけは堂々とコーヒーを飲みながら、佑さんを見ているけど、私も見る勇気がなく、PCの画面に目を向けている。だけど、もちろん、何も目に入ってこない。
目を覚ませに来たってどういうこと?結婚をやめさせるってこと?
「結婚、まだなのよね?」
「岡本、わざわざそんなことを言いに来たのか?僕は仕事の最中だ。このあと、すぐに出なきゃいけない。忙しいんだ」
「じゃあ、夜時間作って。私、今夜だったら空いてるから」
「無理だ。っていうか、作る気もない。さっさと仕事終わったら帰るしな」
「わざわざ、時間作るって言ってるのに」
「そんなこと頼んでいないし、大阪支店で岡本と1期下の生瀬が勝手に、独身の会とかいうのをやっていたんだろう?僕には関係ない」
「結婚なんか、人生の墓場だ。仕事の邪魔になるだけだ。もし、管理職としてやっていくなら、仕事一筋の覚悟でいろって言ったのは、魚住君でしょ?」
わあ。そんなこと言ったんだ。と、課の全員が同時に思ったようだ。私は青ざめ、他のみんなは私の顔を一斉に心配そうに見た。
「そう言ったかもしれないが、今は考えが変わったんだ。仕事の邪魔だ。もう、戻ったらどうだ?本社の営業に用があったのか?違うだろ」
「違うわよ。マーケティング部に用があるの。あ!まさか、あれなわけ?一部で噂がある、結婚していないと出世できないっていう、あのために結婚するわけ?」
その言葉に、一旦自分の仕事を再開したみんながまた顔を上げ、私を見た。
「岡本!いい加減にしろよな。だいたいそういう話をここでしていること自体おかしい。場所をわきまえろよ。他のみんなの仕事の邪魔になる。迷惑だ。それから、言葉を慎め。僕の妻になる人に失礼だろ。ここにいるんだからな」
「え?!」
うわ!ばらした。なんで?
慌てて顔を隠すように俯いた。一瞬、岡本さんは黙り、課のみんなも沈黙し、そして、
「あの子?」
という声が聞こえた。
「とにかく、今、急いでいるんだ。何か話があるなら、また今度聞く。ただし、夜に時間は取れないからな。そんなくだらないことに時間取られるくらいなら、彼女との時間を優先したいから。野田さん、すぐに出られますか?」
一気に佑さんはそう言うと、席を立ち、カバンを持った。
「はい。出れます」
野田さんもデスクの上のファイルをカバンに押し込み、席を立った。
「じゃあ、行ってきます。4時までには戻れます。桜川さん、定時には多分仕事上がれますから。それじゃ」
「あ、は、はい」
いきなり、私に話しかけるとは思わず、びっくりして声がひっくり返った。
私の後ろを通り、颯爽と佑さんは野田さんと出て行った。佑さんのデスクの横でまだ岡本さんは佇んだまま。
「岡本さんって言ったっけ?大阪支店の…」
「はい、でも、来季から本社のマーケティング部に戻ってきます」
南部課長の質問に岡本さんはハキハキと答えた。塩谷さんとはまた違うタイプの仕事の出来る女性らしい。
「魚住君は部下である桜川さんと、もうすぐに結婚するんですよ。僕らはみんなで祝福しているんです。それなのに、邪魔をするような発言はやめてくれませんかね」
いつも穏やかな南部課長なのに、かなり棘がある口調でそう岡本さんに言った。
「……」
岡本さんは気まずそうに私の顔を見て、
「ごめんなさい。そんなつもりじゃ…。すみませんでした」
と、頭を下げ、その場を去った。
「そんなつもりじゃなかったら、何だって言うの?邪魔する気満々だったじゃん」
真広の言葉に、
「本当よ。わざわざ、こんなところまで来て言うことないわよね。それも、もうすぐ結婚する幸せな時に」
と、北畠さんも同意した。
「桜川さん、気にすることないよ」
「そうそう。あんな戯言、気にしないでいいからね。主任は墓場だなんて思ってないよ」
課のみんながそう言って、私を慰めてくれた。
「はい」
頷いたけれど、どこか不安が残った。それに、佑さんって、人によっては敬語じゃなくなるんだな。そうだ。元カノにも、あんな感じだった。
どこら辺で、線引きしているのかな。
ああ、それにしても、私と結婚して、「やっぱり、墓場だった」なんて思ったりしないかな。う…。幸せなのに、時々思い切り不安になってくる。これは、結婚前に訪れるマリッジブルーとは違うよね。うん。どっちかって言ったら、佑さんが、「本当にこんな子と結婚してもいいのかな」って、ブルーになったりしないか不安だ。




