第74話 同じ服 ~伊織編~
翌朝も一緒に出社した。またも朝は佑さんに起こしてもらい、すでにお弁当も朝食も用意されていた。服も、クローゼットを開け、
「ああ!このブラウスくしゃくしゃ。どうしよう」
と騒いでいると佑さんが来て、
「このワンピースにカーディガン、いいと思いますけど」
と、またもデート用にとっておいた服を選んだ。
「はい、それにします」
デート用とか、仕事用とかもう関係ない。一緒に出社するだけでデート気分だし。
って、ダメ!そんな気分で会社に行ったりしちゃあ。
だいたい、朝から私はまた何もできなかった。洗濯物だけは私がやろうと思っていたのに、そんな余裕もなかった。そう思うと、どっぷりと落ち込んでしまった。
「あの、朝、すみません。洗濯物も干せないし、なんにも手伝えなくて」
「いいですよ。でも、あと10分くらい早く起こしたほうがいいですか?」
え?そんな!起こしてもらうなんてやっぱり悪い。
「すみません!ちゃんと自分で起きます」
「え?いえ。起こしますよ?大丈夫です。そんなに気にしないでも」
「う…」
そんなふうに言ってくれているけど、実は呆れているよね?絶対に呆れているよね?
マンションから駅までの道、佑さんにこわごわ聞いてみた。
「呆れてますよね、佑さん。なんか、朝から落ち込んじゃって」
「自己嫌悪ですか?また」
「え?いえいえ。そのっ」
しまった。自己嫌悪に陥るの、佑さん嫌がっていたんだ。
「レッドカードですね」
やっぱり。でも、即ベッド行き、即抱かれますって、こんな朝からどうやって、そういう状況に…。
「ここでは襲いませんよ?」
「そそそ、それはわかっています」
ひょえ~~。私、もしかして挙動不審にでもなっていたかな。
「くす」
あ、笑われているし。それも、しばらく佑さん、くすくすと笑い続けているし。
私がまた、落ち込んでいると、すっと佑さんは手を繋いできて、
「毎朝、デート気分になれていいですよね」
と、にっこり微笑みながらそう言った。
「え?そ、そうですね」
そうか~~~。佑さんもデート気分なんだ。よかった~~。と、にやけていると、また佑さんにくすくすと笑われた。
会社に着いてからは、佑さんは思い切り仕事モードになる。そんなクールな佑さんも好きだけど、顔を見ちゃうと私が赤面しちゃうから、あんまり見れない。
でも、ちょっとだけ。
ちらっと顔を左に向け、佑さんを見た。真剣な目でPCを見ている。かっこいい。
もっとずっと見ていたい。でも、佑さんの隣にいる南部課長がこっちを見ているのに気が付き、慌てて私は目を伏せた。
ああ、やばい。佑さんのことが見たい!
いやいや、伊織、仕事だよ、仕事~~!!
PCを睨みつけていると、真広が席にやってきた。
「おはよう、真広」
「おはよ。早いね。あれ?今日何かあるの?お出かけ用ワンピースじゃないの」
「なんにもないけど」
「ああ、そっか。帰りに主任とデートか」
「…別にそういうわけでもないけど」
真広に会社の行き帰りが、もうデートなの。なんて言ったら、なんて言われるかな。バカじゃないの、単なる通勤時間じゃないのって言われるかも。
なんてぼけっと考えていると、
「北畠さん、塩谷からなにか連絡入っていますか?」
という佑さんの声が聞こえた。
「え?いいえ」
北畠さんがそう答えると、佑さんは私を見て、
「…桜川さんも連絡受けていないですか?」
と聞いてきた。
「はい」
「…」
佑さん、顔、怖い。怒っているのかな。塩谷さん、二日酔い?それとも、体調が悪いのかな。
バタバタ…。駆けてくる足音。塩谷さん?
「すみません」
やっぱり。ずっと駅から走ってきたのかな。息を切らして前髪もくしゃくしゃだ。
「塩谷!遅刻だ!!」
佑さんの怖い声。
「すみませんでした」
塩谷さんは頭を下げ、顔を上げると、
「二日酔いか?」
と佑さんが聞いた。
「いいえ。大丈夫です」
「大丈夫って顔じゃないだろ。酷い顔しているぞ」
佑さんも気が付いたんだ。塩谷さん、顔、むくんでいる。
「え?」
塩谷さんはコートのボタンを外し、脱ごうとして、
「あ、すみません。やっぱり、少し気持ち悪いのでトイレに行ってきます」
とまたコートで服を隠すようにして、部屋を出て行った。
「今、見た?」
こそっと北畠さんが私に近づき、そう聞いてきた。
「い、いいえ」
「塩谷さん、シャツのボタン掛け違えてた」
「そうですか?」
実は、私も見えていた。それに気が付いて、慌ててコートで隠して塩谷さんはトイレにすっ飛んで行った。相当慌てて朝、シャツを着たのかな。
「二日酔いだな、あれは」
佑さんの声が聞こえた。佑さんの席からは、塩谷さんの服は見えなかったんだろうな。
「塩谷さんの服、昨日と一緒でしたね」
え?野田さん、そんなことに気が付いたの?
っていうより、昨日と一緒ってことは、塩谷さん、まさか。
「……そうでしたか?でも、毎日ほとんど、あのスーツですよね?あいつは」
佑さんの言葉に、
「いえ。ブラウスですよ。ブラウスが一緒でした」
と野田さんが答えた。
「野田さん、そんなところまでチェックしているの?怖いわ~」
冗談っぽく北畠さんがそう言った。でも、私はそんなことよりも、塩谷さんが昨日泊まったってことが、ショック。
「女性社員の服まで見ているなんて、細かいんですね、野田さんは」
私がショックを受けているのなんか気にも留めず、真広がそう野田さんに言った。
「そうですか?見ている男性社員多いと思いますけど。それで、あ、なんか派手になってきたから彼氏出来たかなとか、男が変わったかなとか、そういうチェックを入れているんじゃないですか。多分、独身男性はさらにチェック入れていると思いますよ。ねえ?主任」
野田さん、佑さんに振った!聞きたいような、聞きたくないような。
「いえ。僕はそういうのどうでもいいので、気にしていませんが」
あ、そうなんだ。気にしないんだ。でも、そんな感じもする。
「え?本当に?桜川さんの服が今日はいつもと違う。まさかデートか?とか、気になっていませんでしたか?」
きゃ。野田さん、やめて。私のこと持ち出さないで。
「別に、気にならないですよ。っていうか、今日も桜川さんの服、僕が選んだし…」
ぎゃ~!ばらした!!!
一気に課のみんなが私を注目した。恥ずかしい。顔、絶対に真っ赤だ。
「そうなんですか…。あ、そうじゃなくってですね。一緒に住む前ですよ。まだ付き合う前の話ですって」
「ああ…、その頃は…」
そこまで言うと佑さんは、黙り込んだ。
そして、
「別に…」
と一言言うと、また黙り込んだ。何か、言いづらいことでもあるとか?
「塩谷、もう大丈夫なのか?」
佑さんのその言葉に、みんな塩谷さんが戻ったことに気が付き、今度は塩谷さんに注目した。
「はい」
「仕事、ちゃんとできるんだよな?」
「はい」
塩谷さんにしては珍しく、声も小さいし目も伏し目がちだ。やっぱり、様子が変だと思う。
あの電話の後何かあったのかな。男友達とホテルに泊まっちゃったのかな。
胸が痛む。自分のことじゃないけど、でも、やっぱりチクチクする。それに、佑さんはどう思ったのかな。
昼休憩になり、休憩室に行った。今日も真広はおにぎりを二つ。それに比べて私のお弁当は今日も豪華。
「ねえ、おかずどれか頂戴」
え…。嫌だ。と思いつつも、
「じゃあ、卵焼き食べる?」
と一つだけ真広にあげた。
「美味しい!」
「だよね。すごいよね、主任…」
嬉しいような、自分が情けないような、複雑な心境。そんな複雑な気分になっているのに、
「伊織じゃ、卵焼きすら作らないもんね。作ってもゆで卵じゃない?」
と言われてしまった。その通りだけど、かなりグサッと来た。
「いいなあ。料理ができる旦那さん」
いつの間にか私たちのテーブルに鴫野ちゃんが来ていた。
「あの主任がこんなに料理上手とはね~。びっくり」
鴫野ちゃんはそう言いながら、私のお弁当を見つめている。
「鴫野ちゃんのお昼は?」
「あるよ」
鞄から出てきたのは、すごく小さなお弁当箱。
「私にも、卵焼き頂戴」
「え?う、うん」
あげたくないんだけど。断りきれない。
「うわ。美味しい~~。ダシがきいているの?」
「うん、多分」
「もしかして、こだわりがあるの?魚住主任って仕事も細かいって言うし」
「そうだね。主に和食が好きで、和食ばっかり作っているし」
「綺麗好きでしょ」
「うん」
コクンと頷くと、真広が、
「そういえば、服も主任が選んでいるんだって?」
と言ってからお茶を飲んだ。
「え?伊織ちゃんの服を?」
鴫野ちゃんが、ミニトマトをフォークに突き刺したまま聞いてきた。
「今日のも僕が選んだって言ってたもんね」
「そうなの?可愛いワンピースだよね。やっぱり、そういう服を魚住主任も着てほしいんだね」
「可愛いのなんて、私には似合わないのにね…」
謙遜でなく本音を言うと、
「似合うよ。昨日のピンクのスカートも似合ってた。もっと、伊織は可愛らしい服を着るべきだよ」
と真広は声を大にしてそう言った。
「うんうん。それで、主任を喜ばせなくっちゃ」
「喜ぶのかなあ」
「喜んでいるから、この服を選んだんじゃないの?」
そうなのかな。そういえば、昨日のスカートを選ぶ時もこのワンピースも、迷うことなく選んでいたっけ。こういう服を着てほしいってことなのかな。
「そう言えば、塩谷さん。昨日と同じ服って、お泊りかな」
お弁当を食べ終えると、真広がそうぼそっと言った。
「え?昨日と同じ服で来たの?」
鴫野ちゃんは、小声でぼそぼそと真広に聞いた。
「うん。昼休憩の前に主任が会議室に連れて行ったね。今日、塩谷さん、仕事もミスしていたみたいだし、主任にしぼられたんじゃない?」
「…」
「伊織?」
「あ、ごめん。ただ、いつも仕事はちゃんとしているのに、どうしちゃったのかなって思って」
「いつも伊織がミスすると嫌味たっぷりだったくせにね。今度嫌味言ってきたら言い返しちゃいなよ。自分だって、ミスしたり遅刻しているじゃんって」
まさか。言えないよ。それが佑さんが原因だとしたらよけい言えないってば。
「お泊りってことは、男ができたってこと?あ~~。なんか、私も頑張らなきゃって思うわ」
鴫野ちゃんは、一人で何やらショックを受けていた。でも、その相手が彼氏だかどうかもわからない人で微妙なのに。
「伊織ちゃんも、真広ちゃんもいいなあ」
ぼそっと鴫野ちゃんは呟くと、もっと声を潜め、
「今宮さんはさ、もう主任から他の人に切り替えたみたいなんだけどね」
と、私と真広に顔を近づけそう言った。
「え?もう?早っ」
真広が驚いた。私もびっくりだ。でも、ちょっと安心した。
休憩を終え、私と真広はコーヒーの入ったマグカップを手に、デスクに戻った。塩谷さんはすでにデスクで仕事をしていた。
なんだか、いつもよりも体が小さく見える。
佑さんはと言うと、南部課長と話をしている。そして、ふっとこっちに視線を移し、
「溝…」
と真広の名前を呼ぼうとしてから、
「あ、桜川さん」
と、私の名前を読んだ。
「はい!?」
「午後、忙しいですか?」
「いいえ、今日は特に…」
「では、エクセルでちょっと作ってもらいたいんですが、頼んでもいいですか?」
「はいっ」
仕事頼まれた!ちょっと喜びながらすぐに、佑さんのデスクに駆け寄った。ガツン。
「いたっ」
「ちょっと、ちゃんと下見て歩いてよ」
塩谷さんのデスクの引き出しが開いていて、そこに足をぶつけてしまった。
「すみません」
塩谷さんに謝って、佑さんのデスクまですごすごと行くと、
「大丈夫ですか?」
と佑さんが、私の足元を覗き込みながら聞いてきた。
ひゃ。足、そんなガン見しないで。
「ああ、思い切りぶつけてますね。赤く腫れちゃっていますよ。ほんとに、伊織さん、気を付けて下さい。僕が呼んでも走らないでいいですからね。そのたびにどこかにぶつけて、青あざ作っているでしょう」
「すす、すみません」
「じゃあ、これ、そんなに急がないので今日中でいいですよ」
佑さんは優しい顔で、私に資料をくれた。
「わかりました」
席には急がずに戻った。そして椅子に座ると、
「足、大丈夫?」
と真広が聞いてきた。
「うん。ちょっとまだ、ヒリヒリしているけど…」
「青あざ作っているの、主任に見られたんだ…」
「え?」
「今も、思いっきり主任足を見たんじゃない?女子社員の足をじっくり見るなんて、セクハラ」
「は?…ちょ、何言ってるの。セクハラじゃないよ」
「なんちゃってね。旦那なんだから、足、見られたっていいよねえ」
ペロッと舌を出し、おどけながら真広がそう言った。
もう~~~。何が言いたいんだ、真広は。それにまだ、「旦那」って言われてもピンとこない。入籍だってまだなんだし。あ、でも、木曜が大安だから、その日に入籍するんだよね。
ドキン。いきなり、ドキドキしてきた。うわあ。緊張。
って、ダメダメ。今は仕事に集中。
「桜川さん」
「はいい?」
いつの間に後ろにいたの?佑さん。
「表なんですが、こんな感じで作ってもらえますか?」
私のマウスを持って、顔を近づけて佑さんが指示を出してきた。
ち、近い。佑さんの匂いが…。近すぎるよ~~~~~。
「聞いていますか?」
「はは、はい。いえ。もう一回お願いします」
「ここをですね…」
私のすぐ後ろから手を伸ばし、指で画面を指しながら、佑さんが説明をした。ドキドキ。鼓動が半端ない。でも、必死で説明を聞いた。
「わかりました」
「じゃあ、お願いします」
「はい…」
すっと佑さんは何事もなかったような顔つきで、席に戻って行った。
私は、きっと真っ赤だ。顔が熱い。もう~~。近づくとやばいって、そう言ってあったのにな。なんだって、あんなに接近してくるのかな。
顔もにやけそうだったよ~~~。
なんだか、ちょっとだけ悔しいような気もする。真っ赤になるのは私ばかりで、佑さんはいつも余裕なんだもん。
私ばかりが佑さんを好きなのかなあ。なんて思っちゃったり…。
帰りにロッカールームで、なんとなく真広にそうぼやいたら、
「何言ってるの。どこからどう見たって、主任のほうがべた惚れでしょ」
と言われてしまった。
「は?べた惚れ?」
「前はうまく隠していたんだと思うけど、最近の主任は隠しきれていないもんね」
「隠す?何を?」
「表情だよ。伊織を見る時だけ目じりが下がって、にやついているし。さっきだって、わざとべったり近づいて指示出したり、足だってちゃっかり覗きこんで見たり、いやらしいったらありゃしない」
「い、いやらしい?主任が?」
「ベタベタじゃん。課のみんなも言ってるよ。主任、桜川さんにべた惚れですねえ。可愛くてしょうがないんでしょうねえって」
可愛くてしょうがない?!!!
「ちょ、何それ!」
顔から火が出た!
「真広、からかわないで」
「からかっていない。本当にみんなそう言ってるし、実際そうだと思うもん。あの主任が、あんな優しい顔するんだって、みんなびっくりしているんだから。私だってびっくりだよ」
ひゃ~~~。そんなことみんなが言ってるの?
「でも、ちゃんと伊織のこと大事にしているんだってわかって、ほっとしたけどね」
真広はそう言うと、
「じゃ、お先」
と、ロッカールームを出て行った。
少し待ってて下さい。1件メールをしたら帰れます。と言われ、私は先に真広とロッカールームに来た。
「顔、あつ」
確かに、佑さん、会社でも優しい顔を見せてくれるし、笑ってくれるし、それはすごく嬉しい。
もっと、私、佑さんに好かれているって自信持っていいんだよね…。




