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第72話 家では ~佑編~

 5時半を過ぎ、伊織さんも仕事を終えているようだったので、一緒に会社を出た。エレベーターでは他の社員もいたし、駅までの道も距離を保って歩いていた。

 

 今日の伊織さんは、本人が言うようにおかしかった。僕にわざと近づかないようにしたり、僕の方を見ようともせず、目も合せてくれなかった。

 僕としてはちょっと、いや、かなり寂しい。


 帰り道も距離を取られ、会話も途切れがちだ。

 そりゃ、仕事中は仕事に集中しようとしてくれたのは、上司としてはありがたい。失敗もしないよう頑張ってくれたのは、感心できることなんだが…。


 電車に乗り込むと、人に押され伊織さんは僕の体に引っ付いてきた。やっと、伊織さんを間近に感じられる。

「夕飯、どうしましょうか」

とか言いながら、僕はくるっと伊織さんの腰に腕を回した。

「え、はい」


 伊織さんがまた、離れようとするかなと思っていると、べったりと僕の胸にくっついて顔までうずめてきた。そのままじっとして、何にも話さなくなってしまった。

「伊織さん?」

「はい?」


 顔を見ると赤くなっている。でも口元が緩んでいる。

「もしかして、解禁ですか?」

「は?」

「会社から出たら、解禁なんですね?」

「え?」


「僕に近づくの…。もういいんですよね?」

「あ、えっと、はい」

 はにかみながら伊織さんは頷いた。


「それはよかった。目も合わせてくれないし、けっこう寂しかったですよ。家に帰ったら、もっとべったりして下さいね」

 本音を言うと伊織さんは、恥ずかしそうに俯いた。


 スーパーでの買い物も、伊織さんはいつものように嬉しそうだった。そして、マンションに帰ると、伊織さんはまた洗濯物を取り込み、リビングで正座をして畳みだした。

 僕はさっさと風呂を沸かしに行き、リビングに戻った。


 そして、ちょこんと座った伊織さんが可愛くて、思わず後ろから抱きしめてしまった。

 ぴくっと伊織さんの背中が動いた。でも、僕に抱き着かれたままになっている。可愛い。

「離れたくないなあ」

「え?」

「このまま、しばらく伊織さんを感じていたいなあ」

 

 そう僕が言うと、伊織さんはうつむいてしまった。照れているんだろうか。

「今もドキドキしていますか?」

「はい」

 恥ずかしそうに伊織さんが答えた。


「でも、くっついていていいですか?」

「も、もちろんです。っていうか、私もくっついていたいです」

 そうか。そう言われてほっとした。そして思わず、抱きしめている腕に力がこもった。

 

「あ、あの」

「はい?」

「後ろ向いていいですか?」

「もう向いていますよ?」


「あ、そうじゃなくて。佑さんの方を向いていいですか?」

「ああ、はい」

 僕の方を向きたいってことか…。僕の腕の力を緩めると、伊織さんは僕の腕の中でくるくると体の向きを変え、僕の胸に飛び込んできた。


 ギュ。伊織さんが僕の背中に腕を回し抱き着き、胸に思い切り顔をうずめてくる。

 なんて可愛いんだ!!!


「うん。こういうのもいいですね。こういうご褒美があるなら、会社では離れていてもいいかな」

「え?」

「帰ってきたら、これだけ甘えてくれるなら」

「す、すみません。甘えたりして」


 伊織さんがそう言って、僕の胸から顔を上げた。

「伊織さんに甘えられるの好きなんです。だから、甘えていいんですよ」

 僕は抱きしめていた腕に力を入れ、伊織さんが離れないように抱きしめた。

それから、どのくらい伊織さんを抱きしめていただろう。


 伊織さんの甘い香り。可愛いぬくもり。ギュッと抱きしめ、髪にキスをして、耳元にもキスをした。このまま、押し倒しそうにもなる。

 

 ピピピピ…。風呂が沸いた合図の音だ。

「あ、いけない。夕飯まだだ…」

 理性が突然現れ、僕は伊織さんから離れた。すると、伊織さんがものすごく寂しそうな顔をして僕を見た。

 くす。ご主人が離れて寂しそうにしているワンコロみたいだな。


 それに、僕がキッチンで夕飯の準備をしている時も、カウンターの向こうから僕をじっと見つめたまま動かないでいる。「待て」と言われてご主人が来るのをひたすら待っている犬のようだ。寂しいけど、待てと言われたから大人しく待っている…みたいな。


 伊織さんの方に少し近づくと、明らかに目が輝いた。でも、どこかうっとりとしていて色っぽい。

「なんでそんなにさっきから、見ているんですか?もしかして」

ここはわざとすっとぼけるかな。

「料理の勉強ですか?」


「そ、そうです。見ていてもいいですか?」

「くす。いいですよ。でも、あんまり熱い眼で見ないで下さいね」

「え?」

「僕が疼きます」


 あ、目が丸くなって驚いている。

「伊織さんの目、色っぽいですからやばいんですよ」

 そう言うと顔を赤くして、伊織さんは視線を外した。


 僕はまた料理に集中し始めた。が、また思い切り伊織さんの熱い視線を感じた。ふっと伊織さんを見ると、すごい熱い眼で僕を見ている。

 僕は伊織さんに近づき、頭をコツンとしながら、

「だから、見過ぎですって」

と言って笑った。伊織さんはまた、恥ずかしそうに俯いた。


 夕飯が出来た。伊織さんは今日も美味しそうに食べている。そして夕飯も終わり、後片付けをしていると僕の携帯が鳴った。


「誰だ?」

 電話を見ると母からだった。

「…」

 無視しようかとも思ったが、絶対に何度もしつこくかけてきそうなので出ることにした。


「もしもし」

「佑!?」

 うわ。でかい声だ。

「結婚するんだって?!いつ、報告に来るの?週末も待っていたのに」


「週末は忙しいだろ?」

「そうだけど、電話くらいしてきなさいよ。薫から聞いてずっと待っていたのよっ」

 やっぱり、かけてきたか。


「いつ会わせてくれるわけ?薫が言うには可愛らしいお嬢さんだって」

「いろいろと忙しいんだ。また時間作って電話する」

「待ちなさい。そう言ってまたかけてこないんでしょ?日にち決めちゃってよ。その日は開けておくから」


「じゃあ、来週」

「今週は?」

「忙しいんだよ。それじゃ、切るよ」

 無理やり電話を切った。


「……お母様からですか?」

 なんでわかったんだ?

「挨拶に行った方がいいんですよね?」

 伊織さんが困惑している。


「いいんですよ。来週にでも行きましょう」

「でも」

「いいんですって。少し時間が空いた方が、向こうも落ち着くだろうし。今はまだ、興奮状態で」

「興奮?」


「結婚してほしかったようで、相当僕が結婚するって聞いて喜んでいると思うんです」

「そうなんですか」

「だから、今会うときっとテンション高すぎて伊織さんがまいっちゃいますよ」

「……テンション、高いんですか?」


「人よりかなり…。会うの、覚悟しておいて下さいね」

「え」

 あ、伊織さんの顔、引きつった。

「まあ、向こうも忙しいでしょうから、そんなに時間が取れないと思いますよ」

「そ、そうですか」


「…あ、一つ忠告が」

「はい?」

「伊織さんの趣味を聞かれたら、フラワーアレンジのことは言わないほうがいいです」

「え、なんでですか?」


 しまった。伊織さんの顔が暗くなった。

「落ち込まないでいいです。ただ、母がそれを聞いたら、伊織さんに仕事を押し付けようとするかもしれないので」

「は?」


「母がウェディングプランナーって話はしましたよね?で、フラワーアレンジメントを担当している人が今ひとりしかいなくて、もう一人欲しいってぼやいていたことがあったんです」

「え、そんなの、私絶対に無理です」


「いや、母はそんなことを言っても、無理やり押し付けようとしますから、だから、フラワーアレンジメントが趣味とか言わないほうがいいですよ」

「…はい。あ、じゃあ、なんて言ったらいいですか?趣味を聞かれたら」


「映画鑑賞とか?それで僕と趣味があったわけですから、それでいいと思いますよ」

「はい」

 伊織さんはコクンと力強く頷いた。


 母の強引さは、本当にすさまじいものがある。姉もそのDNAを受け継いでいるので、何度も僕が被害に合っているわけだ。忙しいと言っているのに何度仕事の手伝いをさせられたことか。


 伊織さんなんて、あの姉や母にかかったら、絶対に断れず、いつも仕事を引き受けてしまうだろうな。


 片づけを終え、順番に風呂に入った。順番にと言うのが僕は寂しい。一緒に入れたら一番なんだが。だが、さすがにそれを切り出すのも勇気がいる。あの伊織さんだ。絶対に拒否するだろう。

 そうだ。強引に言えば、伊織さん、断りきれないんじゃ…。って、それじゃ、僕まで母や姉みたいになっちゃうじゃないか。


 そんなことを思いつつ、風呂からあがり、リビングに行った。伊織さんはまた眠気眼でテレビを観ていた。

「眠そうですね。寝ましょうか?」

「……え?」

 あれ?赤くなった。


「大丈夫ですよ。今日は手を出しません。明日の仕事に支障が出たら困りますから」

「は、はい」

 くす。恥ずかしそうに俯き、伊織さんはソファから立ち上がった。


 さあ、寝よう…とベッドに二人で入った途端、また電話が鳴った。

「はあ。また母さんか?」

 携帯を見た。今度は塩谷の名前が出ていた。ああ、いい加減にしてくれ。


「はい?!」

 ぶっきらぼうに出ると、塩谷は少し遠慮がちな声で、

「主任、相談事が」

と言ってきた。


「明日会社で聞く」

「今!今お願いします」

「…なんか、ヘマでもしたのか?」

「いいえ。相談が」


「だから、なんだ?」

 ベッドから出て、仕事部屋に行って聞くことにした。寝室から出る時、

「伊織さんは寝てていいですよ」

と言うと、電話の向こうで塩谷が「寝るところだったんですか?」と声を上げた。


「そうだよ。まったく、こんな時間にかけてきて」

「でもまだ、11時ですよ」

「お前なあ。こんな時間にかけてくるなんて、非常識だと思わないか?」

「すみません。でも、名古屋では大丈夫だったから」


「あの時は一人暮らしだったからな。で、早めに電話終わらせたいからさっさと話を聞かせろ」

「あの、実は大学の時の友達と飲んでて」

「今?こんな時間に?」

「はい。盛り上がっちゃって」


「月曜の夜から?」

「はい。それで、そのうちの一人が、家も遠いから泊まって行こうと言うことになって」

「明日会社があるのに?」

「そう言ったんですけど…」


「終電があるだろ。って、なんでそんなことを僕に相談する?」

「だって、主任が言ったんじゃないですか。彼氏でも作れとか、結婚したらどうだとか」

「男か?」

「はい、そうです」


「男が泊まろうって誘っているのか?」

「はい、そうです。今、私トイレなんですけど、彼の方は店の外で待っているんです」

「断れ」

「え?」


「明日仕事だろ?断れ」

「それが理由?じゃあ、今日が金曜だったら?」

「そんなの、僕があれこれ言うことじゃない。自分で判断しろよ」

「向こうが遊びでも?」


「……。遊びで男と泊まりたいなら泊まれ。それが嫌なら断れ。でも、今日は明日仕事もあるんだ。断ってさっさと帰って、ちゃんと明日に備えて寝ろ!」

「……わかりました」

「こんなこと、僕に聞かなくても自分で判断しろよ。大人なんだから」


「わかってる!ただ、なんか主任が言ってくれるかなって思ったから」

 ため口になったな。こりゃ、かなり酔っているかもな。

「送るとか言われても断れよ。ホテルに連れ込まれるぞ」


「わかってる。でも、それも自分で判断したらいいんでしょ?明日の仕事に支障がなかったらいいんでしょ?」

 ブツッといきなり電話が切れた。

「おい、塩谷?」

 切りやがったな。


 ぶつくさ言いながら寝室に戻った。すると、伊織さんが不安そうな顔をして僕を見た。

「あの?」

「塩谷です。とんでもないことで電話をしてきて…。ったく、何を考えているんだか」

 僕は、伊織さんに正直に話した。伊織さんに変に黙っていたり、誤魔化したりすると、伊織さんが不安になるだろうと思って。


「それって、きっと佑さんに泊まらないで帰れって言ってほしかったんですね」

「だから、断れって言いましたよ?」

「でも、仕事に支障が出るからですよね?」

「そうですが」


「…そういう理由じゃなくて…、きっと塩谷さんは」

「塩谷がもし僕に好意を持っていたとしても、何もしてやれませんよ」

 そう言うと伊織さんは、俯いて黙り込んだ。


「塩谷は大事な部下です。そりゃ、変な男に騙されたりしたら、心配は心配ですが」

「きっと佑さんが彼氏を作れとか言ったから、塩谷さんも男の人と飲んだり、佑さんにわざとそんな相談事をしたりするんだと思います」

「僕のせいですか?」


「せいとかじゃなくて…。えっと、でも、そんなことを好きな人に言われたら、きっと悲しい」

「は?」

「悲しいって言うか、傷つくと思います」

「じゃあ、僕にどうしろって言うんですか?塩谷の思いを受け止めろとでも?」


「ち、違います。ただ、経験上…えっと」

「は?」

「佑さんにフラれた時、私も他の人と飲みに行ったりして、その…」

「………。ああ、お見合いパーティですか」


「……」

 伊織さんは黙り込んで、顔もそむけてしまった。

 まずいな。これって喧嘩か?塩谷が原因で?冗談じゃない。なんだって、塩谷が原因で僕らが喧嘩しないとならないんだ!



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