第70話 一緒に暮らす ~佑編~
夕飯の材料を買いに伊織さんとスーパーに寄った。
「今日は何にしましょうか」
カートを押しながら、僕はジャガイモが目に入った。
「ジャガイモ、美味しそうですね。伊織さん、おでんはどうですか?」
「おでん!いいですね」
「くす」
可愛いなあ。目が輝いた。
「あ、えっと」
今度は恥ずかしそうにしている。
「じゃあ、おでんということで。ダイコンと、それから…」
カートを押しながら、材料をカゴに入れていった。隣で並ぶ伊織さんが嬉しそうに笑う。
「ノンアルコールビールも飲もうかな…。伊織さんは?」
「私もノンアルコールで」
「日本酒はどうですか?」
「日本酒…」
あ、また目が輝いた。
「じゃあ、日本酒買っていきましょうか」
酒のことはよくわからないので、伊織さんに自分で選んでもらった。
「おでんと日本酒だったら、伊織さんの部屋のこたつで食べたかったですね」
「あ、そう言えば、そういうことを前にも言っていましたね」
「…やっぱり、こたつ、リビングに置きましょう。こたつで鍋もいいですよね」
「はい」
また、伊織さんが嬉しそうに笑った。
レジに並ぶと伊織さんは必ず、カバンの中からお財布を取り出す。そして僕がいつも、
「いいですよ。僕が払いますから」
と言うと、ありがとうございますと言いつつ、困惑の表情をする。
「伊織さん、籍を入れたら夫婦になるわけですから」
「え?は、はい」
かごの中のものを袋に入れながらそう言うと、伊織さんが隣でシャキッと姿勢をいきなり正した。
「生活費は僕が出しますよ」
「でも、私も働いているわけですし」
「春まではですよね。その間のお給料は…、そうだな。まあ、おいおい考えていきましょう。とりあえず、生活費は僕が出します」
「………はい」
あれ?顔が曇った。
スーパーからマンションまでの道も、
「荷物、私が」
と、スーパーの袋を持ちたがる。
「大丈夫ですよ」
「でも」
「そうだった。ドラッグストアーでトイレットペーパー買っていいですか?」
「じゃあ、それは私が買ってきます」
伊織さんはそう言うと、僕より先にドラッグストアーに入って行き、また慌てて僕のもとに駆け寄り、
「いつも、どんなのを買っているんですか?」
と、聞いてきた。
「匂い付きでないものであれば何でも」
「はい」
また、伊織さんはトイレットペーパー売り場にすっ飛んで行った。そして、急いでレジに並んで支払い終えると、意気揚々と僕のもとにやってきた。
「これは、私が持ちますから」
「はい、お願いします」
面白い。なんとも可愛い。くすくすと笑っていると、伊織さんは顔を赤くしながら首を傾げた。
マンションに帰って、夕飯の準備に取り掛かった。伊織さんは、
「今日は私がお風呂を沸かします」
と、これまた元気にそう言うと、意気揚々とバスルームに入って行く。
きっと何か役に立ちたいんだろうなあ。それから、洗濯物を取り込んだり畳んだりして、
「あの、不動産屋さんに電話をしていいですか?」
と、キッチンまで僕に聞きに来た。
「契約のことでですか?」
「はい」
「どうぞ」
なんで、わざわざ聞きに来たのかもわからないが、僕がそう答えると、リビングのソファに座り電話をかけだした。
その電話が終わると、またやってきた。
「両親にも電話をしていいですか?」
「はい、どうぞ」
僕の返事を聞いてから、また足早にソファに戻り、電話をかけている。
僕はキッチンから様子をうかがった。
「え?!」
何やら驚いている様子だ。ご両親が僕らの結婚のことで、何か言ったのか?
「佑さんに相談してみる」
僕がそっと近づくと、伊織さんはそう小声で言って、電話を切った。
何か問題でも起きたのか?電話を持ったままぼけっとしているが。
「お母さん、なんて言っていましたか?」
そう聞くと伊織さんは、ビクンと跳ね上がった。
「あ、佑さんのお母さんに挨拶がしたいって」
「僕の母に?う~~~~ん。やっぱり、そういうの必要ですかね」
やっぱり、親同士の顔合わせってのも必要なのかな。あまり、あの母を会わせたくはないんだが。
「一回、母とも話してみますよ」
そう言うと、伊織さんは背筋を伸ばし、
「私もっ」
と大きな声を上げた。
「え?」
「私も、お母さんに会ったほうがいいですよね?」
「母にですか?」
なるべくなら会わせたくない。でも、そういうわけにもいかないよな。
「そうですね。あとで、僕から母に結婚すると報告しておきます。多分、会わせろと言ってくると思いますよ」
夕飯の準備も済み、僕らはおでんを食べだした。
「美味しい」
伊織さんは酒も入ったせいか、頬が赤い。目をトロンとさせてそう言った。くす、可愛い。
「佑さんの作るお料理って、優しい味ですね」
「そうですか?基本、素材の味を大事にするので、それでかな」
「でも、こんなに美味しいものばっかり食べてて、私、太りそう」
「いいんじゃないですか?痩せているんだし」
「痩せてないですよ。お腹にも25過ぎてからついてきたし」
「…じゃあ、ジム行きますか?僕も最近行っていなかったし」
「行ってすぐに入会できるんですか?」
「すぐに会員になれますよ。僕の行っているジムは、土日と夜は空いています」
「じゃあ、行ってみます。今度まず入会してみます」
「伊織さんも何かスポーツしていたんですか?」
「ホットヨガくらいです」
「ああ、あれね。あれは僕には無理です。まず、ヨガ自体が無理だな」
「体、硬いとか?」
「いえ。ああいう、ゆっくりしたのが無理なんですよ。マシンを使ってやるのはいいんですけどね」
「じゃあ、ジムではマシンだけ?」
「たまに泳いだりもします。あと、今行っているところが、スカッシュがあるので、たまにしてますよ」
「スカッシュ?難しそう」
「そんなことないですよ。今度一緒にやりましょう」
「はあ」
なんだか、あまり乗り気のない返事だな。したくないのかな。
「佑さんは、英語とか、話せるんですか?」
夕飯が終わりソファに移動して、のんびりと寛いでいると、伊織さんがいきなり聞いてきた。
「英語ですか?まあ、仕事をするのにも必要なので、その程度は」
なんだっていきなり英語?まあ、いいが。
「我が社も海外に支店がありますしね。転勤になってもいいように、入社後5年間英語を習いましたよ。大学時代にも、ホームステイに行ったこともあったし」
「すごい」
「別にそんなにすごくないですけど。その時は、日常会話ができるくらいしか、話せるようにならなかったし」
突然伊織さんが暗くなった。そして俯いて黙り込んだ。これは、もしかして落ち込んでいる?
「伊織さん」
「はい…」
「暗くなってどうしたんですか?」
「ちょっと、自己嫌悪に」
「またですか」
自分に自信がなくなったのか。僕の顔を見て不安げにしている。
あ、そんな顔も可愛い。
いや、そうじゃなくて。不安げで落ち込んでいる伊織さんの気持ちを、一気に変える方法と言ったら。
…ふむ。
「今度、自己嫌悪に陥った時には、イエローカードでも出しましょうか。で、3枚揃ったら」
「退場?」
「いえ」
そうだな。やっぱり、ここは包み込むしかないよな。
僕は伊織さんの腕を引っ張りソファから立たせると、ひょいと抱っこをした。伊織さんは目を丸くして驚いている。そのまま寝室に行きベッドに伊織さんを寝かせた。まだ、伊織さんの目は真ん丸だ。
「即座に、僕に抱かれます。どうですか?このルール」
「え?」
驚いている伊織さんを放っておいて、僕は自分の着ているものを脱いだ。
そして伊織さんの服も脱がせようとすると、
「ま、ま、待ってください。今、イエローカード1枚だけですよね?まだ、3枚溜まっていない」
と伊織さんが慌てふためいた。
「あ、そうか。じゃあ、ルールを変えて、イエローカードではなくレッドカードにしましょうか」
くす。目がもっと丸くなった。
「1枚だけでも、即ベッド行き」
「仕事の前の日は抱かないって約束は?」
真っ赤になって伊織さんは慌てた。
「ああ、そうか。そんなことも言いましたね」
「そそ、そうですよ。明日仕事ですよ?」
あ、逃げ出そうとしている?
「レッドカードのほうが有効です」
「でも、でもでも、ほら、お風呂だってまだ入っていないんですし…」
まだ抵抗するのか…。そろそろ観念してほしいんだけどな。
「伊織さん」
「はい」
「観念してくださいね」
そう言ってから僕は伊織さんにキスをした。
伊織さんは、僕の胸を一気に満たしてくれる。
ああ、僕が伊織さんを包み込んで、癒したかったのにな。
しばらく僕は伊織さんを離さなかった。ぬくもりをずっと感じていたくて、後ろから抱きしめたりキスをしたり。伊織さんも少し恥らいながらも、僕に抱き着いてきたり甘えてきた。
伊織さんを抱いたあとは、伊織さんはいつもよりも甘えん坊になる。それが可愛い。
ああ、どんどん僕は、伊織さんに溺れていっているよなあ。でも、もうどうしようもない。
風呂に入り、一緒にベッドにまた潜り込んだ。そして同時に眠った。
翌朝、アラームが鳴った。伊織さんは気怠そうに寝返りを打った。僕はアラームを止め、伊織さんの髪やうなじにキスをしてから起き上がった。
顔を洗い、洗濯機を動かす。キッチンに行き、伊織さんのために弁当も作った。
それから朝食を作り、また寝室に行くと、伊織さんはまだすやすや眠っていた。
「伊織さん、朝ご飯できていますよ」
そう言いながら伊織さんの顔を覗き込んだ。ああ、可愛い。赤ちゃんみたいだ。思わずほっぺにも唇にもキスをしてしまった。
「え?」
くす。寝ぼけ眼だな。
「おはようございます。今日は月曜。会社がある日ですけど、わかってます?」
「……はい。あ、今、何時ですか?」
「もう、7時です」
「ごめんなさい。私…」
そう言って伊織さんは、慌てて上半身を起こした。
「大丈夫です。朝食もお弁当もできていますし」
「あれ?佑さんって、いつも外食じゃ?」
「はい。ですから、伊織さんのお弁当です」
「え~~~~~~~~~~~~?!」
驚きすぎだろ。面白いなあ。
「顔洗って、朝ご飯先に食べちゃって下さいね。トースト、今焼いているところですよ」
「はは、はい」
伊織さんは慌ててベッドから降りた。僕はまたキッチンに戻った。
朝食を伊織さんと一緒に「いただきます」をして食べた。伊織さんはまだ、髪が跳ねている。可愛い。それにすっぴんだ。トーストを食べ、ハムエッグを食べ、コーヒーを飲んで伊織さんは、
「ふう、美味しい」
と呟いた。
そんな伊織さんをじっと見ていると、そのことに気が付いたのか僕を見て顔を赤らめた。
「ご馳走様でした。お化粧してきます」
「はい」
食べ終えたお皿やカップを伊織さんが片付けようとしたので、
「いいですよ、やっておきます」
と僕が強引にシンクに運んだ。
伊織さんは申し訳なさそうな顔をしながら、洗面所に消えて行った。
やっぱり、女性の方がいろいろと支度があって大変だよな。そんなことを思いつつ、そう言えば姉や母も毎朝一騒動起こしていたっけと思い出した。シャツにアイロンがかかっていないとか、ピアスが片方なくなったとか、ストッキングが伝線したとか、出かけるまでにバタバタ走り回っていたよなあ。
僕は洗濯物を干し、着替えをした。伊織さんが慌てながら洗面所から出てきたので、
「慌てないでもいいですよ。まだ、15分もあります」
と新聞を広げ、ダイニングの椅子に腰かけると、それを見た伊織さんはなぜか青くなりながら寝室に消えた。
なんだろう。かなり困っているんだろうか。気になり寝室に行くと、クローゼットを開けて難しい顔をしている。
ああ、服を悩んでいるのか。
「そのブラウスなら、これがいいと思いますが」
と、僕はローズ色のプリーツのスカートを指差した。
「え、でも、それは、お出かけ用で」
「デート用ですか?」
「え?あ、はい」
「う~~ん。でも、会社でも十分いいと思いますよ。伊織さんの優しい雰囲気と合っていますし」
「は、はい。じゃあ、それにします」
どうやら解決したらしい。満面の笑顔でスカートを手にしている。
僕はまた、ダイニングに戻った。
そして10分後、伊織さんはトレンチも羽織りダイニングに来た。僕もすぐにトレンチを着て一緒に部屋を出た。
駅までの道は、手を繋いだ。伊織さんの手は少し冷えている。でも、顔を見ると顔は真っ赤だった。
もしかして、手を繋いでいるから照れているんだろうか。
電車の中でも手を繋いだ。僕は、なんだってこうも伊織さんと手を繋ぎたいのか。自分でもわからない。多分、伊織さんを感じていたいんだ。
ただし、駅から会社までの道は手を離した。さすがに誰かに見られたらと思うと…。でも、きっと僕の顔はにやけているんだろうな。
伊織さんはずっと僕の隣で顔を赤くしながら、恥ずかしそうに笑っていた。




