表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
132/171

第66話 エコヒイキ ~佑編~

 その日の夜、僕と野田さん、塩谷で、新たなプロジェクトを展開するために、大手の電機会社の営業を接待することとなっていた。

「甘すぎると思うんですよね」

 約束の時間の20分前に店に着き、書類を見ているといきなり塩谷が言ってきた。


「この書類のどこが甘いんだ?」

「違います。主任の態度がです」

「いつだ?先方に甘すぎた態度を取っていたか?」

「だから、そうじゃなくって、桜川さんにですよ」


「いいじゃないですか。新婚なんてそんなもんですって。僕だってあの頃はラブラブで」

「野田さんには聞いていません」

 ズバッと塩谷はそう言って、また僕に、

「もっと上司として仕事中は、厳しく接したらどうですか」

と意見してきた。


「……う~~~ん、そうは言ってもなあ」

「なんで、そんなあやふやな態度になっちゃうんですか。主任、いつもはビシッとしているのに」

「仕事中に厳しく接して、桜川さんが傷ついたら、それを慰めるのも僕なんだよ。なんか、それって変じゃないか?」


「慰めなかったらいいじゃないですか」

「まさか。そんなわけにはいかないだろ?彼氏なんだから」

「彼氏だからって、慰めなきゃいけないことないですよ。そんな厳しくされたくらいで凹む桜川さんは弱いんです。だいたい、そんな弱い人と一緒に仕事したくないって、主任言っていましたよね?」


「一緒に仕事をするならね。でも、恋人なら別だろ」

「恋人?」

「…婚約者と言った方がいいのか?」

「婚約者?」


「まあまあ。桜川さんに甘かろうがなんだろうが、塩谷さんには関係のないことなんだから、いいじゃないですか」

 野田さんが止めに入った。でも、その言葉でさらに塩谷が怒り出した。

「関係あります。私は主任の仕事のパートナーですよ。仕事の邪魔をするような人、切り捨てたいくらいなんですから」


「塩谷、言い過ぎだ。桜川さんがいてくれるおかげで、僕は仕事を頑張れているところもあるんだからな」

「どこがですか。足手まといなだけですよ」

「塩谷。いい加減にしろよな。僕が選んだ人にそんなにケチをつけないでもいいだろ。野田さんが言うように、それこそ、塩谷には関係のないことだ」


「…でも」

「僕はいいと思いますよ、桜川さん。桜川さんといる時の主任、全然変わりますからね。表情も優しくなるし、桜川さんに癒されているんだろうなっていうのが、わかります」

「癒しって必要ですか?」


「うん。必要なんだよ、塩谷。そんなもの要らないって僕も思っていたけどね」

 そこに、先方の人たちがやってきた。すぐに席を立ち、僕らは彼らを出迎えた。


 接待は上々。ありがたいことに、そんなに酒が好きな人たちじゃなく、話に夢中になってくれた。話術でいったら、僕も野田さんも得意分野だし、仕事の説明は塩谷が的確に伝えていた。


 接待も終わり、塩谷に飲みに行こうと誘われたが、

「帰るよ。まだ仕事も残っているし」

と断った。野田さんも、奥さんが待っているからと早々に帰って行った。


「塩谷も結婚考えたらどうだ?」

「いいですよ」

「でも、家族ができるのもいいかもしれないぞ」

「面倒なだけです。それじゃ、お疲れ様でした」


 塩谷と駅で別れた。

 家に帰り、持ち帰った仕事をした。それが終わると風呂に入った。風呂から出てリビングに行くと、リビングは静まり返っていた。


 テレビもつけないでいると、本当に部屋は静かだ。この辺りは車も少ないし、隣近所の騒音もない。この静けさが心地よかったのに、最近はやけに寂しく感じる。


「早く一緒に住めたらな」

 独り言を言いながら、寝室に移動した。ドスン。ベッドに横たわる。ベッドもやけに大きく感じる。

「一人って、寒々しいよな」

 また独り言を言っていた。


 サイドテーブルに置いた携帯が振動した。あ、伊織さんだ。

>佑さん、お疲れ様でした。今日はミスばかりしてすみませんでした。

 気にしていたのかな。だったら、触れないでおいたほうがいいかもな。


>お疲れ様です。明日も朝、一緒に行きましょう。今夜は一人寝で寂しいですよ。

 そう返すと、5分くらい返事がなかった。

>私も寂しいです。今夜は真広と一緒にご飯食べました。


 やっと返事が来た。溝口さんと食べたってことは、お酒も飲んだのか?

>飲みましたか?二日酔い、大丈夫ですか?

>ビール1杯だけだから、大丈夫です。

>じゃあ、ちゃんとお布団に入って寝てくださいね。風邪、ひかないように。


>はい。おやすみなさい。

>おやすみなさい。伊織さん、早くに僕のマンションに来てください。でないと、かなり寂しいです。

 また少し間をおいて、

>はい。

と、それだけ返事が来た。


 寂しい寂しいを連発したな。呆れたかな。

 伊織さんはどう思っているんだろう。まだ、一緒に住む気はないのかな。


 翌朝、淡々と行く支度をしてマンションを出た。ホームでも電車をただ待ち、来た電車に乗り込むと、一気に僕の顔が緩んだ。

「おはようございます」

「おはようございます、伊織さん」


 会社までの道のりも、なんだか、足取りが軽くなる。

 だが、デスクに着くと、僕の顔はまた表情をなくす。今日は、仕事に集中しようと決めていた。そして、順調に、いや、いつもよりも仕事ははかどっていた。


「溝口さん」

「はい?」

「先ほどお願いした企画書、できていますか?」

「あ、もうちょっとです」


「あと5分で仕上げて下さい」

「あと5分?」

「できますよね」

「……はい」

 今、明らかにムスッとした顔をしたよな。


 溝口さんは相変わらずだ。仕事は出来ると思う。ただ、やる気に欠ける。だから、いろいろと仕事を任せ、やる気を出すようにしているんだけどな。


「あんなのの、どこがいいの?」

 今の、溝口さんだよな。小声で呟いたようだが、ちょうど課のみんなが電話もしていないので、聞こえてきた。

 溝口さんを見ると、何やらメモみたいなのを読んで、

「けっ」

と、そのメモをデスクの上に置き、伊織さんの方を見ている。


 おいおい。頼んだ仕事はどうしたんだ。そう思いつつ、静かに溝口さんの背後に行き、

「溝口さん、何をしているんですか?そんなことやっている暇ないですよね?」

と、デスクの上にあったメモを手にして読んでみた。


『かっこいいよ。クールに仕事をする佑さん、かっこいいじゃん!』


 これ、伊織さんが書いたのか………。ああ、さっきの、「あんなのの、どこがいいの?」の返事か。

 それにしても。伊織さん、何を仕事中に書いているんだか。危うくにやつくところだった。


 伊織さんをちらっと見ると、伊織さんは下を向いて真っ赤になっていた。

「桜川さんは暇ですか?」

「え、えっと。はい。比較的、今日は…」

 伊織さんは、ゆっくりと僕を見た。かなり顔が青ざめている。僕が怒っているとでも思っているんだろうか。


 怒れるわけがない。今でも、にやけそうなのを抑えているくらいだ。

「じゃあ、コーヒー入れてもらってもいいですか?」

「は、はいっ」

 伊織さんはコーヒーを入れに、すっ飛んで行った。


 僕はメモを手にしたまま、デスクに戻った。伊織さんはすぐにコーヒーを持って来てくれた。

「ありがとうございます」

 そう言って伊織さんの顔を見た。今も真っ赤だ。

「こういうのは仕事中に書かないように。困りますから」


 僕はそんな伊織さんが可愛いと思いつつ、そう言ってさっきのメモを返した。

「す、すみません」

「こういうこと書かれると、仕事出来なくなるんですよ」

 伊織さんが、固まった。


「集中力なくなるので、ほんと、やめてくださいね」

 そう言うと、ちょっと困惑しているような顔をした。

「すみません。溝口さんの仕事の邪魔をして」

「いいえ。僕のです」

「…は?」


「僕が集中力欠けるんです。また、塩谷に幸せボケしていると怒られますので」

 そう言って笑うと、伊織さんは真っ赤になってしまった。

「主任、仕事中にいちゃつかないで下さい」

 いつの間にか溝口さんが僕のデスクの横に来ていた。


 そして、

「頼まれてた企画書、できました」

とプリントアウトしたものをデスクの上にポンと置いた。


「5分以上かかりましたね」

 嫌味も込めてそう言うと、

「これでも、頑張ったんです」

と溝口さんは鼻を膨らました。


「お疲れ様です。じゃあ、今度はこれ、エクセルで表を作って下さい。今日中でいいですよ」

「え~~~~、まだあるんですか」

 ぶつぶつと言いながら、溝口さんはデスクに戻って行った。


「あの、私も何か暇なのでしますけど」

 伊織さんが、そう僕に静かに聞いてきた。

 う~~ん。じゃあ、僕の横でまったりしていてくれますか?それだけで、癒されます。なんてことを頼めるわけもなく。


「桜川さんは、次の締めの請求書の作成をお願いします」

「でも、それはまだ明日でも」

「今日しておけば、明日早くに帰れますよね?」

「はい。そうですけど」


「明日は僕も早めに仕事を終えますから、帰りにデートでもしましょう」

「デート?!」

 伊織さん、ものすごく驚いているな。

「はい。ですから、明日の分まで今日仕事を仕上げちゃって下さい」


 にこりと笑うと、伊織さんは赤くなりながらデスクに戻って行った。可愛い。


「ちっ。自分の彼女にだけ優しくしちゃって、エコヒイキだ」

 今の、溝口さんだよな。

「公私混同してる、信じらんない」

 今度は塩谷だな。


 ふん。なんとでも言え。エコヒイキだと言われても、小憎らしい溝口さんよりも、男勝りの塩谷よりも、伊織さんが可愛く見えるんだから、仕方ないだろ。

 って、そんなことを思っている自分に驚きだ。


 昼休憩は、課長に誘われ、近くの定食屋に行った。まさか、桜川さんのことで注意を受けるんだろうか。

「どうだい?色々と進んでいるかい?」

「は?」

「式の段取りとかだよ」


「まだまだです」

「仲人はどうするんだい?」

「まだわかりません」

「まあ、今は仲人もたてないで、式を挙げることも多いけどね」


「そうですね。結婚式もできたら、身内だけで…とも考えています」

「披露宴もかい?」

「そうですね。僕としてはあまり派手にしたくないですし。桜川さんの意見はまだ聞いていませんが」

「そろそろ決めて行った方がいいよね。籍はまだ入れていないんだっけ?」


「近いうちに入れたいんですが…」

「じゃあ、近いうちに一緒に住むのかな?」

「はい」

「僕はね、塩谷さんがあれこれうるさく言っているが、ちょうどいいと思うんだよ」


「ちょうど?」

「桜川さんの柔らかい雰囲気が、君の堅苦しい真面目さを和らげるからね」

 堅苦しいと思っていたわけか。

「課にずっと桜川さんがいてくれたらいいのにねえ。でも、結婚して同じ課にはいられないしねえ」


「そうですね」

「君らを見ていると、新婚時代を思い出すねえ」

 課長はそんなことを言い、遠い目をした。

 いったい、何のために飯を誘ったのかはわからなかったが、まあ、僕らの結婚を喜んでくれているのには間違いない。


 周りが祝福してくれるのはありがたいことだよな。


「桜川さんのご両親には、もう挨拶したのかな?」

「はい」

「君みたいな優秀な人なら、反対はされなかっただろう」

「ええ、まあ」


「君のご両親も賛成なんだろ?」

「まだ、報告していませんが」

「え?なんでまた?あんなにいい子なんだから、反対されないだろ?」

「そうですね。やっぱり、会わせた方がいいですよね」


「…なんで、会わせるのが嫌みたいな言い方をするんだい?」

「桜川さんに問題があるわけじゃなくて、親や姉に問題が…。桜川さん、会ったら大変な思いをするんじゃないかってそう思いまして」

「……いや、でも、いつかは会うわけだしねえ」


「そうですよね」

 これを機に、親父に会いに行ってもいいしな。とは、前々から思っていたことだ。だが、なかなか決意ができないでいる。


 午後、伊織さんは仕事に没頭していた。僕も、明日早くに仕事を終えられるよう、今日できることは全部片づけた。そして、6時を過ぎ、

「伊織ちゃん、明日フラワーアレンジだよね」

と、鴫野さんが聞きに来た。


「あ!そ、そうだね。金曜だね、明日」

 伊織さんはそう言って僕をちらっと見た。

「鴫野ちゃん、明日、伊織ちゃんは主任とデート」

「そうそう。だから、アレンジ教室はまたお休み」


「え、そうなの?」

 溝口さんと、深井さんにそう言われ、鴫野さんは僕を見た。

「すみません。先にデートの約束を入れました」

 そう僕が言うと、鴫野さんは慌てたように、

「いいんです。デート楽しんで下さい」

と言って、その場を去って行った。


 しん。と一瞬、部内が静かになり、そのあと、僕と伊織さんがみんなからの視線を浴びた。

「仲いいねえ」

 そんな声が聞こえてきて、また伊織さんは真っ赤になっていた


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ