第7話 家庭菜園 ~伊織編~
映画を観終わり、アレンジメントをすることになった。
「入れ物、どうしますか?花瓶があれば花瓶でもいいですし、コップやお皿でも代用できますけど」
「花瓶はないので、何か…食器でもいいですか?」
「はい」
私も食器棚を見させてもらい、
「あ、この大きさ、ちょうどいいかも」
という器を二つ出してもらった。
その中に、家から持ってきたサハラを入れた。
「ああ、これに花を挿していくんですね」
「はい」
主任、興味津々で見ている。
新聞紙をもらい、その上に花を並べた。
「私も作りますが、マネしないでもいいです。なんとなく、こうやるんだな~程度で、あとは自分のインスピレーションで作ってもらっていいですので」
「え?そんなもんでいいんですか?」
「はい。自分の好きなようにアレンジしてみてください」
「そうか。それは難しそうですね」
「そんなことないですよ。インスピレーションで大丈夫です」
そして、主任とダイニングの椅子に座った。隣のほうが教えやすいだろうと思い、すぐ隣に座ってみて、変に緊張した。
ドキ。なんだか、主任と二人きりっていうだけでも、胸がときめくのに、隣ってもっとドキドキしちゃうなあ。
でも、今は、アレンジメントの先生と生徒なわけだし、きちんとやらないとっ。美味しい昼食もごちそうしてもらったんだし。
「一応、桜川さんに教えてもらったハサミは用意しました」
「はい。じゃあ、まず、この一番大きな花、これをメインにするんですけど」
説明すると、主任は真剣にうんうんと頷き、そして、真剣なまなざしで茎をチョキンと切り、サハラに花を挿した。
そのあとも、ずうっと真剣な目で主任は花を挿していく。それが可愛いなあ。
ああ、今って、最高に幸せな時間かも!
アレンジメントは、1時間かかった。意外にも主任は、いろいろと悩みながら時間をかけて花を挿していた。
「やっぱり、難しいですね。桜川さんのアレンジみたいに、格好のいいものができませんでした」
「そんなことないです。主任のも素敵です。人それぞれの個性が出るから、楽しいんですよね」
「個性?」
「はい。これが正しいなんていうのがないので、好きに作ってもらって構わないんです」
「そうか。うん、そう聞くと自由でいいですね」
「主任、今日、楽しかったですか?」
改めて聞いてみた。今日で懲りたりしていないよね?
「楽しかったですよ。ものすごく集中できたし、こういう時間って大切ですよね」
「え?」
「何かに没頭する時間です。その時間は、仕事のこととか、他のいろんなこと考えないで済むし。ストレス解消になりますね」
「ストレス…。やっぱり、主任ともなるといろいろと大変なんですね」
そう言ってから、バカなことを言ったかもと後悔した。主任が本社に戻って、大変じゃないわけがないんだ。そりゃ、ストレスもたまっちゃうよね。
「そうですね。部下は時間に遅れてきたり、ミスも多かったり。大変ですよ」
「それって、もしや、私…のことですか?」
「くす」
あれ?笑った。とても優しい表情で。
「桜川さんは、きちんと仕事してくれていますよ。最初はミスも目立っていましたが、そのあと頑張ってくれているのがわかります」
「本当に?!」
わあ。嬉しい。ちゃんと認めてくれていたんだ!
「……桜川さんは、なんだか、小学生みたいですね」
「え?ど、どういうことですか?」
「褒められて無邪気に喜ぶなんて、まるで子供みたいだなあって」
か~~~~~~~~~~~。恥ずかしい。いい歳してみっともないって思われた?
「あ、すみません。たとえが悪かったかな。なんだか、純粋で素直なんだなって思ったんです」
主任はそう言いなおして、それから、スクッと椅子から立ち上がった。
「アレンジメント、本当に楽しかったです。…で、急がせて悪いんですが、バルコニーのプランター、あっちも教えてもらってもいいですか?」
「え?あ、家庭菜園の方ですね。はい、任せてください」
主任は、軍手を持ってきてくれた。それから、
「服、汚れるかもしれないので」
と、エプロンまで貸してくれた。
バルコニーに出た。時間は4時。少しだけお日様も傾き、気持ち涼しくなっていた。
「じゃあ、土をプランターに入れましょう」
そう言って、おもむろに土の入っている袋を持ち上げようとすると、
「僕がしますよ」
と主任が私の隣にしゃがみこんだ。
「大丈夫です。いつも家でもやっているし」
「でも、僕の方が力もあるし…。ここは、男に任せてもらっていいですよ」
「……。だけど、主任もずっとご飯作ったり、洗い物したりって、一人でしていましたけど」
「は?」
私の女子力がないから、任せられなかったってこと?
「あ、ああ。でも、やっぱりここは、任せてください」
主任にそう言われ、場所を交代した。そして、私は指示を出すだけになった。
なんだか、自分が無能のような気がしてきた。力仕事は男に任せてっていうことなんだろうけど、だったら、女に任せてっていうようなことまで、主任がしてしまったのは、いいんだろうか。それとも、強引に、
「女の私に任せて」
と言うべきだったんだろうか。
少し凹んでいると、
「土を入れました。次は種まきですか?」
と、土を入れ終えた主任が聞いてきた。
「あ、はい」
私は慌てて、家から持ってきた種をカバンから出してきた。
「ミニチンゲンサイと、小松菜?」
「はい。あまり難しくないので、これを育ててみましょう」
そう言うと主任は、
「はい」
と、目を輝かせた。
…嬉しそうだなあ。
そのあとも主任は、フラワーアレンジメントの時と同じような真剣な表情をしていた。額に汗をかき、会社で見せる顔とは違う顔。会社ではいつもクールで、あんまり表情を変えない。いつだって、とっつきにくい雰囲気を醸し出しているのに、今は、汗流しながら夢中で目の前のことをしている。
いいなあ、この顔、好きだなあ。クールな主任よりずっと好きかも。
「……はい?」
「え?」
「あ、なんか、言いましたか?」
「いえ、何も!」
びっくりした!!!好きって、私、思わず呟いちゃってないよね?
「すみません。夢中になっていたので、話しかけられても無視したかもしれないです」
「いえ。本当に何も言っていません。主任、夢中になってるなあって思っただけで…」
「すみません」
「いえ!いいんです」
ドキドキバクバク。心の中見透かされていないよね。でも、顔が赤いかもしれないから、ばれちゃうかも。
「暑いですね」
ドキ!
「そ、そうですね」
「種まきも終わったし、部屋に入って涼みましょうか。あ、冷たいお茶入れますね」
「はい」
主任と部屋に入り、軍手を取って手を洗った。主任は、顔まで洗っている。
「あ!お茶は私が入れます」
「いいですよ。僕が入れてきます」
「でも、それは女の私に任せてください!」
「は?」
し~~ん。主任が黙り込んだ。変なこと言ったかな?
「くす。いいんですよ。桜川さんは座っていてください。そうだ。甘いもの好きですか?」
「はい!好きです」
「じゃあ、お茶と一緒に持っていきます」
………。なんだか、すっかり何から何まで、主任にしてもらっている。
ああ!主任ってば、甘いものまで用意してくれていたんだ。
「水ようかんなんですが…」
そう言って主任は、冷たいお茶と一緒に水ようかんを持ってきた。
「けっこう美味しい和菓子屋の水ようかんなんです」
「水ようかん…」
意外だ。ケーキ…とか、ゼリー…とか、そういうものが出てくるのを想像していた。
「あ、嫌いでしたか?」
「いいえ!大好きです」
そう言ってから、顔から火が出たように熱くなった。私ったら、主任を大好きって言ったわけじゃないのに、なんだってこうも意識しちゃうんだろう。
「そうですか。それはよかった」
主任はくすっと笑いながら、お茶と水ようかんをテーブルに置き、椅子に腰かけた。
「いただきます」
小声で言ってから水ようかんを食べた。
「あ、美味しい」
思わずそう言うと、また主任がくすっと笑った。
きっとまた、子供みたいだって思ったんだろうな。
「すみません。いろいろと気を使ってもらって」
「え?」
「水ようかんまで用意してもらって」
「ああ。それは、僕が好きだから買っておいただけです」
「え?主任、甘いものお好きなんですか?」
「はい。甘党なんです。酒、飲めないし」
「そうなんですか?お酒似合うのに」
「は?」
「ワインとか、ウイスキーとか飲んでいそうです。あ、ビールとか、焼酎ってイメージはないかも」
そう言うと主任はしばらく黙り込み、
「そうですか?」
と首を傾げた。
「じゃあ、僕はいったいどんなふうに、桜川さんに映っているんですか?」
「え?どど、どんなふうって、それは」
好きです。
その言葉が頭に浮かび、慌てて消した。口から飛び出しそうになり、思いっきり慌ててしまった。
「あ、あんまりいい印象じゃないんですね。それもそうか。出会った時から印象悪いですもんね」
主任は下を向き、そう寂しげに言った。
「いえ。そんなことないです。主任、お洒落だし、服のセンスいいなって思ったし」
「え?いつですか?」
「映画館で見かけた時」
「……あ、そうなんですか」
主任の顔が真顔になった。まさか、引いた?
「あ、あの。会社では、クールだなって思います。だから、映画の話とかすると熱く語ったり、夢中になる主任とのギャップがあって、面白いなって」
「面白いですか?」
「いいえ。興味深いって言うか」
ダメだ。フォローになっていない。そういうギャップに惹かれて、なんて言えないもんだから、どう伝えていいか、うまい言葉が浮かばない。
「僕も桜川さんは、興味深いですよ」
え?ど、どういった意味で?
びっくりして主任を思わず凝視した。すると、主任は一瞬目を合わせたが、すっと視線を他に移した。
「映画の趣味も合うし、僕の興味を持っているものが、桜川さんの得意なものだから、いろいろと伝授してもらいたいって思うし」
あ、ああ。そうか。趣味が合うっていう意味か。
「そうですね。主任とは本当に気が合いますもんね」
「……」
あ、また主任、黙り込んだ。
気が合うわけじゃないのか…な?ただ、興味を持っている分野が同じってだけで、それは気が合うわけじゃないのかもしれないな。私、また変なことを言っちゃったのかも。
訂正をしようとしても、言葉が出てこない。「気は合いませんよね」なんて、嫌味な感じになるし。でも、気が合いますよね…なんていうのも、主任にとってはいい迷惑かも。
「そうですね」
主任が何秒たったかな。だいぶ時間を置いてからそう返事をした。
「不思議ですね」
そのあと、主任はそうぽつりと呟いた。
不思議…って?何が?
疑問符が頭に浮かんだ。でも、何がですか?とは聞けなかった。
お茶と水ようかんをいただいたあと、
「私、そろそろ…」
と椅子から立ち上がった。
「駅まで送ります」
主任は、すっとスマートに立ち上がり、そう言った。
「いえ!大丈夫です。いろいろと本当にご馳走様でした」
「買い物もあるので、駅まで行きますよ」
「あ、はい」
結局主任に、送ってもらうことになった。
主任は、こっちが断れないように、スマートに話を持って行ってしまう。もしかして、女性の扱いが上手なんだろうか。勝手に、お付き合いしている人がいなさそう…と思ってしまったけれど、ちゃんといるのかもしれない。だって、本当にすべてがスマートなんだもん。
送りますという言葉も、席を立つタイミングも絶妙だった。喉が乾けば、冷たいものを用意してくれて、ご飯の支度も手早くしていたし、その間も、私が暇にならないようにと配慮してくれたり。
もしや、よく女性が家に来る…とか。彼女がやってきて、手料理をいつも振舞ってあげていたり。だから、慣れていたんだったり?部屋だって、それで片付いていた…とか。もしくは、その彼女が掃除をしてあげていたり。
ダメだ~~~。いろんなことを考えて頭痛がしてきた。
「大丈夫ですか?」
「え?!」
気づくと、駅についていた。そして、主任が私の顔を心配そうにのぞきこんで見ていた。
「え?え?」
「なんだか、ずっと俯いて気分悪そうにしていたから。今日、無理させてしまいましたか?」
「いいえ。全然!すみません。考え事していたんです」
「……そうですか」
ああ!私ったら。主任と一緒に歩いていたのに、考え事していただなんて、気を悪くするよね。
「楽しかったです。それに、お料理も本当に美味しかったです」
必死にそう言うと、主任は表情も変えず、
「いいえ。こちらこそ」
と、言葉少なにそう言った。
あ、やっぱり、気を悪くしたんだ。どうしよう。
「あの、いろいろと、その…。気を使っていただきありがとうございます。私、何も本当にできなくて、すみませんでした。その、今、駅までの間、反省したって言うか」
「は?」
「女子力なくって、すみません。全部、主任にしてもらっちゃって」
「え?」
「女としてダメだなあって、改めて思いました。主任は、すごいなあって改めて思ったし」
「僕のどこが?」
「スマートなんですもん」
「は?」
「することがすべて。だから、すごいなあって」
「……。すみません。言ってる意味がよく…。僕のどこがスマートなんですか?」
「料理も手際いいし」
「ああ、それは、まあ。毎日作っていますから」
「でも、私に対しての配慮も…」
「配慮?」
「いろいろと、気遣ってくれて」
「そうですか?」
「もしかして、よくお客さんが来るんですか?」
「う~~ん、客って言うより、友人が。まったく気を使わないで済むような男友達ですけど」
「男友達?」
「はい。我が家のように寛ぐ、図々しい男が…。桜川さんも、うちではそんなに気を使わないでもいいですよ。自分の家のように寛いでくれても」
「そういうわけには…」
「いいんですけど。別に…」
……。それって、社交辞令?だよね。まさか、本気でそう言ってないよね。
あ、でも…。男友達なんだ。女の人じゃなくて。良かった。
ほっとした。そうしたら、一気に気持ちが軽くなった。あ、私ったら、一番気になっていたのはそこか。
「桜川さん、今日は僕の方こそありがとうございました。アレンジだの、家庭菜園だの、いろいろと教えてもらって」
「いえ!そんなことだったら、いつでも呼んでください。それくらいしか、私、できないから」
「はは。それくらいって、どれだけ謙遜しているんですか。十分すごいことですよ?」
「い、いえいえ。主任に比べたら、まったく何もできませんから。女子力ほんと、ゼロですし」
「……」
主任が首を傾げた。
「あの、ご馳走様でした。送ってもらってありがとうございました。それでは失礼します」
私は主任に頭を下げ、それから改札口を抜けた。主任は、
「気を付けて」
と、そう言葉をかけてくれた。
「はい」
と振り返ると、主任は笑うことなく、ただ改札口の向こうで立っていた。
…最後に、笑顔が見たかったな。そう思いながら、私は寂しく前を向き、プラットホームに向かって歩き出した。