第65話 変化 ~伊織編~
その日は一人寂しくアパートに帰った。
「はあ」
コンビニのお弁当を食べながら、無意識にため息が出る。
「寂しい」
ぼそっと無意識に呟いている。
トントン!
「伊織ちゃん」
あれ?この声、東佐野さんだ。
ガチャリとドアを開け、
「なんでいるんですか?舞台は?」
と、髪ボサボサの、よれたスエット姿の東佐野さんに聞いた。
「うん。中休み。東京公演がすぐに始まるから、千秋楽は見に来てよ」
「あ、はい」
「で…。今日はいないの?主任」
「はい。いませんけど?」
なんでそんなこと聞くのかな。
「そっか~~~。泊まったのは昨日だけなわけだ」
「えっ?!何でそれ…」
知ってるの?まさか声が聞こえちゃったとか?
「ああ、残念だなあ。伊織ちゃんが行き遅れたら、もらってあげる予定だったのに、魚住と結婚しちゃうなんてなあ」
「え?何でそれも知ってるんですか?」
「やっぱ、結婚するんだ」
カマかけたとか?
「い、一応、結婚前提でお付き合いはしています」
「おめでとう。で、式はいつ?」
「まだ決まっていないです」
「ふうん」
東佐野さんはにやにや笑って、
「幸せそうだね、伊織ちゃん。よかったね」
と、そう言ってくれた。
「あ、ありがとう」
「あの堅物を落としたなんて、すごいよね。結婚後も大変かもしれないけどさ、まあ、なんかあったら相談のるよ」
「はい」
「でも、あいつの場合、浮気とかの心配はなさそうだよな」
「あ!」
「何?浮気されたの?」
「違います。ただ、昨日、会社に元カノが来て」
「喜久美ちゃん?」
「……はい」
「会社に?」
「ビルの前に…」
「まじで?離婚したって言うのは、聞いたことがあったけど…。なんで今さら…」
東佐野さんは、首を傾げた。でもすぐに、
「あ、心配いらないよ。魚住はもう、なんとも思っていないから。すっかり気持ちも冷めちゃって、そんで別れたからさ」
と、私を見て安心させるようにそう言った。
「……」
「あ、なるほど。元カノの出現に焦っちゃって、あげちゃったわけだ」
「え?」
「ふうん」
また、東佐野さんはにんまりと笑った。あげちゃったって?
「え?あ!」
うわ~~~~。そういうことか。
「ななな、なんで昨日佑さんが泊まったこと知っているんですか?」
「えへ。それは言えない」
東佐野さんは、舌をペロッと出してそう言った。うわ。可愛くない。もさもさ頭のむさくるしい東佐野さんに、その仕草は気持ち悪いだけだ。
でも、何?なんで知ってるの?すっごく気になる。
「酒飲みに来る?ビールも缶チューハイもあるよ」
「明日仕事だし、飲みません」
「真面目になっちゃったねえ。あいつの影響?」
「…二日酔いとか、仕事に支障きたすから」
「やっぱ、魚住の影響なんだ!ははは」
笑うところ?
「そんじゃ、お幸せに」
「…はい。あ、舞台、見に行きますから、頑張ってください」
「うん。じゃあね!」
東佐野さんは、部屋に戻って行った。
喜久美さんのことは、気にするのをやめよう。だって、佑さんはあんなにも優しかったんだもの。
あ、昨日のこと思い出しちゃった。
「は~~~~」
さっきとは、別のため息が出た。
そして、一気に佑さんが恋しくなった。
翌朝も、化粧もばっちりにして、家を出た。コロンをつけるのはやめておいた。
電車で佑さんに会って、また一緒に会社に行った。が、エレベーターホールで、なんと今宮さんに声をかけられてしまった。
「おはようございます」
「おはよう」
今宮さんに佑さんは、クールに答えると、
「お二人揃って出勤なんですね」
と、突然、今宮さんは暗い顔をして言ってきた。
「……ああ、桜川さんとっていうことですか?」
「そうです」
あ、なんか、睨まれたかも。
「そうですね。まだ一緒には暮らしていませんが、そのうち一緒に暮らすと思いますし」
え?うそ。そんなこと言っちゃうの?
「そうなんですか?」
ほら、今宮さん、顔が引きつってる。
「籍も近々入れるつもりです」
「…やっぱり、本当なんだ…」
思い切りショックを受けたように青ざめ、今宮さんは黙り込んだ。佑さんも黙っている。
私もどうしていいかわからず、黙っていた。
エレベーターから降りると、今宮さんはダッシュでトイレに行ってしまった。まさか、泣くとか?
「聞いた?今の」
「聞いた~~」
一緒のエレベーターに乗っていた他の女子社員がそう言いながら、ロッカールームに速足で歩いて行った。
「佑さん、じゃなくって主任」
「はい」
「なんか、一気に広がるような気が」
「僕と伊織さんの噂ですか?」
「はい」
「いいんですよ。本当のことですし」
にっこりと佑さんは笑った。ぼわん。その笑顔に、顔が火照った。ああ、今日の佑さんも、素敵だ。
「じゃあ、伊織さん、席には早くに着いて下さいね」
「はい」
颯爽と歩く佑さんを、しばらくぼおっと眺めてからロッカールームに行くと、
「桜川さん、魚住さんと結婚するの?」
と、ロッカールームにいた女子社員に捕まってしまった。
「は、はい」
「うそ~~~。私、狙っていたのに」
「なんで、あんな小うるさい人と結婚するの?」
同時に二人の人からそう言われた。一人は経理の人、一人は営業部の女性社員だ。同じ会社でも、部署によって佑さんのイメージは変わるらしい。
「小うるさい?」
「狙ってた?あの主任を?」
その二人が顔を見合わせ、また同時にそう発した。
「近くで見ていないから知らないでしょ。うるさいんだから。ちょっと話しているだけでも注意してくるし。自分の部下でもない私たちに注意するんだよ?」
「でも、かっこいいし、出世間違いなしのエリートだし」
「性格が最悪なんだって」
ああ、またあんなことを言われている。
「それ、一番桜川さんは知っていると思う。だって、同じ課でしょ。部下なんでしょ」
「はい」
「それなのに、なんであんな人と?」
酷い言われようだな。
「主任、優しいです。ただ、仕事熱心なだけで」
「え~~~~~~~」
あ、思い切り顔をしかめた。
「そうなんだ。性格悪いんだ。だったら、私もパスだわ」
さっき、狙っていると言った人までそんなことを言い出した。
その後も、何人かの人に、「結婚するの?」と聞かれた。ショックを受けたり、なんであんな主任と?と言われたり、反応は様々だった。
佑さんにも、男性社員が「結婚するんだってね」と声をかけていた。佑さんは冷静に、「はい」と頷いていた。おめでとうの言葉には、ありがとうございますと丁寧に答えている。
はあ。それにしても、仕事をしている時の佑さんもかっこいい。PCを打っている時も、電話をしている時も、全部が素敵だ。私と二人でいる時のように笑いもしなければ、優しい表情にもならないけど、クールで真剣なまなざしもかっこいいんだよね。
ほわわんと見つめていると、バチッと目が合ってしまった。あわわ。仕事、仕事。
慌ててPCを見て仕事をした。
でも、しばらくすると、佑さんが席を立ち、何やら塩谷さんの席まで来て指示をしだした。その声が気になり、集中力が欠けた。
ちらっと横目で見ると、佑さんが座っている塩谷さんに顔を近づけ、PCの操作のことで指示をしていた。ああ、顔、近いよ。ダメだよ、そんなに顔を近づけちゃ。
って、いけない、いけない、仕事だよ、仕事。
でも、また気になって、ちらっと横を見た。佑さんは腰に手を当て、何やら考えているようだ。
ああ、Yシャツ姿も素敵だ。佑さんって、線は細く見えるけど、肩幅、けっこうあるかもしれない。
うん。だって、抱きしめて来た時に、すっぽり私の肩が入っちゃったもん。意外と筋肉もあるし、ぜい肉はないし、指先まで綺麗だった。
ドキン。やばい。また、思い出しちゃった。
999999。 PCの画面を見ると、9がずらっと並んでいた。やばい。見惚れて9を押し続けていたようだ。慌てて消した。と思ったら、\\\\\と円のマークが今度は並んだ。
「あわわ」
慌ててそれも消した。ダメだ。しっかりしないと。
さっきから、佑さんを意識しすぎだ。昨日は、朝から出張でいなかったから、ただ寂しがっていたけれど、いたらいたで、意識しまくっちゃうよ。困った。
なんとか、請求書を作り、ハンコをもらいに佑さんのデスクに行った。近寄るのもドキドキする。
「あの、ハンコお願いします」
「はい。そこに置いておいて下さい」
佑さんはこっちも見ずにそう言った。
なんか、寂しいな。素っ気ない態度取らないんじゃなかったっけ。
って、いけない。きっと忙しかったんだよ。ずっとPCの画面見ているし。
とはいえ、何となくさびしい気持ちで、またPCに入力していると、
「桜川さん」
という佑さんの声が聞こえた。
「はいいっ」
慌てて席を立ち、すっ飛んで行くと、
「数字、一桁間違っていますよ。ものすごい額の請求になっています」
と佑さんにクールに言われてしまった。
やばい~~~~。やってしまった!
「すみません。すぐに直します」
「慌てないでいいですよ。桜川さん、慌てるともっとミスをするから」
グサ。
「はい。すみません。気を付けます」
お、落ち込んだ。
「ちょっと!しっかりしてよね。色ボケしているんじゃないの?」
え?
なんでそんなことを塩谷さんに言われなくちゃならないの。そう思いつつ塩谷さんの方を見ると、
「塩谷はいいんだよ。黙ってろ」
と、佑さんがバシッとそう言ってくれた。
「でも、ミスされると迷惑なんですよね。主任ももっとビシッと怒ってくださいよ!」
「………。そうは言われてもなあ」
ぼそっと佑さんが、頭を掻きながら呟いた。
「え?なんて言ったんですか、主任」
塩谷さんがそんな佑さんに、大声で聞き返すと、
「なんでもない」
と、佑さんは冷静に塩谷さんに答えた。
「主任、もっとバシッとみんなに注意しているじゃないですか。特に、仕事中にぼけっとしたりして、公私混同していてケジメの無い人は嫌いでしょ」
また塩谷さんが、そうきつい口調で言った。
「……」
あ、佑さん、うるさいなって顔をした。
「まあ、まあ、塩谷さん、そんなに怒らないでも」
そう南部課長が言うと、
「南部課長も注意してくださいよ。結婚するからなのかしんないけど、幸せボケしているのか、全然集中力ないみたいだし。もっとちゃんと仕事してくれないと、ほんと、困るんですけど」
と、塩谷さんは課長にまでそんなことを言い出した。
「いやいや、塩谷さんに迷惑はかけていないわけだし」
「かかっていますよ。課、全体が生ぬるい空気になっているのわからないんですか?」
「塩谷!わかった。僕が悪かった」
え?佑さんがなんで塩谷さんに謝るの?注意しないから?っていうか、もう注意されたけど。
「幸せボケしてすまないな。確かに、集中力がかけていた。さっきも、操作ミスしてしまったし、今後は気を付ける」
え?
「私、別に主任のことを言ったわけじゃ」
「あ、違うのか?」
佑さんが、頭をまたボリっと掻きながらそう言うと、塩谷さんは目を点にした。
「桜川さんのことですけど」
塩谷さんは若干、呆れているようだ。
「ああ、桜川さんのことか…。そうだな」
佑さんはぼそっと呟き、私の方を見て、
「今後気を付けて下さい。でも、あまり強く言えないですよね。半分は僕の責任ですから」
と、わけのわからないことを言い出した。
「え?はい?えっと」
半分はって?
「ははは。桜川さんが幸せ真っ只中なのは、まあ、主任が原因なわけだもんなあ。いやあ、仲がいいねえ」
南部課長が大笑いをした。他の課のみんなも笑うと、塩谷さんはますます怒り、
「だからっ。そんなだから困るって言うんです」
と、頭から湯気を出した。
「いいじゃないか。カリカリしないでもっと余裕持って仕事をしてくれよ。なあ?魚住君」
「……。すみません」
南部課長の言葉に佑さんは頭を下げた。
結局、私がミスをしたから、佑さんまで頭下げているんだよね。申し訳ない。私も頭を下げ、シュンとしていると、
「塩谷、悪いな。桜川さんのミス、僕もフォローするから、あまり責めないでくれよな」
と、また塩谷さんに謝った。
なんで、主任が謝るの?と、小声でぶつくさ言いながら塩谷さんは仕事を再開した。
「たす…、主任。あの」
「伊織さん、僕も気を引き締めますので、会社では仕事に集中しましょうか」
「え、はい」
あれ?伊織さんって言った?それも、なんだか、顔が優しい。
ドキドキ。やっぱり、佑さん、変わってきている。素っ気ない態度で寂しいって思ったけど、そうじゃないみたいだ。
席に着いた。
「びっくり。なんか、主任変わったね」
真広が小声でそう言った。北畠さんは、
「いいわねえ」
と、羨ましがっていた。
塩谷さんはまだ、納得いかないと言う顔をしている。
そして、昼休憩に入ると、ロッカールームで他の課の女性社員が寄ってっ来て、
「どうしちゃったの。なんか、魚住主任が塩谷さんに怒られてたけど」
「それに、伊織ちゃんのこと伊織さんって呼んでた」
「それも、優しい声だった」
「顔も優しかったよ」
そう言ったのは真広だ。
「やっぱり、ラブラブなんだ~~」
真広はそう言って、私のことをつっついてきた。
「ラブラブって、やめて、真広」
どんな顔をしていいかわかんないよ。私はただただ、真っ赤になって俯いていた。




