第59話 反応 ~伊織編~
みんなで応接室に入った。ドキドキする。みんないったい、どんな反応をするんだろうか。
「今回の社員旅行で、魚住君と桜川さんの妙な噂が流れたらしいが…」
ギク。そっちの話?
「桜川さんの具合が悪くなったので、魚住君がそれを介抱するために付き添っていた…というだけのことだから、みんな誤解のないように」
良かった。ちゃんと課長が話してくれた。
「それと、もう一つ報告があってね。これは本人の口からの方がいいかな。魚住君から、みんなに報告してくれるかい?」
「あ、はい」
ビクッ!今度はまさか、まさか…。
「実は…、まだ、日程などははっきりとしていないのですが。近いうちに籍を入れようと思いまして」
佑さんがものすごく淡々と、みんなにそう話し出した。
「早くに皆さんには報告したほうがいいと思いましたので、集まってもらいました」
「籍?!!!」
「籍って?入籍するってことですか?結婚ってこと!?」
北畠さんと塩谷さんが、思い切り驚いている。他の人はポカンと口を開けている。
ドキドキ。でも、まだ、私と結婚するんだってわかっていないよね。
「来年春には、桜川さんも結婚退職をしますし、そのあと式も挙げる予定です。日程が決まったら、皆さんにも招待状を送る予定ですが」
「桜川さんと結婚するってこと?!え?いきなり、なんで?」
うわあ。とうとう言っちゃった。ほら、みんなびっくりしている。
「部屋に連れ込んだと思ったら、即結婚?!」
「何、その急展開」
「違いますっ。そういうわけじゃっ」
とんでもない誤解だ!
「まあ、まあ。みんな、誤解をしているんだよ。桜川さんと魚住君はもともと結婚を前提にお付き合いをしていて、それはもう僕や部長にも報告をしてくれていたんだ。結婚退職することもすでに人事には通してある」
「え、じゃあ…。付き合っているから部屋に連れ込んだ…」
「連れ込んだわけじゃなく、具合が悪くなっていたから、彼氏である魚住君が介抱をしていた…というわけだ」
「ああ、そういうことですか」
よかった。また課長が助け舟を出してくれた。すぐに野田さんも納得してくれたし。
「それはおめでとうございます。桜川さんの想いが通じて本当に良かったですよ」
え、私の想い?
「本当だな。みんなで、どうなることかとヒヤヒヤしていたんだ。しかし、てっきり桜川さんの片想いなだけかと思っていたら、お付き合いしていたんですね」
「魚住主任はクールだし、まったくわからなかったですよ」
やっぱりみんな、私の単なる片想いだって思っていたんだ。
「入籍したら、魚住君、改めて報告してくれ。みんなでお祝いもしたいしね」
「桜川さん、よかったねえ」
「思いが通じてよかった、よかった。みんなで応援していたんだよ」
ひゃあ。どうしよう。とりあえずお礼!
「ありがとうございます」
緊張で声が震えた。恥ずかしい。
「だけど、主任と結婚は大変そうだなあ。桜川さん、頑張ってね」
「…は?」
大変?
「桜川さんなら大丈夫だろう。健気そうだしね」
「…えっと?」
どういう意味?
私が不思議がっている間に、みんなは部屋を出て行き、
「良かったね、伊織」
と真広は私の手を取りそう言ってくれた。
「うん」
「ふん」
うわ。今、思い切り塩谷さん、私を睨んでた。そのまま、応接室を出て行ったけど。あ、北畠さんはぶつぶつ言いながら青ざめている。相当、ショックだったのかも。
それもそうだよね。大好きな主任が結婚しちゃうって言うし、その相手がこの私だもん。もっと、佑さんに釣り合っている素敵な女性なら、北畠さんだって納得するんだろうけど。
う…。そう思ったら、いきなり不安が。
私、絶対に佑さんに釣り合っていないよね。
「伊織さん、すみません。何も相談することもできず、いきなりこういうことになってしまって」
「いえ」
「課長も多分、早くになんとかしたかったと思います」
「え?」
「噂のことです。変な噂が立って、僕の立場も悪くなっては困ると早めに対処してくれたんだと思いますよ」
「あ、そうですよね」
「…こんな形で、みんなに報告するようになったことも、早くに入籍しなくてはならなくなったことも、申し訳ないです」
「え?」
それって、佑さんの本心は違うってこと?早く入籍したくなんかないってこと?
「僕としては、早くに入籍したかったし、一緒に住みたかったので良かったんですが。伊織さんは…、よかったですか?」
ああ、良かった。ほっとした。佑さん、ちゃんと早くに入籍したいって言ってくれた。それが本心なんだよね?
「はい。私は全然…。佑さんの仕事に影響が出ないのであれば、全然…」
「僕はいいんです。逆に入籍してしまえば、もっと堂々としていられるし、これでよかったと思っていますが」
「ほ、本当に?」
「はい。仕事になんの影響も出ないと思いますよ?」
「だったら、いいんです。私も隠しているのもなんか、寂しかったって言うか、なんて言うか…、その…」
「え?寂しかったんですか?」
「あ、はい。ちょっと、堂々と付き合っている真広が羨ましかったこともあって」
やばいかな。こんなことばらしちゃって。そんなことで寂しがったりして、バカだって思われるかな。
「そういうことは、ちゃんと言ってください。まったくわかりませんでしたよ」
え、怒った?
「すみません」
怒られるとは思わなかった。どうしよう。
俯いて困っていると、佑さんがそっと近づき、私のことを抱きしめてきた。
わあ。
まさか、応接室で、こんな接近してくるとは!どど、どうしよう。
「僕は、伊織さんが寂しがっているのにも、なかなか気づけないので、本当に言ってください。寂しい思いをなるべくさせないようにしますから」
「は、はい」
ひゃあ。くすぐったい。すごく優しい声で言われてしまった。
「もう隠さないでいいわけですから、そっけない態度も取らないですよ」
「え?はい」
「まあ、仕事中は桜川さんと呼ぶとは思いますが」
「はい」
「ただ…」
「……はい?」
ただ、何?何で黙ったの?気になる。顔をあげ、佑さんの顔を見ると、佑さんは突然、チュッと私にキスをしてきた。
「え?」
うわあ。キスまでしてきた!!!
「くす」
「……え、えっと。ただ…、なんですか?」
照れる。どうしていいかわからず、慌ててそう聞いた。
「なんでもないです。ただ、態度が変わっても、驚かないようにしてくださいと言いたかっただけです」
「……はあ」
態度が、変わる?
「え、まさか、こういうことを会社でしょっちゅうするわけじゃ」
だとしたら、どうしよう。
「ああ、応接室で抱き合ったり、キスをしたりですか?」
「ははは、はい」
「しませんよ。誰かに見られたりしたくないですし。まあ、見られたとしても、夫婦になっちゃえば、文句を言うやつもいないとは思いますけどね」
「え、しませんよね?」
「……。多分。今みたいなシチュエーションにならない限りは…」
どういうこと?今みたいなシチュエーションって?え?え?
「くす」
あ、また笑ってる。もしや、からかわれてるの?
ひゃ~~~。こういうの、佑さんのマンションでならあるけど、会社ではなかった。まさか、これからは、会社でもこういう佑さんになるってこと?!
どうしよう。私、心臓持つかな。仕事なんかできなくなっちゃうんじゃないのかな。
「伊織さんは残業ありますか?」
「え?あ、はい。納品書を送るところが数社あって…」
「それだけですか?じゃあ、1時間もかからないですね」
「はい。多分、30分くらいかと」
「じゃあ僕も、30分だけ残業して家に持ち帰りますよ」
「え?そんな悪いです」
「夕飯食べながら、今後のことを決めたいんです」
「今後…」
「入籍の日とか、式の日取りとか」
「あ、は、はい」
ドキドキ。
「早くに決めないと、部長や課長にまた言われそうですからね」
「そそそ、そうですよねっ」
二人で2課に戻ると、みんなが一斉に私たちを見た。北畠さんと真広はすでにいなかった。
「塩谷、□△電気の資料、見せてくれるか」
「はい」
「野田さんは、○△物産に送る価格表、至急作ってください」
「はい。あと15分もあればできますよ」
「福島さん、今日行った××電工、報告書は出来上がっていますか?」
「はい、出来ています」
「じゃあ、ファイルを送信して下さい。家で目を通します」
「わかりました」
佑さんはデスクに着くと、ものすごくクールな顔つきになり、仕事モードに切り替わった。そして、淡々と仕事をこなしていっている。
なんだってこうも、佑さんって切り替えがすごいのかな。私なんてまだ引きずっちゃって、顔が熱いのもおさまらないし、仕事に集中もできないっていうのに。
ああ、情けない。
テキパキと佑さんは仕事をこなし、30分すると、
「桜川さん、終わりましたか?」
と、突然聞いてきた。
「ははは、はいっ。あと1件で終わりますっ」
「わかりました。僕もあと5分で終わらせます」
「一緒に帰るんですか?いいですねえ」
野田さんがそう言うと、佑さんは、
「野田さんももう帰っていいですよ。奥さんが待っていますよね?」
と、そうクールに返した。
「いやあ。子供と先に飯食っちゃうんですよ。風呂にだって先に入っちゃって、僕が帰っても、子供を寝かしつけているから、うるさがられるんです。帰るなら、寝かしつける前か後にしろって。ちょうど寝かかった時に帰ると、パパが帰ってきたって子供が起きちゃうんで。そのあと、また寝かしつけるのが大変なんだって怒られるんですよね」
「なるほど」
「子供が生まれるまでは、僕の帰りをちゃんと待っててくれたんですけどね」
そう野田さんは、苦笑いをしながら言った。
「夕飯食べさせるのも、風呂に入れるのも、全部奥さん一人でしているってことですよね。そりゃ、大変ですね。たまには早くに帰って、風呂入れてあげたらいいんじゃないですか?」
「休みの日は入れてますよ。でも、仕事から帰って風呂に入れるのは、正直疲れますからね。風呂ぐらい一人でゆっくりと入りたいですよ」
「そういうものですか」
「主任だって、疲れて家に帰ったらなんにもしたくないでしょう。その辺で夕飯済ませるか、弁当でも買って帰っているんじゃないんですか?結婚したら、桜川さんに作ってもらえるから良かったですね」
「僕は自炊していますよ。料理が趣味なんですって、前にも言わなかったですっけ?」
「疲れて家に帰ってから、わざわざ作るんですか?」
「はい」
「……」
一瞬、課のみんなが同時に動きを止め、佑さんを見た。
「桜川さん、終わりましたか?」
「え?はい」
「じゃあ、帰りますよ?」
「はいっ」
元気に返事をして、私はPCの電源を切った。みんなはまた、私を一斉に見て、
「お疲れ様」
と、にこやかにそう言ってくれた。
「はい、お先に失礼します」
佑さんと2課をあとにすると、後ろから、
「やっぱ、桜川さん、面白いよな」
「主任に尽くしそうだよな。いや、すでに尽くしているのか」
「主任一筋、他の男なんか興味なしって感じだよな」
というとんでもない声が聞こえてきた。
面白い?尽くしている?一筋?
「健気だよな。あの健気さに主任も折れたのかもな」
「まあ、あれだけ好きだオーラを毎日出されていたら、折れるかもなあ」
え?え?え?
私って、そんなに佑さんに、好き好きオーラ出していたってこと?!
そうか。そう見えるのか。それ、佑さんにもわかっているよね。もしや、迷惑だったのかな。うざいって思われていたり。だから、いつもクールで、そっけなかったのかな。
って、違うよ。もう、隠さないんだから、そっけなくしないって言われたばっかりじゃない。
急いでロッカーからカバンと上着を取り出し、エレベーターホールに直行した。佑さんはすでに、エレベーターの前にいた。
そして私を見ると、にっこりといつもの笑顔を見せてくれた。
ああ、一気に緊張がほぐれた。
「何が食べたいですか?伊織さん」
「え?なんでもいいです」
「う~~ん。じゃあ、あまり時間もないので、生姜焼きにでもしますか」
「はい」
「あと、カボチャの煮物を昨日作っておきました」
「わあ、私、カボチャ好きです」
「それはよかった。あとは味噌汁と、サラダと…。サラダは何サラダにするかな。う~~ん…」
結局、今日も佑さんがご飯を作ってくれるんだよね…。
少しだけ申し訳ない気持ちになる。だけど、嬉しそうにメニューを考えている佑さんを見ると、本当に佑さんは料理が好きなのかも…と思えてきて、作ってくれたお料理を美味しく食べるのが私の役目なのかも…なんて思ってしまう。




