第6話 二人でご飯 ~伊織編~
なんで、主任が?
私がびっくりしていると、主任はフラワーアレンジに興味があることを話しだした。
そうなんだ。驚きだ。男の人がフラワーアレンジに興味があるからではなく、主任がフラワーアレンジに興味があるからびっくりした。
それに、観葉植物を見にうちに来ますか?なんて、聞いてきた。
主任の家に!?え?行っていいの?
「………じゃ、じゃあ、その…。お野菜でも手土産に持っていきます」
「野菜?」
「ベランダで育てているんです」
「え?!本当ですか?!」
何で主任、そんなに驚いているんだろう。野菜を育てるのって、そんなに驚くことかな。
「すみません。僕も実は、バルコニーが広いので、プランター置いて野菜を育てようかと考えていたので」
「そうなんですか?!だったら、手伝いましょうか?」
「え?野菜作りをですか?」
「はい。私の父が家庭菜園が好きで、私もよく手伝っていたんです。だから、わりと得意です」
「ぜひ!お願いします!」
……。主任、目が輝いている。そんなに野菜、育てたかったんだ。
「なんか、魚住主任とは、気が合うって言うか、好きなものや興味あるものが同じで嬉しいです」
「僕もです。桜川さんとは、いろいろと話が合いそうだ」
主任もそう思ってくれたの?
主任とアドレスも交換してしまった。主任に言われるがまま、主任の家でアレンジメントを教えることも、承諾してしまった。いいんだろうか。男の人の一人暮らしだよね…。
つい、浮かれていたから、OKしてしまったけれど、家に帰ってから本当に良かったのか悩んでしまった。あ…。でも、もしや、一人暮らし…じゃないとか?同棲している彼女がいて、一緒にアレンジメントを教えることになったり、あ、妹さんと暮らしていたりとか…。お姉さんがいたりとか。弟さんがいたりとか。
……。もし、一人暮らしだったとしたら、ほいほいと部屋に行ったりしていいのだろうか。
でも、あの主任が、セクハラなんてするとも思えないし。いや。万が一、迫られても、私、受け入れそうだ。
…なんて、何を考えているの!?私ったら!!!ないない、そんなこと。万が一でもない。美晴だったらそういうことがあるかもしれないけど。
いや、美晴だったら、チャンスと思って逆に迫るかもしれない。それか、お料理でも作って、女子力をアピールするとか。
あ、でも、主任はお料理自分でしたいんだろうし。だいたい、女子力アピールしたくたって、私には無理だ。
そんなことを考えているうちに、頭が痛くなり、シャワー浴びてビール飲んでさっさと寝ることにした。そして、なるべくそのことは考えないようにしている間に、主任の家を訪問する日がやってきてしまった。
何を着よう。
…。うん。土いじりもするんだから、汚れてもいいような格好だよね。Tシャツとジーンズにするか。
だけど、それじゃあまりにも…。いや、変に洒落っ気づいて行ったりしても、ドン引きされるかもしれないしなあ。
結局、無難にお出かけ用として買って、まだ袖も通していない少し洒落たTシャツと、ジーンズをロールアップして、パンプスを履いた。まあ、家に上がれば靴は脱いじゃうんだけどね。
そして、ベランダで収穫した野菜を袋に入れ、(さすがにスーパーの袋はなんだから、紙袋なんぞに入れてみた)駅前の花屋で、今日のアレンジ用の花を買い、隣駅に向かった。
駅に着くと、改札口を出たところで主任が待っていた。
うわ。やっぱり、主任の私服はセンスがいい。シャツの色、インナーのTシャツとのバランス、パンツの色や形、それに靴。時計からパンツの後ろのポケットからのぞいている長財布まで、私の好みピッタリだ。
「荷物、多くなっちゃいましたね。その袋は野菜ですか?」
「はい。今朝とりたての」
「持ちますよ。重かったですよね?」
「いいえ。大丈夫です。私、力持ちだし」
「持ちますよ」
断ったのに、主任はそう言って紙袋を持ってくれた。
「ありがとうございます」
「いいえ。こちらこそ」
「え?」
「こんなに重いものをわざわざ持ってきてもらってすみません」
「いいえ。私が勝手に持って来ただけだから」
首を振りながら必死にそう言うと、主任はくすっと笑った。
「お昼、まだですよね?」
「え?はい」
待ち合わせの時間は11時。お昼ご飯はどうするのかな…とちょっと思うような時間。
「この野菜で何か作ります」
「え?主任の手料理?」
「はい。アレンジメントを教わるんですから、そのくらいはお礼にさせてください」
「そんなっ。お気遣いなく…」
「大丈夫ですよ。料理には自信がありますから」
そう言って主任はにこりと微笑んだ。
ああ、私、主任の料理が心配だったわけじゃなくって、本当に申し訳なく思ったんだけどな。でも、本音を言うと、主任の手料理食べてみたい。
だけど、もっと本音を言うと、きっと自分が作る料理と比べて落ち込むんだろうなあ、その後ずっしりと。
駅から数分歩くと、主任の住んでいるマンションに着いた。駅から近いまだ新しそうな大きなマンションだ。ガラスの大きな扉を開け、鍵を差し込むと自動ドアが開いた。そして、
「どうぞ」
と主任は言って、私を先に通してくれた。
大きなエントランスを抜け、エレベーターホールに向かう。エレベーターに乗り込むと、主任は8階を押した。ボタンは10階まであった。最上階ではないようだ。
「大きなバルコニーがあるんですか?」
「はい。角部屋で、日当たりもよくて、野菜を育てるのにいいだろうなって思っていたんですよ」
そんな話をしているうちに、エレベーターは8階に着いた。
「こっちです」
主任が先に歩き、てくてくと後をついていくと、エレベーターホールからだいぶ離れた一番奥の扉の前で主任は立ち止まった。そして、ポケットから鍵を出し、
「どうぞ」
と、またドアを開いて私を先に通してくれた。
ドキン。いいのかな。ここまで来てためらってもしょうがないよね。
ええい。入ってしまえ!
緊張しながら、玄関に入った。玄関は綺麗に掃除されている。
「そこのスリッパ履いてください」
スリッパがすでに用意されていて、私はパンプスを脱ぎ、ちゃんとそれを揃えてからスリッパを履いた。
お客さん用のスリッパかな。
部屋の中に誰かいないよね。
うわ。もっと緊張してきた。
「どうぞ、こっちがリビングです」
私より先に主任は中に入り、リビングのドアを開けた。
「広いですね。えっと、2LDK?ですか?」
「はい」
「あの…、どなたかとシェアしている…とか?」
「いえ。一人暮らしですよ」
そう言うと主任は、野菜の入った袋を持ってキッチンに入って行った。
ダイニングとリビングが繋がっていて、ダイニングからキッチンも繋がっている。いわゆる「LDK」という造りだ。どのくらいあるんだろう。かなり広い。
ぼけっと私はリビングで突っ立っていた。すると、
「あ、ソファに座っていていいですよ。今、冷たいお茶持っていきますから」
と、主任に言われてしまった。
「わ、私が入れましょうか?」
「いいですよ。そんなに気を使わないでも」
「い、いいえ。主任こそお気遣いなく…」
「僕が喉乾いているので、飲みたいんです」
そう言いながら主任は、コップに冷たいお茶を入れ、リビングのテーブルに持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「いいえ。それじゃ、テレビでも観ていてください。今、お昼作りますから」
「あの!私も何か手伝い…」
「いりません」
え…。今、間髪開けず、断られた。私じゃ、足手まとい?邪魔なだけとか?
「すみません。キッチンはなるべく一人で使いたいので…。本当に気兼ねしないでもいいです。ゆっくりしてて構いませんから」
主任はそう丁寧に言うと、キッチンの中にまた入って行った。
「………」
なんだか、ゆっくりとしていていいと言われても、ゆっくりとできる雰囲気でもない。
「あの…。バルコニーを見てもいいですか?」
ソファから立ち、キッチンのカウンターの方まで歩いて行き、カウンターからキッチンを覗いた。わあ、キッチンも綺麗に片付いている。
「いいですよ」
野菜を洗いながら、主任はそう返事をした。私は主任の返事を確認し、バルコニーへと続く窓を開けた。
「わあ。本当に広いバルコニー!」
我が家のベランダとは比較にもならないくらいだ。テーブルや椅子を並べて、バーベキューができそうなくらい広い。その広いバルコニーに、買ったばかりのプランターが3個並べてあった。その隣には土や肥料も…。
「いいなあ、こんなに広かったら、たくさん野菜を育てられる」
そんな独り言を言ってから、部屋に戻り窓を閉めた。外はけっこう暑くて、部屋の中はエアコンがきいていて涼しかった。
ダイニングテーブルの上にはサボテンがちょこんと置いてある。とても可愛いサボテンだ。それから、リビングの隅には観葉植物。面白い葉っぱをしている。主任、なんて言っていたっけな。あとで、聞いてみよう。
なんとなく、辺りを見回してからソファにまた腰かけた。なんとも座り心地のいいソファだ。
リビングは、あまりものを置いていない。名古屋から引っ越してきてすぐっていうこともあるだろうけど、きちんと整理整頓されている。
ダイニングテーブルの上にはサボテンしかない。なんていうか、生活感のあまりない部屋だ。でも、主任はちゃんとキッチンで料理をして、ダイニングテーブルでご飯を食べているんだよね。
マメなんだろうなあ、きっと。そういえば、家事が好きだって言っていたような…。
「はあ…」
絶対に私より、女子力高いよね。
「すみません、桜川さん。暇ですよね?」
「え?」
あ。今のため息聞かれちゃったのか。
「いえ。大丈夫です。えっと、テレビ観ます」
私は慌ててテレビのリモコンを手に取った。が、主任がキッチンから出てきて、
「DVD観ませんか?その棚に入っている映画、どれでも好きなのを観てくれて構わないですよ」
と、リビングの壁際にある棚を指差した。
「ありがとうございます」
DVD!いったい、どんな映画があるんだろう。主任が好きな映画…。
ソファから立ち上がり、棚を見に行った。
「あ、この映画、好き。あ、こっちのも。わ!この映画、ずっと観たかったやつ~~~」
わくわくしながら、どれにしようか迷っていると、くすっという笑い声が聞こえてきた。キッチンのほうを見ると、主任が顔をのぞかせ、私のことを見ていた。
「やっぱり、桜川さんが好むような映画でしたか?」
「はい。主任とは本当に趣味が合います」
「ですね。あ、そうだ。その棚の隣にある観葉植物、それがモンステラですよ」
ああ、葉っぱが面白い形って言っていた…。
「葉っぱ、面白いですね」
「でしょう?」
「観葉植物とか、好きなんですか?」
キッチンの中に入って行った主任に、私もカウンターから顔をのぞかせ聞いてみた。
「好きですよ。木とか、花とか…。そういうものって、見ているだけで癒されたりしますし」
「野菜育てていても、癒されますよ。育っていく過程を見ているのも楽しいし、段々とお野菜が可愛く見えてきたりするし」
「そうなると、食べるのが惜しくなったりはしないんですか?」
料理をする手を止め、主任が聞いてきた。
「それはないです。ちゃんと美味しく食べてあげたほうが、お野菜も喜ぶかな…なんて思うし」
「じゃあ、僕も料理、頑張らないとですね」
にこりと主任が笑った。
ドキ!その笑顔、好きだな。
くすって笑うのも、にこりと微笑むのも…。
顔が赤くなったのをばれないように、平静を装いリビングに戻った。そして、一つ棚からDVDを取り出し、それを観ることにした。
『素晴らしき哉、人生!』という映画だ。古い映画だけど、とても観たかった。
その映画をソファに座り観ていると、主任がダイニングにお皿やお椀を運び出した。
「あ、手伝います」
「いいですよ、DVDを観てて。あ、その映画にしたんですか。いい映画ですよね」
「はい。観たかった映画なんです」
「古い映画ですけど、僕はけっこうその頃の映画が好きで…。桜川さんもですか?」
「はい。古い映画好きです」
そう言うと、また主任はにこりと笑った。
嬉しい。主任が笑うたび、私の心臓がドキンと高鳴る。あんな笑顔、会社じゃそうそう見せてくれないし、もしかすると、社内であの笑顔を見ているのは私だけかもしれない。
きっと、みんなもあの笑顔を見たら、主任に対する評価が変わるんだろうな。多分、あの真広でさえも。
だけど、他の人には見せてほしくない。私しか知らない主任でいてほしい。
なんて……。そんなことを私が思っているだなんて、主任はまったく知らないんだろうな。私の胸のときめきも、この想いも…。
そんなことを思っている自分に、自分で驚いてしまう。いつの間に私はそんなに主任が好きになってしまったんだろう。そんなに好きになった主任の部屋に、こうやってお邪魔していることも夢みたいだ。
そうっと、主任にばれないようにほっぺたをつねった。あ、痛い。つねりすぎた。ヒリヒリする。
「DVDの途中ですみません。お昼にしませんか?」
後ろから声をかけられ、びっくりして振り返った。
「わあ、すごい」
ダイニングのテーブルには、4種類も料理が並んでいる。
「たいしたものじゃないですよ。サラダや、炒めもので…。ですが、きっととれたての野菜ですから美味しいと思います」
「はい。絶対に美味しいですよ。だって、主任が作ったものだし」
「お野菜を作ったのは、桜川さんですよ」
「え?あ、はい。そうなんですけど」
「あれ?」
主任が私の顔を覗き込んできた。びっくりして、思わず一歩下がると、
「あ、すみません。ほっぺ、赤くなっているから、蚊にさされましたか?蚊、そうそうこの部屋に入ってくることはないんですけど」
と聞かれてしまった。
「これは!」
やっぱり、つねりすぎた。
「蚊じゃなくて。えっと、あの。つ、つねっちゃっただけで」
「つねった?なんでまた…」
「映画、観たかったものなので、夢みたいだなあって思って、ほっぺたつねって確認したって言うか」
今の、思い切りわざとらしい言い訳だったよね。いくら観たかった映画とはいえ、夢みたいって思うわけがないよね。
「そんなに観たかった映画なんですか。だったら、最後までゆっくりと観て行ってください。あ、なんだったら、貸しますけど」
「いえ。いいです。観ていきます」
びっくりした。主任、私の苦しい言い訳、信じちゃったんだ。でも、誤魔化せてよかった。まさか、主任の部屋に来られたのが夢みたいで…なんて思っているのがばれたら、きっともうこの部屋にも来られなくなるよね。
ダイニングの椅子に腰かけ、二人で「いただきます」と手を合わせた。それも、ほとんど同時に。きっと、主任もいつも手を合わせ、いただきますと言うんだろうな。私と一緒だ。
「美味しいですね、このサラダのドレッシング。主任の手作りですか?」
「はい。簡単にできますよ。作り方教えましょうか」
「はい、ぜひ」
私はその後も、顔が赤くなるのをなんとか誤魔化そうと、バクバクと食べて、美味しいを連発した。
主任が作った料理はどれも美味しかった。でも、私の喜びは、目の前に主任がいることだ。それがばれないように、必死に料理を堪能した。
私が美味しいを連発するたび、主任は嬉しそうに目を細めた。それがまた、私には嬉しかった。
いいのかな、こんな贅沢な時間を過ごして。私、なんにもしていないで、ただただ、食べているばかりだし。
ふと、くすっと笑っている主任に気が付き、顔をあげてみると、
「桜川さんなら、すごく喜んで食べてくれると思っていました」
と言われてしまった。
えっと。それは、いい意味でとらえていいのだろうか。私がただ単に食いしん坊だと思われているわけじゃないよね?
「どの野菜も本当に美味しいですね。僕でも、こんな美味しい野菜作れますかね?」
「はい。できます。絶対にできますよ」
声を大にしてそう言うと、主任はまたくすっと笑った。
やばい。こんなに笑う主任を見ていると、勘違いしそうだ。まるで、私と主任が付き合っちゃっているみたいな…。ただの上司と部下の関係だし、それに、今日は単なるフラワーアレンジメントの先生と生徒っていうだけなのに。
でも、やっぱり、どこかで期待してしまう。だって、あまりにも主任が自然に優しく笑ってくれるものだから、私って主任にとって、特別な存在なんじゃないかなあって。
ふわふわした気持ちで、そんなことを考えながら、私は主任が作った料理を満喫していた。
お昼が済むと、
「片付け、さっと終わらせるんで待っていてください」
と、主任はさっさとお皿やお椀をキッチンに運び出した。
「洗い物は私がします」
と、椅子から立ち上がり声をかけたが、
「いいです。あまり、キッチンに他の人が入るの、ダメなんですよね」
と、また間髪入れずに言われてしまった。
「桜川さんは映画の続き観ていてください。あとで、食後のコーヒー淹れますから」
うそ。コーヒーまで?でも、ここでまた、コーヒー淹れますと言ったら、いいですと断られるんだろうなあ。
「はい。じゃあ、お願いします」
私は主任にそう言って、ソファに移動した。
DVDの続きを観た。主任はどうやら、キッチンを他人に使われたくないようだ。これが私じゃないとしても、きっと嫌がるんだろうな。つい、後片付けくらいできないなんて、本当にこいつ女子力ないな、気が利かない女だな…って思われるんじゃないかなって心配しちゃったけど。
そのうち私は、映画に没頭してしまった。いつの間にかテーブルにはコーヒーカップが二つ置かれていて、私の隣に主任が座ったのも、数秒後に気が付いたくらいだ。
ドキッ!え?主任、私の隣に座った?!なんで?!
「コーヒー、まだ砂糖も何もいれていませんから」
主任は小さな声でそう言うと、砂糖の入った器とミルクを指差した。
「あ、はい」
私はミルクだけ入れて、スプーンでかき混ぜ、コーヒーをコクンと飲んだ。
「…美味しい」
「美味しいでしょ?桜川さん、コーヒー好きですか?」
「はい。好きです」
「ネットで注文している豆なんです」
「家でコーヒー豆挽いているんですか?」
「はい。今朝挽いたばかりの豆ですよ」
すごいっ!なんていうかもう、完璧だわ、この人。
しばらくぼけっと主任の顔を眺めてしまった。すると主任は困った顔をして、
「えっと、映画観ないんですか?」
と聞いてきた。
「観ます」
慌てて私はテレビのほうを向いた。
だけど、隣にいる主任を意識してしまって、そのあとは映画に集中できなくなってしまった。
ドキドキ。すぐ隣にいる。今にも肩が触れそうだ。
コーヒーを飲んで、気持ちを落ち着かせようとしても、やっぱり、ドキドキはおさまらなかった。




