第55話 宴会にて ~伊織編~
ホテルに着いた。
「宴会は8時から。1階の大広間でやりますからすぐに来てください」
幹事がそう叫んでいる。
「8時~~?あと5分もないよ」
ぶつくさと真広が言った。その横には、深井さんが、そして、私の隣にはまだ申し訳ないと言う顔をしている矢田さんがいる。
「宴会では、女子社員が並んで座れるといいですね」
「え?そうだね」
「電車では魚住主任の隣で辛かっただろうから、宴会では隣にならないといいですね」
「……そんなに、矢田さん、気にしないでね」
「伊織ちゃん優しいからな~~。たまには我慢しないで嫌なら嫌って言いなね」
「え?はい」
前を歩いていた深井さんが振り返ってそう言った。その隣で真広が、苦笑いをしている。
きっと真広はこう思っているに違いない。魚住主任の隣で超ラッキーなのにねって。目がそう言ってるもん。
部屋に入りカバンを置いて、
「あ~~、このままお風呂入りたい。車内でけっこうお菓子食べちゃったし、夕飯いらないよ」
と、真広がベッドにドスンと横になった。
「着替えて行くよね」
そう言って、深井さんは着替えだした。私もジーンズに履き替え、ブラウスから長袖のカットソーに着替えて、パーカーを羽織った。
「みんな、肌の露出は少なめにだよ」
「ラジャー」
そんなことを言い合い、私たちは部屋を出た。そして、廊下を歩いていると、他の課の女性陣も部屋から出てきた。
「宴会の席、決まっていたら嫌だなあ」
「決まっているのかな。早めに行った方が良かった?」
「そうだね」
4課の女性陣がそう言い出すと、いきなり早歩きになり、私たちも慌ててその後ろを追いかけた。
宴会場に着くと、ズラッとすでに浴衣に着替えた男性陣が勢揃いをしていた。
「浴衣だよ」
そう深井さんが嫌そうに言った。
うわわわ!佑さんまでが浴衣だ!なんだか、新鮮。ああ、胸元から胸が見える。鎖骨も見える。眩しくて直視できない。と、横を向くと隣にいた北畠さんが、頬を赤らめ佑さんをガン見していた。
どうしよう。北畠さんが佑さんの隣になったら。また佑さんのことベタベタ触るかもしれない。
「女性社員の皆さんはこちらに。まず、歓迎会も兼ねているので塩谷さんは上座に座ってもらいましょう」
幹事が塩谷さんを手招きした。塩谷さんはむすっとした顔をして、部長の隣に座りに行った。
「うそ。どうする?魚住主任の隣も空いてるよ」
「そこだけは嫌」
ぼそぼそと周りの女性陣がそんなことを言っている。
「じゃあ、課長や主任の隣が空いているので、そこに皆さん座ってもらって…」
「はい。わかりました」
あっと言う間に他の課の女性陣は、自分の課の上司の隣に座りに行った。残ったのは2課だけ。
私も、佑さんの隣に…と、一歩出るとその横をずかずかと北畠さんが歩いて行き、佑さんの隣に座ろうとした。
やめて。それだけは!心でそう叫ぶと、
「北畠さんは、ここですよ」
と、南部課長が北畠さんの直の上司の主任の隣を指差した。
「ええ?」
北畠さんは、不満の声を上げながらも、佑さんの隣から離れようとしないで中腰のままだ。
まさか、北畠さん、まだ佑さんの隣に座る気じゃ…。
そんなことを思いつつ、一歩出たまま歩き出すのを躊躇していると、
「じゃあ、私は南部課長の隣に座ろうっと。伊織は魚住主任の隣ね?」
とグイッと真広が私の腕を掴み、私を佑さんの隣まで連れて行ってくれた。
「また、伊織ちゃんが犠牲に」
「桜川さん、ごめん」
深井さんと矢田さんが、こっちを見て謝っている…。
「……」
犠牲だなんてとんでもないのに。ラッキーで、今、飛び上がりたいくらい嬉しいのに。ああ、やばい。顔がまたにやけそうだ。
今日はなんだか、すんごいついてる。幸運の女神様がいてくれてるみたい。
「ゆ、浴衣なんですね」
佑さんの隣に座りそう言ってみた。でも、直視できないから、さっきから私は俯いたまま。
「課長に着替えろと言われたんですよ。強制的に…」
「そうなんですか。でも、男性社員はみんな浴衣ですもんね…」
「……似合わないですよね?」
とんでもない!似合ってます。眩しくて直視もできないくらいに。と心で叫びながら、首を横に振った。
それから、みんなで乾杯をして宴会がスタートした。乾杯だけはお酒が飲めなくても、ビールを注がれてしまい、一口だけは口をつけないとならない。という、変な暗黙のルールが営業部にはある。佑さんのグラスにもビールが注がれ、佑さんも一口だけビールを口にした。
だけど、ノンアルコールビールの方がいいよね。そう思い幹事を呼んで持って来てもらった。ただし、私には幹事はノンアルコールを持って来てくれなかった。
しょうがない。でも、羽目を外さない程度に飲まないと、また佑さんに迷惑をかけることになっちゃう。
と思っていたのもつかの間。佑さんの少しはだけた胸元を見て、ドキドキが半端なくなり、思わずビールをゴクゴクと飲んでしまっていた。
「主任」
「はい?」
「い、意外と…、浴衣お似合いですね」
「僕がですか?」
「……」
あ、胸元やお腹の筋肉もちらっと見えちゃった。ドキ!
きゃあ、なんか恥ずかしい。そしてまた、グラスに手が伸びてグビグビとビールを飲んでしまい、すっかりほろ酔い気分になってきた。
「主任って、意外と筋肉あるんですね」
うっとり。
「こう見えても鍛えていますからね」
「え、そうなんですか?」
「ジムとか行っているんですよ。体がなまったりしないように」
「そうなんですね…」
だから、ちゃんと筋肉がついているんだ。やばいなあ。目が離せなくなってきた。うっとりだ。
ああ、佑さんの隣、幸せだ~~。でも、いつもなら佑さんの作った超美味しい料理なのに、このホテルのお料理はいまいち。
「宴会用のお料理って、いつも、いまいちだなあって思うんです」
「そうですね。ここのホテルはかなりいいホテルだし、個人で泊まりに来たほうが、いい料理にありつけるかもしれないですよね」
「美味しい料理を食べて、温泉入って…なんていいですね」
「そうですね。今度そんな旅がしたいですね」
え?それって二人きりで?だよね?!
ゴクゴクと佑さんもさっきから、ノンアルコールビールを飲んでいる。やっぱり、喉が渇いているのかな。あれ?でも、さっき、ノンアルコールビールとビールのグラス、間違えないようにって分けておいたけど、今、佑さん、ビールのグラスを手にしたような。
「あれ?たすく…じゃなくって主任。ノンアルコールビールって、そのグラスでしたっけ?」
「……え?」
佑さんは、二つのグラスを見比べ、
「…間違えました。やばいな…」
と、今手にしているグラスを置いた。
「大丈夫ですか?主任」
「ああ、はい。大丈夫ですよ。でも、水をもらおうかな」
「私、もらってきます」
席を立ち、ダッシュで宴会場をあとにした。
廊下に出て仲居さんを探した。あ、いた。慌てて追いかけ、
「すみません、お水もらえますか?」
とお願いした。
「お待ちくださいね」
そう言われ、廊下で待っていると、
「桜川さん」
と、塩谷さんがやってきた。
「ちょっと話があるの、いい?」
「あの、今、仲居さんに主任に持っていくお水を頼んでて」
「お水?」
「主任、ビールを間違って飲んでしまって、それで」
「……話はすぐに済むわ」
なんだか、ただならぬ雰囲気。
「あなた、主任と付き合っているのよね?」
ギク!やっぱり、見られていたんだ。
「…」
どうしょう。なんて答えたら…。
「私、認めないから」
「え?!」
「あなたみたいな、腰掛けOL。男におんぶに抱っこするような能無し女、認めないから」
能無し女!?
「主任とあなたが釣り合うわけないじゃない。そういうの、自覚してるの?」
グサグサグサグサ!
なんで、塩谷さんにそんなこと言われないとならないの。そんなの、思い切り自覚している。だけど、それでも、佑さんが好きなんだもん。
「私も、わかっています」
「へえ、自覚しているんだ。じゃあ、さっさと身を引けば?身の丈に合っている人を探したら?」
「嫌です」
「え?」
「嫌です。身を引くつもりなんてありません。佑さんを思う気持ちは、私、塩谷さんにも負けたりしません」
「……な、何その自信…」
塩谷さんの勢いがなくなった。不安げな顔になり、言葉も失っている。
「お水、お待たせしました」
その時、仲居さんがお水をコップに入れて持ってきた。
「私が主任には持っていくから!」
そのコップを塩谷さんが勝手に受け取り、ズカズカと宴会場に向かって歩いて行ってしまった。
「あ…」
追いかけようとしたが、足が動かない。足、震えてる。
自分でも驚いた。塩谷さんに攻撃的なことを言われ、足がすくんじゃっていたんだ。
心臓もバクバクしている。負けませんなんて言っちゃった。自分でもびっくりだよ。
バクバク。とにかく、もう少し落ち着いたら戻ろう。
「桜川さん、どうした?気分でも悪いの?」
ゲ!こんな時に塚本さん?
「大丈夫です。と、トイレに行こうと思っただけです」
そう言って、クルリと方向転換した。
「桜川さん、どっかに行っちゃって戻ってこないから心配になっちゃってさ。酔っちゃった?トイレ連れて行こうか?」
「いいです」
トイレの方向に歩き出した。後ろからしつこく塚本さんが来る。
「ねえ、気分悪いなら、部屋で休んだ方がいいんじゃないかな」
「大丈夫です」
「顔色も悪いよ?なんか、足もふらついてない?」
……。まだ、足が震えてる。ああ、そうか。酔っているせいもあるのか。
「ほら、一人じゃ危ないから、ついていってあげるよ」
そう言って塚本さんは、私の肩を抱いた。
「い、いいです。一人で行けるし、塚本さんは宴会場に戻ってください」
チャリ…。
え?なんで、部屋の鍵を塚本さん持っているの?
「部屋、行こうよ」
ゾク!
塚本さんの私の肩に回した腕に力が入った。
「い、行きませんから」
「なんで?」
なんでって、何で聞いてくるの?
「桜川さん、彼氏ずっといないんだよね」
それとどう関係するの?
「俺さ、実は奥さんともうここ何年も冷めているんだよね」
え、え?
「やっぱり、桜川さんみたいな、従順そうな子がいいよね」
従順?!
「ちょ、離してください」
「どうどうとは付き合えないけど、大事にするよ」
はあ?!!!!
何、この人。何言っちゃってるの?わけわかんないよ~~~!
ものすごい力で、無理やりエレベーターの方に連れて行かれる。冗談じゃない。誰も周りにはいないし、エレベーターなんかに乗ったら大変!
「離してください!私、戻らないと」
「大丈夫だって」
「主任が気分悪そうだったし、心配だし」
「今さっき、塩谷さんが様子見に行ったじゃん。塩谷さんと主任できているんだから、任せておけばいいんだよ」
できてる?
「そんなことないです。主任と塩谷さんは、単なる上司と部下で」
「君もでしょ?主任に気があるみたいだけど、あんな堅物やめたほうがいいよ」
「離して!」
エレベーターの前まで来た。塚本さんは片手で私の肩を抱きしめ、片手でエレベーターのボタンを押した。
「俺の部屋、ツインでさ、鍵は俺が持っているし、あとから誰も入ってこれないからなんとかなるよ」
なんとかなるって、何?ちょっと待って!嫌だよ。誰か…。
佑さん!!!やだやだやだやだ!
「暴れないでよ、桜川さん」
思い切り抵抗をした。でも、その時エレベーターのドアが開いてしまった。
エレベーターの中は空っぽ。誰もいない。どうしよう。このままだと、本当にやばい。
塚本さんは私の腰に腕を回し、そのままエレベーターに乗ろうとした。
「離して!」
私は、手で塚本さんの胸を思い切り押した。でも、びくともしない。
バシン!次に、塚本さんの胸を思い切りぶったたいてみた。でも、
「痛いなあ」
とそう塚本さんは言うだけで、グイッとエレベーターに乗せられてしまった。
どうしよう!!!!
エレベーターのドアが閉まる!!!




