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第54話 隣の席 ~佑編~

 旅行の日がやってきた。少し憂鬱だ。でも、伊織さんもいると思うと、安心できた。

 宴会っていうのはやっかいで、酒が飲めないと言っても、無理に勧めてくるやつもいる。それに、大勢の酔っぱらいを相手にしないとならないのも、憂鬱になる原因の一つだ。


 仕事はなんとか、定時前に終わった。遅れて行くのも面倒だし、何より塚本さんが伊織さんに言い寄らないか、それが気になる。


 昨日から、伊織さんに浴衣を着ろだのなんだのって、そんなことまで言っていたしな。伊織さんの浴衣姿を、塚本さんに見せるわけがないだろ。正直言えば、浴衣姿を見たいけれど、他の男になんか見せたくない。


 そうだな。伊織さんとは二人で温泉旅行に行こう。籍を入れたらすぐにでも。

 でも、新婚旅行っていうことになってしまうのか?伊織さんは、新婚旅行は海外にでも行きたいんだろうか。


 今度聞いてみるか。あまり仕事を休むことはしたくないが、近場の海外だったら、短めでも行けるよな。


 定時になり、仕事が終わったものからオフイスを出た。一階のロビーになぜか集まり、まだ来ていない人たちを待った。


「主任、一緒に社員旅行なんて初めてですね」

 さっきから、塩谷が張り付いて話しかけてくる。

「そうだな」

 適当に相槌を打っているんだが、しつこく話しかけてくる。


 あ、伊織さんもやっと降りてきた。今日はパンツなんだな。うん。正解だ。スカートで宴会には出ないほうがいい。特に塚本さんには目を光らせておかないとな。絶対に危ない。伊織さんに近づけさせないようにしておかないと。


 新宿駅に着き、幹事が指定席のチケットを配りだした。ここでも塩谷が僕の隣がいいと言い出し、

「塩谷、お前の隣じゃ出張に行く気分になる。たまには、他の人と並べよ」

と言うと、ふてくされてしまった。


「そうですね。違う課との交流も兼ねているので、皆さん、違う課の方と並んでくださいね。ここからもう、部の親睦が始まっていますよ!」

 幹事にまでそう言われ、塩谷はしぶしぶ僕の隣ではないチケットを受け取った。


 やれやれ。伊織さんが隣になることはないだろうが、塩谷が隣は勘弁してほしい。絶対に箱根に着くまで、しゃべりっぱなしになるところだ。出張なら仕事の話をずっとしていたらいいが、今日は、そうはいかないだろうしな。


 他の課の人の隣になるって言うのなら、伊織さんが塚本さんの隣になることもないだろう。そんなことを思いつつ、席に着いた。

 わいわいと、みんなが車内に入ってきた。僕の隣はまだ空席だ。もしかして、みんなで僕の隣の席を嫌がっているのかもな。特に他の課の女子は、嫌がりそうだ。


 まあ、誰が来ても、本でも読むか、寝るかしているんだが。そんなことを考えながら、窓の外を見ていると、隣に誰かが静かにやってきた。何気に誰が来たんだろうかと顔を向けると、伊織さんが口元を緩ませながら隣に座った。


「あれ?」

 なんで伊織さんが?

「違う課の人と隣になるんじゃ…?」

 そう言いながら、後ろを振り返ると、幹事は忙しそうにお菓子やらつまみを取り分けている。


「まあ、隣でもいいですよね」

 どんな理由があって隣に来たのかはわからないが、伊織さんが隣なら大歓迎だ。このまま、幹事には言わないで隣にいてもらおう。


 それにしても、僕はこんなに単純だったのか。伊織さんが隣になった途端、気持ちが盛り上がった。疲れまでが吹っ飛んだ気がする。

「顔、やばいです」

 ギク。そう伊織さんに言われ、ものすごく焦った。


「え?僕のですか?にやけていますか?」

「違います。私のです」

 伊織さんは真っ赤になって俯いている。でも、ちらっと僕の方を見た。くす。可愛い。


 そうか。伊織さんも僕の隣で嬉しいのか…。


「ロマンスカーだと箱根まであっという間ですね」

「そうですね。それはちょっと残念ですけど…」

 あ、伊織さんの顔が曇った。


「のんびり電車で行くのもきっといいでしょうね。いつか、そんな旅をしますか?」

「二人きりでですか?」

「はい。二人だけで」

「はい」

 伊織さんは嬉しそうに頷いた。


 くす。可愛いよな。本当に伊織さんは表情に出るからわかりやすい。


「温泉に二人でっていうのもいいですよね」

「はい。いいですね」

「でも、いお…、桜川さんは海外旅行の方がいいですか?」

「え?」


「たとえば…、新婚旅行。どこか行きたいところありますか?」

「え?し、新婚旅行?」

 あ、真っ赤になった。

「えっと、特にどこっていうのは決まってないですけど。もうどこでもいいです」


「どこでも?」

「きっと、どこでも嬉しくって、幸せです」

 くす。

「のんびりとできるところがいいですよね」


 そう言うと伊織さんは僕を見て、コクンと頷いた。

 

 周りがわいわいと賑やかになってきた。すでにお酒を飲んで酔っ払っている人もいる。そんな中、僕たちは静かに二人の世界を作っていた。

 伊織さんの隣は、いつものようにあったかくて癒される。


「写真撮ってもらおうぜ」

 そんな岸和田の声が聞こえてきた。溝口さんとの写真を撮ってもらうのか。あいつは、まったく隠そうともせず、どうどうと溝口さんと付き合っているよな。


 溝口さんは、迷惑していないのか?会社でも、岸和田は溝口さんのところにしょっちゅう来て、平気で肩に手を回したりしているが。


 部長や課長も、あれには困ったもんだなと言っていた。岸和田は岸和田電工のご子息だからって、誰もなかなか注意ができないようだが。


 溝口さんも先々苦労するだろうな、あんなボンボンと結婚したら…。


 そんなことをなんとなく考えていると、隣に座っている伊織さんの口数がなくなり、俯いているのに気が付いた。

 あれ?どうしたんだ?


「いお…、桜川さん、気分でも悪いんですか?」

「え?いいえ」

「それならいいんですけど」

 

「たまに、主任、いお…って言いますよね」

「あ。ばれてましたか?気を付けないと…、つい名前で呼びそうになるんです」

 さっきから二人きりでいる気になって、つい名前が出てきてしまう。 


「私も、気を付けてます。気を抜かないように」

 そんな会話をしていると、伊織さんの後ろから幹事が顔を出した。


「魚住主任は、お酒飲めないんでしたっけ」

「はい。飲み物もいいですよ。特に喉乾いていないですから」

「じゃあ、お菓子でも…。桜川さんはビールがいいですか?」

「私もいいです。お腹も空いていないし、喉も乾いていないし」


「あれ…。他の女子、お菓子食べたり飲んだりしていますよ。いいんですか?」

「はい。いいです」

 おや?ビールも何もいらないのか?


「ビールいいんですか?」

 幹事がいなくなってから、そう伊織さんに聞いてみた。

「え?あ、はい」


「向こうで飲んでもいいですよ。ちゃんと僕が介抱しますし」

「え?」

 あ、真っ赤になって俯いた。そして、なぜか恥ずかしがっている。可愛いよなあ。


 僕は伊織さんの隣で、ほっこりと幸せを満喫していた。

 だが、そんな幸せな時間というのは、あっという間に過ぎるものだ。

「そろそろ着きますよ~~」

 という幹事の声が後ろから聞こえた。


「え、もう?」

 伊織さんが、思い切りがっかりした表情で暗くそう言った。くす。可愛い。同じことを同時に思ったんだな。


「隣になれて嬉しかったです。帰りも隣だといいですね」

 周りに聞こえない声で伊織さんにそう言うと、伊織さんは真っ赤になり、

「はい」

と、恥ずかしそうに頷いた。


 電車を降りるとすぐに塩谷につかまった。

「宴会まで席決めないですよね」

「さあ、どうなんだろうな」

「他の課の人となんて、まったく交流ないんですから、電車の中でもずうっと寝たふりしちゃいました。辛かったなあ」


「寝たふり?塩谷のことだから、もうビールでも飲んで酔っ払っているかと思ったのに」

「まさか。隣の人も黙って本読んでいましたよ」

 へえ。そう言えば塩谷は人見知りをする方だったな。


 それで何かと僕に引っ付いてくるわけか。

「知らない人ばかりで、旅行憂鬱だろ?」

「そうですよ。すんごい憂鬱です」

「じゃあ、理由つけてこなかったら良かったのに」


「え?」

「でもまあ、お前の歓迎会も兼ねているんだろうから、主役が休むわけにはいかないか」

「主役?うわ。そういうのも苦手」

 そう言うとますます塩谷は暗い表情になった。


「早めに部になじめよ。でないとお前が損をするぞ」

「そういう主任だって、なじんでないですよね」

「僕はいいんだよ。特に一人でも気にならないし、他の課の人との交流はなくても、2課の人とはちゃんといい関係を持てているわけだし」


「え?そうなんですか?」

「ああ。見ていてわからないか?プロジェクトだって一緒にやっているんだ。それなりにいい関係もできあがるもんだよ」

「………」


 何で無言なんだ?

「女性社員には嫌われても、男性社員には嫌われないですもんね、主任は」

「まあな」

「……」


 なんだか、塩谷が暗いな。いつもとどこか違う気がするのは気のせいか?もしかして旅行に来るのがそんなに憂鬱だったのか?


 歩いて5~6分でホテルに着いた。4人部屋がほとんどだが、僕は南部課長と二人部屋だった。そのほうがありがたい。南部課長は酒は飲むが、そんなに泥酔するほど飲むわけじゃない。だから、酒を飲んで絡んでくることもない。


 部屋に南部課長と一緒にカバンを置きに行った。

「すぐに宴会の時間だが、魚住君は風呂に先に入るのかい?」

「ああ、そうですね。何時から宴会でしたっけ」

「8時からだよ」


「課長、もう8時5分前ですよ。さすがに5分で風呂は…」

「ああ、そんな時間か。じゃあ、朝風呂に入るとするかな」

 そう言いながら、課長はいきなり浴衣を出して着替えだした。

「え?浴衣で宴会に行くんですか?」


「もちろんだよ。君も早くに着替えたらどうだい?」

「いえ。僕はこのままでいいですよ」

「窮屈だろう?」

「いいえ、大丈夫です」


「魚住君、みんな浴衣になるんだから、君も浴衣を着たまえ」

「……」

 仕方ない。


 しぶしぶ浴衣に着替えた。そして課長と一緒に宴会場に行くと、

「課長、主任、お待ちしていました。どうぞ上座のほうへ」

と幹事に席まで案内された。


 部長はまだ来ていない。宴会場の奥の方に行き、幹事に指示された席に着いた。

 幹事たちは忙しそうにビールを運んだり、来た人を席に案内したりしている。どうやら、席順は決まっているようだ。


 部長も浴衣に着替え、やってきた。そして、ほとんど男性社員が席に着いた頃、女性社員が宴会場に入ってきた。一人も浴衣で着ている人はいない。だが、みんなジーンズなどラフな格好に着替えていた。

 伊織さんもジーンズだった。上はパーカーで露出度は極めて少ない。うん。あれなら安全だ。


「女性社員の皆さんはこちらに。まず、歓迎会も兼ねているので塩谷さんは上座に座ってもらいましょう」

 幹事にそう言われ、塩谷は一瞬嫌な顔をしたが、僕の前を通って部長の隣に座った。女性社員はみんな、入り口辺りで顔を引きつらせている。そして僕の方を見て、ひそひそと話している。


 あれは、魚住主任の隣にはなりたくないと言っているのかもしれない…。


「じゃあ、課長や主任の隣が空いているので、そこに皆さん座ってもらって…」

「はい。わかりました」

 そう言って、1課の女性社員は自分の課長や主任の隣に一目散に飛んでいき、続いて3課、4課の女性もあっという間に自分の課の上司の隣に座りに行った。


「北畠さんは、ここですよ」

 僕の隣の席にものすごい速さでやってきて座ろうとした北畠さんに、南部課長がそう言った。北畠さんの上司にあたる、2課のもう一人の主任の隣の席を課長は指差していた。

「ええ?」


 不満そうな声を上げると、

「じゃあ、私は南部課長の隣に座ろうっと。伊織は魚住主任の隣ね?」

 伊織さんの腕を引っ張り、溝口さんがそう言いながらやってきた。


「また、伊織ちゃんが犠牲に」

「桜川さん、ごめん」

 ぼそぼそっとそう言う声が後ろから聞こえてきた。1課の女性陣だ。


「……」

 伊織さんは、俯きながら僕の隣に静かに座った。そしてぼそっと、

「ゆ、浴衣なんですね」

と言って、頬を赤らめた。


 まずいな。気を引き締めてないと僕まで顔が赤くなりそうだ。

 二人が付き合っていることがばれてもやっかいだし、僕だけでも気をつけておかないとな…。

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