第54話 隣の席 ~伊織編~
いよいよ、社員旅行の日が来た。別に何があるわけじゃないけど、新しい下着をカバンに入れた。
部屋は1課の女子社員と、真広と私の4人部屋。毎年そうだ。北畠さんは、お局女子と同室。今年はそこに塩谷さんも入るみたいだ。そして、3課と4課の若手女子社員が同室になる。
話は決まって、コイバナ。でも、私は毎年聞くだけ。だけど、今年は…。
ああ!話したい。「結婚を前提に付き合っているの!」と、どうどうと!
多分、今年はみんなで真広の話を聞くんだろうな。去年は1課の深井さんの話を聞いたっけ。婚活パーティで知り合って、お付き合いしたてだった頃だから、あれやこれや、嬉しそうに話していた。でも、クリスマス前には別れたみたいで、忘年会ではヤケ酒飲んでいたよなあ。
深井さんも今年27だし、焦っている感じだったけど、その後彼氏できたのかな。
1課のもう一人の女子社員は、私より一期下。大学から付き合っていた男性がいたけど、去年の夏に別れて、去年の社員旅行では、酔っていきなり泣き出したっけ。
だけど、付き合ったにしても、別れたにしても、話題があるだけいいよねって、そう去年は言っていた。確か、真広も彼氏がいなくって、二人で寂しがっていたっけなあ。
佑さんは、午前中外回りをしていた。そして、午後2時に戻ると、野田さんと黙々とパソコンに向かい、5時過ぎには終わらせて、
「やれやれ、なんとか行けそうですね」
と、二人でほっと一息ついていた。
良かった。何かあって、佑さんが旅行に行けなくならないで。
5時半。旅行の幹事が、
「仕事終わった人から、駅に行きますよ」
と声をかけた。わらわらとみんな、荷物を持って部屋から廊下へと出て行き、私と真広も、
「行こう」
と、ロッカールームに向かった。
ロッカールームで1課と4課の女子社員と会って、
「毎年のことだけど、セクハラには気を付けようね」
と言い合った。
どうも、旅行となると羽目を外す人も多く、やたらと女子社員に近づいたり、しつこく話しかけたりする人がいる。中には太ももとか触ったり、背中に手を回したり、部屋に来ないかと誘ったりという、とんでもないおっさんもいるのだ。
絶対に浴衣は着ないようにしよう。と、みんなでいつも言っている。着ているのはお局と北畠さんだけだ。
他の女子社員は、スカートすら履かない。ジーンズだったり、パンツだったりして、足も見せないようにしている。
今年は特に、あのねちっこそうな塚本さんに気を付けないとね。と真広に言われた。
「塚本さん、桜川さん狙っているんですか?」
1課の女子社員、矢田さんが聞いてきた。
「そうなんだよね。矢田さんも塚本さんが伊織のそばに来ないよう、見張っていてね」
「わかりました」
「それにしてもさ、溝口さんはいいよね。同じ部に彼氏がいて」
「え?」
突然そう深井さんに言われて、真広がびっくりした。
「営業って、若手少ないじゃん?今いる独身って、4人くらい?そのうちの一人が岸和田さんで、あとの二人はおっさんで、残る一人は、あの魚住主任じゃん?毎年社員旅行って、男性陣いないほうがいいかもって思うよね」
「狙っている人でもいたら、張り切るんですけどね~~」
深井さんと矢田さんは同時にため息をついた。
「矢田さんはまだいいじゃない。同期に独身残ってるでしょ?」
「ああ、はい、まあ」
「私なんて、あまり残っていないのよ。本社には総務にいるけど、冴えない人だしさ」
「それを言ったら、うちらの同期だってめぼしい人いないですよ~~」
真広がそう言うと、
「溝口さんはいいの。もう相手いるんだから」
と、バシッと背中を叩かれていた。
鞄を持ち、ロッカールームを出て、エレベーターに乗った。1階に着くと営業部の面々が、わらわらと固まっていた。
「遅いですよ、何していたんですか」
そう幹事に怒られた。
あ、佑さんの隣には、べったりと塩谷さんが張り付いている。
そうか。忘れてた。社員旅行中に、塩谷さんとか、北畠さんとかが佑さんに言い寄る可能性があることを。
「塩谷、あんまり酒飲むなよ。介抱なんてしないからな」
「え!主任がいるから安心して思い切り飲めるって思っていたのに」
「酔ってもほっておくからな」
「冷たいですよ~」
二人がそんなやり取りをしていると、
「あの二人、実はできてるってほんと?」
と、私と真広に小声で深井さんが聞いてきた。
「え?」
「魚住主任と、塩谷さん」
「まさか。上司と部下でしょ。それも、主任は塩谷さんのこと女性扱いしていないし」
真広がすかさずそう言った。
「でも、仲いいじゃない。今だって、ほら。魚住主任って、塩谷さんくらいじゃない?女子社員で仲いいの」
そんな話は聞きたくないよ。
「あ、ほら、早くに行かないと、また幹事に怒られるよ」
真広がそう言って、早歩きをし始めた。その後に私も続くと、深井さんも矢田さんも話すのをやめて歩き出した。
真広、本当にいつもありがとう。
新宿駅に着いた。幹事が電車のチケットを配っていると、
「魚住主任の隣のチケットを下さい」
と、塩谷さんが幹事に催促をした。
「塩谷、お前の隣じゃ出張に行く気分になる。たまには、他の人と並べよ」
「え~~、他の人って誰とですか」
佑さんの言葉に塩谷さんが不機嫌そうな声を上げた。
「そうですね。違う課との交流も兼ねているので、皆さん、違う課の方と並んでくださいね。ここからもう、部の親睦が始まっていますよ!」
今年は3課が幹事。3課の一番の若手社員、と言ってももう31歳だけど、幹事がそう大きな声で言うと、塩谷さんはますますむすっとしてしまった。
「違う課の人と並んでいいわけね」
そう嬉しそうに言って、とっとと二席分のチケットを手にしたのは岸和田君だ。そして、真広の手を引き、さっさと電車に乗りに行った。
「あ…」
一瞬、誰もがそれを目で追った。
「北畠さん、隣に並びましょう」
お局女子は北畠さんを誘った。塩谷さんは適当にチケットを取り、女子社員は他の課の女子社員と並びのチケットをもらっていた。
「桜川さん、隣になろうね」
深井さんにそう言われ、はいと頷いた。本当は佑さんの隣がいい。でも、同じ課じゃ隣になれないんだろうな。佑さんの隣はまだ空いている。誰が座るのかなあ。
「え、じゃあ、私は誰と並ぼう」
矢田さんがおたおたと周りを見回した。ほとんどの人がもうチケットをもらっていて、
「矢田さんには、はい」
と幹事にチケットを渡され、席を確認した矢田さんは思い切り顔を引きつらせた。
「深井さん、かわってください」
「え?誰の隣?」
「魚住主任の隣です。私、耐えられそうもないです」
ものすごい小声でぼそぼそと矢田さんは、本当に嫌そうな顔をして深井さんに言った。
「え、私も無理だよ。他の男性社員にかわってもらえば?」
「でも、誰に?」
きょろきょろと矢田さんは、周りを見回した。
「ほらそこ。さっさと電車に乗って、出発するよ」
幹事に言われ、深井さんはさっさと先に乗ってしまった。
「深井さ~~ん」
矢田さん、今にも泣きそう。そんなに佑さんの隣って嫌なの?
「矢田さん。桜川さんも席どこ?」
「え、えっと」
「ごめんなさい。桜川さん、かわってください。同じ課だし、隣でも大丈夫ですよね?」
泣きそうな顔でそう訴えられた。
私だったら、佑さんの隣なんて嬉しくて飛び跳ねたいくらいだ。でも、幹事がなんて言うか。
「何?矢田さん、誰の隣だった?そんなに嫌な人?」
ほら、幹事が矢田さんに聞いちゃったよ。
「魚住主任です」
ぼそっと矢田さんがそう言うと、
「ああ、そうか。しょうがない。桜川さんかわってあげてくれる?」
と幹事にまで言われた。
「はい」
喜んで。
「ごめんなさい、桜川さん」
矢田さんに謝られたが、逆にお礼が言いたいくらいだ。
でも、ここでにやけるわけにはいかない。嬉しそうな顔をなるべくしないようにして、電車に乗り込み、すすすと何気ない顔をして佑さんの隣に座った。
「あれ?」
私が座ったのを見て、佑さんがびっくりしている。
「違う課の人と隣になるんじゃ…?」
佑さんはそう言いかけてから、ちょっとだけ幹事の方を見た。幹事は忙しそうにつまみだの、お菓子だのを袋から出して分けているところだった。
「まあ、隣でもいいですよね」
佑さんはそう言ってにこりと笑った。
うわ。嬉しい。
ラッキー。ついてる!ああ、顔がにやけそう。いや、もうすでににやけているかも。
ほんのちょっと俯き加減で、
「顔、やばいです」
と、佑さんにぼそっと言った。
「え?僕のですか?にやけていますか?」
「違います。私のです」
そうちらっと佑さんの顔を見ながら言うと、佑さんも私の顔を見て、両眉をあげ、おどけたような表情をした。
わあ、可愛かった。今の表情。
佑さんの隣で、超ハッピー!
「ロマンスカーだと箱根まであっという間ですね」
「そうですね。それはちょっと残念ですけど…」
「のんびり電車で行くのもきっといいでしょうね。いつか、そんな旅をしますか?」
「二人きりでですか?」
「はい。二人だけで」
ひゃあ。そんなことを言ってくれるなんて、嬉しい。
「はい」
思い切り頷くと、佑さんはくすっと笑った。
車内では、すでにビールを飲んでいる人もいて、とても賑やかになった。そんな中、私と佑さんは静かに話をした。
小さ目の声だったから、周りには気づかれていないと思う。静かな二人きりの世界…。
「真広、写真撮ってもらおうぜ」
それに引き替え、岸和田君はうるさい。なんだか、やけに浮かれているみたいだ。そんなに真広と一緒なのが嬉しいのかなあ。あ、ツーショット写真を撮ってもらってる。鼻の下のびちゃってるよ。
それにしても、矢田さん、本当に嫌そうだったな。幹事の人も矢田さんが嫌がっているのを知っているみたいだった。
やっぱり、複雑。そこまで嫌われる理由もわからない。みんな、佑さんを誤解しているんだよ、絶対に。
だけど、モテモテになっちゃうのも嫌だし。ああ、複雑。
「いお…、桜川さん、気分でも悪いんですか?」
「え?いいえ」
「それならいいんですけど」
しまった。佑さんの隣で暗く考え込んだりして、もったいない。
「たまに、主任、いお…って言いますよね」
「あ。ばれてましたか?気を付けないと…、つい名前で呼びそうになるんです」
コホンと佑さんは咳ばらいをした。
「私も、気を付けてます。気を抜かないように」
「……」
佑さんは黙り込んだ。
「魚住主任は、お酒飲めないんでしたっけ」
突然頭上から声が聞こえてきた。あ、幹事さんだ。
「はい。飲み物もいいですよ。特に喉乾いていないですから」
「じゃあ、お菓子でも…。桜川さんはビールがいいですか?」
「私もいいです。お腹も空いていないし、喉も乾いていないし」
「あれ…。他の女子、お菓子食べたり飲んだりしていますよ。いいんですか?」
「はい。いいです」
早く二人きりにして。ほっておいて。
幹事は違う席のほうに声をかけに行った。良かった。
「ビールいいんですか?」
「え?あ、はい」
佑さんにそう言うと、
「向こうで飲んでもいいですよ。ちゃんと僕が介抱しますし」
と、優しくそう言われてしまった。
…佑さんが介抱?
ドキン。それ、いいかも。
いやいや、ダメだ。どんな失態を見せることになるかわからないし。
「そろそろ着きますよ~~」
幹事の声がした。
「え、もう?」
ガッカリした声を出すと、隣で佑さんがくすっと笑った。
宴会で隣になれる確率は低い。宴会の後も、一緒に行動できないだろうし。
あれ?私、旅行だって浮かれていたけど、佑さんと話せるのも、行きの電車の中だけだったりする?
「魚住主任!」
電車を降りると、早速塩谷さんが佑さんのところに飛んできた。そして私も、
「桜川さん」
と、後ろから矢田さんに腕を引っ張られ、佑さんから離された。
「本当にごめんなさい」
佑さんから引き離された後、矢田さんが平謝りしてきた。
「そうだよ。いくら、同じ課だって、さすがに電車で隣は桜川さんも困っちゃうよね」
深井さんにそう言われ、返答に困ってしまった。
「あ、あの、そんなことはないから矢田さん、謝らないでもいいよ」
感謝したいくらいなのに、困ったな。
「でも、話し声もしなかったし、気まずくなっていませんでしたか?」
「ううん。話はしてた」
小声で、幸せに浸りながら。そりゃもう、二人の世界を作っていました。
「本当にごめんなさい。でも、でも、私、本当に魚住主任が苦手で、怖くって。だって、いっつもムスッとしてて、口を開くと怒ってくるんだもん。違う課なのに容赦しないっていうか」
「…そうなんだ」
「この前も、すっごく冷たく言われちゃったし」
「この前?」
「同期の子とコピー室の前で会って話をしていたの。ちょっと声も大きくなって笑ったりしていたんだけど、そこに魚住主任が通りかかって、仕事中にこんなところで、何をさぼっているんですか。それも、大きな声で笑ったりして他の人に迷惑ですって、すごく冷たい声で言われたんです」
そうなんだ。
「魚住主任のあの冷たい声や視線、耐えられない。桜川さんも仕事のことで注意受けたりしているじゃないですか。その時も冷たい声だし、無表情だし、きっと毎回嫌な思いをしているだろうにねって、深井さんとも話していたんです。なのに…、すみませんでした」
「いえいえ。私、主任のこと苦手じゃないし。本当に大丈夫です」
「苦手じゃないんですか?でも、怖いですよね。塩谷さんに対してはビシッときつく言ったりしていますけど、無表情に冷たい声で注意をされるほうが嫌じゃないですか?最近、顔を見るだけでも私、縮こまっちゃうんですよ」
「そ、そんなに?」
「はい。1課に配属にならなくってよかった。上司が魚住主任だったら、私、胃潰瘍にでもなっていたかも」
うそ。そこまで嫌われているの?
違うのに。佑さん、すっごく優しいんだよ。ただ、真面目なだけで。
…それとも、佑さんが言うように、私以外の人には冷たいのかな。私にも会社では冷たいって言うか、クールに接しているけど、でも、あれってどうやら、カモフラージュしているみたいだし。仕事中はそっけなくしますよ…って前に言っていたし。
「塩谷さんくらいですよね、魚住主任を慕っているのって」
「他にもいるじゃない。ほら、話しかけてるよ」
深井さんが指さす方を見ると、北畠さんが佑さんにすり寄って行っているところだった。
あ!まただ。北畠さん、よく佑さんの腕とか背中触るんだよね。あれ、セクハラだよ!
「ああ、北畠さんは、魚住主任に限らず、若い人ならああやって話しかけてるし」
「え、そうなの?」
矢田さんの言葉に、思わず驚いてしまった。
「そう言えば、魚住主任って、経理や総務あたりで人気あるんだよ?」
深井さん、矢田さんと3人で歩きながらそんな話をし始めた。
箱根の駅からは徒歩で旅館まで行けるらしい。すでに男性陣は、ぞろぞろと歩いて行ってしまった。そのあとを私たちも歩いている。
「みんな、魚住主任の実態を知らないからだよ。顔だけ見たら、まあまあイケメンだしね」
まあまあ?とんでもない。すごくかっこいいよ。
「スタイルもまあまあ、いいほうだしね」
まあまあ?とんでもない!ちゃんと見てるの?スーツのセンスもいいし、時計や靴、ネクタイ、すべてにおいてお洒落でしょ!
「人事異動にならないかな。同じ部ってだけでも嫌だよ」
「矢田さん。そこまで嫌わないでも…」
つい、口からそんな言葉が飛び出てしまった。すると、
「桜川さんは、優しいですよね」
と、矢田さんにそう言われた。
え。違うんだけど。
「この旅行では、楽しもう。いくらなんでも、仕事中じゃないし、怒ってくることもないよ、ね?矢田さん」
深井さんに元気づけられ、矢田さんはようやく笑顔になった。
「ですよね!宴会の後は部屋でガールズトークしましょうね!ね?桜川さん」
「……うん」
これはますます、佑さんと付き合っているんです。なんて言えなくなっちゃったなあ。もし、みんなが私と佑さんが付き合っているって知ったら、いったいどうなるんだろう。




