第52話 お散歩 ~伊織編~
「伊織さん」
佑さんがベッドの近くに来た。ドキドキ。どうしよう。もう寝たふりしちゃえ。
「寝ちゃったんですか?」
ドキドキドキ。はい、もう寝てますってことにして!
「じゃあ、僕も寝るとするかな」
佑さんはそう言って電気を消した。そして、布団をめくってきた。
「落ちますよ、そんなに端にいたら」
そう言って、隅で丸まっている私の肩を掴んだ。
きゃ~~!
「すみません」
思わずくるりと体を向けた。すると、佑さんが私の顔を覗き込んできた。わあ、顔、近い。
「寝れなかったんですか?」
「は、はい」
ドキドキ。同じ布団に佑さんがいるよ~~~。
「あんまり隅っこにいると、ベッドから落ちますよ。もっとこっちに来てもいいですから」
「は、はい」
ほんのちょっとだけ、佑さんの方に寄った。それ以上は無理。今も心臓ドッキドッキだし。
「冷え症なんですよね?」
「はい」
「足、冷たくなってますよ」
「きゃ」
なんで私の足に、佑さん足をくっつけたの?!
「……足、あっためようとしたんですが…」
「くっつけてあっためるって、そういうこと?」
「はい」
「ひゃあ」
うそ。恥ずかしい。
「ぶっ!くっくっく」
「佑さん?」
「すみません。でも、伊織さん、面白くて」
「…お、面白い?」
「すみません」
また、面白いって言われちゃった。
「じゃあ、あんまり足が冷えるようだったら、僕の足にくっつけてきていいですから」
そう言うと佑さんは、仰向けになって天井を見た。
「このベッド、セミダブルなんですよ」
「はい」
「シングルにするか迷ったんですが、セミダブルにして良かったです」
「…シングルだと二人じゃ狭いですよね」
「ああ、でも、べったりくっついて寝れたかもしれないですね。やっぱり、シングルにしておけば良かったかな」
「え?べったり?!」
うひゃあ。シングルじゃなくて良かった。べったりなんかくっついたら、心臓きっと壊れるよ。
「おやすみなさい」
佑さんは私に背を向け、そう言った。
「おやすみなさい」
背中を向けられ、ちょっと寂しくなった。
ああ、もう!こっちを向いても、ドキドキするだけなのに。
私は佑さんのほうを向いていた。佑さんの背中、後頭部をじっと見ていた。
頭、撫でてみたいなあ。
そんな衝動に駆られた。
背中にくっついてみたい。でも、恥ずかしくてとてもじゃないけど、近寄ることもできない。
ほんの少しの距離。ちょっと手を伸ばせば、背中を触れる。
この前は布団だったし、横を向くとすぐ隣に佑さんがいた。
やっぱり、シングルベッドのほうがいいかな。いやおうなしにくっつくことができるもん。
でも…。一緒のベッドに寝ている。それだけでも、すごいことだよね。
明日の朝まで一緒…。一緒に朝を迎える…。起きると、隣に佑さんがいるんだ。
しばらく緊張して眠れなかった。だけど、布団の中はあったかくって、段々と安心してきた。
私は、本当は怖がりだ。雷も台風も地震も、一人暮らしだと本当に怖い。
それだけじゃない。アパートだと隣のテレビの音や、下の階の赤ん坊の泣き声もして安心できたけれど、でも、テレビでちょっと怖い話なんか観たり聞いたりすると、夜中にトイレに行くのも怖いし、夜遅くにお風呂に入るのも怖くなるし、一人で寝るのも怖くて、電気をつけたまま、音楽もかけて、布団を頭までかぶって寝たりしていた。
一回、オカルトだと思わず、なんとなく観てしまった映画がとても怖い内容で、そのあとどうにも眠れなくなり、東佐野さんの部屋に夜中だと言うのにビールを持って行ったことがある。怖い映画を観て眠れなくなったとはさすがに言えず、飲み明かしませんか…とか言いながら、朝までちゃっかりいたっけ。
その次の日は、美晴に来てもらった。その次の日は、真広に来てもらった。その次の日、ようやく一人で寝れるようになった。
でも、佑さんと一緒に暮らしたら、いつでも隣に寝てくれるから、雷も台風も地震も怖い映画もへっちゃらだ。
停電なんて、一人暮らしだと本当に怖いけど、それもへっちゃら…。
そんなことを考えていたら、段々と意識が朦朧として来て知らぬ間に私は眠っていた。
あったかい。今日は布団がやけにふわふわだ。それに何かな、この香り。柔軟剤?こんなの、私使っていないんだけどなあ。
ふわ…。何かがおでこに触れた。なんだ?
「伊織さん、朝ですよ」
ん?佑さんの声?
パチ。目が覚めた。あ!目の前に佑さんの顔!!!
「おはようございます。僕は朝飯作ってきますので、顔洗って来てくださいね」
え?
あ、そうか。ここ、佑さんの部屋だ。
「…あ、は、はい」
佑さんは寝室を出て行った。私はほんの少し、まだベッドにいた。布団から佑さんの匂いがしている。
はう。それだけで、胸がときめく。
ベッドから出て、まず着替えをした。それから、パウダールームで顔を洗ったり歯を磨いた。そして、ダイニングに行くと、すでに朝食ができていた。
コーヒーのいい香りが広がっている。朝食は洋風なんだな。トーストとハムエッグだ。
ダイニングテーブルの椅子に座り、佑さんといただきますと言って食べだした。
なんだか、ものすごく贅沢だよね。朝、佑さんに起こしてもらって、朝ご飯まで作ってもらうなんて。
でも、朝目覚めたら隣に佑さんがいる…。っていうのは、体験できなかったな。
朝食が終わって、佑さんは洗濯物を干した。私はその隣で、野菜たちに水をあげた。
それにしても、佑さんの洗濯物を干す姿も、なぜだか様になる。
「終わったから、公園に行きましょうか」
「はい」
私たちは、バルコニーから見える公園に行くことにした。
公園は広かった。芝生の広場にはベンチがあり、そこに二人で並んで腰かけた。
なんか、いいなあ。休みの日に二人でぶらっと公園にお散歩…。
「お弁当持って来たらよかったですね」
「あ、いいですね!」
「今度はそうしましょう」
「はい」
あ、でも、作るのは佑さんだよね。
「お弁当、やっぱり佑さんが作るんですか?」
「僕が作るお弁当、嫌ですか?」
「とんでもない!ただ、その。なんだか、申し訳ないような気が」
「気にしないでいいですよ。けっこう、弁当作るのも好きなんです」
「え?」
「母や姉の弁当も、僕の弁当も高校時代作っていたし」
「すごい」
「いや、そんなたいしたもんは作っていませんが」
すごいって。私なんて全部母親任せで、高校生の時作ったことなんて一回もなかった。
「さっき、来る途中でカフェがありましたね」
「はい。民家の一階をカフェにしていましたね」
「ちょっと入ってみたいなって思ったんです。昼はあそこで食べませんか?」
「はいっ」
わあい。なんか、そういうのもいいなあ。
天気が良くて、お日様の光がほどほどに気持ちいい。そんな中、
「結婚式はいつ頃がいいですか?」
と、佑さんが聞いてきた。
「え?えっと」
いつがいいのかな。6月?でも、梅雨時か。
「5月とか?」
そう言うと、佑さんは、
「その頃、式場あいていたらいいですね」
とにこりと微笑みながら答えてくれた。
「式場…、私、できれば神前がいいんです」
「神前?神社とかですか?」
「できたら…。教会より、そっちのほうが佑さんに似合いそうなので」
「はい。僕もどっちかっていったら、神前のほうがいいですね」
良かった。
「部屋に戻ったら、ネットで空いているところがないか調べてみましょう」
「はい」
「で、いつ、うちに来ますか?」
「は!?」
うちに来るって…。えっと、それって。
「いつ、籍を入れましょうか。僕はすぐにでもOKですが」
「え?籍?!」
籍って言うと、えっと、結婚するってことだよね?
「ご両親に挨拶もできたし」
「でも、まだ、佑さんのご両親に…」
「うちはいいですよ。離婚もしているし」
「…でも、お母様とか、会わないでもいいんですか?」
「会うと大変ですよ。まあ、式にはさすがに呼ばないとうるさいでしょうけど」
「………」
大変ってどういうことかな。反対されちゃうってことかな。
「伊織さん?」
「やっぱり、私じゃ反対とかされちゃうかもしれないですよね?」
「は?」
「……」
「うちの母と姉はうるさいんですよ。下手すりゃ僕らの式をプロデュースするとか言い出しそうだし。そういうの面倒ですし」
「……面倒?」
「言っていませんでしたっけ?ウェディングプランナーなんですよ、うちの母親。それも、けっこう派手で手の込んだ式をやりたがる…。伊織さんの意見も聞かず、好き勝手にプラン立てそうだし、任せたら大変なことになると思いますよ」
「そうなんですか」
「あ、手の込んだ式を挙げたいですか?」
「いいえ。シンプルなほうがいいです。身内だけのささやかな感じの…」
「良かった。同意見です」
本当?佑さんは結婚式挙げたいと思っているの?もし、挙げたくないなら、無理に挙げなくてもいいんだけどな。
「あ、僕のことを考えて、そう言ってくれたんですか?」
「いいえ。ただ、その…」
「はい」
「式も挙げても挙げなくても、それもどっちでもいいんですけど」
「……」
「佑さんと結婚するっていうことだけで、胸がいっぱいって言うか、信じられないって言うか、それだけで幸せって言うか」
あ、あれ?なんか恥ずかしいこと言っちゃったかも。顔、あつ!
「そ、そうですか」
あれ?佑さんも照れてる?耳赤い。
佑さんが照れると、可愛い。俯き加減になって、耳があかくなるんだよね。
「そろそろ12時ですね。お昼にしますか?」
「はい」
ベンチから立ち上がり、公園の中をまた歩いた。公園には家族連れが多かった。子供と一緒にお弁当を持って来ている家族もいれば、もう小学生かな、バトミントンをしている親子もいた。
いいなあ。いつか、佑さんとあんなふうに子供を連れて来ることもあるのかなあ。
そんなことを想像しつつ、にやけながら私は佑さんの横をちょこちょこと歩いた。
カフェに着くと、まだ誰もお客はいなかった。とはいえ、二つのテーブルしかない。普通の家の一階がカフェになっていて、奥さんかな?一人でそのカフェをやっているようだった。
「いらっしゃいませ」
私たちは奥の席に座った。とっても、いい雰囲気のカフェだ。佑さんはカレー、私はロコモコを注文した。
メニューはハワイアン。店の雰囲気も南国っぽい。ミニサラダとカップスープがランチについてきた。
「美味しい」
そう言うと、佑さんはにこりと微笑んだ。
「ここ、緑が多い店で気持ちいいですね」
「はい」
そう言えば、佑さんって、緑が好きなんだっけ。緑や花に癒されるって言っていたもんなあ。だから、公園にも行ったのかな。
それだけ、いつも仕事で疲れているってことなのかな。
私といると癒されるって言うけど、私のどこがどう癒しているんだろう。自分じゃまったくわからない。
食後にコーヒーを飲み、少しのんびりしてからお店を出た。そして、マンションに帰ってからは、パソコンで式場探しをしていた。
結婚式の式場を探しているだなんて、なんだか他人事と言うか、夢みたいでまったく実感が湧かない。
「大安吉日はどこもいっぱいですね」
「はい」
「う~~ん」
そう言って悩んでいる佑さん。私との結婚式を真剣に考えてくれているんだなあ。
幸せだ~~~。
「夕飯も食べて行きますか?」
時計を見てから佑さんがそう聞いてきた。
「いえ、そろそろ帰ります」
長居しちゃ悪いよね。佑さん、仕事あるって言ってたし。
「佑さん、お仕事あるんですよね?」
「ああ、1時間もあれば十分です」
「でも…、あの…、うちの掃除…とかもしないと」
とか言いつつ、本当はまだいたい。
でも、ちょっとだけ、緊張し続けたから、家に帰ってだらりと横にもなりたい…。なんて言えないし。
「わかりました。送ります」
「電車で帰れます」
「送りますよ。そんな寂しいこと言わないでください」
え?今、寂しいって言った?
ドキン。
なんか、嬉しいかも。
佑さんの車に乗って、アパートまで送ってもらった。
「じゃあ、また明日、会社で」
「はい。送ってくれてありがとうございました」
車を降りて、佑さんの車が見えなくなるまで見送った。
はあ。幸せだった。超幸せだった。自分の人生にこんなことが起こるなんて、やっぱりまだ、信じられない。
部屋に入って、座椅子に座ってしばらくぼ~~っとした。
私、本当に結婚するんだ……。
それにしても、いったいいつになったら私は、佑さんと一緒にいても緊張しないですむようになるのかなあ。




