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第50話 「泊まります」 ~佑編~

「なんだって、そういう突拍子もないことを言ってくるんだ。無理だよ。これから出かけるから」

 塩谷にそう答えた。だが、

「仕事の相談もあるんです。だから、聞いてほしくて」

と、塩谷はまだ電話を切ろうとしない。


「わかった。月曜に話は聞く。用はそれだけか?」

「夕飯まだなんです。一緒に食べましょうよ」

「だから、夕飯はもう済ませたんだ。飲みに行くのにも付き合えない。言っただろ?これから出かけるんだよ」


「誰かと会うとか…ですか?」

「ああ。まっすぐに帰れよ。家でちゃんと夕飯食えばいいだろ?お母さん、作って待ってるんじゃないのか?」

「いいえ。母には上司の手料理ごちそうになるかもしれないって連絡しました」

 はあ?何を勝手に。


「塩谷。前にも言っただろ。うちにはもう呼べない」

「名古屋では、しょっちゅう手料理ごちそうしてくれたのに」

「名古屋にいた時と違うんだ」

「野田さんとかは、呼んでいるんじゃないんですか?」


「他の連中も呼ばないって言っただろ?」

「主任、彼女いるんですか?」

「え?」

 なんなんだ。唐突に。

「彼女…、もしかして、今主任のマンションにいるとか?」


「いるよ。だけど、僕のプライベートのことなんだから、塩谷が口に出すことじゃないだろ?僕も塩谷のプライベートのことまで干渉したりしないから」

「え?本当にいるんですか?だから私が家に行ったらダメなんですか?そういうこと?」

「ああ、そうだ。じゃあな。さっさと帰れよ」

 

 そう言って僕は、電話を切った。

「塩谷さんですか?」

 不安そうに伊織さんが聞いてきた。

「…大学時代の友人と会った帰りで、この近くにいるから飯に行こうと誘ってきたんですよ」


「…そういうことって、よくあるんですか?」

「ん~~。そうですね。仕事の帰りならたまに夕飯食べに行きますが…」

「……」 

「名古屋では部下を家まで呼んだりしていたので、東京でもうちに来たがってうるさいんですよ」


「そうなんですか」

 気になっているのか、伊織さんの声、元気がない。

「でも、呼びませんよ?ここには誰も」

「……」


「それに、ちゃんと彼女がいるってことも、今話したし」

「え?」

「相手が伊織さんだってことはまだ話していません。ただ、彼女がいるから家に行ったらダメなのかってしつこく聞くから、そうだって答えただけなんですが」


「そうだったんですか」

 伊織さんはほんのちょっと安心したようにふっと息を吐いた。

 そして、しばらく俯いて、何やら考え込んでいる。

「あの」

「はい?」


「その、佑さんは今まで付き合ったことありますよね?」

「ああ、はい。大学時代に」

「そうですか…」

 どんよりと伊織さんはしてしまった。元カノのことが気になったんだろうな。

 

「喧嘩もたえなくて、そのうちだんだんとお互い、連絡も取らなくなって…。すっかり冷めた状態になり、別れることになったんです」

 僕は伊織さんを安心させようと、そんな話をした。

「……喧嘩?佑さんが?」


「ぶつかってばかりいましたね。気が強い女性だったし…。僕も僕で、けっこう我儘なことばかり言っていましたし」

 伊織さんは、僕の顔をまっすぐに見て話を聞いている。どうやら興味があるようだ。


「お互い一緒にいても疲れるだけでした。ただ、まだ若かったからなのか、最初はお互いの意見をぶつけあっているのも楽しく感じたんですよ」

「……その女性は、私とはまったく違うタイプなんですね」

「そうですね」


「……お姉さんや、塩谷さんと同じタイプですか?」

「ちょっと違います。姉は行動派で、頭で考える前に行動しているって言う感じです。塩谷もどっちかって言ったらそういうタイプです。でも、大学の時に付き合っていた女性は、論理的で、口が達者で、なかなか動かないで考え込むタイプでしたよ」


「……」

 まだ僕を見ている。もっと何か聞きたいんだろうか。

「会社に入ってからも、付き合ったりしましたが…。いや、付き合うまではいかないかな。食事に行って終わりでしたよ」

 僕はそう話を続けた。伊織さんは黙り込み、俯いてしまった。


「………」

「伊織さん?」

「その、大学時代の彼女とは…、もうまったく?」

「ああ、はい。会っていませんよ。今、どこで何をしているかもわかりません」


「そうなんですか」

「気になりますか?」

「いいえ!すみません」

「伊織さんは、付き合った経験があまりないようですが、僕もです。付き合ったと言えるのはその女性くらいで、あとは、食事に行ったことがある程度ですから」


「帰ります」

 突然伊織さんは立ち上がった。

「あ、はい」

 どうしたんだ?反射的に僕も立ち上がったが、伊織さんが気になり、顔を覗き込んでみた。表情が暗いよな。


「あ、あの。すみません。自分で聞いておきながら…、なんか、私」

「はい」

「ちょっと落ち込んじゃって」

「どうしてですか?」


「わからないんですけど。もう前の彼女に嫉妬したりしてもしょうがないんですけど。でも、なんだか、落ち込んじゃって」

「僕も、伊織さんの元彼が気になりましたから、なんとなくその気持ちもわかりますが。でも、落ち込むことはないですよ。さっきも言いましたけど、そんなに仲が良かったわけじゃないんです」

「………」


 まだ、伊織さんは俯いている。すっかり元気をなくしたようだ。

「伊織さん」

 僕は黙って伊織さんの背中に腕を回した。そして、そうっと抱きしめた。

 

 帰したくないな。それも、こんなに暗くなっている伊織さんを。腕の中で固まっている伊織さんがやけに愛しくなって、

「泊まっていきますか?」

と、つい言ってしまった。


「帰したくないんです」

「……」

「明日も休みだし。伊織さんは何か用事ありますか?」

「な、ないです」


「じゃあ、泊まっていきませんか?DVDでも一緒に観ませんか?」

「はい。DVD…、観ます」

 伊織さんはそう言ったあと、僕の顔をちらっと見て目で何かを訴えた。ああ、DVD観るだけですよね?とそう聞いているらしい。


「はい」

 そう答えると、伊織さんは目を丸くした。そして、慌てふためいている。

「そんな目で訴えてこなくても大丈夫です。手は出しませんから」

 あ、真っ赤になった。

 

「ただ、一緒にまだいたいって、そう思ったんです」

 僕は抱きしめていた手を離し、

「DVDでも一緒に借りに行きますか?」

と聞いた。


「あ、はい」

 伊織さんはほっとした顔になり、頷いた。


 マンションを出て、ぶらぶら歩きながら駅の反対側に行った。そして、レンタルショップに入ると、

「いいですね、最寄駅にこんな大きなレンタルショップがあって」

と伊織さんがぽつりと呟いた。


「もうすぐ、いつでもこの店に来ることになりますよ」

「え?」

「一緒に住むようになれば」

 僕のその言葉に伊織さんは反応し、顔を赤くする。ああ、本当に全部顔に出るよなあ。可愛いよな。


 さあ、何を借りるか。きっと僕が観たいものは伊織さんも観たいはずだ。

 レンタルショップ内を歩いた。なんだか、こういうのもいいよなあ。夕飯を済ませ、伊織さんとレンタルショップに来る。明日も休みだから夜更かしもOKだ。


 一緒に暮らしたら、こんな週末を送るのか。

「あ。これ、観たかった映画」

 そう言って足を止めると、背中に伊織さんがドスンとぶつかってきた。

「大丈夫ですか?伊織さん」


「だ、大丈夫ですっ。こめんなさい、ぶつかって」

「いいえ」

 伊織さんはおでこを抑えながら、慌てて僕から離れた。


 面白いなあ。そんなに慌てて離れなくてもいいのに。

「これにしますか?」

「私もロードショーで見損ねたんです」

 そうか。やっぱり観たかった映画なんだな。


 レジに行きそのDVDを借りて、伊織さんと一緒にお店を出た。そして、コンビニに行き、つまみを買って帰ることにした。

 つまみと言っても僕は酒を飲まないし、伊織さんは飲んでくれてもいいのに、最近酒を飲もうとしない。

 

 寝ちゃうことはあっても、そんなに失態を見たことはない。いつもより僕を見る目が熱くなり、それもじっと見つめてくるくらいで。あ、あと多少大胆になるよな。僕以外の男の前では飲んでほしくはないが、僕の前でだったら、全然飲んでくれてもかまわないんだけどな。


「ビール、飲んでもかまわないですよ?」

 僕は伊織さんにそう言ってみた。

「だって、私いびきとかかきそうだし」

「……ああ、そういえば」


「え?!」

「この前、飲み会のあと、酔っぱらって寝ちゃった時」

「私、いびきかいていたんですか?!」

 あ、思い切り焦ってる…。

 

「いえ。いびきというほどのものじゃないですよ。寝息の大きくなったくらいで」

「……」

 伊織さんの顔が青ざめた。

「くー、くーってすごく可愛かったですよ。寝言も言っていましたし」


「寝言?!ど、どんな寝言ですか?」

 ますます慌てている。面白いなあ。

「内緒です」

「気になります。なんて言ったんですか?私、恥ずかしいこと言ったんですよね?」


 くす。

 いけない。僕はつい伊織さんの困った顔や、焦った顔を見たくて意地悪をしてしまっている。でも、可愛いものは可愛いんだからしょうがない。


「どうしようかな。あんまり教えたくないな」

 勿体ぶりながら、コンビニに入った。伊織さんは予想通り、慌てて僕のあとを追いながら、

「なんでですか?そんなにとんでもない寝言ですか?」

と聞いてきた。


「いいえ。可愛い寝言です。だから、僕だけの秘密にしておきたいような…」

「……う、すっごく気になる」

 そうぶつぶつ言って伊織さんは、お菓子コーナーの棚を見始めた。


「そう言えば、寝言は熱出していた時でした」

 僕はそんな伊織さんのすぐ後ろに立ち、小声で話しかけると、

「え?」

と伊織さんは、驚きながら振り返った。


「伊織さん、僕の夢を見ていたようですよ?」

「なんで、佑さんの夢を見ているってわかったんですか?」

「だって、僕に告白してきましたから」

 僕は他の人に聞かれないよう、小声で伊織さんの耳元でそう言った。


「え?」

 あ、真っ赤だ。まるでゆでだこだ。

「あはは」

 可愛い。


「なんだってそんなに、面白いんだろうな、伊織さんは」

「お、面白いんですか?私ってそんなに」

「……すみません。面白いって言われても、嫌ですよね」

 伊織さんは僕の言葉に、コクンと小さく頷いた。そんな仕草も可愛い。


「すごく、可愛いと思っています…よ?」

 そう言ってから、僕まで耳が熱くなった。

「あ、あの。何のおつまみ買いますか?」

「あ、そうですね。すっかり忘れてました」


 僕たちは適当に、その辺にあったおつまみになりそうなものを手にしてレジに並んだ。

「ここは私が払います」

 お財布をさっと出し、意気揚々と伊織さんが言うので、任せることにした。


 僕は先にコンビニから出て、伊織さんを待った。ふっと何やら視線を感じ、その方向に目を向けると、そこにはなぜか塩谷の姿があった。

「?!」

 なんで塩谷が?


 ああ、そうか。電話を切った後、すぐに帰らなかったのか。まずいな。今、声をかけられたら、伊織さんが一緒にいるのがばれる。

 いや、それより、今伊織さんが来たら…。待てよ。もしかすると、コンビニに入る前から、塩谷はそこにいたのかもしれない。僕と伊織さんが一緒にいるのを、すでに見られているのかもしれない。


 こうなったら隠そうとせず、どうどうとしてみるか。こっちから塩谷に声をかけるくらい、どうどうとしてもいいかもしれない。そんなことを思いながら、伊織さんがコンビニから出てくる前に、塩谷の方に歩き出した。だが、塩谷はそんな僕を見て、くるりと駅の方向に体の向きを変え、走って行ってしまった。


「……」

 やっぱり。伊織さんと一緒にいるところを見たってことだよな。じゃなきゃ、僕を見つけて向こうから声をかけてくるはずだ。


「お待たせしました」

 ぼけっと塩谷が去って行った方向を見ていると、伊織さんが後ろからそう僕に声をかけた。

「あ、はい。じゃあ、帰りますか」

「はい」


 塩谷のことが少し気になった。でも、あいつはベラベラと他の奴に、僕と伊織さんのことを話したりはしないだろう。もともと噂話は嫌いな方だし。

 ただ、伊織さんに直接、何か言う可能性はあるよなあ。やっぱり、そうなる前に釘を刺さないとダメだろうな。


「……夜はやっぱり、冷えますね」

 ぼそっと伊織さんが、僕よりほんの少し後ろを歩きながらそう言った。

「あ、寒いですか?」

「いいえっ。大丈夫です」


「それ、僕が持ちますよ」

「大丈夫です」

「じゃあ、DVDを持ってもらえますか?」

 コンビニの袋を受け取り、その代りDVDの入った袋を渡した。コンビニの袋は右手に持ち、

「左手で持ってもらえますか?」

と、伊織さんにそう言った。


「え?はい」

 伊織さんはきょとんとした顔で、DVDを左手に持った。僕はさっと左手を出し、さっさと伊織さんの右手を掴み、手を繋いだ。

「あ」


 小声でそう言った伊織さんは、ちらっと僕を見た。そして、すぐに視線を外し真っ赤になった。

「手、冷たいんですね」

「冷え症なんですっ」

 こんな会話、前にもしたっけな。それにしても、伊織さんって焦ると声がでかくなるんだな。


「佑さんの手は、いつもあったかいんですね…」

 そう照れながら伊織さんが言った。

「そうですね。僕は冷え症ではありませんから。手や足が冷える時は、僕にくっついていいですよ」

「え?」

 伊織さんが僕を見た。


「僕でよければ、あっためます」

 そう言うと、伊織さんの顔はぼわっと赤くなり、

「今の言葉だけで、一気にあったかくなりました」

と、慌てたようにそう言った。


 くす。ああ、本当に可愛いよな。

 握った手を、ずっとずっと離したくないと思いながら、僕は伊織さんと同じ歩幅で歩いた。ゆっくりと、ゆっくりと。


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