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鬼と桜と春愁い  作者: 屍
3/3

春愁い

時は平安。悪行の限りを尽くしていた鬼の一味を、ある男が退治した。山伏に扮して鬼の根城に赴き、鬼共の酒に毒を盛って、弱った鬼を次々に斬り殺したのである。

その場にいた鬼共は一人残らず殺されたが、ちょうど山向こうの酒蔵へ酒を盗みに出ていた白い鬼だけが辛くも難を逃れた。

鬼の親分の首は、都の大通りに晒しものにされ、それに激怒した白い鬼は、たったひとりで都に乗り込むと、百を越す帝の兵を相手に左腕を失いながらも、なんとか親分の首を取り戻した。

鬼が根城である峠の一本桜の元まで来たとき、そこには帝の命を受けて先回りしていた、一人の陰陽師が待ち構えていた。

鬼は陰陽師に襲いかかろうとしたが、どうにも身体が動かない。

既に陰陽師の仕掛けた術にかかっていたのである。

「都に仇なすものよ、去ね。」

陰陽師がとどめを刺そうとしたとき、鬼の腕から親分の首が転がり落ちた。鬼は慌てて首を拾い上げ、右手一本で大事そうに抱え込んだ。

それを見た陰陽師はこう言った。

「心ある者殺めるは、悪鬼のそれと等しき所業。さりとて、都の民を数多殺めしそなたを、このまま見逃す訳にもいかぬ。

……そなたを、此の地に封じよう。」

こうして鬼は、峠の桜の元に封じられたのだった。今はもう、遠い昔のことである。



暖かな春の日、ある峠の桜の下の、小さな祠のすぐ側に、隻腕の白い鬼が座っていた。


「あれ、こげなところに鬼神様がおわす。」


鬼がうたた寝をしていると、不意に子供の声が聞こえた。

此の地に人が――それも幼い子供が――訪れることなど滅多にない。鬼が訝しげに目を開けると、貧しい身なりの幼い少女が鬼の顔を覗き込んでいた。


「童よ、此処はお前のような者の来るところではない。早々に人里へと帰るがよい。」


すると少女は困ったように眉根を寄せてこう言った。


「鬼神様よ、村へ帰れどもわしには友がおらぬのじゃ。わしには人に見えぬものまで見えてしまう。今もこうして鬼神様と話しておる。

おとうもおかあも……村の者は皆、わしを鬼子と呼んで一緒に遊んでくれぬのじゃ。…どうか、もう少しだけ此処に居させてくだされ。」


「お前に友がおろうとおるまいと、そのようなこと、我の知ったことではないわ。良いか、我は昼寝の最中だ。そこに居るのは勝手だが、邪魔をすれば喰うぞ。」


それだけ言って、鬼は再び目を閉じた。

それからと言うもの、少女は毎年、桜の花が咲く頃になると決まって鬼の元を訪れた。



「ほれ出来た。花冠じゃ。鬼神様はおなごのように白い肌をしておられるで、ようお似合いじゃ。」


くすくす笑う少女を他所に、鬼は盃を傾ける。傍らに亡き友の頭骨を携えて。



「…む!?なんだ、これは。お前、何をした?」


「ははは、鬼神様…!よう眠っておられるだで、ちいと悪戯をしてしもうたが…。やはり、わしよりよう似合うていらっしゃる。」


すっかり年頃になった少女は、安物の頬紅を片手に笑い転げている。

鬼は、頬紅のついた己が頬を擦りながら、ばつが悪そうに酒を呷った。桜の花弁が、亡き友の頭骨の上にひらりと落ちた。

一瞬、得体の知れない微かな翳りが、鬼の心を掠めた。



「鬼神様、鬼神様。見てください。これがわしの息子です。」


「そうか、お前も子を持つ歳になったのか。確か、一昨年隣の村の商家に嫁いだのであったな。じゃじゃ馬のお前を娶る男がおるとは、些か驚いた。」


「もう…。そんなことを仰ると、また頬紅を塗りますよ?」


「ふん。やれるものならやってみろ。返り討ちにしてくれるわ。」


満開の桜の下、大笑いする母子の隣で、まるで歌舞伎の隈取のようなかんばせになった鬼も、共に笑った。



そんな穏やかな春も数十回目を数える頃、かつての少女も、すっかり老婆になっていた。

老婆は無言で鬼の横に腰を下ろし、鬼もまた、無言で酒を呑んでいた。


頭上の桜の花を眺めながら、老婆が独り言のように呟いた。


「息子もすっかり大きくなって、今は都で立派にお勤めしております。孫も五人もおるのです。――わしももう、すっかり歳をとってしまいました。」


「…そうか。」


鬼もまた、舞い散る桜を見遣りながら、短く答えた。

二人はそのまま、何時間も黙って桜を見つめ続けていた。



「では、わしはそろそろお暇いたします。」


夕暮れ時、老婆がのろのろと立ち上がる。


「ああ。では、また来年に。」


「………。

…ええ。また、きっと――。」



翌年、老婆は来なかった。老婆のいない桜の木の下で、鬼はひとりで酒を呑む。膝の上に乗せた、角の生えた頭骨を見つめながら、今は亡き友を想う。かつて都を震撼させた最強の鬼と、鬼をも臆さぬ悪戯好きのじゃじゃ馬娘のことを――。


漆塗りの盃を満たす芳醇な酒の上に、一片の桜の花弁が舞い落ちた。


この、言いようのない感情の名を、鬼は知らない。




花の下 盃眺む 春愁ひ


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