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鬼と桜と春愁い  作者: 屍
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桜散る

これは、俺がまだ小さい頃に聞かされた、村に伝わる昔話だ――。



昔々のこと。春雨が音もなく降り続ける夕暮れ時、ある峠の桜の木の下に、二人の兄弟がやってきた。兄弟は眼病を患っており、自分の足元も定かではないほどに目が悪く、それ故道に迷ってしまったのだった。

途方にくれる兄弟に、いつ現れたのか、隻腕の白鬼が声をかけた。


「貴様ら、此処で何をしておる。我の酒の肴になりたくなければ、早々に去ね!」


「ひい…!お、鬼だ!!」


慌てる兄を、弟が諌めた。


「兄上、落ち着け。

そこにおわすは峠の白鬼殿とお見受けします。我ら兄弟、ご覧の通り目を患っており、道に迷ってしまったのです。じきに日も暮れ、我らの目ではこの雨の中、山道を歩いて村へ帰ることは叶わぬでしょう。どうか、朝まで雨宿りをさせて頂けませぬか。」


弟の真摯な態度にさすがの鬼も折れたのか、一つ溜め息を吐いてこう言った。


「良かろう、明日の朝までこの場を貸そう。その代わり、各々何か面白い話を聞かせよ。さすれば朝まで喰わずに置いてやる。我は此の地に封じられし身。些か退屈しておるのだ。」


「そんな事を言われても……。」


桜の元に腰を下ろしながら兄が言う。


「俺はな、餓鬼の頃から目を病んでいるから、今まで散々な人生だった。今日みてえに、ちょいと隣町までお使いに出ただけで道に迷ったり、何一つ人並みにこなせやしねえ。ろくなことがなかったんだ。あんたと同じさ、面白えことなんざありゃしねえ。退屈な人生さ。」


雨に打たれて地に落ちた沢山の花弁が、草鞋を履いた足にへばりつく。兄は忌々しげにそれを拭った。

桜の季節ももう終わる。


一方、弟は――。


「              」


「ふむ……。もう良い。我は暫し眠る。お前達も朝まで休め。何、約束は守る故安心して眠るが良い。」



翌朝、二人が目を覚ますと鬼の姿はなく、昨夜はまだ残っていたはずの桜の花が、すっかり散ってしまっていた。そして……。


「…やや?見える!?目が、見えるようになっているぞ!!」


なんと、弟の目はすっかり良くなっていたのだ。



「面白い話を聞かせてもらった礼だ。いつか、その眼で見たものを語りに来い。」


何処からともなく、あの鬼の声が聞こえた。


弟は、相変わらず目の悪い兄を助けながら村へと帰った。



これが、この村に伝わる昔話だ。


雨の夜、目の悪い弟が鬼にどんな面白い話を聞かせたのだったか、俺はどうしても思い出せずにいる。

これが思い出せたなら、俺の病は治るだろうか。病に蝕まれたこの身体を、鬼が治してくれただろうか?

…そんなことがあろうものか。鬼などいない。それにもし、本当に鬼がいたとしても、俺はこの昔話に出てくる兄と同じだ。俺には、鬼に語るべき面白い話など何もない。

自嘲気味に嗤って、俺は窓の外の、もう殆ど散ってしまった桜並木を見遣った。峠の桜も、もう散ってしまったことだろう。




弟は言った。


「確かに俺は目が悪い。しかしそのお陰か、誰より耳が良いのです。俺達の父は村一番の大工でね、俺は父が金槌を打つ音を聞くのが好きなのですよ。他の誰でもない、父の打つ音が。目が見えずとも、俺には聞き分けられるのです。

俺に父の後を継ぐことは出来ぬでしょうし、今も大した仕事は出来ません。それでも俺は、父の仕事についていくのが楽しいのです。」と。



目の見えるようになった弟は、数年後、一端の大工となってあの桜の木の下を訪れた。春先であったが桜は咲いておらず、どれだけ探してもあの鬼を見付けることは出来なかった。


「あれはきっと神様だったに違いない。神様が俺に目を与えてくださったんだ。

神様よ、どうか見てください。あなたがくださったこの目で見た、俺の全てを此処で語ります。」


そう言って弟は、鬼を祀る小さな祠を建てた。小さな…しかし、とても立派な祠を――。


金槌を振るう弟の手に、何処から飛んできたのやら、一片の桜の花弁がふわりと落ちた。

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