AM6:00~
「三八度八分か」
口に咥えていた棒状の物体を吐き出し、俺は溜息をついた。
それは本日の最高気温ではなく、俺自身の現在の体温であった。
「風邪かしら? ……勇真クン、さすがに今日は休んだ方がいいわよ?」
今朝もアテナが俺のベッドに潜り込み、潤んだ瞳で俺の顔を見ている。ドライアイとは無縁そうだな……。
最早恒例と化し、彼女のベッドから追い出す気力も湧かない俺は、ハッキリとしない意識で彼女をぼんやりと眺める。
ちなみに俺が風邪を引いたのは、夜這いを防ぐためのブービートラップ付きの完璧な戸締まりをした我が家の天井を彼女がぶち抜き、深夜に大雨が降ったせいである。お陰で朝日が目に染みる。
「うふっ♪ 風邪って、人に感染すと治るって言うわよ? ……やってみる?」
そう言ってアテナは紅く艶やかな唇を開いてみせる。その口内にカプセルのような物が見えるのは、俺の目の錯覚ではないだろう。
「そもそも、神は風邪を引くのか?」
「引かないわね」
「……」
俺は将来、細菌学者を目指そうかと思った。
■AM6:37
「いつも、ありがとうございます♪ すぐお飲みになりますか?」
「ああ」
駅前のコンビニで評判の青い液体の瓶を購入し、腰に手を当ててレジの前で一気飲みをする。最近の俺の日課である。
目の前にいる金髪の女性店員の手作りというこの栄養ドリンクは、疲労だけでなく多少の傷や病気にさえも効果がある。現に、こうしている間にも体温が下がっていくのが感じられた。
「うむ、良い薬だ」
「……あ、ありがとう、ございます」
空となった瓶を返すと、店員さんは顔を赤くした。彼女も風邪だろうか?
「あなたも風邪なのか?」
「い、いえっ! ……わ、笑うと素敵だな……って」
長い耳をぴくぴくと動かす女性店員さん。器用なものである。
「笑っていたか?」
「は、はぃ」
「……」
ふむ、俺の表情筋は死滅して久しいと思っていたが、蘇ったのだろうか。
そう言えば、最近は顔の各所を動かす機会が増えたような気がしないでもない。
「おはよう、勇真」
俺が両手で表情筋の蘇生具合を確認していると、後ろから女性のような声をかけられた。
すっかり音程が高くなってしまったが、これは間違いなくなじみの声である。
「ああ、おはよう」
振り向くと、矢張り女生徒の服を着たなじみが立っていた。女装姿がすっかり板につき、逆にその胸は板ではなくなっている。
少々パッドの枚数が多いのではないかと思うが、ずれたりしないのだろうか?
■AM8:15
何故だかコンビニに入ろうとしないアテナと店の前で再び合流し、なじみと三人で校門をくぐろうとして立ち止まった。
「へっへっへっへっへ」
何故か校門の向こうには倒壊したビル群と荒涼とした大地が広がっており、改造バイクに跨ったモヒカン頭の男達が顔を歪めて笑っていた。
……確か、我が校はバイク通学は禁止されていたと記憶しているが。
「違うわ勇真クン。これはあの男の差し金よ」
「ああ」
俺の脳裏にクラスの担任である、Mの男の頭頂部が思い浮かぶ。顔は忘れた。
俺達は校門から敷地内に入るのを諦め、横の壁を飛び越えた。
■AM8:30
その朝のホームルームで、担任教師は俺の心に火を点けた。
「突然だが、この学校では皆勤賞を取っても記念品は出ない」
「なっ!?」
ぽかんとする生徒たちの中で、俺は驚愕の表情を浮かべる。対して、男のそれは冷笑。
――俺は決意した。
生徒会長になって、皆勤賞に景品をつけさせてやる、と。
■AM8:45
ホームルームが終わり、俺はおもむろに立ち上がって宣言した。
「生徒会長に、俺はなる!」
「勇真クン……」
アテナは尊敬の目差しで俺を見上げた。だが、なじみは俺に近づき片手に手を置くと、残念そうな声で言った。
「勇真……生徒会の立候補は、昨日で終わったのよ」
何と言うことだ……。
俺が立候補するためには、まずはタイムマシンを開発する必要があるとは。
「解った。努力しよう」
「何を!?」
皆勤賞のためならば、俺は手段を選ばない。




